瀕死の白鳥
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小野瀬さんが長谷に立ち寄ったのは、諏訪野の高校の後輩で、かつて、同じ暴走族に所属していたという男性に会うためだった。
昼食を済ませた後、同じ店で待ち合わせをして現れたその男性を見た途端、おそらく私は顔を強張らせてしまっていたと思う。
なぜならその人はパンチパーマで眉が濃く、がっちりした中背の体格に高そうなスーツと派手なシャツを着ていて、金色の扁平ネックレスとロレックスの腕時計で身体を飾っていて……。
つまり、見るからに、そっちの世界の人、という感じだったから。
その迫力は、他の席のお客さんたちが、食事もそこそこに店を出ていってしまったほど。
けれど、それ以上に私を驚かせたのは、その男性が、小野瀬さんの姿を見るなり白いエナメルの靴の踵を揃え、素早く頭を下げて「お疲れ様です!!」と挨拶をした事だった。
小野瀬
「豪田くん、久し振り」
小野瀬さんが「豪田くん」と呼び掛けた途端、豪田さんはぴんと背筋を伸ばして、嬉しそうな顔を見せた。
豪田
「小野瀬さんに覚えていていただけて、光栄です!」
豪田さんはまた一礼する。
小野瀬さんは苦笑しながら、手招きで豪田さんをテーブルの近くまで呼び寄せた。
小野瀬
「諏訪野の事で、聞きたい事があるんだ」
豪田さんは小野瀬さんが隣の椅子を勧めても固辞し、床に片膝をつくようにして、小野瀬さんを見上げる。
豪田
「はい」
小野瀬
「単刀直入に聞くけど。諏訪野はこの辺りの組に入ってるの?」
豪田
「いいえ」
豪田さんの返事は明快だった。
小野瀬
「それはおかしいな。諏訪野は地元で複数回、クスリの売買をしている。素人が縄張りの中でそんな事をして、組が黙って見過ごすはずがない」
組、と小野瀬さんが呼ぶのは、おそらく暴力団の事。
警察での研修で頭に入れただけの私の乏しい知識でも、法改正によって、多くの暴力団が経営危機に陥っている事は知っている。
そんな中で、元暴走族の頭領だった諏訪野が、地元で薬物の取り引きを行って、暴力団の目につかないとは考えにくい。
豪田
「兄さんはどこの組にも盃を入れてません。クスリの売買をしてるなんて噂を聞いた事もありません。本当です」
豪田さんは両膝をついて、正座の形になった。
両方の手は握り締めて、きちんと腿の上に置く。
嘘をついている顔ではなかったけれど、その時、私は、ちょっとした違和感を感じた。
豪田さんは、諏訪野を「兄さん」と呼んだ。
さっき、小野瀬さんの事は「小野瀬さん」と呼んだのに。
という事は、豪田さんは「諏訪野の舎弟」であって、小野瀬さんと直接の上下関係はないのだろうか?
でも、豪田さんの態度は、明らかに、小野瀬さんに敬意を示し、畏怖の念をもって接しているように見える。
この二人、どういう関係なんだろう。
小野瀬さんって、いったい、鎌倉でどんな三年間を過ごしていたんだろう。
そんな事を考えている私をよそに、小野瀬さんと豪田さんの会話は続いてゆく。
小野瀬
「じゃあ質問を変えよう。諏訪野は現在、どこで何の仕事をしているの?」
豪田
「兄さんは、高校の頃からずっと同じ藤沢のマンションに住んでいます。小野瀬さんもご存知の」
豪田さんが口にしたマンションの名前に、小野瀬さんも頷く。
豪田
「兄さん、あのマンションの権利をそっくり買ったんです」
小野瀬
「えっ?」
豪田
「高校時代は、親父さんが家賃を払う形で一室を借りてたんですよね。でも、大学から始めた株で大儲けしたそうで。今では、あのマンションのオーナーです」
諏訪野の成功が嬉しいのか、豪田さんは、少し誇らしげに言った。
小野瀬
「……とすると、主な収入はマンションの家賃と、株か。昔の仲間との付き合いは?」
私がメモをとるのを横目で見ながら、小野瀬さんは質問を重ねる。
豪田
「兄さんは地元にいますから、偶然会うこともたまにはあります。俺なんか」
豪田さんは少し照れ臭そうに、パンチパーマをかけた自分の頭をぽんぽん叩いた。
豪田
「俺なんか、こんなナリしてますから、迷惑かけちゃいけないと思って躊躇するんですけど、向こうから声かけてくれますし。みんな、今でも何かとお世話になってるみたいです」
小野瀬
「……へえ」
豪田さんの返事の内容が意外だったらしく、小野瀬さんは少し考え込んでいる。
その様子に気を遣ったのか、豪田さんが控え目に話し出した。
豪田
「でも、兄さんと小野瀬さんとでは、事情が違いますよ。小野瀬さんは桜田門にお勤めなんですもんね」
ぴくり、と小野瀬さんの眉が動いた。
小野瀬
「……諏訪野と違って、俺は、自分の保身の為に昔の仲間との関わりを断っている。そう言いたいのか?」
小野瀬さんの口調が変わった。
それは、聞いた事が無いような低い、恐い声だった。
豪田
「いえ、そんな!」
小野瀬
「だったら余計な事は言うな。俺が聞いた事にだけ答えればいいんだ!」
小野瀬さんに怒鳴られて豪田さんは真っ青になり、ごつん、と音を立てて、床に頭を擦り付けた。
豪田
「申し訳ありませんでした!」
睨みつける小野瀬さんの視線の先で、豪田さんは土下座したまま頭を上げない。
翼
「……あお……小野瀬さん」
私も恐くてたまらなかったけど、見かねて声を出した。
思い切って出した私の声は震えていて、自分でもビックリしたけど、小野瀬さんはもっと驚いたみたい。
小野瀬さんは昂った感情を抑え込むようにひとつ深呼吸した後、微動だにしない豪田さんを見下ろした。
小野瀬
「……豪田くんの組は、クスリは扱わないんだよね?」
豪田
「はい!うちの組のシノギは、縄張りの中でみかじめ料をコツコツ集金するような、昔ながらのやり方です!扱うどころか、クスリに手を出したら即破門です!」
豪田さんは、頭を床に押し付けたままで悲痛な声を絞り出した。
小野瀬
「それがいい」
小野瀬さんは、ほう、と溜め息を吐いて、立ち上がった。
小野瀬
「よく分かった。助かったよ」
豪田
「お役に立てたなら光栄ですっ!」
小野瀬
「翼、行こう」
レシートを手にした小野瀬さんは、私に席を立つように促してから、すたすたとレジの方に歩いて行ってしまった。
床にはまだ、豪田さんが正座で平伏したままなのに。
私は小野瀬さんの後を追いながら、豪田さんの傍らに素早く屈んだ。
翼
「あの、ありがとうございました」
顔を上げた豪田さんの額にうっすら血が滲んでいたので、バッグからティッシュを一、二枚取り出して差し出す。
豪田さんは一瞬驚いたような顔をしたけれど、ありがとうございます、と受け取ってくれた。
翼
「ありがとうございました」
もう一度言って、私は、もう店のドアを開けた小野瀬さんを追い掛けた。
外へ出てちらりと振り返った時、豪田さんはまだ、床に正座したままだった。