親愛な森よ
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~翼vision~
こんにちは、翼です。
私たち緊急特命捜査室は、本日、なんとキャンプに来ております。
しかも、捜査ではなく、職場の慰安旅行として。
参加しているのはいつものメンバーと、鑑識なのに、こういう時には必ず巻き込まれてしまう、気の毒な小野瀬さん。
ちなみに、彼は私の恋人。
運転手さん付きのマイクロバスをレンタルしてやって来たのは、奥多摩にある、某キャンプ場。お天気は快晴です。
如月
「ハーイ、皆様、到着でーす!」
真っ先にバスを飛び降りたのは、如月さん。今回の幹事さんだ。
全員
「うぃーす」
続いて、全員がぞろぞろとバスを降りる。
全ての荷物を降ろし、如月さんと明日の夜に迎えに来る事を確認しあった後、マイクロバスは山道を去って行った。
翼
「うわあ、綺麗」
目を上げれば、周りを囲む山々は見事な紅葉。まさに今が盛り。
小野瀬
「きみの方が綺麗だと思うけど?」
景色に見惚れていた私の肩に後ろから手を置いて、耳元で葵が囁いた。
小野瀬
「……いや、少し物足りないかな?俺が、今夜、もっと赤く染めてあげようか?」
翼
「葵ったら」
私はくすくす笑った。
すると。
明智
「あれ、おかしいな……」
はしゃぐ皆の声に混じって、困惑したような明智さんの声が聴こえた。
二人で振り向くと、荷物の近くに居た明智さんが、腕組みをし、手を口に当てて立ち上がったところだった。
小野瀬
「どうしたの、明智くん」
葵が尋ねると、明智さんは端正な顔を曇らせたまま、こちらを向いた。
明智
「荷物が足りないんです」
翼
「マイクロバスから降ろし忘れたんでしょうか?」
明智
「いや……もしかすると、駅かもしれない」
明智さんは携帯を取り出した。
明智さんと私たちは、電話をかける為に、ひとまず皆から離れた。
室長はバスの中で熟睡していたはずだけど、まだ眠いのか、ベンチに横になっている。
藤守さんと如月さんは、大きなテントと格闘中。
小笠原さんはナナコを抱えて、電波状況の良い場所を探している。
明智
「あった?……そう。スチロールの……それだ」
私と葵は、携帯電話で世田谷のお姉さんと話す明智さんの傍らで、顔を見合わせた。
明智さんは、通話口を手で塞いで、葵を見た。
明智
「……やはり、世田谷の駅に忘れて来たようです……すみません」
小野瀬
「仕方ないよ。とりあえず、それは明智くんの家に引き取ってもらおう。こんな山奥まで、お姉さんに持ってきてもらうわけにもいかないし」
明智
「すみません……」
明智さんは、電話の向こうのお姉さんに、荷物は持って帰って、中身をそのまま冷凍庫に入れておいてくれ、と頼んで電話を切った。
忘れた荷物はそれで済んだけど、今度はこちらだ。
小野瀬
「とにかく、穂積に相談しよう」
翼
「そうですね」
明智
「……すみません、本当に……」
穂積
「それで?具体的には、ここに何が足りないの?」
室長はそう言うと欠伸を噛み殺し、ううんと伸びをした。
寝起きなのに、相変わらず事態を把握するのが早い。
明智さんが、残った荷物を開け始める。
明智
「忘れて来たのは、バーベキュー用の肉と、魚貝類です」
私たちは、室長と一緒に、今ある食材や調味料を並べていく明智さんを眺めた。
不穏な雰囲気が伝わったのか、藤守さんたち三人も、手を休めて集まって来る。
穂積
「米と水があるじゃない。野菜と焼きそばも」
室長はけろりとしているが、それだけでは、キャンプとしてあまりにも味気無い……よね。
しかも、お米を炊くのに使うつもりだった土鍋も、食材と共に世田谷だという。
明智
「……みんな、本当に申し訳ない……」
もう、何度謝ったか分からない。明智さんの声は掠れていた。
穂積
「ハイ、もう謝らないの」
室長は、下げた明智さんの頭を自分の脇に抱え込んで、反対の拳で軽くグリグリした。
穂積
「アンタが材料を買い揃えて来るのは、分かっていたんだから。待ち合わせの駅で荷物を積むとき、気付かなかったワタシたちが悪いのよ」
その時すでに、室長はビール1本で熟睡してましたけどね。
穂積
「櫻井と小笠原は、キャンプ場の管理棟に行って、借りられる物があったら借りてきて」
櫻井・小笠原
「了解」
穂積
「藤守と如月は、テントを張り終えたら、向こうの薪を炊事場まで運んでちょうだい。量は明智に聞いて」
藤守・如月
「了解」
穂積
「小野瀬はワタシと食料調達だわね」
小野瀬
「そうだね。ちなみに何を調達する予定?」
室長は、私と小笠原さんをちらりと見た。
穂積
「鹿や猪でもいいけど、野生動物なんて、この子たち、食べないでしょ。魚でも捕りましょう」
小野瀬
「了解」
穂積
「明智は、手持ちの材料で献立を考えてちょうだい」
明智
「……了解……」
室長は、まだ元気の無い明智さんの頭を、くしゃくしゃと撫でた。
穂積
「全員、普段の食事では、毎日明智に世話になってるのよ。たまには恩返しするべきだわ」
明智
「室長……」
穂積
「ワタシは酒があればいいし」
室長の言葉を聞いて、みんなは、俄然元気になった。
翼
「そうですよね!明智さん、私、頑張って働きます!」
私は、ぎゅっと拳を握った。
如月
「明智さんに恩返しと思えば、むしろ楽しくなってきましたよ!」
藤守
「せやせや。そもそも、一晩くらい食わんかて死なんで!」
小笠原
「アクシデントが起きた方が、思い出に残るかも」
小野瀬
「そうだね。きっと、忘れられない夜になるよ」
穂積
「アンタが言うと、何故か卑猥に聞こえるわねえ」
みんなが、どっと笑った。
明智
「みんな、ありがとう……」
明智さんは、深々と頭を下げてくれた。
そんなわけで。
私は小笠原さんと二人、キャンプ場の管理棟から、みんなの元に戻っているところ。
小笠原さんは、まだ私に尋ねてくる。
小笠原
「本当に、こんな物でお米が炊けるの?」
私たちの手には、使い込まれた『ハンゴウ』が、それぞれ2つずつ。
ハンゴウって、どんな漢字を書くんだっけ?
