瀕死の白鳥
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小野瀬
「諏訪野と初めて会ったのは、高一の夏休みが始まったばかりの頃、由比ヶ浜でだった」
小野瀬さんは「ゆいがはま」と、「ゆ」にアクセントを置いて発音した。
小野瀬
「俺はその頃、もうかなりグレててね。その日は午前中こそ部活に参加したものの、終わってからは悪い仲間とつるんで、夜中まで湘南をふらついてた」
中学生の頃にご両親が離婚してそれぞれが再婚、それを機に小野瀬さんは実家を出た。
そして、高校に上がる直前から高三まで、鎌倉のお祖母様のところで暮らしたと聞いている。
非行に走っていた頃の話を小野瀬さんはほとんどしないけれど、諏訪野に出会ったというこの頃は、もしかしたら精神的に一番荒んでいた時期だったのかもしれない。
小野瀬
「由比ヶ浜の近くで仲間と解散した後、まだ帰りたくなかった俺は、そのまま自転車で一人、砂浜へ向かった。そこで、諏訪野が、四、五人を相手に喧嘩している場面に出くわしたんだ」
翼
「え……相手は大勢なのに、諏訪野は一人だったの?」
小野瀬さんは頷いた。
小野瀬
「そう。ただし、圧倒的に諏訪野が優勢だった。驚いたよ。諏訪野はあっと言う間に全員を殴り倒して、涼しい顔で砂浜から歩道に上がって来た」
そうして、小野瀬さんは、少し顎を上げるような仕草をした。
小野瀬
「同じ高さの場所に立ってみると、諏訪野は俺より少し背が高かった。髪はブリーチして真っ白で、目の色も薄い茶色。目立つ容貌だったね。実際、その時も、それが原因で絡まれたらしい」
殴り合いの現場に居合わせるなんて経験は、私には無い。
想像出来ない世界に戸惑っていると、小野瀬さんが、私の肩を抱いていてくれた手に、そっと力を込める。
そうして、その時の事を思い出したように、ちょっと笑った。
小野瀬
「諏訪野は俺に、『海、見に来たの?』って聞いてきたよ。さっきまで地元の年上ヤンキーをぶん殴ってたくせに、びっくりするほど優しい声だった。そのギャップが何だか可笑しくて、俺は素直に『そう』って答えた」
確かに、不思議な状況かも。
私は、つい、続きを促した。
翼
「そしたら、諏訪野は何て?」
小野瀬
「『今日ここ雰囲気悪いから、七里ヶ浜の方に行かない?まあ、悪くしたのは俺だけど』って。……俺、不覚にも笑っちゃったよ」
小野瀬さんは諏訪野との会話を再現しながら、くすくす笑った。
小野瀬
「それで、俺の自転車に二人乗りして七里ヶ浜へ行って、朝までいろんな話をした。俺、自転車に竹刀を積んでたから、『剣道やるんだ?』とか聞かれたり、逆に俺から『お前、家に帰らなくていいのかよ?』とか聞いたり」
諏訪野の話をする小野瀬さんは、楽しそうだった。
私も、私の知らない頃の小野瀬さんの話を聞くのは楽しい。
小野瀬さんと諏訪野は一晩で意気投合し、それから毎日のように会う仲になったという。
二人の家庭環境は、似ていて異なるものだった。
諏訪野の両親は離婚こそしていなかったが、関係は冷えていて、互いに愛人があった。
母親は外にいる愛人の所に入り浸り、父親は諏訪野も暮らす自宅に愛人を連れ込んだ。
諏訪野は両親が好きだったけれど、愛人の女性が来る家にはいたくない。
だから、裕福な父親にマンションの一室を借りてもらい、そこで一人暮らしをしていた。
小野瀬さんと諏訪野が互いの家を訪ねて長居するようになるまでに、時間はかからなかった。
小野瀬
「諏訪野はバイクにも乗ってて、地元の暴走族のアタマだった。俺も、何度か後ろに乗せてもらったけど、それは普通の時だけ。諏訪野は俺を暴走族には誘わなかった」
翼
「友達だったのに……?」
小野瀬
「だからこそ、巻き込みたくなかったというか、区別をつけたかったんじゃないかな?俺も、他所の連中と揉め事になっても、諏訪野を呼んだりはしなかったしね」
暴走族とか他所との揉め事とか、あまり、内容を深く尋ねない方がいい話になってきたかもしれない。
私の微かな迷いを察したのか、小野瀬さんはひとつ咳払いをして、強くなってきた陽射しを見上げた。
小野瀬
「少し歩く?それとも、どこかでお昼を食べようか?」
上手に水を向けてくれた小野瀬さんに、私も明るい声と顔を返した。
翼
「うん。じゃあ、先にお手洗いを済ませて来るね」
私たちが座っていた東屋のベンチから見える場所にお手洗いはある。
そこを指差して立ち上がると、小野瀬さんは「行っておいで」と微笑んでくれた。
鏡の前でお化粧を直しながら、私は情報を整理していた。
諏訪野は、薬物犯罪に関わっている重要な参考人。
その諏訪野と小野瀬さんは、高校時代の友人だった。
素顔の諏訪野は気さくで魅力的な人物らしく、暴走族の首領だと聞いても、私にそれほどの嫌悪感を感じさせない。
生い立ちにも同情の余地があるし、私自身、小野瀬さんの昔話を聞いているうち、諏訪野を呼び捨てにする事に抵抗を感じ始めている。
刑事としての自分、恋人としての自分。
しっかりしないと、感情に流されてしまいそう。
むしろ、いつもの私なら、とっくに諏訪野に感情移入してしまっていると思う。
私が今、小野瀬さんとの旅行気分に舞い上がらず、思い出話に過剰に入り込まず、刑事としての意識を失わずにいられるのは、警視庁を出るときに、室長に言われた一言のおかげだった。
小野瀬を頼む。
小野瀬さんに何が起きると言うのだろう?
その時、私に何が出来ると言うのだろう?
……分からない。
分からないけれど、きっと私に出来る事があるからこそ、室長は私を小野瀬さんと組ませた。
私が一緒にいる事で小野瀬さんの助けになるなら、私はどんな事でもする。
もしも諏訪野が小野瀬さんに何か危害を加えようとするなら、私が絶対に止めてみせる。
小野瀬さんが悲しい思いをする前に。
私は自然と拳を作り、それを握り締めていた。