桜田門の光源氏
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~穂積vision~
早朝会議を終えて捜査室に戻って来ると、櫻井が、窓に張り付いて外を見ていた。
部屋に入って来た俺に気付くと、櫻井は振り向いて、微笑んだ。
翼
「雪です、室長」
……小学生かよ。
そうは思いながらも、その無邪気な笑顔につられて、俺は、彼女の隣に並ぶ。
指差す先を眺めてみれば、鉛色の空からはらはらはら、確かに白いものが降って来る。
翼
「初雪ですね」
穂積
「そうね。寒いはずだわ」
彼女は俺を見上げて、くすりと笑った。
翼
「室長は寒いのが苦手ですね」
返事を求められたわけではないらしい。
また窓の外に視線を戻した櫻井の横顔を見ながら、俺は、別の事を考えていた。
彼女は、よく、こうして外を見ている。
空が高い、雨続きだ、風が強い。
他愛のない事にも思えるが、俺はむしろ、いつも感心していた。
ツバメが飛んでるとか虹が出てるとか、真っ先に気付く事の出来る感性は、やはり鋭敏なのだろう。
だからこそ、小野瀬のように繊細で難解な男も受け止め、付き合えるのかもしれないと俺は思った。
石原工業の爆発以来、捜査室の中で、二人の仲はほぼ公認だ。
もっとも、交際までには色々あったし、一度、妹の事件で少し関係がこじれた時には俺も心配したものだが、今は落ち着いているようだ。
小野瀬も、せめてもう少し、こいつを安心させてやってくれればいいのに。
……まあ、余計なお世話だな。
その日の昼休み。
午前中にまとめた報告書を提出した帰り、頼んでおいた資料をもらう為、俺は鑑識に立ち寄った。
穂積
「あら、小野瀬いないの?」
鑑識室では、細野と太田のガリデブコンビが、肩を並べてカップラーメンを食べていた。
見慣れた光景ではあるが、うっすらと不精髭を生やした、疲れた顔の男たちがカップ麺を啜る姿は、いつ見ても哀れを誘う。
細野
「あ、穂積さん。今日は御大、櫻井さんと外食です」
太田
「二人とも嬉しそうに出掛けていきましたよ!」
細野
「それと、頼まれてた資料はこれです」
穂積
「ありがとう」
細野と太田が順番に告げるのを聞いて、俺はホッとした。
小野瀬は小野瀬なりに、櫻井の事を考えてくれていたと分かったからだ。
やっぱり、余計なお世話だったな。
穂積
「……」
細野
「穂積さん?」
俺は細野と太田を見ているうちに、目頭が熱くなった。
小野瀬と櫻井を見送って、自分たちはカップ麺。
何だか急に、こいつらが愛しく思えてくる。
穂積
「……アンタたち」
細野・太田
「はい?」
穂積
「それじゃ満腹にならないでしょ?」
二人は顔を赤くした。
細野・太田
「はあ、まあ……」
穂積
「いらっしゃい。うちの嫁に頼んでみるから」
細野・太田
「嫁?!」
穂積
「ただいま。明智ー」
捜査室の扉を開けるなり呼ぶと、ちょうど急須からお茶を注ぎ終えた明智が、笑顔を上げた。
穂積
「こいつらに、何か食わせてやってくれる?」
明智は、細野と太田の持つ食べかけのカップ麺を見た途端、たちまち端正な顔を曇らせた。
明智
「二人とも、まさか、それが昼食ですか?」
細野・太田
「はあ、まあ……」
つかつかと歩み寄って来る元狙撃手に、細野と太田は思わずひるむ。
明智は構わず、二人を誘って、ソファーの長椅子に座らせた。
明智
「圧倒的に栄養が足りません。これ食べて下さい。野菜・根菜と卵・魚・豆製品を補えます」
明智はその二人の前に皿を置き、小ぶりの重箱から料理を取り分けていく。
これは、不規則で不健康な食生活を送るわれわれ捜査室の面々の為に、明智が毎日作って来てくれる、栄養補給のための手料理だ。
おひたしだったり肉じゃがだったり、煮豆だったり卵焼きだったりするが、俺たちは「明智箱」と呼んでいる。
