山茶花 *せつな様のリクエスト
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~翼vision~
小野瀬
「……櫻井さん、さっきは、本当にごめん」
小野瀬さんは、私に向かって、深々と頭を下げた。
そして、顔を上げた時には、いつもの、真剣な時の小野瀬さんの顔に戻っていた。
小野瀬
「でも、俺は本気だ。今夜の約束もキャンセルしない。穂積も、そのつもりでいて」
それだけ言い残すと、小野瀬さんは踵を返して、鑑識室に戻って行った。
廊下に残ったのは、私と、室長。
室長の視線はまだ、小野瀬さんが消えた扉を見つめていた。
やがて。
穂積
「……櫻井」
翼
「は、はいっ」
室長は私を見ずに、尋ねた。
穂積
「……今夜の約束って?」
私は、鑑識の三人との食事の約束の話をした。それは前からの約束だった事も、忘れずに付け加える。
穂積
「……そうか」
長い沈黙の後、室長は、私を振り返った。
行くな、と言って。
室長が止めてくれれば、私は行かない。
じっと私を見つめていた室長は、けれど、意外な事を言った。
穂積
「大丈夫だ。行け」
……大丈夫?
大丈夫って?
私の心に浮かんだ疑問に答えるように、室長は、私の顔を、真っ直ぐに見つめた。
穂積
「小野瀬はもう、お前に酷い事はしない」
室長の表情は、決して穏やかではない。
けれど、その言葉の裏にある気持ちに、偽りはないようだった。
穂積
「……あいつも、本気なんだ」
翼
「室長……」
穂積
「……告白が一日遅れただけで、お前を失う事になるなんて、納得出来るはずがない……」
鈍い私もようやく気付いた。
室長は私に向かって言いながら、自分自身と会話しているんだ。
穂積
「会って、小野瀬の話を聞け。そして考えろ」
翼
「……考える……」
小野瀬さんの事を考えただけで、さっきの恐怖が蘇った。
二人で会うのが怖い。
けれど、室長の言う通り、会って話さなければ、何も解決しないのかもしれない。
穂積
「俺の気持ちは変わらない。たとえ小野瀬が相手でも、お前だけは譲れない」
翼
「……」
胸がいっぱいになって、何も言えない。
たまらなく、室長の温もりが恋しくなった。
身を寄せると、室長はゆっくりと私を受け入れ、腕の中に包み込んで、背中を撫でてくれた。
穂積
「小野瀬に会って、考えろ。そして、俺を選べ」
翼
「室長……」
見上げると、室長は、微笑んでみせてくれた。
穂積
「お前、顔も服もどろどろだ。今日はもういいから、寮に帰って支度しろ。細野や太田には、心配をかけるなよ」
室長に言われた通り、私は寮に帰ってお風呂に入り、全部を洗い流した。
大丈夫。
ちゃんと、出来る。
自分に言い聞かせながら、私は、オーガニックレストランに向かった。
失礼だけど、細野さんや太田さんの存在が、こんなにもありがたいと思った事は今までに無かった。
きっと、小野瀬さんもそう思っていただろう。
二人を間に挟む事で私たちは普段と変わらない態度で向き合う事が出来たし、笑顔で冗談を交わすことさえ出来た。
だからこそ、食事の後二人と別れ、小野瀬さんと二人きりになってからも、私は比較的、落ち着いて話を聞く事が出来た。
小野瀬さんが車で連れてきてくれたのは、こじんまりと落ち着いた品の良いバー。
下戸で車の小野瀬さんに合わせて、私もノンアルコールのカクテルを頼んだ。
小野瀬
「乾杯……する気には、ならないよね」
小野瀬さんはちょっと自嘲ぎみに笑った後、私に向かって、軽くグラスを上げた。
私も、同じようにした。
小野瀬
「……俺と穂積はね、似ているんだよ」
