瀕死の白鳥
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~翼vision~
最初こそ緊張したものの、諏訪野と向かい合って食事をしているうちに、私は徐々に落ち着きを取り戻してきていた。
諏訪野は終始穏やかで、静かに話しかけてくる低い声は耳に優しく、心地よかった。
私を連れ出した目的が小野瀬さんへの悪戯の為だという理由はさすがに信じていないけれど、どうやら、諏訪野は、この場で私に何か危害を加えるつもりは無さそうだ。
だとしたら、食べられる時に、しっかりと食べておかないといけない。
これは、捜査室のみんなと日夜食事をする中で、身をもって学んだ事だ。
諏訪野
「俺、きみは一人っ子だろうと思ってたんだけど……、もしかして、お兄さんたちがいるのかな?」
私は、じゃがいものかたまりをごくりと飲み込んだ。
諏訪野の予想は、どちらもある意味当たっている。
凄い洞察力だった。
思わず身構えたけれど、諏訪野はもう知らん顔で水のグラスに唇をつけていた。
私はまた肩の力を抜く。
警戒し過ぎると、無駄に疲れてしまう。
気を抜くときは抜かないと。
翼
「……あなた、には、ごきょうだいは?」
諏訪野
「いない」
諏訪野はあっさりと答えた。
小野瀬さんから聞いた通りだ。
翼
「小野瀬さんとは、高校時代に仲良しだったと聞きました。……親友、なんですよね?」
諏訪野
「俺はそう思っているよ、今でも」
これも、本当。
翼
「……私、あの時、小野瀬さんとは一緒にいませんでした。それなのに、なぜ、小野瀬さんの連れだと分かったんですか?」
諏訪野
「小野瀬と電車に乗ったり、長谷寺へ行ったりもしたでしょ」
私のどんな質問にも、諏訪野は淀みなく答える。
諏訪野
「そういうの、教えてくれる連中がいてね」
諏訪野の言葉は、その長谷寺で小野瀬さんも話してくれた、舎弟、の存在を匂わせた。
嘘をつく気はないのだろうか。
だったら……。
私は賭けてみる事にした。
翼
「……私、警察官なんです。あなたにかけられた、違法薬物取引の容疑を調べに来たんです」
私がじっと見つめると、諏訪野は驚くというより感心したように、へえ、と言いながら、ほとんど透き通るほど淡い茶色の目で、私を見つめ返した。
諏訪野
「きみ、他人から馬鹿正直だと言われた事無い?」
かっ、と顔が熱くなる。
そんな私の様子を見て、諏訪野は口角を上げた。
諏訪野
「失礼、褒めてるんだよ。……違法薬物、ね。具体的には?」
翼
「……マリファナ」
諏訪野
「そこまで知ってるんだ」
少しずつ少しずつ、自分の鼓動が速くなっていくのが分かる。
まだだ。
これはまだ、世間話。
ここで「なんてね」と言われてしまえば、この話は冗談になって、それでおしまい。
諏訪野
「食事中だよ。そんな怖い顔をしないで」
直後に、ウェイターが食べ終わったお皿を下げに来た。
私はハッとする。
翼
「……ごめんなさい」
デザートとコーヒーを置いてウェイターが去るのを待って、私は頭を下げた。
諏訪野
「知りたい?」
翼
「えっ」
頭を上げると、正面で、諏訪野が微笑んでいた。
端正な顔立ちが綻んで、私を見つめている。
さっきまでと同じ、穏やかで紳士的な態度のまま。
けれど、私は、自分の背中を、ぞくりと冷たいものが掠めるのを感じた。
諏訪野
「このコーヒーを飲み終えたら帰ると言うなら、そのまま帰してあげる」
不思議な色の眼差しは、まだ優しげだ。
諏訪野
「きみは、小野瀬の大切な人だからね」
特別。
諏訪野はそう囁いた。
翼
「……」
どうしよう。
「知りたい」と答えてこの人について行ったら、絶対、室長にも小野瀬さんにも叱られる。
今ならまだ間に合う、帰してあげるという諏訪野の言葉は、きっと真実だろう。
でも、ここで別れた後、もしも諏訪野が逃亡したら、事件を解決出来なくなってしまうかもしれない。
翼
「……」
私が考えを整理している間も、諏訪野は決して急かさなかった。
頭の中で、思いつく限りの事態を想定したり打ち消したりしてから、私は、意を決して諏訪野に向き合った。
翼
「……行きます。でもその前に、小野瀬さんに電話をしてもいいですか」
諏訪野は微笑んで、どうぞ、というように、私に手の平を見せた。
小野瀬
『翼?!無事か?!今、どこにいる?!』
電話口に出た小野瀬さんの声は、いつもと違ってひどく取り乱していて、そんなに私を心配してくれていたのかと思うと、申し訳なさで胸がいっぱいになる。
翼
「無事です。諏訪野…さん、と一緒です。心配しないで下さい」
小野瀬
『心配するに決まってるだろう!』
思わず受話器を離したほどの大声で、小野瀬さんが叫んだ。
小野瀬
『すぐに、諏訪野から離れろ。携帯の電波で居場所は掴める。迎えに行くから!』
心が揺れた。
尋常じゃない小野瀬さんの焦りが、諏訪野に対して緩みかけていた私の警戒心を、再び呼び覚ましたのだ。
翼
「でも……」
戸惑ったまま顔を上げると、目が合った諏訪野が笑顔で『電話を代わって』という仕草をした。
私は咄嗟に判断がつきかねて、諏訪野に求められるまま、携帯を手渡してしまう。
諏訪野
「小野瀬、久し振り」
小野瀬
『……!諏訪野!』
小野瀬さんに呼ばれたその瞬間、諏訪野は嬉しそうに目を細めた。
諏訪野
「彼女、もう、俺と行くって約束したんだよ」
小野瀬
『……行く?行くって、どこへ?!』
諏訪野
「彼女は警察官で、知りたい事があると言っている。だから、教えてあげようと思ってね」
小野瀬さんが、息を飲んだのが聴こえた。
小野瀬
『警察官、だって?彼女が言ったのか?!』
諏訪野
「馬鹿正直で可愛いお嬢さんだね」
小野瀬
『……諏訪野、頼む。その子には手を出さないでくれ』
哀願するような口調に変わった小野瀬さんの声に、けれど、諏訪野は浮かべた笑みを絶やさなかった。
諏訪野
「俺は警告したよ。でも、彼女が知りたいと言ったんだ」
小野瀬
『諏訪野っ……』
小野瀬さんの声の途中で、諏訪野は携帯の電源ごと通話を切った。
そのまま私の携帯を自分のポケットに入れて、立ち上がる。
諏訪野
「さ、行こうか」
足が竦んで立ち上がれない私に、諏訪野は手を差し伸べてきた。
諏訪野
「大丈夫、乱暴な事はしない。きみが知りたいこと、教えてあげるよ」
震えるほど怖いのに、私に囁く諏訪野の声と笑顔は、それ自体が麻薬のように……魅力的だった。