瀕死の白鳥
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室長と明智さんによる薬師寺の取り調べは、意外にも長引いていた。
正しくは、取り調べで判明した内容を裏付けする作業が、だけど。
それは、薬師寺を巡るマリファナの流れが、警視庁がまだ把握していなかった、新しい、しかも、非常に個人的なネットワークだったから。
薬師寺はあくまでも、指示された客に品物を渡し、その代金を受け取るだけの売人。
客から注文を受け、マリファナを手配し、薬師寺を使って客の元に届けさせていたのは、暴走族にも暴力団にも関係の無い、全く別の人物だという。
ただ、薬師寺は、その人物の素性も所在も知らない。
いつでも相手の方からふらりと現れ、薬師寺に、客のリストとマリファナを手渡すのだそうだ。
代金は、客に代わって薬師寺が立て替える。つまり、薬師寺が買い取るということ。
そこまでの話を聞くと、知らない人物からマリファナを買い、現物を持って売り歩くのだから、薬師寺にとっては、かなりリスクのある商売だという気がする。
けれど、買い取りだから、実際には、価格もタイミングも薬師寺の裁量で売る事が出来る。
受け取った代金の中から上前をはねられる事もない。
その人物が扱うマリファナは上質なうえに、紹介される客も「善良」で「礼儀正しい」「素人」ばかり。
今回は、たまたま、薬師寺が暴走族の検問に引っ掛かって車内を捜索されたために薬物所持が発覚してしまったけど、今までにトラブルは一度もなかった。
薬師寺によれば、後腐れの無い『とてもフェアな取り引き』なのだという。
何がどう『フェア』なのか、どうなると『フェアじゃない』のか、私には分からないんだけれど。
穂積
「その人物は『グロアー』かも知れないわね」
その日の取り調べを終えた後、全員が揃った捜査室で、室長がぽつりと言った。
聞き慣れない単語だ。
交通課から異動で捜査室に入った私にとって違法薬物は畑違いだとはいえ、新人研修で一通り、薬物の勉強もしたはずで。
初歩的な質問で恥ずかしいけど、でも、いつも、室長に、「無知は恥じゃない。分からない事はその場で聞け」と言われているし……。
私は、明智さんがティーポットで淹れてくれた紅茶を、室長の前に置いたカップに注いでから、おずおずと手を挙げた。
翼
「あの、室長」
穂積
「はい、櫻井くん」
翼
「『グロアー』って何ですか?」
机の傍らに立っている私を、室長が見上げてくる。
穂積
「大麻を栽培して、マリファナを作っている人物の事よ」
室長はそう言うと、まだ熱い紅茶を一気に飲み干した。
もっと香りを楽しんでくださいよ、と、明智さんが悲しそうな顔をしている。
穂積
「大麻は、発芽させた時点で違法になるわ。でも、種は比較的簡単に手に入るし、栽培もそれほど難しくない。だから、河川敷や山奥、自宅で育てて収穫する人物が現れる。それが、『グロアー』」
室長は丁寧に教えてくれる。
翼
「すみません……、私、漠然と、マリファナは海外から入って来るものかと思ってました」
穂積
「密輸されてくるものもあるから、その認識も間違ってないわよ」
室長が私の頭を撫でてくれた。
翼
「大麻は栽培が違法なのに、種の取り引きは合法なんですか?」
小笠原
「定義としては、大麻草の成熟した茎、茎から利用した樹脂以外の製品、種子、種子を利用した製品は合法。それ以外の部分が違法大麻だよ」
まるで勉強会のように私が室長に質問を重ねていると、小笠原さんが、自分の席から解説を加えてくれた。
明智
「大麻とは、その名の通り、麻だからな。麻糸、麻布なんて言葉があるように、昔から生活に利用されてきたんだ」
明智さんも、控え目に話に入って来る。
明智
「櫻井も、七味唐辛子に麻の実やケシの実が入っているのは知っているだろう?」
如月
「それが『種子を利用した製品』ですね!」
藤守
「あー。そう言うたら、七味って何か種みたいの入ってるわな。アレ拾い出して植えると大麻になるんか?」
明智
「それは都市伝説だろう。櫻井に分かりやすく話をしているだけで、厳密には種類も違うし、発芽するかしないか分からないような種じゃ商売にならない」
如月さんと藤守さん、そして明智さんの会話に、室長は苦笑い。
穂積
「そんな苦労しなくても、今はインターネットで買えるわよ」
小笠原
「でも、買わない方がいいよ。個人のパソコンから購入すれば、たちまち警察に身元が割れるから」
小野瀬
「なんだか物騒な話をしてるね?」
ふわりと柑橘系の香りがして、小野瀬さんが入って来た。
小野瀬
「櫻井さん、俺にも紅茶をくれるかな」
翼
「はい」
私が小野瀬さんにも紅茶を入れるために室長の席から離れると、代わりに、小野瀬さんがそこに立った。
小野瀬
「薬師寺は素直に供述してるらしいね。さすが、穂積と明智くんだ」
言いながら小野瀬さんは、室長に、鑑識結果らしいファイルを手渡す。
このところ毎日、この二人は、いつにも増して忙しく情報をやり取りしている。
穂積
「薬師寺の供述通りなら、薬師寺と、今回の客であった暴走族のガキとは初対面。これ以上の繋がりは出ないわね」
室長は、小野瀬さんの持って来たファイルにざっと視線を通してから、立ち上がった。
穂積
「明日からは、薬師寺にマリファナと客を斡旋していた男を探す事に重点を置いて捜査するわよ」
全員
「はい!」
全員が立ち上がり、威儀を正して返事をする。
穂積
「よろしくね。じゃあ、間もなく定時だし。アンタたち、今日はもう帰っていいわよ」
室長が、パン、と手を叩いた。