瀕死の白鳥
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翼
「……小野瀬さん、私の荷物の中を見て下さい」
小野瀬
「きみの荷物?」
車内を見回した小野瀬さんの視線の先には、私が、オーベルジュに置いてきてしまった大小のバッグ。
私は首を横に振った。
翼
「それじゃなくて……」
穂積
「これ?」
助手席の足元から、室長が、諏訪野に買ってもらった真新しいバッグを持ち上げた。
翼
「はい。その中にある、洋封筒を出して下さい」
室長はバッグを開けると、中から白い封筒を取り出して、私に差し出してくれた。
翼
「ありがとうございます」
私はそれを、そのまま、小野瀬さんに手渡した。
小野瀬さんは困惑したような顔で、私を見ている。
翼
「諏訪野さ……諏訪野からもらった、小野瀬さんの写真です」
小野瀬
「写真?あいつが?」
その反応で、諏訪野が「写真は好きじゃない」と言ったのが本当なのだと分かる。
翼
「はい」
小野瀬さんは驚いた顔をしながらも、封筒を開いて、最初の写真を取り出した。
翼
「高校時代の諏訪野と、小野瀬さんが、剣道の県大会で優勝、準優勝した時の写真です」
私が説明するまでもなく、小野瀬さんは目を細めた。
小野瀬
「この写真は、俺も持ってるよ。……あいつは、強かった」
翼
「諏訪野も、小野瀬さんの事を、そう言ってました」
小野瀬
「……」
最初の写真を左手に移しながら、小野瀬さんが、次の写真を見た。
同時に顔色が変わって、バッと写真を伏せると同時に、私を見つめる。
小野瀬
「……きみ、これ見た?」
それは、写真に収まりきらないほどの数の、いわゆるヤンキーな人たちと、その先頭に立っている、白い特攻服の小野瀬さんを写したもの。
翼
「はい」
小野瀬
「諏訪野の奴!」
吐き捨てるように言った小野瀬さんのこめかみに青筋が浮く。
小野瀬
「……きみだけには、絶対、見られたくなかったのに!」
小野瀬さんが頭を掻きむしった。
翼
「『でも、きみは、ありのままの小野瀬を全て受け入れようとしている。その気持ちは、こんな写真では揺るがないはずだ』」
小野瀬
「えっ?」
翼
「諏訪野が言ったんです」
小野瀬さんは、私の顔をじっと見つめた。
翼
「……『それなのに、小野瀬はその事を理解してくれない。違う?』って」
小野瀬
「……」
翼
「『大人になって、綺麗な仮面を被る事を覚えたかもしれない。でも、本質は変わらないはずだ。子供のように意地っ張りで、嫉妬深くて、寂しがりやで……素直じゃない』って」
くくっ、と、前の席で室長が肩を揺らした。
空が蒼くなり、車内に光が差し込み始めている。
私は、小野瀬さんが伏せて手に持っていた写真を表に戻して、三枚目の写真が、彼に見えるようにした。
小野瀬
「……!」
それは、明るい陽射しの降り注ぐ砂浜で裸の肩を組んで、声が聞こえてきそうなほど楽しそうに笑いあっている、小野瀬さんと諏訪野の写真だった。
おそらく、小野瀬さんがカメラを持って自分たちを写したと思われるその写真の中では、諏訪野も、小野瀬さんも、端整な顔立ちをくしゃくしゃにして、屈託ない笑顔を見せていた。
小野瀬
「……」
翼
「……諏訪野は、私に言いました。『大切な写真だから、きみにあげる』って」
全てを知った今、あの時の諏訪野の言葉を思い出すと、様々なものが込み上げてくる。
翼
「『俺がその写真を選んだのは、それが、小野瀬の本当の顔だからだよ』って」
準優勝でも納得していない、勝ち気な顔。
親に捨てられたと思い込んでいた、心そのままの荒んだ顔。
親友と笑う、普通の高校生の顔。
三枚の写真は、どれも、本当の小野瀬さんを写したもの。
そして、同時にそれには、本当の諏訪野も写っている。
愛されていながら、愛していながら、それを認めようとせずに頑なに心を閉ざしていた小野瀬さんと。
愛されたくて愛されず、それでも愛そうと、生きようと必死でもがいていた、諏訪野の姿とが。
互いの前では、この時だけは、心からの笑顔を見せて。
小野瀬
「諏訪野……」
小野瀬さんの目から、涙が溢れた。
翼
「……諏訪野が私にキスしたのは、私に特別な感情を持ったからじゃありません。きっと、こうなる事が分かっていて、私を庇う為に、してくれた行動だったんです」
動けない私にキスする事で、失踪が私の意思ではなかったのだと。
私は拐われたのであって、決して、小野瀬さんを裏切ったわけではないのだと。
そうする事で、諏訪野は、私と小野瀬さんとの関係を守ろうとしてくれた。
両手で顔を覆い、肘を膝につけるように身体を折って嗚咽を堪える小野瀬さんの背中に、私は手を置いた。
翼
「私、諏訪野から教わりました。……人を愛する為には、覚悟が必要だという事を」
小野瀬さんは静かに泣き続ける。
助手席の室長が手を伸ばして、小野瀬さんの手から、大切な写真を静かに引き取った。
顔を上げた私の肩に、室長が、温かい手をそっと乗せる。
目が合うと、頷いてくれた。
穂積
「……夜が明けたな、櫻井」
翼
「……はい」
私も、涙を拭いた。
ファオオオン。
彼方から、風を切ってひときわ鋭い音が近付いて来たと思った次の瞬間、停車していた私たちの車の横を、一台のバイクが走り抜けて行った。
朝の光の中を、真っ白なスーツの背中があっという間に遠ざかっていく。
翼
「……諏訪野!」
穂積
「藤守、鳴らせ!」
藤守
「はいっ」
すかさず、藤守さんが窓を開けてパトライトを出し、サイレンを鳴らす。
小野瀬さんも身体を起こした。
すると。
こちらが発進するのを確認したのか、サイレンが聴こえたのか。
遥か先で、バイクが停まった。
白いヘルメットが、こちらを振り返る。
小野瀬
「諏訪野」
小野瀬さんが、私に覆い被さるようにして助手席側の窓から顔を出して、叫んだ。
小野瀬
「諏訪野!」
遠く、白いスーツのジャケットを浜風にはためかせた諏訪野が、小野瀬さんの声に応えるように手を挙げていた。