瀕死の白鳥
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藤守
「……停まった」
諏訪野の意外な行動に、運転席の藤守さんが驚いている。
ふうん、と、室長も感心したように小さく唸った。
穂積
「こちらもサイレン止めなさい」
藤守
「はい」
穂積
「発進して、諏訪野のバイクの前に車を付けて」
藤守
「はい」
藤守さんが車を発進させると、室長は車載の無線機を手に取って、神奈川県警本部に呼び掛けた。
穂積
「穂積より本部。134号線由比ヶ浜付近にて諏訪野翔を発見。応援は無用。藤沢市鵠沼周辺の警戒体制はそのまま継続」
神奈川県警本部
『了解』
穂積
「沿線の警察官に指示。諏訪野を発見しても通行を妨げてはならない。諏訪野翔、龍一とも、わたしの指示が無い限り、決して逮捕行動に出てはならない。以上」
神奈川県警本部
『本部了解』
室長が本部との無線を切ったのとほぼ同じタイミングで、藤守さんはハザードランプを点灯して路肩に寄り、諏訪野のバイクの、数m前方の路側帯に車を停めた。
サイドブレーキをかけるのを待つのももどかしい様子で、小野瀬さんは停車と同時に道路側の後部座席のドアを開け、外に飛び出していく。
諏訪野もまた、小野瀬さんの姿を確かめると、停車していた大型バイクから降り、サイドスタンドを立てた。
白いフルフェイスを外し、静かなたたずまいで小野瀬さんに微笑みを向ける。
運転席の藤守さんが、はーっ、と息を吐いた。
藤守
「ホンマに真っ白や……」
しっ、と室長が藤守さんを制する。
諏訪野に近付いてゆく小野瀬さんは後ろ姿になっていて、私たちからは、彼の表情を窺い知る事は出来ない。
小野瀬
「……」
長い沈黙の後に、小野瀬さんが言葉を発した。
小野瀬
「……夜明けまで、海を見てたのか?」
小野瀬さんの問い掛けに、諏訪野は、ふ、と笑った。
諏訪野
「当分見られなくなるだろ」
そう言って、海の方に顔を向ける。
諏訪野
「ここの海が好きなんだ」
真っ白な髪が、風にそよいだ。
……そういえば、こんな明るい場所で諏訪野を見るのは初めて。
藤守さんじゃないけれど、溜め息が出てしまうのも分かる。
逮捕しなきゃいけない人なのに。
油断してはいけない相手なのに。
諏訪野は髪も肌も服も、何もかもが白く、その態度は常に悠然としていて、私たちは、朝日に輝く彼の端正な姿に、ほとんど見とれていた。
小野瀬
「……諏訪野」
小野瀬さんは、いつもの軽やかな声とは別人のような、感情を圧し殺した声で諏訪野を呼んだ。
小野瀬
「……お前の逮捕容疑は、大麻取締法違反。……違法栽培で、七年以下の懲役だ」
諏訪野
「母親と、彼女に、大麻を吸わせた罪もある」
海を見たままで、諏訪野が呟く。
彼女に、と言った一瞬だけ、諏訪野は私に視線を向けた。
小野瀬
「それは……」
諏訪野
「彼女たちの罪じゃない」
小野瀬
「……」
諏訪野
「だが、もう少し時間をくれ」
諏訪野が呟くのを見ながら、小野瀬さんは、白いスーツに肩を並べるように歩み寄って、同じように海を眺めた。
小野瀬
「諏訪野……お前、鵠沼に行くつもりだろう?……お前の父親の逮捕を、見届けるために」
諏訪野が、ゆっくりと、小野瀬さんを振り返る。
小野瀬
「お前の父親……諏訪野龍一には、営利目的での大麻所持、及び販売の容疑がかけられている。既に逮捕された、薬師寺という売人が、お前の父親から、大量の大麻を複数回買ったと供述したんだ」
小野瀬さんはそこでまた少し沈黙してから、言葉を続けた。
小野瀬
「そしてもう一つ……お前の母親の愛人が失踪している事件との関連も、今、警視庁の特命捜査室が調べている」
私は驚いて、室長を振り返った。
室長は目だけで頷き、人差し指の先を自分の唇に当てる。
