捜査室、始動
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3.小笠原 諒
「ほーづーみ♪」
窓の外の桜の蕾が膨らみ始めた頃、俺が一人で書類整理をしていると、突然、特命捜査準備室の扉が開いた。
「来ちゃった♪」
赤みがかった長い髪、端整な美貌で甘い笑顔を振り撒くこの男は、俺と同期で入庁した、鑑識官の小野瀬葵。
「来ちゃった♪」じゃねーよ。
白衣を翻らせて入って来た小野瀬は、足を止めずにソファーに近付き、そのまま寝転がった。
「あー、座りっぱなしだったから背中が張ってるー」
「こら!そこで寝るな!そもそもなんで来るんだよ!」
別に仲が良いわけでもないのに、どういうわけか腐れ縁があるようで、こいつは、しょっちゅう俺に近付いて来る。
「俺に言わせれば、お前の方が俺の前に現れてるんだけどね」
同期で警察庁に採用されたのは確かだが、こいつは、千葉の科学警察研究所に配属されていたはずなのに。
「お前と同じだよ、警視庁に出向の身。鑑識はいつも人手不足だからね。優秀な人材は忙しいの」
「俺の心と会話をするな!」
俺は小野瀬に向かって怒鳴った。
「忙しいならさっさと帰れ!」
「冷たいなあ。お前しかいないんだから、別にいいでしょ?」
不満そうに言ってはいるが、小野瀬はニコニコ笑っている。そして、ソファーから起き上がる気配は全く無い。
「鑑識に比べたら、ここは静かでいいね。まだ準備中だもんね。暇でしょ」
「準備中だから忙しいんだ。早く鑑識に帰れったら」
「ところで、藤守くんはー?昨日も居なかったよねー。もしかして逃げられたー?」
俺の文句を完全にスルーして、小野瀬は間延びした声を出した。
「今週いっぱい、少年事件課に行かせている。最後の引き継ぎだ」
「……へえ、そうなんだ」
呑気な言葉のわりに真剣な顔をして、小野瀬は、ソファーから起き上がった。
「穂積」
「何だ」
「実は、科警研に、俺の後輩がいるんだけど、」
「お前の後輩なら、きっとろくでもない奴だな」
「……」
俺の軽口に、珍しく黙り込んだ小野瀬。
さすがに言い過ぎたかと、俺はすぐに反省した。
「すまん。悪かった。冗談だよ」
「あ、いや。……確かに、ろくでもない奴かな、と思ってた」
「はぁ?」
訝しむ俺を、小野瀬は手招きした。
こいつに手先で扱われるのは癪だが、先ほどの負い目がある。
俺は、ソファーに座り直した小野瀬の隣に、素直に腰を下ろした。
「優秀な奴なんだ。情報解析やプログラミングなんて神業だ。本当に、天才だ」
小野瀬は真顔で、囁くように言った。
「お前がそこまで言うなら、本物だな」
俺も、つられて小声になる。
「ただ、全く他人と打ち解けない。言葉遣いもなってない」
「お前に対しても?」
俺はちょっと驚いた。
小野瀬は物腰が柔らかく、誰にでも人当たりが良い。
心理学を学んだ経験があるそうで、相手に不快な思いをさせずに接する事が出来る。
その対人スキルの高さで、庁内の女性職員は皆、小野瀬の虜だ。
「ひとことで言えば、引きこもりだね。いくら頭が良くても、組織の中に溶け込めないのは問題だよ」
俺の心を読んだらしい小野瀬が、微かに眉をひそめた。
だが俺は、それには気付かない振りをする。
「まあ、科学者とか研究者で、多少、偏屈なのは仕方ないんじゃないか。それに、まだ若いんだろう?」
「入庁三年目、だったと思うよ」
「……三年目か……」
俺にも、小野瀬の懸念が分かる気がした。
三年間同じ職場にいて、周囲と全く人間関係が築けないなんて、社会人として確かに問題だろう。
