捜査室、始動
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4.明智 誠臣
「……出来た」
小笠原が、たった今プリントアウトした紙を、藤守に見せるようにヒラヒラと振った。
あれは、変質者の出没予想マップだ。
ここ半年間の都内での変質者の行動を統計立ててまとめた物で、今朝、藤守が小笠原に作成を頼んでいたのだ。
「おっ!小笠原ありがとぉ。もう出来たんか!お前、仕事速くてホンマ助かるわぁ」
藤守の方が先輩なのだが、作ってくれた小笠原に感謝の意を表して、藤守が後輩の席まで受け取りに歩いていく。
俺は特命捜査準備室の室長席に座って、書類に押印しながら、二人の様子を微笑ましく観察していた。
これは最近、よく見る光景になりつつある。
藤守の偉い所は、自分が引き継ぎをしている間に準備室に加わり、挨拶もせずに目の前の席で仕事をしていた小笠原を、何も言わずに受け入れられるところだ。
そして、次の日からは、ごく当たり前のように、小笠原に話し掛けている。
小笠原の方も、距離を保って接してくれる藤守に、少しずつ、警戒心を弱めているようだ。
胃潰瘍になるくらい繊細なだけあって、藤守には、何も言わなくてもその場の雰囲気を察してくれる才能がある。
藤守の存在は準備室の空気を軽くし、小笠原と、俺をも救ってくれていた。
「そしたら俺、これ持って、生活安全部に行って来ますわ」
「はい、行ってらっしゃい」
俺が手を振ると、藤守は元気よく部屋を出ていった。
それからしばらくして、
「……」
「小笠原、手が空いたら、これもお願い」
俺は書類を持って立ち上がり、小笠原の席に行った。
忌々しいが、小笠原に用事がある時は、こちらから出向くようになってしまった。
これは、藤守の作った悪い習慣だ。まあ、よく考えれば、上司の俺までそうする必要はないんだが……
傍らに立ったついでに何気無く小笠原のパソコン画面を覗いて、俺はギョッとする。
「小笠原、それ、何?」
「人事部のデータベースだけど?」
「お前っ、重要機密をハッキングするな!」
思わずオカマ言葉を忘れた俺を、小笠原は不思議そうに見上げた。
「何故?……室長、捜査室に必要な人を、探してるんでしょ」
俺は深々と溜め息をついた。
どうやら、小笠原にとって人事部のコンピューターに侵入するなど至極簡単な事で、罪の意識すら無いらしい。
何の為に、俺は毎日人事部に通ってたんだよ。
「……持ち出し禁止の個人情報だからでしょうが……」
「これを見ると、来月は警備部と、総務部と、公安で人事異動があるみたいだね。詳しく見る?」
「もう止めて……」
その時、俺の目は、画面の一点に吸いつけられた。
小笠原が俺の変化に気付いたが、俺はすぐに視線を逸らして、小笠原を睨み付けた。
「小笠原、ハッキングは違法!」
「……絶対に見つからない」
「お願いだから、ワタシに、アンタを逮捕させないでちょうだい」
真剣な口調で言うと、小笠原は少しの間俺を見つめてから、大人しく画面をシャットアウトした。
「……」
「ありがとう、小笠原。アンタの気持ちは嬉しいわ」
「……俺は、別に……」
俺は、顔を赤らめてそっぽを向く小笠原の頭を、何度か撫でた。
「小笠原。ワタシは今、画面を見た。アンタは、ワタシに命令されてハッキングしたのよ。いいわね」
「……」
小笠原は一瞬、納得出来ない顔をしたが、俺の真剣な表情を見て、コクンと頷いた。
「ありがとう」
小笠原は首を軽く振ってから、俺の差し出した資料を読み始める。
「ワタシはこれから会議に出てくるから、小笠原、藤守と留守をよろしくね」
俺は小笠原の背中をポンポンと叩いてから、準備室を出た。
確かに、小笠原の言葉にも一理ある。
準備室にいるのはまだ、俺と藤守、小笠原の三人だけ。
俺が内示を受けてから、早くももう半年が経とうとしている。
せめてあと四~五人は欲しいか。
そんな事を漠然と考えながら、俺は会議室に向かった。
俺は普段、煙草を吸わない。
だが、時々ひどく吸いたくなる事がある。
それは例えば今日のように、色々と考え事をしたい時とか、だ。
喫煙所から外を見ると、いつの間にか雨が強くなってきていた。
そう言えば、関東地方も梅雨入りだと、ニュースで言っていたな。
俺は会議も終わって、後は準備室に帰るだけだ。別に雨でも構わない。
俺はとりとめの無い事を考えながら、煙草をふかした。
「あ、失礼しました…」
喫煙所に入って来た相手が、先にいた俺を見て、会釈した。
「明智?」
声を掛けると、明智は、端正な顔を僅かに綻ばせた。
「穂積さんでしたか」
「久し振りね」
ベンチの隣を勧めると、明智は、一礼して、俺の横に座った。
「煙草、止めないんですか?」
「お互い様」
明智は笑って、自分も箱から煙草を取り出した。
明智誠臣。
俺より一期下の後輩で、現在は警視庁SAT(警視庁特殊急襲部隊)に所属する狙撃手だ。
明智の整った横顔を見ながら、どうやら噂は本当かな、と俺は思った。
最近、明智が、SATの前線から外されたらしい、と。
昨日から、紛争国の政府要人が次々に来日し、相次いで大臣と面会したり、演説したりしている。
テロも懸念される事態に、SATのエースと呼ばれる男が、こんな所で煙草を吸っていていいはずがない。
「……噂をご存知みたいですね」
明智が呟いた。