翼
「中学時代、体験学習で使った記憶がありますよ」
小笠原
「炊けたの?」
翼
「…………炊けましたよ。どこの班も、焦がしたり水っぽかったりしてましたけど……」
小笠原
「それは炊けてない」
翼
「うっ」
……確かに。
でも、きっと、明智さんなら何とかしてくれるはず。
明智
「飯盒が借りられたか」
明智さんは、ほんの少し、安堵した顔をした。
気のせいか、まだかなり不安そう。
明智
「……俺は使った事が無いんだが」
えー!
明智
「同級生たちと一緒の時には、あまり調理をしてこなかったからな」
ああそうか。以前も聞いた事がある。
子供の家庭科の授業なんて、みんな下手に決まっている。
そんな中で、プロ級の腕前の明智少年は悪目立ちしてしまい、出来ない女子たちに逆恨みされていたらしい。
以来、明智さんは学校では最低限の調理しかせず、体験学習での炊飯なんて目立つポジションでは働かなかったらしい。
ちなみに、体験学習では、明智さんの班のご飯は『水っぽくて食えたもんじゃなかった』そうだ。
薪を運んで来た藤守さんと如月さんに聞いても、反応は今ひとつ。
藤守
「俺なんか、調理場に近付かせてももらえへんかったで。『藤守くんは石でカマドを造って』とか言われてな。力仕事担当や」
明智
「と言う事は、竈は藤守が造れるな」
藤守
「はい多分。大学時代にも造ったし」
如月
「俺の班は、途中で飯盒の取っ手が外れて。悲惨だったなあ」
みんなで飯盒を手に昔話をしていると、川の方から、葵がバケツを提げて戻って来た。
小野瀬
「明智くん、とりあえず小さい方の魚を人数分、持って来たよ」
それを覗き込んで、明智さんがビックリした顔をした。
明智
「下拵えが済んでるじゃないですか!」
小野瀬
「うん、この魚、穂積がね、川を石で塞いで掴み取りしてるんだけど。あ、明智くん、魚だけ取り出して。バケツはまた貸してね」
葵はバケツを明智さんに手渡しながら、全員を見渡した。
小野瀬
「……あいつ、小さいナイフをひとつ持ってて、こんな魚の鱗や臓物なんか、石の上ですいすい処理する」
ええっ、と私たちはどよめいた。
出来る料理はゆで玉子とカップラーメンだと豪語して憚らない我らの室長が、まさか野外で魚を捌けるとは。
小野瀬
「俺も内心驚いたけど、本人は何食わぬ顔だ。それで、考えてみた。あいつ、子供の頃、軍人だったお祖父さんに鍛えられ続けただろ」
みんなは顔を見合わせた。
その話なら、聞いた事がある。
小、中学生の頃の話だ。ツチノコを捕まえるという名目で、山中で1週間サバイバル生活を強いられたとか、河童を探すという名目で、池で素潜りさせられたとか。
全員
「……」
小野瀬
「穂積は都会ではニンジンの皮も剥けない男だが、どうやら魚は捌けるらしい」
葵は真剣な顔で私の持つ飯盒を見つめ、またみんなを見渡した。
小野瀬
「電気炊飯器も使いこなせない男だが、このぶんだと、飯盒で飯を炊く事も出来ると思う」
みんなが、歓喜にどよめく。
けれど葵は、しー、と唇に指を当てた。
小野瀬
「穂積は元来、無精な男だ。だが、野外にいる事で、ごく自然に炊事をしている。ラッキーだ。この状況を利用させてもらおう」
翼
「つまり、難しい事は室長に頼めばいい、と」
葵は頷いた。
小野瀬
「ただし、本人は、自分が難しい事をやっているとは、全く気付いていない。その辺り、慎重にね」
……策士だわ。
全員
「了解!」
こうして、この夜のバーベキューは、予想外に豪華なものになった。
小さい方の魚は明智さんが塩焼きにしてくれ、あの後、室長と葵が協力して捕まえた大きな鱒は、如月さんが味噌と野菜で蒸し焼きにしてくれた。
室長におねだりして、山でキノコを手に入れた(もちろん安全な)のは、小笠原さんのお手柄だ。
私は、ほっこりと炊けた美味しいご飯があるだけでも幸せ。
キノコ鍋が雑炊に変わり、その鍋が空になる頃には、みんな大満足で、眠い目を擦りながら、無事、バーベキューはお開きになった。