不本意な関係
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~小野瀬vision~
鑑識課職員A
「穂積ってさぁ、ちょっと、ムカつくよな」
小野瀬
「……は?」
唐突な先輩の言葉の意味が分からず、俺はおかしな声を出してしまった。
そして、今朝から現在までの記憶を巻き戻し、急速再生した……
早朝に発生した、信用金庫強盗事件。
通報を受け、真っ先に現場に到着して規制線を張り、逃走した犯人の指紋や足跡などの遺留品を集める作業を始めた、俺たち鑑識課の数名から一足遅れて、警備の職員たちや、捜査課の捜査員などが次々とやって来る。
彼らの仕事は、勿論、現場周辺の治安を維持し、あるいは捜索して逃走者を確保する事だ。
各方面から警察官が集まって騒然とする事件現場に、ひときわ凛とした若い声が響く。
穂積の声だ。
目線を上げて声のする方に顔を向ければ、人波の中で、明るい色の穂積の髪が、朝日を受けて金色に煌めくのが見える。
あの服装だと今日は警備の立ち番か。
同期入庁の中では既に頭角を現しているとはいえ、まだ下っ端の穂積は、先輩たちからの指示の一つ一つに、よく通る声で返事をしていた。
鑑識課職員A
「穂積の事だよ。ちょっと、ムカつかねえ?」
一列に並んでアスファルトの道路に這いつくばり、遺留品を探しながら、俺の隣を進む鑑識課の先輩は、俺に向かって、呟くように繰り返した。
言葉だけ聞けば辛辣だが、表情は笑いを含んでいるようにも見えるし、口調も、嫉妬というよりは羨んでいるようにも思える。
先輩の質問の仕方が曖昧で、求められている答えが分からない。
と言って無視するわけにもいかず、俺は、低い声で聞き返した。
小野瀬
「……どういう意味ですか?」
穂積は俺と同期だ。
先輩もそれを知っていて話し掛けてきたのだろうけど、向こうは警察庁の幹部候補生、こちらは科警研の技師を志望して採用されたので、俺は穂積を特にライバル視した事は無い。
今はこうして同じ警視庁で働いているとはいえ、実は、まだそんなに親しくもないのだ。
鑑識課職員A
「あんなキレイな顔してて、足も長くて、しかも、警備の連中の話では、性格もサッパリしてて、キャリア組のエリートなのに気持ちのいい奴らしい。出来過ぎだろ?」
先輩の声からはやはり、悪意ではなく、本当にそんな奴が実在するなんて信じられない、という、懐疑的なニュアンスが感じ取れた。
とりあえず、その評判は事実だろうとは思う。
正直なところ、俺自身も、まだ、その程度にしか穂積を知らない。
ただ、最近…いや、厳密には数日前。
ある出来事がきっかけで、俺は穂積に抱き締められて、濃厚なディープキスをされた。
この先輩はまだ知らないようだが、そのキスのせいで、「小野瀬と穂積はデキている」なんていう不本意な噂が、物凄い速度で警視庁の中に広まりつつある。
まあ、そもそもの一因は俺にもあるし、キスした事は事実だし。
不本意ではあるけれど、穂積と少し親しくなれたのは悪くない。
多分、穂積もそう思っているんじゃないかな。
鑑識課職員A
「普通はもっと欠点というか、残念な部分があっても…」
鑑識課職員B
「あるよ。お前、知らないのかよ。穂積はオカマなんだぜ」
不意に、反対側から別の先輩が口を挟んで来て、俺はぎょっとした。
鑑識課職員B
「なあ、小野瀬?お前はもちろん知ってるよな」
小野瀬
「……」
鑑識課職員A
「まさか!……確かに、いくら女から誘われても相手にしないとは聞いたことがあるけど。……小野瀬、本当なのか?」
迂闊な返事は出来なかった。
何故なら、穂積は、警視庁のお偉いさんの奥さんにしつこく言い寄られて、やむなく俺にキスする事で、オカマだというレッテルを自ら貼る事で、ひとまず難を逃れたばかりなのだ。
実は嘘でした、オカマは偽装なんですと明かすには、まだ日が浅すぎる。
鑑識課職員B
「そういう噂だぜ。だから女に興味がないとか、あちこちの部署で穂積を部下に欲しがるのはアッチの役にも使いたいからだ、とか」
鑑識課職員A
「嘘だろ?なんかショックだな。そんな噂が出るって事は、穂積の方もまんざらじゃないって事か?」
鑑識課職員B
「そうなんじゃねえの?小野瀬にも、穂積の方からキスしたって聞いてるし」
鑑識課職員A
「えっ?!小野瀬、本当か?」
鑑識課職員B
「とあるお偉いさんの奥さんが、それが理由で穂積にフラれた、って吹聴しまくってたのを聞いたんだから。間違いないって。あいつ本物だってば」
小野瀬
「……」
先輩たちの声が、興に乗って徐々に大きくなってきている。
これ以上騒げば、遠からず鑑識課以外の警官たちにまで聞こえてしまうだろう。
穂積を侮辱する言葉が。
小野瀬
「……違います」
鑑識課職員A・B
「えっ?」
我慢出来なくなって、俺は、勢いよく立ち上がっていた。
小野瀬
「穂積は!オカマですが!誰でもいいってわけじゃない!あいつは俺が好きなんです!!」
なんですー、ですー、ですー…
規制線を張られた早朝の金融街に、俺の声が響き渡った。
俺を中心にした周辺全ての動きが止まる中、何かが動き出し、真っ直ぐに向かって来るのを俺は感じた。
鑑識課職員A・B
「…小野瀬…!」
気付いた時には遅かった。
振り向いた俺の目に映ったのは、噛み締めた唇を震わせ、真っ赤な顔で俺を見下ろして拳を振り上げている、穂積。
ゴン!!