「事実ですよ。……撃てないんです」
俺は、明智の右手を見た。細かく震えている。
「親友だったらしいな」
ずばり核心を突いた俺に、明智は苦笑を浮かべた。
「……ええ」
「そうか……」
無意識のうちに、俺のオカマ言葉は消えていた。
いったいどんな気持ちになるのだろう、そう考えた時に、明智が重い口を開いた。
「……SATに選ばれた事はずっと、名誉な事だと思っていました」
明智は、憂いを含んだ目を俺に向けた。
「……あの日、俺は窓から、立て籠り犯人の、銃を持った手を撃ちました」
話しながら明智は遠くを見て煙草を吸い、紫煙を吐いた。
「親友を撃ったと知った時、高校時代の思い出が甦りました。そいつの両親の顔が浮かびました」
「……」
「今まで俺は、これは治安を守る為だ、人質を救う為だと理由をつけて、迷わずに引き金を引いてきたんです。でも」
明智は煙草の煙を深く吸い込み、吐いた。
「実は、狙撃する段階では、犯人の本当の動機など分からない。俺は、親友の気持ちを理解しないまま狙撃した。そう思ったら」
明智はきつく目を閉じた。
「……撃つのが怖くなったんです」
沈黙がおりた。
手にした煙草はろくに吸わないうちに短くなり、俺は、喫煙所の灰皿でそれを揉み消した。
項垂れる明智の背中を擦ってやると、微かに震えているのが伝わってきた。
誇り高い男だ。
明智が撃てなくなったのは、他人が噂するように、身内を撃った罪悪感からでも、狙撃に嫌気が差したからでもない。
犯人も凶器を持っている。明智が撃たなければ、凶器は第三者に向けられる。
先に親友だと知っていたとしても、明智は撃っただろう。
明智の苦悩は、なぜ、親友が撃たれなければならなかったのか、その理由が分からない事の方にあるように俺には思えた。
納得出来ないうちは、明智は、決して自分を許さないだろう。
「……すみません」
明智の声は、掠れていた。
「いや、俺も警備にいたからな。少しは分かるつもりだ」
「……」
「なあ……明智。悩んでいるお前に、無神経かもしれないが……」
「……はい?」
「俺の、新しい部署に来ないか」
俺は隣から、明智の顔を見つめた。
明智は瞬きをした。
「……」
「捜査室では、犯人の動機を知る事で事件を解決する。お前の親友の気持ちも、いつか、分かるようになるかもしれない」
「……穂積さん」
「SATにいるのは辛いだろ」
明智は目を伏せ、首を横に振った。
「ありがたいお誘いです。でも、実はもう、次の配置が決まっている身です」
「警備の内勤なんかに、お前は勿体無い」
明智は驚いた顔で俺を見た。
「何故、それを?」
小笠原が人事をハッキングしたから、とは言えない。
「上の方には、俺から話す。SATでいらないなら、俺がもらうってな」
明智はしばらく呆けていたが、不意に、笑いだした。
「穂積さん、俺を拾ってくれるんですか」
「おう」
「銃が撃てない刑事ですよ」
「それは優しいからだ。弱いからじゃない」
「……」
「お前は謙虚で、誠実だ」
「……」
「俺は、お前のような男を右腕に欲しい」
「……」
俺はもう一度、煙草を取り出した。
唇にくわえた途端、横から、明智がライターで火を点けてくれた。
「どうぞ。……室長」
「ありがとう。あー、ところで明智」
「はい」
俺は明智が点けてくれた煙草を味わいながら、横目で明智を見た。
「……俺がオカマじゃない事、秘密だぞ」
「は!」
明智が、声を立てて笑いだした。
精悍な顔立ちが和らいで、いい笑顔だ。
「ははは」
俺も笑いだした。
「ははは!」
俺と明智は煙草が燃え尽きても色々な話をして、そして、いつまでも笑いあった。
「では、俺はもう帰ります」
「出た、明智さんの決め台詞!」
時計を見ながら藤守が茶化すと、明智はちらりと藤守を睨んでから、室長席の俺を振り返った。
「言いましたよね。残業はしないって」
俺は苦笑した。
「そうね。明智はもう報告書の提出も済んでるし。帰っていいわよ」
では、と一礼して出ていく明智を見送ってから、藤守がこちらを向いた。
「明智さんて、ホント、クールでミステリアスですよねー」
「……終わった」
小笠原が立ち上がると、藤守が一気に慌てる。
「マジか!終わらないの俺だけやん!」
そう思うなら手を動かせばいいのに、藤守は机に突っ伏す。
「小笠原もキチンと出来てるわ。お疲れ様」
「帰る」
「待て、待って!小笠原!俺を室長と二人きりにせんといて!」
「ご愁傷様」
捨て台詞を残して、小笠原もさっさと出て行った。
「あんまりや……」
半泣きで机にかじりつき、報告書をパソコンで打つ藤守を尻目に、俺は立ち上がり、窓から外を見た。
明智の車が、駐車場から出てくるのが見える。
と、パワーウィンドウが開いて明智が顔を出し、こちらを見上げて手を挙げた。
さすが眼がいいな、俺は微笑んで合図を返す。
いつの間にか藤守が隣にいて、同じように明智に手を振っていた。
「明智さん、ホントカッコいいっすね。仕事も出来て男前、女子にも人気あるの、わかるわー」
同意を求める藤守ににっこりと笑い返してやり、同時に軽くデコピンした。
「痛゛ー!」
「アンタが終わらないと、ワタシも帰れないでしょうが!」
藤守を席に向かって蹴飛ばしてから、俺はもう一度、明智の車を見送った。
雨が上がり、定時の空はまだ明るい。
俺は雨の日に拾った狙撃手の事を考えながら、しばらく夕空を眺めていた。