「どうすればいいと思う、穂積 ?」
「あ?そんなの、本人がどうしたいか、だろ?」
「本人は、今のままでいいと言ってるけど」
「……そもそも関係を築く気が無いのか……」
「実家は大変な資産家で、両親は著名な学者。本人も学生時代に取ったいくつかの特許の収入で、たとえ警察官の給料が無くても、金には困らないようだね」
「何故、警察に入ったんだ?」
小野瀬は溜め息をついた。
「さあ。ほとんど会話にならないからね。今の情報だって、あちこちの噂を総合しただけだ。本人から聞いたわけじゃない」
ふうん、と俺は応じた。
「名前は?」
「小笠原、諒」
「小笠原か」
俺は何気無く、部屋の中を見渡した。
もちろんわざわざ確かめるまでもなく、俺と藤守の机しか無い。
小野瀬と目が合った。
「恩に着るよ、穂積」
その切れ長の垂れ目が楽しそうに細められた時、やられた、と俺は思った。
翌日。
藤守が少年事件課に出掛けて行くのと入れ違いに、小野瀬が、小笠原を連れてやって来た。
「おはよう、穂積。お言葉に甘えて、連れて来ちゃったよ」
俺は何も言ってないけどな。
ニコニコしている小野瀬とは対照的に、小笠原は不機嫌な表情で、手に持ったノートパソコンを抱え直した。
「おはよう」
俺は椅子から、小野瀬に挨拶を返した。
それから席を立って、入って来た二人にゆっくりと歩み寄る。
近付いて行くと、小笠原は、俺を睨み付けるようにして、身構えた。
小笠原はすらりと細身で、仕立ての良いスーツを着ているのが俺にも分かる。
小笠原が無言で眼鏡を直したのを機に、俺から声を掛けてみた。
「おはよう、小笠原」
「……」
俺が呼び掛けても、軽く顎を引いて見せただけで、強張った表情を緩めようとしない。
「初めまして。この特命捜査準備室、室長の穂積よ。よろしくね」
「……」
にっこりと微笑んで右手を差し出したが、小笠原は一瞬その手を見ただけで、また俺を睨んでいる。
俺のオカマ口調にも動じない。
目の端で小野瀬を見れば、最初の笑顔は消え、困ったような、怒ったような顔で小笠原を見ていた。
小野瀬。
そんな顔をしたら駄目だ。お前は、コイツに飴をやる存在でいろ。
鞭なら俺がくれてやるから。
「さてと、もう一度、最初の挨拶からやってみる?」
小笠原は一瞬驚き、次いで、露骨に顔をしかめた。
眼鏡の奥の目が、反抗心でギラギラしている。
「いいわねえ、その顔。思っていたより骨がありそうね」
俺は、差し出したままだった右手で、いきなり、小笠原のネクタイを掴んで引き寄せた。
俺との身長差は、10cmくらいだろうか。
鼻先がぶつかるほどの距離に顔を近付けてみると、小笠原は震えながらも唇を噛んで、俺を睨み返している。
「ふ」
その距離で、俺は小笠原を見据えてニヤリと笑った。
「小野瀬、気に入ったわ。このまま置いていってちょうだい」
「!」
小笠原が息を呑む。
小野瀬は俺の意図を察したらしく、わざとのんびりとした調子で、小笠原に話し掛けた。
「小笠原くん、穂積に気に入ってもらえるなんて、キミ凄いよ。良かったねえ」
そうして、俺にネクタイを掴まれたままの小笠原に近付くと、助けもせずにニッコリと笑って、真っ黒い髪を、左手で優しく撫でた。
「じゃあね、小笠原くん。俺は、鑑識に戻るから。困ったらいつでも逃げておいで」
微笑む小野瀬に、小笠原は恨めしそうな視線を送る。
小野瀬はそれには気付かぬ振りだ。
「それじゃ穂積、後はよろしく~」
それだけ言って、小野瀬は背中越しに片手をひらひら振りながら、部屋を出て行った。
「……」