黙っていろ、という合図だろう。
でも……、響子さんの愛人の失踪に、諏訪野の父親が関わっているかもしれないなんて、私には初耳だったから。
小野瀬
「……十年以上前の事件だが、殺人だとしても、傷害致死だったとしても、まだ、時効は成立していない。……もし、罪を犯したなら、諏訪野龍一は、それを償わなければならない」
空を仰いでいた諏訪野は、小野瀬さんの言葉に静かに振り向いた後、驚くような事を語り出した。
諏訪野
「神奈川県警は、犯人が、父ではなく俺だと思っている。俺が、舎弟か組員にでもやらせたんだとね。だが、証拠が無い。遺体も見つからない。……だから、今まで立件されなかったんだ」
諏訪野の話は、真実味のある話だった。
正直に言うと、私も、諏訪野から、響子さんの愛人が行方不明になっていると知らされた時には、真っ先にその可能性を疑った。
……この湘南で、俺の母を廃人にして捨てたんだよ。
……どうなったかな。俺は知らない。
諏訪野自身も、私の問いかけに対して、そうと受け取れる返事をしていた。
彼にはきっと、その通り実行出来るだけの力もある。
だからこそ疑われたのだ。
でも、諏訪野と話すうちに、私には、彼が、殺人まで犯すような人物だとは思えずにいたのだけれど……
……それが、諏訪野の父親の仕業だったなんて。
小野瀬
「お前の父親と、母親の愛人の失踪とを繋げる証拠は、県警はまだ何も掴んでいない。特命捜査室が、独自に調査した上で立てた仮説に過ぎない」
諏訪野
「……なるほど」
諏訪野は、ふと、小野瀬さんから、視線を私に移した。
諏訪野
「櫻井さん」
その声に、助手席側の後部座席の窓から二人の様子を覗いていた私は、急いで、後ろ向きに身を乗り出す。
翼
「はい」
諏訪野
「身体はもう、大丈夫?」
翼
「は、はい」
諏訪野
「ごめんね。……あの時は、きみを不安にさせたくなかった」
……あの時。
……きっと、愛人の行方を尋ねた私に、俺は知らない、と答えた時の事だろう。
でも、今なら分かる。
私は、諏訪野に、全てを知りたい、教えて欲しいと願った。
だから諏訪野は、私にあの大麻のプラントを見せた。
響子さんに会わせ、私に大麻の臭いを嗅がせた。
大麻は、吸引した時の精神状態が、その後の作用に大きく影響する。
諏訪野の言う、「あの時」。
それは、「私に大麻を吸わせた時」の事でもある。
もし、あの時、私が強い恐怖を感じたり、暗い考えに取りつかれていたとしたら、おそらく、私は鬱状態に陥っていただろう。
あるいは、抑えつけていた不安や不満が噴き出して、際限なく攻撃的になっていたかもしれない。
私に襲い掛かってきた、響子さんのように。
だからこそ、あの時、諏訪野は私の抱えていた不安を和らげるために優しい言葉を紡ぎ、甘い夢を見せて眠らせようとしたのだ。
私は愛されていたと、そして、永遠に、小野瀬さんに愛される夢を見ていていいのだと。
諏訪野もまた、私に危害を加えはしないと。
翼
「……分かってます」
あの時の事を思い出しながら、万感の思いを込めて、私は諏訪野に頷いてみせた。
諏訪野もまた、頬を緩めて頷く。
諏訪野
「……俺は、きみに約束したね。きみの知りたい事は全部、教えてあげるって」
小野瀬さんが、諏訪野の言葉に反応して、私を振り返った。
室長と藤守さんもまた、息をつめて、私と諏訪野を見る。
私も、その言葉の意味に気付いた。
胸が、早鐘を打ち始める。
翼
「……もしかして……もう一度、私が聞いたら……教えてくれるんですか?……響子さんの、愛人の……、行方を」
諏訪野
「教えるよ」
諏訪野は私を真っ直ぐに見つめると微笑み、あっさりと頷いた。
諏訪野
「……彼は、生きている」
翼
「えっ?!」
思わず、声が出てしまった。