小野瀬
「痛ーー!!」
頭が割れたかと思った。
俺を一発ぶん殴った後、穂積は無言でくるりと踵を返し、目にも止まらぬ速さで、再び仲間の元へ駆け戻って行った。
小野瀬
「痛たたた…」
痛みに耐えられずに膝をつくと、先輩たちが、両側から俺を気遣ってくれた。
鑑識課職員A
「小野瀬、大丈夫か?…すまん、俺たちのせいだな」
鑑識課職員B
「穂積、耳まで真っ赤だったぞ。あんな顔初めて見た」
鑑識課職員A
「ちょっと涙ぐんでた」
鑑識課職員B
「照れ隠しに殴ったのかな」
鑑識課職員A・B
「……」
小野瀬
「…?…」
二人が黙り込んだので、俺は、殴られた頭を擦りながら顔を上げた。
先輩たちはしばらく、遠くに去った穂積を眺めていたが、作業に戻ると、やがてまた、どちらからともなく呟いた。
鑑識課職員B
「…可愛かったな」
鑑識課職員A
「うん、可愛かった」
小野瀬
「……はあ?」
鑑識課職員A
「俺、応援するぞ、小野瀬。お前らお似合いだよ。可愛い彼女でいいなあ」
小野瀬
「は?」
鑑識課職員B
「いや、違うだろ?向こうが彼氏で小野瀬が彼女だろ?超イケメンで羨ましいぞ」
小野瀬
「違いますよ!」
鑑識課職員B
「あ、やっぱりお前が彼氏か?」
小野瀬
「いい加減にしてください!」
どっちがどっちかという問題じゃない。
が、ここでまたこの話を蒸し返すと、さらに噂が膨らんでしまう。
否定すればややこしくなる。
言わせておくしかないんだろうな。
俺は反論しかけた言葉の続きを飲み込み、盛り上がる先輩たちを横目に溜め息をついて、まだ痛む頭を抱えた。
~穂積vision~
警備班長
「穂積!勝手に持ち場を離れるな!」
穂積
「はい!申し訳ありませんでした!」
駆け戻った俺は踵を揃えて班長に謝ってから、同班の先輩たちに向き直って、同じように頭を下げた。
穂積
「申し訳ありませんでした!」
班長
「……まあ、気持ちは分かったけどな」
そう言った班長をはじめ、先輩たちも皆、苦笑いしただけで許してくれた。
口には出さないが、警備部の中でもこの仲間たちだけは、俺のオカマが偽装だと知っている。
俺がお偉いさんの奥さんに言い寄られて逃げ回っていた事も、毎日のように口説かれて辟易していた事も、それから逃れるために小野瀬にキスして男好きを装った事も、全部知っていて、理解した上で、俺を守る為に、黙っていてくれているのだ。
有り難かった。
改めて整列し、強盗事件の現場保全の為に持ち場に散る。
後ろ手を組んで立ち番の姿勢になると、後ろを通り過ぎる捜査員たちが、いきなり俺の尻を撫でて行った。
穂積
「!」
立ち番警備に入ったら、無駄口は許されない。
ましてや俺は下っ端の若造で、上司や他の部署の先輩に文句など言えないと分かっていての嫌がらせだ。
捜査員A
「おお、確かに、締まったいい尻だ」
捜査員B
「穂積、今度俺とも一晩頼むぜ」
捜査員C
「よせよせ、聞いたろ。誰でもいいってわけじゃないんだとさ。小野瀬に恨まれるぞ」
下卑た笑い声を立てながら去っていく連中を目で追う事もせず、俺はただ歯を食い縛った。
くそっ。
小野瀬を笑いやがって。
俺なんか何を言われようと構わないが、小野瀬は俺の恩人だ。
小野瀬にしてみれば、自分が言い逃れをしたせいで、俺が奥さんに追い掛け回され、しまいには退職も覚悟するような羽目に陥った、その責任を感じていたかもしれない。
先に自分に狙いを定めた奥さんの魔の手から逃れる為に、俺が奥さんに気がある、と嘘をついたのだから、俺に対して負い目があったかもしれない。
それでも、男にキスされた挙げ句、その男と噂になるというのはかなりの屈辱だと思う。
特に小野瀬は女にモテる。
それでなくても女好きだと噂されているのに、実は男も好きだとか、どんだけ好色なんだと思われちまうだろ。
なのに、小野瀬は笑って俺を受け入れてくれた。
あいつのおかげで、俺はこうしてまだ警察官でいられるんだ。
あいつがいなければ今頃……
……あれ?
……あいつがいなければ、余計な嘘をつかなければ、そもそも、俺が奥さんに追われる事は無かったんじゃないか?
あいつにキスする事も、オカマを偽装する羽目に陥る事も、しなくて良かったんじゃないか?
……
……
……まあいい。もういい。
おかげで小野瀬と親しくなれた。
それでいい。
……だが、後で、もう一発だけ殴っておこうか。
俺が視線を向けると、丁度小野瀬がこちらを向いて、笑顔で小さく手を振ってきた。
それはいいが、両隣の先輩たちまでニコニコしながら手を振ってくるのはどういうわけか。
やっぱりあいつ、後で殴っておこう。
俺はそう心に決めてから、一瞬だけ、満面の笑顔を小野瀬に返した。
こんなに嬉しそうに笑ってしまうのは不本意だな、と思いながら。
~END~