明智
「野菜と海藻は、今、フリーズドライを戻しますから、とりあえずそれをラーメンに加えて下さい」
二人の前には、たちまち、八宝菜やら筑前煮やら、色とりどりの料理が並べられた。
細野・太田
「あ、ありがとうございます」
明智と入れ替わりに出前の親子丼を持って近付いていく俺を、二人は、戸惑いと笑顔を浮かべて見上げてきた。
細野
「いい奥さんですねえ」
奥で、如月と藤守が噴き出した。
穂積
「オカマの妻とは思えないでしょう」
俺は、二人と向かい合うソファーに座り、両手を合わせる。
穂積
「頂きます」
明智
「どうぞ召し上がれ」
明智がお茶を置いてくれた。
太田は感心した面持ちで見ている。
明智
「お二人も、どうぞ」
明智は細野と太田の前にもお茶を置き、戻した野菜と海藻を載せた小皿をそこに添える。
明智
「三人とも、よく噛んで食べて下さいね」
細野・太田・穂積
「はーい」
藤守
「なーるほど、それで、室長に連れて来られたんか」
如月
「『桜田門の光源氏』も、翼ちゃんにはめろめろですからねー」
それぞれの食事を終えた面々が、ソファーの周りに集まって来た。
明智
「その名前も、そろそろ返上かもしれないな」
如月
「でも、あれって、そもそも誰がそう呼び始めたんですかね?」
明智
「誰が、かは知らんが、いつ見ても周りに女性を侍らせているから、じゃないのか?」
それはあるな。
如月
「もしかして、お母さんが義理のお母さんで、その人に恋をしてしまったとか。えーと、桐壺でしたっけ?」
それはないな。
小野瀬の事情を知らないはずの如月から、義理の母親という単語が出たのは驚きだが。
だが、恋は無い。逆に、義母が色目を遣うので、小野瀬は家を出たほどだ。
しかも桐壺は実母で、義母は藤壺だし。
藤守
「桐壺は実の親やで。名前が葵だからやないか?光源氏の奥さんの名前やろ」
それはあるかもしれないが、若干ひねり過ぎじゃないのか。
意外にも、藤守の方が如月より『源氏物語』に詳しいのは分かったけど。
小笠原
「光るような美貌で、次々と恋愛を楽しんでるからじゃないの」
おお。
小笠原と意見の一致をみた。
如月
「実際はどうなんですか、室長?」
俺は小笠原を見た。
穂積
「ワタシは小笠原の意見に近いわね」
照れているのか、小笠原が微かに頬を染めた。
穂積
「ただ……」
明智
「ただ?」
穂積
「恋愛を楽しんでいたかどうかは疑問ね。光源氏も、小野瀬も」
警察庁に入庁した後、警察大学や研修を終えた俺が警視庁に配属されて来た時、小野瀬はもう有名人だった。
科警研から警視庁の鑑識に出向している優秀な技官だという評判がひとつ。
もうひとつの評判が、『桜田門の光源氏』だった。
細野
「配属当初からもう『光源氏』だったんですか」
穂積
「いつからかは知らないけど、最初の年度のうちにそう呼ばれていたのは間違いないわね」
明智
「確かに、俺が警視庁に入った時にはもう、『光源氏』でしたね」
二度目に会った時、小野瀬は俺を合コンに誘ってきた。
同期だから入庁式で顔と名前は知っていても、ほとんど初対面の俺を誘うか普通。
当然断ったが、それ以来、小野瀬は何かと俺に絡んできた。
変な奴だなあとは思ったが、何となく気になる奴でもあった。
如月
「恋ですね」
藤守
「恋やな」
小笠原
「二人とも殴られるよ」
それから、話をしたり、一緒に合コン行ったりするうち、どうも、評判と、本当の小野瀬は違うような気がしてきた。
表向き、小野瀬っていうのはこう、誰にでも優しくて、誰とでも寝て、そして誰のものにもならないって感じなんだが……。
本当は、逆というか……うまく言えないな。
細野
「分かる気がします」
太田
「自分も」
一見すると華やかに見えるが、その実、本当の恋愛をずっと追い求めていたんじゃないか?
