瀕死の白鳥
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
エピローグ
~翼vision~
藤守兄
「小野瀬の友達の、諏訪野……翔の方な。執行猶予がついたぞ」
昼下がり、捜査室の全員が気がかりにしていた諏訪野の判決を報告に来てくれたのは、検察官である藤守さんのお兄さんだった。
翼
「本当ですか、良かった!」
お茶を出した私に、藤守さんのお兄さんは、ソファーに腰を下ろしながら、うむ、と頷いた。
藤守兄
「お前たちから、関東屈指の規模の暴走族のリーダーだった男だと聞いていたから、どんな暴れん坊かと思っていたのだがな。穏やかな常識人で驚いた」
小野瀬
「諏訪野は元々が走り屋だからね。喧嘩はやれば強いけど、それよりも、あいつのバイクの腕に憧れて、舎弟が増えていったんだよ」
コーヒーを手に、室長の机に寄り掛かるようにして立っていた小野瀬さんが、笑顔で応える。
久し振りに見せた安堵したような表情は、やっぱり、諏訪野の事が心配だったんだろう。
藤守兄
「罪状は麻薬の違法栽培と譲渡だが、初犯だし真摯に反省していて、充分に改悛の情も見られる。家庭環境に情状酌量の余地もあるし、懲役1年、執行猶予2年はまあ、妥当だろう」
執行猶予というのは、言葉の通り、刑の執行を猶予される期間の事だ。
この間に新たな罪を犯さなければ、懲役を受ける事もなく、罰は終わる。
如月
「父親の検挙にも協力してもらいましたしね」
藤守兄
「うむ」
藤守さんのお兄さんがほうじ茶をすする。
藤守兄
「しかし、父親の方は、そうはいかないだろうな。まだ警察の取り調べも完了していないから判決が出るのはずっと先だが、かかっている容疑は、どれをとっても息子の罪より遥かに重い。実刑は免れないだろう」
諏訪野龍一は、自ら罪を重くしてしまった経緯もある。
仕方ないとは思うけれど、諏訪野の気持ちを考えると、私まで少し気が重くなってしまった。
穂積
「いい話もあるわよ」
立ち上がった室長が、傍に来て、私の頭を撫でてくれた。
穂積
「父親の、龍一の取り調べの中で明らかになった事だけどね。幸いな事に、東北の病院に入院している事が確認された母親の愛人は、諏訪野翔に感謝しているらしいの」
明智
「父親の龍一に殺されかけた男性ですね」
穂積
「そうよ」
明智さんが差し出したお手製のスコーンを頬張りながら、藤守さんのお兄さんも頷いた。
藤守兄
「その男性は、不自由な身体でも、安心して安全に暮らして来られたのは、諏訪野翔の保護があったからだと言っているらしい」
藤守
「入院費だけでも十年以上やもんな。それも、情状酌量の一因になったわけか」
その時、電話が鳴った。
明智
「はい、緊急特命捜査室。明智です。……はい、小野瀬さんはこちらにいらしてます。……はい、分かりました。お伝えします」
電話を切った明智さんが、小野瀬さんを振り返る。
明智
「小野瀬さん、ロビーに面会希望の方がみえているそうです」
全員が、小野瀬さんと、明智さんを見た。
小野瀬
「もしかして」
明智
「ええ、諏訪野…さん、ですよ」
明智さんが、にこりと笑った。
小野瀬
「諏訪野!」
小野瀬さんが駆け寄ると、ロビーの椅子から、諏訪野さんが立ち上がった。
今日の諏訪野さんは、シルバーグレーのスーツに、白いロングコート。
長身の美貌に真っ白な髪。
受付の女性職員たちがずっとこっちをちらちら見ているのは、今日ばかりは小野瀬さんが現れたせいだけではない。
諏訪野
「仕事中にすまないな」
諏訪野さんは小野瀬さんに挨拶したあと、彼に「一緒に会おう」とせがまれてついて来た私にも、微笑んでくれた。
諏訪野
「櫻井さん、こんにちは」
翼
「諏訪野さん、眼鏡直したんですね。お怪我の方はいかがですか?」
愛人に刺されて縫合した傷の経過が気になって、聞いてみる。
諏訪野
「ありがとう。すっかり塞がったよ。まだ、時々むず痒いけどね」
見る?とジャケットのボタンを外す諏訪野さんを、小野瀬さんが慌てて止めた。
小野瀬
「見せなくていい!」
諏訪野さんと私は、声を立てて笑った。
小野瀬さんは笑い損ねて複雑な顔をしているけど、良かった。
諏訪野さんが、笑えるようになっていて。
諏訪野
「判決が出たから報告に来たんだけど……どうやら、知っている顔だね」
小野瀬
「執行猶予中のセクハラは、即、猶予取消しだぞ」
諏訪野
「分かってる、真面目に暮らすよ。今日だって、電車で来たんだ」
執行猶予が取消しになる理由で多いのは、実は、再犯よりも、交通違反による事故だ。
軽微な違反で青キップを切られる程度なら問題ないけれど、飲酒運転やスピード違反をすると、そのまま刑務所に入らなくてはならなくなる。
諏訪野
「それに、な」
珍しく、諏訪野さんが、躊躇うように言い淀んだ。
諏訪野
