瀕死の白鳥
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鎌倉駅からタクシーに乗って着いたのは、緑の木立の中にある瀟洒なオーベルジュ。
そこが、小野瀬さんの予約してくれた、今夜の宿泊先だった。
趣のある白い石畳、広くて綺麗なロビー、親切な外国人のコンシェルジュ、漂って来る爽やかな香り。
どこもかしこも素敵な造りで、本当なら、おそらく大はしゃぎしていたはずだと思うのだけれど。
小野瀬
「……」
通されたスイートルームに入り、荷物を置き、私がコートを脱ぐのを手伝ってくれている間も、小野瀬さんはまだ無言だった。
二人分のコートをクローゼットのハンガーに掛け、中庭に面したカーテンを閉め、どさりとソファーに腰を下ろす。
小野瀬さんは、はあ、と息を吐くと、膝の上に肘をつき、両手で顔を覆った。
小野瀬
「……ごめん、翼」
それは、さっきのレストランでの、豪田さんに対する態度への謝罪だろうか。
それとも、別の何かに対する謝罪だろうか。
どちらにしても、私は何にも怒ってなんかいないし、小野瀬さんに謝って欲しいとも思っていない。
それなのに、小野瀬さんはこっちに来てから、私に謝ってばかりいる気がする。
翼
「……ううん」
私はそっと、小野瀬さんの隣に並んで腰を下ろした。
小野瀬
「……俺って最低だ」
翼
「どうして?そんな事ない……」
小野瀬
「豪田の言う通りだよ。俺は過去を清算したかった。だから、昔の仲間は解散した。鎌倉も離れた」
翼
「仲間って、高校時代の、……不良だった頃の、でしょ?大人になって、分別がついて、就職先が決まって、そういうの、卒業して、えっと、やんちゃした仲間とも、だんだん離れて……普通じゃないの?それが、いけない事なの?」
小野瀬さんは首を振った。
小野瀬
「長谷寺で舎弟に会っただろ。向こうは今でも俺を敬ってくれている。それなのに俺は、諏訪野のようには出来ない」
そしてまた、溜め息。
小野瀬
「そのうえ、豪田に当たったりして」
翼
「豪田さんは、きっと、理解してくれてるよ」
何とか小野瀬さんに顔を上げてほしくて色々言ってみるけど、あまり効果は無い。
私は小野瀬さんの腕を擦りながら、話の方向を変えた。
翼
「そうだ、諏訪野……って言えば、豪田さんに話を聞いて、分かった事があったじゃない!」
小野瀬
「……」
小野瀬さんは、髪をきつく掴んでいた手を緩めて、顔を覆った指の間から私を見た。
翼
「諏訪野は暴力団にも入ってないし、薬物の取り引きもしていない、って!だから、もしかしたら、葵の知ってる諏訪野さんと、薬師寺にクスリを売った諏訪野は、別人なのかも!」
もしもそうなら、小野瀬さんの親友は、事件に無関係だという事になる。
小野瀬
「……翼は本当に、いい子だね」
「いい子だね」と言われたのに、まるで「おめでたいね」と言われたような気がして、私は口を噤んだ。
……一緒に喜んでくれるかと思ったのに。
小野瀬
「豪田は嘘をついてない。だけど、それは、まだ諏訪野の無実を証明する事にはならない」
翼
「……諏訪野が、豪田さんを騙している、っていうこと?」
小野瀬
「騙している、と言うより、気付かせていない、と言うべきかな。諏訪野は頭のいい奴だから」
翼
「……」
分からない。
普通の友人関係なら、そうかもしれない。
でも、豪田さんは暴力団の構成員だ。
たとえ豪田さん個人が気付かなかったとしても、豪田さんの所属する組織が、自分たちの縄張りの中で、複数回に及ぶ諏訪野の薬物取引に気付かない事はありえないと思う。
そうは思ったものの、小野瀬さんがまた黙り込んでしまったので口には出さず、仕方なく、私は立ち上がった。