小野瀬さんは、問わず語りに話し出した。
小野瀬
「どちらも、必要な時期に、必要なものを得られなかった。穂積は幼少期の友人、俺は思春期の家族」
翼
「……」
小野瀬
「だけど、皮肉なものでね。他のものは、必要以上に与えられた。派手な容姿、頭脳、身体能力……これにはもちろん努力もあるけど……。すると、他人はそれを羨む。あるいは蔑む。そうして、俺と穂積はますます歪む」
平凡極まりない私には、おそらく、本当の意味で二人の辛さを理解する事は出来ないだろう。
小野瀬
「俺は、俺を理解し、必要としてくれる相手を探している。たくさんの女性と遊んでいるだけに見えるかもしれないけどね。……俺なりに真剣に、相手を試しているんだよ」
翼
「……試す……」
小野瀬さんは頷いた。
小野瀬
「試す、ってストレート過ぎる?じゃあ、キャパシティを測る、でもいい。愛の深さを確かめる、でもいい」
翼
「……私、自分が、小野瀬さんの取り巻きの女性たちと、どこが違うのか分かりません」
小野瀬さんは、くすりと笑った。
小野瀬
「意識していないのが、いいんだよ」
小野瀬さんは、グラスを干した。
慣れた様子でバーテンダーに代わりを頼み、全く口を付けていなかった私のグラスも、ついでに別のものに代えてくれる。
小野瀬
「俺はとても渇いている。きみは、俺を満たしてくれる。きみが求めるのは俺だけ。俺の幸せだけ。それが、心地好いんだ」
小野瀬さんの話は、とても論理的。分かるまで説明してくれる。この辺り、結論から始まる室長の話し方とは違う。
小野瀬
「そんな俺から見るとね、穂積がきみに抱いているのは、恋情というより、憧憬だよ」
翼
「憧憬?……」
耳慣れない言葉に、私はそれを繰り返した。
小野瀬
「そう、つまり、憧れ」
小野瀬さんは、あの室長が、私の何に憧れているというのだろう。
小野瀬
「さっき話したけど、あいつも歪んでる。ただし、孤独に反発したベクトルは、手当たり次第に相手を求めた俺とは逆に、たった一人に向けられた」
私はどきりとした。
小野瀬
「幼い頃から、あの見た目のせいで虐げられて育った穂積は、顔も知らない女の子の存在を、心の拠り所にしたんだ」
小野瀬さんは、私の表情を窺って、続ける?と訊いた。
今さら、聞きたくないと拒む事は出来ない。私は頷いていた。
翼
「……続けて下さい」
小野瀬
「俺はきみを知ってから、きみを好きになったよ。きみもだろう?普通はそうだ。だが、穂積は違う」
急に喉が渇いてきた。
小野瀬
「穂積は、きみのお父さんの盆栽を通して、小学生の頃から二十年近くきみを見てきた。名前しか知らないのに、だ。きみ自身を初めて見たのは、きみが高校生の時らしいけどね」
翼
「……でも、室長と私は、捜査室に入ってから知り合ったんです。だったら、小野瀬さんと同じじゃないですか?」
小野瀬
「それは、そうだよ。でも、それまでの十数年が無くて、あの穂積が、すんなりときみを好きになったと思う?」
縋りつきたかった自分の考えを小野瀬さんにあっさりと切り返されて、私は戸惑った。
胸に何かが刺さって、ずきずきと痛む。
返す言葉が無かった。
小野瀬
「櫻井さん」
私は、考えがまとまらないまま、顔を小野瀬さんに向けた。
小野瀬
「穂積が愛しているのは、穂積自身が作り上げた、きみの幻だ。現実のきみじゃない」
小野瀬さんが、私の手を握り締めた。
小野瀬
「俺は、今、ここにいるきみに求められたい。きみに必要とされたい。その為になら、どんな事でもする。忘れないで」
持ち上げた私の手の甲に、小野瀬さんはそっと唇を当てた。