「その……きょ……母が、俺に、会いたいって……言ってくれている、らしいんだ」
小野瀬
「えっ!凄いじゃないか!」
翼
「良かったですね、諏訪野さん!」
心なしか、諏訪野さんの頬が赤い。
諏訪野
「……うん。だから、これから病院に寄って、許されるなら、今後は、母の傍で、今までの償いをしていきたいと思っている」
響子さんは、現在、某病院の精神科閉鎖病棟を制限住居に保釈をとって、3か月間の予定で、「条件反射制御法」という治療を受けている最中だ。
治療プログラムを受けることで、刑を軽減し、そして、より早く、社会復帰出来るようになるらしい。
響子さんは、今まで、麻薬の作用に囚われ、成長した諏訪野さんを拒否してきた。
そんな響子さんに求められて、諏訪野さんは戸惑っているようだけど、私は知っている。
響子さんが諏訪野さんを拒んできたのは、幼い諏訪野さんを捨てて愛人に逃げた、罪悪感からだ。
決して、諏訪野さんを嫌いだったからじゃない。
麻薬の呪縛が解け、正常な思考を回復するにつれて、たった一人の我が子に会いたくなるのは、むしろ自然の流れだろう。
小野瀬
「良かったなあ、諏訪野。お前、マザコンだもんな」
諏訪野
「……否定はしないけど、同じ穴の狢であるお前に言われたくはないな」
私が響子さんを思い出しながら感慨に耽っていると、なにやらおかしな方向に話が逸れ始めていた。
小野瀬
「俺はマザコンじゃない」
諏訪野
「じゃあロリコンか?ずいぶん年下を選んだようじゃないか」
ちら、と諏訪野さんが私を見た。
小野瀬
「ロリコンでもない!櫻井さん、こいつはね。高校時代には人妻に横恋慕された事もあるんだよ。一度なんか、フラれて逆恨みした女が駅で待ってて」
諏訪野
「高校時代の女関係ならお前の方が派手だろう。剣道の大会で他校に行くたびにナンパして、そこの不良と揉めるから、俺は何度仲裁に入ったか分からない」
翼
「あの」
諏訪野
「櫻井さん、キャンセル待ちは何人いるの?小野瀬に愛想を尽かしたらいつでもおいで」
小野瀬
「俺の目の前で彼女を口説くな!」
太田
「あのー、御大。そろそろ」
美形二人の低レベルな口喧嘩は、鑑識の太田さんの控え目な参入によって、遮られた。
諏訪野さんも小野瀬さんも、あっという間に社会人モードに戻る。
諏訪野
「ああ、すまん、仕事中に長居したな」
しおらしく謝る諏訪野さんに、小野瀬さんも、少し気まずそうに、いや、と咳払いをした。
それから、改めて、微笑む。
小野瀬
「来てくれて嬉しかったよ、諏訪野。近いうちに、また会おう。連絡する」
小野瀬さんは素早く諏訪野さんに連絡先を伝えると、太田さんを促して、足早に戻って行った。
翼
「じゃあ、私もこれで」
お辞儀をして、私も捜査室に帰ろうとすると、諏訪野さんが、そっと長身を屈めた。
諏訪野
「きみのキャンセル待ちをする、と言ったのは冗談だけど。小野瀬との事で悩んだら、本当に、いつでもおいで」
耳元で囁かれて、私は諏訪野さんの表情を確かめた。
整った顔立ちは穏やかに微笑んでいるけれど、その淡い色の目の奥には、真摯な光が宿っている。
諏訪野
「きみは俺の恩人で、俺は、きみの友人だ」
諏訪野さんの言葉を、私はそのまま返したいと思った。
彼は私と小野瀬さんの恩人。
そして、私にとっても、大切な友人になった。
諏訪野さんに見つめられて、私は、はい、と頷いていた。
手を振って警視庁を後にする諏訪野さんを見送って、私は、これからの事を思う。
今回の事件を経験して、私と小野瀬さんの間にあったわだかまりは、少しずつ溶けていっていると思う。
小野瀬さんは私への気持ちを抱え込まず、気に入らない事をした時も、自分が悩んでいる事も、隠さずに打ち明けてくれるようになった。
もちろん、いきなり何もかも全て、とはいかないけれど。
少なくとも、私が、小野瀬さんの腕の中で泣きたいほどの孤独を感じる事は、無くなった。
もっともっと、小野瀬さんの事を知りたい。
それと同じくらい、自分自身の事を知りたい。
彼の為に、二人の為に、みんなの為に、何が出来るだろうか、知りたい。強くなりたい。
諏訪野さんが、室長が、小野瀬さんが教えてくれた、たくさんの事を、私は忘れない。無駄にしたくない。
私は、警視庁の玄関から、蕾の綻び始めた桜の枝越しに、空を見上げた。
桜の花は、冬の寒さを感じなければ花を咲かせないのだと聞いた事がある。
私と小野瀬さんも、今、桜と同じ試練をひとつ、乗り越えられたのかしら。
それとも、まだ、春は遠いのかしら。
分からない、でも、それでもいい、と、私は思った。
今、枝から寒空に舞い立った二羽の鳥のように。
並んで春を待つ、蕾のように。
二人で、同じ想いを育みながら、生きていければそれでいい。
愛する人と―……
小野瀬さんと、一緒なら。
~END~
36/36ページ