光源氏も小野瀬も、探して探して、失敗して、傷ついたり傷つけられたりしながら、それでも求めずにはいられない。
そういう、恋。
……とにかく、世間のイメージ通りの、単純なプレイボーイじゃないのは確かだ。
そうでなければ、あんな奴、とっくに縁を切っている。
如月
「あんな事言ってますよ、藤守さん」
藤守
「それが切れへんのが腐れ縁や如月」
櫻井の事だってそうだ。
さんざん振り回して泣かせて怪我をさせて、あれで本気じゃないなんて言ったら爪を剥いで生殺しにしてやる。
だが、どうやら、今度ばかりは小野瀬も本気らしいし、何より、櫻井が幸せそうな顔をしている。
大事な大事な俺の娘。
俺はあいつの父親で、小野瀬は俺の親友だ。
二人が幸せになってくれたら、俺はそれで満足だ。
光源氏のファンには悪いがな。
小野瀬
「じゃ、『桜田門の光源氏』の名は、今後、穂積に献上するよ」
全員
「?!」
振り向いたそこには、笑顔の小野瀬と、ハンカチを握り締めた櫻井が立っていた。
翼
「うわぁぁん、室長ーっ!」
櫻井が、俺の胸に飛び込んで来た。
そのままシクシク泣き出すので、仕方なく抱き締めて、背中を擦る。
穂積
「……馬鹿ねえ、抱きつく相手が違うでしょう」
何故か、周りもしんみりしている。何だこの空気。
小笠原
「小野瀬さん、いいの?」
小野瀬
「穂積は、俺の女には手を出さないよ」
くそう。
予防線張りやがったな。
しかも、さらっと「俺の女」とか言いやがって。
明智
「本当に『光源氏』返上ですか?」
小野瀬
「もう、必要ないからね」
周りが小野瀬にひゅーひゅー言ってるが、小野瀬。
お前の女が俺の腕の中にいるのを忘れてるぞ。
俺は櫻井の髪を撫でてやる振りをしながら、ゆっくりと肩を抱き寄せた。
穂積
「良かったわね、櫻井」
櫻井は俺の思惑に気付かず、はい、と頬を染めて、俺の胸に顔を埋めた。
ああ可愛い。
穂積
「櫻井」
顔を上げた瞬間。
俺は櫻井の唇に、触れたか触れないかくらいのキスをした。
全員が、あっと息を呑む。
固まったままの櫻井の顔が、みるみる真っ赤になってゆく。
俺は構わず、櫻井を抱く手に力を込めた。
ゆらり、と気配がして、小野瀬がどす黒いオーラを発した。
小野瀬
「そこの悪魔」
いつもと違う低い声。
穂積
「出たな、元ヤン」
小野瀬
「何人たりとも、俺の女に手を出す奴は許せん」
小野瀬の顔にいつも張り付いている笑顔は消え、代わりに、凄まじい殺気が浮かんでいる。
一触即発の空気を破ったのは、櫻井だった。
翼
「小野瀬さん!」
櫻井が俺の腕から飛び退き、俺の前に立ち塞がる。
翼
「な」
全員
「な?」
翼
「何人たりとも、私のお父さんに手を出す人は許しません!」
小野瀬
「……」
穂積
「……」
ぷ、と小野瀬が噴き出したのをきっかけに、一同爆笑。
俺だけ笑えない。
小野瀬
「おいで」
笑顔の小野瀬に誘われて、櫻井はあいつの腕におさまった。
ああ、悔しいが、そっちの方がお似合いだよ。
穂積
「けっ」
俺はソファーに寝転がる。
うちの連中が口々に励ましてくれるが、放っておいてくれ。
小野瀬に敗けた気はしないが、櫻井には完敗だ。
幸せになれよ。
小野瀬ならきっと、お前を幸せにしてくれる。
お前ならきっと、小野瀬を幸せにしてくれる。
俺は信じてる。
小野瀬が本当に『桜田門の光源氏』を返上する日も、そう遠くはないだろう。
~END~