瀕死の白鳥
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
~翼vision~
翼
「あの」
車が走り出して数分後、私は、自分の左側にある運転席にいる諏訪野に向かって尋ねた。
翼
「……私をどこに連れていくつもりですか」
諏訪野は前を向いて車を走らせたまま、唇を開いた。
諏訪野
「とりあえず、近くのレストランへ行こうか」
長い睫毛。
色素の薄い茶色の目。
鼻筋の通った端正な顔立ち。
生え際まで真っ白な髪。
諏訪野は長身で精悍、小野瀬さんから聞いた話の通りの男性だった。
諏訪野
「俺、夕食がまだなんだ。もしかしたら君もでしょ?」
言われてみれば、諏訪野の車に乗せられたのはオーベルジュに着いて間もなくの出来事だったので、私は夕食を食べ損ねている。
翼
「私は」
食べたくない、と言おうとしたのに、タイミング悪く、ぐう、とお腹が鳴ってしまった。
赤面する私に、けれど諏訪野は涼しい顔で「良かった」と言っただけだった。
諏訪野
「あのオーベルジュなら、料理はドイツ風かな。お詫びにご馳走するよ」
翼
「…………」
どういうつもりだろう。
諏訪野は私を、宿泊予定だったオーベルジュから、同行した小野瀬さんの許可なく連れ出している。
もしも小野瀬さんが警察に通報すれば、誘拐罪になりかねないというのに……。
諏訪野
「そんな怖い顔で睨まないで。運転を誤るよ」
私は慌てて、前に向き直った。
気付けば車はいつしか市街地を走っていて、夜でも車の通りは多く、左右の歩道には明るい街灯が輝き、その下を大勢の人たちが歩いている。
これなら、いざとなったら大きな声を出せばいい……。
ふと、諏訪野が車のハザードランプを点けたかと思うと、後方を確認し、流れるように路肩に寄って停車した。
諏訪野
「ここでいい?」
諏訪野がコツコツと指先で車の窓ガラスを叩いて示した先は、店の前に三台分ほどの駐車場を持つ、ドイツ料理店。
驚いた事に、ここからでも店内の広さと温かい雰囲気が見てとれるような、大きな窓もついている。
私の表情を見て、微笑んだ諏訪野がギアをバックに入れた。
諏訪野
「どうしても食べられない食材はある?」
自ら椅子を引いて私を食事のテーブルに就かせると、諏訪野が尋ねてきた。
私が首を横に振るのを見てから、諏訪野は向かい合う席に座り、奥に向かって軽く手を挙げた。
それに応えてテーブルに挨拶に来たのは、この店の料理長だというドイツ人の男性。
諏訪野は料理長と笑顔で会話を交わした後、「大切なお客様だから、任せるよ」と言ってコースを二人分注文し、入れ代わりに現れたウェイターが差し出したワインリストを手に取って、私に向けた。
諏訪野
「ワインはどう?」
諏訪野はそれを広げて見せてくれたけれど、これにも私は首を横に振った。
諏訪野は不機嫌になる様子もなく、ウェイターに「食後にコーヒーを」と頼んで、リストを返した。
何をするにも仕草がごく自然で洗練されていて、落ち着いている。
本当に、どういうつもりなんだろう。
翼
「なぜ」
ウェイターが去るのを待って、私は諏訪野に尋ねた。
翼
「私を、連れ出したんですか」
諏訪野は動じない。
それどころか首を傾げて、少し色のついた眼鏡の向こうから、私を見つめた。
諏訪野
「……数年ぶりに、親友が地元に帰って来た。彼は恋人を伴っていて、二人でこっそり俺を探しているらしい」
諏訪野は静かにゆっくりと、私に噛んで含めるように話す。
諏訪野
「だから俺は、逆に親友を驚かせてやろうと、内緒で彼女を食事に誘い出した。親友が追って来るのを承知でね」
諏訪野は、ふ、と目を細めた。
諏訪野
「ちょっとした悪戯だ。大した罪じゃない。でしょう?」
翼
「……」