小野瀬が扉を閉めた後、俺はとりあえず手を緩めて、小笠原を解放した。
小笠原は蒼い顔をして、また、パソコンを抱え直した。
「置いたらどう?」
俺は、今朝入れたばかりの、新しい机を指差した。
小笠原はしばらく黙って突っ立っていたが、俺が睨んでいる事に気付くと、渋々と机の上にパソコンを置いた。
置いて手を離した後に俺をちらりと見たので、微笑んでやる。
「いい子ね」
「……」
両手が空いてしまった小笠原は、仕方なく、腕を交差して、自分の身体を抱くような仕草をした。
「そこがこれからアンタの席よ、小笠原」
「……」
小笠原は軽く自分の新しい机を撫でてから、椅子に座って、パソコンを引き寄せた。
「分かったら、返事」
「……」
「返事。わ・か・り・ま・し・た」
「………た」
「もう一度」
「……わ・か・り・ま・し・た」
「よし」
俺は笑って、くしゃくしゃと小笠原の髪を撫でた。
小笠原はびっくりした様子で、目をパチパチさせる。
「ねえ、小笠原」
「………何?」
「アンタはコレが得意なのよね」
俺は、小笠原のパソコンを、指先でそっと撫でた。
触ったら怒られるかと思ったが、小笠原は、黙って俺の動きを目で追っている。
「起きてしまった事件を一刻も早く解明する為に」
俺はそっと手を動かして、小笠原の手の甲を、指先でとん、と叩いた。
「同じような事件が二度と起こらないようにする為に」
とんとん、と叩く。
「これから起きるかもしれない事件を未然に防ぐ為に」
俺は、小笠原の手に自分の手を重ねて、ぐっと握った。
「アンタはコレで、ワタシの頭脳になってくれないかしら」
小笠原が、顔を上げた。
俺は手を離して、小笠原を見つめる。
「……」
やがて、真っ直ぐに俺を見たまま、小笠原が返事をした。
「……………いいけど」
俺は、ほんの少し頬を染めて、怒ったようなむくれた表情をしている小笠原を見て笑いながら、
「わ・か・り・ま・し・た!」
右手を伸ばして、小笠原の額に、軽くパチンとデコピンした。
「痛い!やめろ!」
「や・め・て・く・だ・さ・い!」
「……や、め、て、下さい!」
「よろしい」
俺は自分の机から、30枚ほどのプリントを束ねたファイルを手にして、小笠原に手渡した。
「では早速、このデータを分類して、過去の類似事件と照合してちょうだい」
「……分か、り、ま、した」
吃りながらノートパソコンを立ち上げる小笠原を見ていると、小笠原は、不意に、俺の方をじっと見た。
「何?」
「………あんた意外と真面目な上司の確率、95%」
俺はにっこりと笑って、小笠原の唇を両端から引っ張った。
「あらー、生意気な事を言うのは、このお口かしら?!」
「痛い、いひゃい、やめろ!」
「敬語!」
「あんたのデコピン痛い!」
「けーいーごーをーつーかーえ!」
数日後、小野瀬は、この時の俺と小笠原との子供のような言い争いを、扉の隙間からずっと眺めていた事を白状した。
そしてその日の夜、小野瀬はいつものバーに、『穂積』の名前でウィスキーのボトルを入れてくれた。
「誰かとまともに言い合う小笠原くんを初めて見たよ。何だろう、精神年齢が近いのかな?」
「殴るぞ」
「はは」
小野瀬は笑った。
「穂積に預けて、良かったよ」
その柔らかい笑顔を見ているうちに、俺はふと思った。
小野瀬は本当に、小笠原を心配して俺に託したのかな。
それとも俺を心配して、小笠原を譲ってくれたのかな。
尋ねてみたい気がしたが、小野瀬はきっと、笑うだけで答えないだろう。
俺は黙って、グラスを上げた。
応えた小野瀬のグラスと当たって、俺のグラスは、軽やかな音を立てた。