瀕死の白鳥
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~小野瀬vision~
諏訪野のバイクは海岸沿いの134号線を駆け抜け、467号線を北上して、あっという間に藤沢市鵠沼に入った。
俺は時々振り返って後ろを確認していたけれど、藤守くんの運転する車の姿は、後続のバイクや車に隠されてか、ついに見える事がなかった。
途中で一度だけ、諏訪野は、後ろに合図するかのように右手を振った。
それを機に、あれだけ付いてきていた夥しい数のバイクと車の姿は消え、代わりに、沿道のそこここに警察車両が見え隠れするようになっている。
俺は、翼の言葉を思い出していた。
「……私、ホテルで、諏訪野さんが、誰かと電話で話すのを聞いてました。その時、彼は、『鵠沼に近付くな。お前らまで巻き込むつもりはない』って……」
言葉通り、鵠沼に入った途端に諏訪野の舎弟たちは消えた……。
小野瀬
「凄いな」
諏訪野
「何が?」
風を切る音の中でも、諏訪野は俺の独り言を聞き逃さなかった。
お前の人望だよ、と言おうとして、止めた。
それは俺が改めて感じただけで、今さら言うまでもない事だったからだ。
小野瀬
「……身体だよ。剣道続けてるのか?」
咄嗟に出た言葉だったが、それは正直な疑問だった。
スーツ越しでも、諏訪野の全身には、しっかりと鍛えられた筋肉がついているのがよく分かる。
俺が腹筋を撫でると、諏訪野は嫌そうに身を捩った。
諏訪野
「六段だ」
……六段って。
諏訪野はさらりと言ったが、それは、俺たちの年齢で得られる最高位だ。
当然、真剣に続けて来なければ到達出来る段位じゃない。
小野瀬
「お前は学生時代の俺を褒めてくれた、って翼から聞いたけど……もう、とても敵わないな」
俺が言うと、諏訪野は笑った。
諏訪野
「お前だって、あの頃より強くなってるはずだ」
小野瀬
「まさか」
諏訪野
「守りたいものが出来ただろう」
小野瀬
「……」
俺の脳裏に、翼の顔が浮かんだ。
守りたいもの、と諏訪野が言ったのは、彼女の事を指しているのに間違いない。
その彼女を、俺が、今までどんなふうに扱ってきたか。
彼女が、そのせいでどれだけ傷ついてきたのか。
敏感な諏訪野には、きっと一晩で全部見抜かれている。
俺と彼女がどんな状態だったか、
本当に守られていたのは、どちらだったのか。
諏訪野
「あれはいい子だ」
小野瀬
「……ああ。……俺にはもったいないくらいだと思う」
諏訪野
「そう思うなら、大切にしてやれ」
小野瀬
「……」
諏訪野
「正直になればいい」
黙り込んだ俺に、諏訪野は笑った。
諏訪野
「お前は彼女に相応しい男だよ」
諏訪野の言葉は、いちいち俺の心身に沁みた。
諏訪野の生きてきた道に比べたら、俺の人生のどれだけ平穏だった事か、恵まれていた事か。
それなのに俺は、足りないものばかり数えて、誰かのせいにして、嫌な事から目を背けて、自分の事ばかりを考えて。
翼は、そんなふうに生きてきた俺に、自分よりも相手の幸せを願う愛があるのだと気付かせてくれた。
だから惹かれたんだ。
彼女が気付かせてくれたからこそ、俺は、両親もまた俺の幸せをずっと願ってくれていたのだと、ようやく素直に受け入れる事が出来た。
彼女を手に入れて、穂積たちにも助けられて、家族との絆を取り戻した時、これからは何もかもうまくいくような気がした。
だから忘れてしまっていた。
彼女の身体の温もりに安心して、それを繋ぎ止めてさえおけば、幸せでいられると思い込んでいたんだ。
今度は諏訪野が教えてくれた。
愛するものを失う痛み。
幸せなんてものの脆さ。
諏訪野は、愛してきたものの全てを、積み重ねてきたものの全てを、今、失おうとしている。
本当に諏訪野が守りたかったものは、求めていたものは、何だったんだろう。
聞いてみたい気がしたが、緩いカーブを抜けた時にはもう、白いヘルメットの向こうに、五階建ての瀟洒なマンションが見えて来ていた。
おそらく、穂積から携帯か無線で既に連絡が入っていたのだろう。
俺と共に現れた諏訪野を見ても、駆け寄って来た明智くんと如月くんは戸惑った顔をせず、揃って敬礼をしてくれた。
小野瀬
「明智くん、状況は?」
俺は、習慣で白い手袋を嵌めながら訊いた。
明智
「マンションの二階、201号室に諏訪野龍一と愛人の女性がいると思われます。それ以外の住人には、全員、建物から一時退去してもらいました」
言葉を交わす俺と明智くんの傍らで話を聞きながら、諏訪野が控え目に、だが心配そうに、辺りを見回している。
……そういえば、諏訪野は父親だけでなく、他に行き場が無いような連中に部屋を与えて面倒をみている、と、豪田が言っていなかったか。
如月
「諏訪野さん、ですよね。住人の皆さんには、近くのホテルを借りて、そこで待機してもらっています」
気を利かせた如月くんが言うと、ほっ、と諏訪野が息をついた。
諏訪野
「どうもありがとう」
他人の心配をしている場合じゃないだろうに。
小野瀬
「住人を退去させたのは?」
明智
「退去の指示は神奈川県警からのもので、諏訪野の逮捕に際して予想される、暴力団や暴走族の妨害に備えての措置です」
明智くんは、ちらりと諏訪野に視線を送った。
明智
「実際、それらしい集団が、確かに周辺で多数確認されています。……今のところ、鵠沼には入って来ていませんが」
諏訪野
「入らせない」
諏訪野はきっぱりと言った。
明智くんは少し驚いたようだったけれど、こいつが「入らせない」と言ったら、それは絶対だという事を俺は知っている。
諏訪野
「だが、退去させたのは正解だ。……俺の父親は、拳銃を持っている可能性がある」
小野瀬
「えっ?」
俺は、驚いて聞き返した。