確かに、諏訪野の言う通りだった。
諏訪野は私の携帯電話の電源を切ったけど、電話そのものを奪ったわけじゃない。
私は拘束されていないし、暴力を振るわれてもいない。
ただ、いきなり車に乗せられて食事に連れて来られただけ。
誰でもやりそうな、たわいない悪戯だ。
諏訪野が薬物取引の被疑者でなく、私たちが警察官でなければ、の話だけれども。
……それに、心のどこかで、私は、諏訪野に会いたいと思っていた。
被疑者としての諏訪野にだけではなく、小野瀬さんの親友としての諏訪野に。
だからこそ、抵抗せず車に乗ったのだ。
諏訪野
「さあ、料理が来た。熱いうちに召し上がれ」
ウェイターが、私たちのテーブルに、次々と料理を運び始めた。
店内は明るく、客席は半数以上埋まっている。
まさか毒を入れたりはしないだろう。
腹が減っては戦が出来ない。
私は覚悟を決めて、オードブルを口に運んだ。
~小野瀬vision~
小野瀬
「そんな、馬鹿な!」
俺は危うく藤守くんに掴みかかりそうになるのを、理性で食い止めた。
小野瀬
「櫻井さんが、自分の意思で諏訪野に付いて行った、って言うの?!」
藤守
「そうです」
藤守くんは、自分の言葉に対する俺の反応を予測していたのか、神妙な顔で頷いている。
恐らく藤守くんは、このオーベルジュに到着するまでの間に穂積から出された指示を、忠実に実行しているのに違いない。
藤守
「もちろん、拐われた事に変わりはないです。けど、決して拉致されたわけやない。櫻井は刑事としての意思で、諏訪野と行動を共にしてるいう事です」
藤守くんの背後に、穂積の姿が見えるような気がした。
藤守くんの口を借りて、穂積が俺に話しかけているのだ。
藤守
「室長は、おそらく、今夜のうちに、諏訪野か櫻井の方から、小野瀬さんに連絡が入るやろうて言うてました」
小野瀬
「……向こうから?」
藤守
「はい」
藤守くんが頷く。
小野瀬
「……自由を奪われていないなら、なぜ、彼女は携帯の電源を入れない?そうすれば少なくとも、微弱電波で居所を突き止める事が出来るはずだ。俺は、諏訪野にも電話してみた。だが出ない。なぜだ?俺に話したい事があるなら、俺に言えばいいじゃないか!」
言いながらイライラしてきて、つい、藤守くんに対して声を荒らげてしまう。
厳密には、彼の背後にいる幻の穂積に対して、だが。
藤守
「これは想像ですけど、常に諏訪野の視界に入る場所におるんやないでしょうか。だから、警戒されるのを恐れて、電源を入れない。逆に言えば、まだ、それほど危険な状態やないから、あえて電波を出さずに、電池を温存しているんやないかと」
小野瀬
「……」
冷静に考えれば、確かにその通りだった。
以前、穂積は「捜査室メンバーの携帯を、電源が切れた状態になったら電波を出すよう、発信器を内蔵出来ないか」と、小笠原と真剣に話し合っていた事がある。
その時は結局、「技術的には可能だけど、官給品の改造はマズイかも」という結論になって、穂積のアイディアはボツになったのだが。
……いや待て。
その前に、「官給品であろうとなかろうと、そもそも、携帯電話の改造は電波法違反だよ」って言って……
俺が止めたんだ!
ああ、俺の馬鹿!
小野瀬
「あの時、やらせておけばよかった……」
藤守
「『だから言ったのに』」
小野瀬
「何だと?!」
藤守
「うわ!睨まんといてくださいよ!俺やないです!室長が、電話の話になったら、小野瀬さんにそう言えって!」
小野瀬
「あいつ本当にムカつく!」
頭を掻きむしっていると、突然、場違いなピアノ曲が聴こえてきた。
サティの『ジュ・トゥ・ヴー』。
翼からの着信だ!
俺は自分の携帯電話に飛びつき、藤守くんが見ているのも構わず叫んだ。
小野瀬
「翼?!無事か?!今、どこにいる?!」