瀕死の白鳥
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諏訪野
「あの人、どうしてあんな話し方なんだ?」
静かな足取りでマンションの階段を昇りながら、隣を歩く諏訪野が俺に尋ねてきた。
神奈川県警本部にいる小笠原くんを除く捜査室のメンバー全員、それに俺と諏訪野を加えて相談した結果、諏訪野の父、諏訪野龍一を説得してみる為の作戦は決まった。
このマンションの管理人でもある諏訪野は、龍一の部屋の合鍵を持っている。
そこで、まずは俺と諏訪野、明智くんと翼の四人で、マンションの二階にある201号室、つまり、龍一の部屋に、玄関からアプローチしてみる事になった。
諏訪野の情報によって、龍一が拳銃を所持しているという可能性が高まった上、人質になり得る愛人の女性が一緒にいると思われる事で、現在、警視庁のSITが出動準備を進めている。
与えられた時間は短い。
諏訪野龍一が自ら銃を放棄し、愛人とともに出てきて大人しく逮捕されてくれれば、満点。
内側からでも、合鍵を使ってでも、玄関の鍵を開けて説得出来れば、70点。
SITが出動し、武力で制圧する事態になったら、50点。
そして、諏訪野には言えないが、龍一が、自らや愛人の命を絶つような事になってしまったら、作戦は失敗だ。
もちろん、俺たちが何も言わなくても、諏訪野は、最悪の事態をすでに想定しているだろう。
だからこそ、鵠沼に来たのだ。
これ以上、父親に罪を重ねさせない為に。
そして……父親を、守る為に。
だが、そんな決意を感じさせないほどに、諏訪野はリラックスしていた。
修羅場をくぐってきた男だから、肝が据わっているのかもしれない。
もしかしたら、そう見せているだけかもしれない。
いずれにしても、この状況で諏訪野が落ち着いてくれているのは、俺たちにとっては有り難い事だった。
その諏訪野が話しているのは、さっき初めて会った穂積の事だ。
諏訪野
「だって、彼、本当のオカマじゃないだろう?」
諏訪野は首を傾げていた。
穂積は現場の指揮官として、藤守くんや如月くん、神奈川県警の捜査員たちとともに、外からマンションを見張っている。
答えようと口を開いた俺よりも先に、翼が後ろで噴き出した。
翼
「諏訪野さん、鋭いです」
諏訪野
「やっぱり?」
翼と、苦笑いしている明智くんとを振り返り、ちらりと睨んでから、俺は、諏訪野の背中をぽんと叩く。
小野瀬
「……まあ、穂積にも事情があるんだよ」
俺が言うと、諏訪野は、しげしげと俺の顔を見た。
諏訪野
「もしかして、小野瀬が関係あるのか」
翼が、感心したように目を丸くする。
翼
「本当に鋭い」
小野瀬
「翼、余計な事を言わないの」
めっ、と俺がたしなめると、翼は「はい」と言いながらも諏訪野に向かって笑顔を見せ、諏訪野もそれに微笑みを返した。
小野瀬
「あのなあ諏訪野、お前は……」
諏訪野
「止まって」
二階へ向かう踊り場の手前に差し掛かったところで俺の言葉を遮り、足を止めた諏訪野が声を潜めた。
諏訪野
「ここから先は、防犯カメラに捉えられる。マンションの管理用じゃなく、父親が設置したやつだ」
小野瀬
「用心深いんだな」
諏訪野
「後ろめたいのさ」
諏訪野は冷ややかに呟いたけれど、一瞬だけ、憐れむような表情をしたのを俺は見逃さなかった。
諏訪野が明智くんを見た。
諏訪野
「これからどう動けばいい?」
明智くんは、インカムで穂積の声を聞いている。
明智
「諏訪野さん、インターホンで、中にいるお父さんに声を掛けてみてもらえますか。もしも返事が無ければ、そのまま、合鍵で扉を開けて下さい」
諏訪野
「分かった」
明智
「自分が同行します。小野瀬さんは、櫻井とここに待機していてください」
小野瀬
「俺たちは愛人の安全確保だね」
俺が確かめると、明智くんは頷いた。
明智
「はい。あ……ちょっと待って」
穂積が何か言ったのか、ちょっとイヤホンに耳を澄ませてから、再び口を開く。
明智
「室長が、『小野瀬に、龍一の愛人に鼻の下を伸ばすなよ、と伝えろ』と言っています」
小野瀬
「あの野郎!」
俺は迂闊にも赤面してしまった。
諏訪野が笑っている。
俺と目が合うと、諏訪野はしれっと笑みを消し、明智くんに顔を戻した。
諏訪野
「行こうか」
くっそう。
明智
「櫻井、常に小野瀬さんの陰にいろよ」
諏訪野
「そうだね。いざとなったら小野瀬を盾にするといい」
小野瀬
「それも穂積が言ってるの?」
明智
「そうです」
小野瀬
「明智くん、真顔で嘘はやめて」
二人が笑った。
いつの間に、明智くんと諏訪野はこんなに息が合うようになったんだろう。
忌々しい。
この場面で笑える彼らは、本当に頼もしいけれど。
明智
「行きましょう」
明智くんと諏訪野が、踊り場から、さらに先の階段を昇ってゆく。
201号室はもうすぐそこだ。
カメラに映らないよう意識しながらその背中を見送っていた俺の服の袖を、不意に、翼が、つんと引っ張った。
小野瀬
「?」
振り返ると、彼女が思いがけず真剣な顔で俺を見上げていて、驚く。
翼
「小野瀬さんの事は、いざとなったら、私が守ります」
小野瀬
「……翼」
翼
「私、刑事ですから」
この時、俺は、真顔で言う彼女を、笑う気にはならなかった。
短い間に、翼は確実に成長している。
人間としても、刑事としても。
俺は、羽化する蝶を見るような思いで、彼女の言葉に頷いた。
小野瀬
「……うん、お願いする」
素直に口にすると、翼は嬉しそうに微笑んだ。
小野瀬
「その代わり、きみの事は俺が守るよ。いいね?」
言いながら顔を近付けて、念を押す。
翼
「えっ?」
翼は首を傾げた。
小野瀬
「だって、俺は、きみの恋人だから」
翼
「小野瀬さん……」
小野瀬
「愛してる、翼」
引き寄せて、キスをする。
まさかこのタイミングでと思ったのか、翼は目を見開いたまま、身体を硬くした。
小野瀬
「こんな風に誰かを守りたいなんて思った事は無かったよ。きみに出会うまでは」
唇を離し、見つめ返してくる翼の頬を掌で包むように撫でながら、俺は囁く。
小野瀬
「一緒にいるだけでこんなに心強いと思える女性も、きみが初めてだ」
翼
「今まで、そんな事、言ってくれなかった……」
小野瀬
「うん、そうだね。でも、これからは、ちゃんと言う。だって、きみと俺は、家族になるんだもんね」
大きな目を潤ませる翼に、俺はもう一度、唇を重ねた。
諏訪野
「……今、結構緊迫した場面だと思うんだけど。小野瀬って、いつもあんな感じなの?」
明智
「そういえば、時限爆弾の仕掛けられた現場でも、櫻井を口説いてましたね。……見境が無くて困ります」
二階から、こちらを見下ろして呆れたような諏訪野と、溜め息混じりに肯定する明智くんの、ひそひそと囁きあう声が聞こえてきた。
お前らこそ早く行け。
胸の内で毒づきながらも、唇を離した俺は、まだ赤い顔をしている翼の手を引いて、踊り場の下で身構えた。