きっと、静かに考えたい事もあるんだろう。
しばらく、そっとしておいてあげる方がいいのかもしれない。
翼
「……私、室長に電話で、今日の報告をして来るね」
動かない小野瀬さんの耳元に囁いて、私は部屋を出た。
廊下に出て階段を降りれば、そこはすぐロビーだ。
私は、目の合ったフロントの女性と軽く会釈を交わしたあと、ロビーの窓際にある椅子に腰掛けて、携帯を取り出した。
穂積
『はい、穂積』
2回目の呼び出し音が鳴り終わらないうちに、室長が電話に出てくれた。
電話の向こうに、いつもと変わらない室長がいてくれる事に、私は何となくホッとする。
翼
「櫻井です。先ほど、無事、宿泊先に到着しました」
穂積
『お疲れ様。諏訪野の消息はつかめた?』
翼
「学生時代と同じ場所で暮らしている事、家賃と株取引で生計を立てている事、それと、暴走族時代の知人たちとの関係も、いまだに継続しているらしい事を確認しました」
私は豪田さんに会った事や、喫茶店で聞いた話の要点を室長に報告した。
穂積
『藤沢の自宅へは?』
翼
「明日、行ってみる予定です」
慎重にね、と、室長が言った。
穂積の声
『地元で舎弟と面会したとすると、もう、諏訪野にアンタたちの行動を察知されている可能性は高いわ』
翼
「……あ」
室長の指摘に、私は背筋が寒くなった。
そうか。
こちらが相手に近付くという事は、それだけ、相手も私たちに近付いているという事なんだ……。
穂積
『間もなく、神奈川県警に合同捜査本部が設置されるわ。そしたら、捜査室全員でそちらに向かう。それまでに、出来るだけの裏付けはして行くから』
翼
「はい」
室長やみんなが来てくれる。
そう聞いて、私の身体に安堵感が広がった。
小野瀬さんと二人きりでいられて嬉しかったはずなのに、それ以上に不安だったのだという事に気付いて、私は戸惑う。
穂積
『アンタたちの任務は、諏訪野の所在確認までよ。接触はワタシたちの到着を待ちなさい。いいわね』
翼
「はい」
私が返事をすると、不意に、室長の声が低くなった。
穂積の声
『……小野瀬の様子はどう?』
私はどきりとした。
穂積
『アンタを不安にしてない?』
室長がこの場にいなくて良かった、と私は思った。
面と向かって尋ねられたら、張っている心の糸が切れて、泣き出してしまったかもしれない。
翼
「あの……こちらに来て、小野瀬さんの過去は、私にも、断片的に見えてきました。でも、まだ、私には教えられない事があるみたいで……あっ、でも、隠すつもりはないんだって……」
室長が、ちっ、と舌打ちをした。
穂積
『まだ消化しきれてないのか、ヤッセンボめ。……まあ、いいわ。小野瀬に代わって』
室長が小さく溜め息をつく。
深く追求されなかった事にホッとしながら、私は椅子から腰を浮かせた。
翼
「あっ、はい。少しお待ちください」
その途端。
穂積
『アホの子。小野瀬は隣にいないの?』
室長の声が鋭くなった。
翼
「小野瀬さんはお部屋にいます。私、電話するためにロビーに……」
穂積
『すぐ戻れ!』
私の言葉を最後まで聞かないうちに、室長が怒鳴った。
穂積
『一人になるんじゃない!電話は切らずに、走って小野瀬の所に戻れ!』
翼
「は、はいぃっ!」
声が裏返ってしまった。
弾かれたように立ち上がったその瞬間、背後に気配を感じた。
翼
「!」
同時に、後ろから伸びてきた大きな手が電話を持つ私の手に重なり、携帯の電源を切る。
冷たい手。
私は総毛立った。
???
「驚かせてごめんね」
背後の相手はそう言うと、私の肩に手を置いた。
???
「でも、俺を探していたんでしょう?」