山茶花 *せつな様のリクエスト
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~翼vision~
昨夜の、室長からの告白の余韻が、まだ、抜けない。
だからぼんやりしていたんだろう。
総務からのお使いの帰り、廊下を歩きながら、私は、立っていた誰かの胸に、まともにぶつかってしまった。
翼
「す、すみません!」
小野瀬
「ちゃんと前を向いて歩かないと、危ないよ?」
笑いを含んだ声とともに、ふわり、と抱き締められた。
その行為とその相手とに、私は二度ビックリする。
私の見上げた先で、小野瀬さんが、優雅に微笑んでいた。
いつもながら、綺麗な顔立ち。
上品なのに、どことなく危険な雰囲気が漂っていて、ドキドキしてしまう。
これがフェロモンというものなのかしら。
小野瀬
「その様子だと、今夜の約束忘れてない?」
今夜?
翼
「あっ」
それは、小野瀬さんと細野さん、太田さんの鑑識チームに私を加えた四人で、太田さんおすすめのオーガニックレストランに行くというもの。
以前、三人がその話題で盛り上がっていた所へ私がたまたま通り掛かり、それで私も一緒に行く事になった話だ。
もちろん、スケジュール帳に入っているし、私も行くつもりでいる。
ただ、今この時には、完全に失念していたけれど。
私の反応を見て、小野瀬さんの顔色が変わった。
小野瀬
「ちょっと、おいで」
小野瀬さんは私の手を引いて、傍らの資料室に入った。
後ろ手に鍵をかけられて、私はドキリとする。
翼
「小野瀬さん……?」
小野瀬
「今日のきみ、おかしいよ。何があったの?」
どうしよう。
小野瀬さんは、心配してくれているのよね。
でも、室長とお付き合いする事になりました、なんて、小野瀬さんにわざわざ報告するのも変だし…… 。
小野瀬さんが、ゆっくりと近付いて来た。
小野瀬
「俺には言えない?」
悲しそうな表情を見せられて、戸惑ってしまう。
言えない、というほどの事でもないような気はする。
室長と小野瀬さんとは親友だし、遠からず、室長の口から伝わる事になるだろうと思う。
でも……
小野瀬
「心配なんだ」
小野瀬さんの手が、私の髪に触れた。
何か言わなくちゃ。
そう思った刹那。
唇を奪われた。
翼
「!」
髪を触られるのなんて日常茶飯事で、全く警戒しなかった。
離れようとしても、頭を押さえられていて、動かせない。
舌が入って来て、絡めとられた。
翼
「ん!んー!」
どうして?
嫌、こんなのは嫌。
それなのに、身体が強張ってしまって抗えない。
涙が滲んだ。
小野瀬
「……きみ」
私を捕らえた腕はそのまま、小野瀬さんは唇だけを離した。
小野瀬
「好きな男が出来たんだね」
どうして?
どうして、小野瀬さんは私にこんな事をするの?
翼
「う……っ……」
言葉のかわりに、嗚咽が喉を押し上げた。
途端に、小野瀬さんの力が緩んで、今度は、優しく抱き寄せられた。
小野瀬
「ごめんね」
穏やかな声にも、一度恐怖で強張った私の身体からは、なかなか力が抜けない。
小野瀬
「驚かせて、ごめん。……でも、心配なのは、本当」
小野瀬さんの指が、私の頬の涙を拭いた。
小野瀬
「昨日まで、いつも通りだったよね?」
小野瀬さんの声に、背筋が、ぞくりと震えた。
小野瀬
「たった一晩で、誰に心を動かされたの?」
何も言っていないのに、小野瀬さんは核心に迫ってくる。
小野瀬
「俺は……今夜、きみに言うつもりだった」
何を?
……だめ。
言わないで。
小野瀬
「俺は、きみが、好きだって」
どうして?!
どうして今なの?!
小野瀬
「最初は確かに、冷たくした。きみの事を知りたくて」
室長の気持ちを知る前なら。
私は小野瀬さんに求められたら、嬉しかったに違いないのに。
小野瀬
「それでも、きみは、いつも俺と真剣に向き合ってくれた」
私は目を閉じ、耳を塞いだ。
小野瀬
「きみなら、俺を理解してくれるかもしれない。だから、俺は……」
やめて、お願い。
私を惑わせないで。
振り払ったのに、聞こえてしまった声。
小野瀬
「好きなんだよ、櫻井さん」
私は、引き止めようとした小野瀬さんの腕を逃れて、扉を開け、資料室を飛び出した。
どこをどう走ったのか覚えていない。
目についた化粧室に駆け込んで個室に入り、鍵を閉め、冷たい床にしゃがみこむ。
震えが止まらない。
頭の中がぐしゃぐしゃで、鼓動が速くなりすぎて、吐きそう。
小野瀬さん。
沈着冷静で理知的で聡明で、尊敬していた。
からかわれてばかりだったけど、いつも笑顔で優しくて、憧れていた。
本当は繊細で寂しがりやで……
翼
「……う」
涙が溢れた。
口を手で押さえ、声を殺して涙を流していると、外の廊下を、人の気配が近付いて来た。
穂積
「……櫻井?」
身体が跳ねた。
穂積
「櫻井だろ?返事をしろ」
全身から、力が抜けていく。
翼
「……し、」
室長、と返事をしようとした声は、喉に詰まって、掠れた。
あっという間に、室長が化粧室に飛び込んできた。
穂積
「開けろ」
個室の扉一枚を挟んで聞こえる声は、私にしか聞こえないほど低く、そして密やかだ。
穂積
「総務から帰って来ないから、探しに来た。俺だけだ。周りには誰もいない。……開けろ」
私は涙を拭いて息を整え、意を決して、掛けていた鍵を外した。
室長は、私が、自分から個室を出るまで待ってくれた。
よろめきながら歩き出したものの、顔を上げて、室長の顔を見る事が出来ない。
涙で化粧も崩れて、ひどい顔をしているに決まっている。
私は俯いたまま、室長の前に立った。
足が震えてくる。
不意に、室長は無言で自分のジャケットを脱いで、私に羽織らせた。
微かに甘い、室長の香り。
それから、室長の温もり。
穂積
「……」
足の震えが、少しずつ、治まってゆく。
穂積
「歩けるか?」
静かな問い掛けに、私は頷いた。
捜査室へ入るセキュリティを抜けた所で、隣を歩いていた室長の足が、止まった。
不審に思って顔を上げると、まるで道を塞ぐように、小野瀬さんが立っていた。
穂積
「小野瀬?」
訝しんで発した室長の声を、小野瀬さんは無視した。
小野瀬
「……穂積だったのか」
翼
「小野瀬さん……」
小野瀬さんは私を見つめ、室長に視線を移した。
その視線は、どこか熱を帯びている。
小野瀬
「相手が穂積なら、全て納得がいく」
私の胸が、また、ざわめき始める。
何を言うつもりなんだろう。
……まさか。
翼
「小野瀬さん、やめて……」
室長には、知られたくない。
小野瀬さんに告白された事も、無理矢理キスされた事も。
けれど、次に声を出したのは、小野瀬さんではなかった。
穂積
「お前が泣かせたのか」
それは怒りを含んだ、けれど、驚きと悲しみも綯い交ぜになった、初めて聞く声だった。
穂積
「お前は知っていたじゃないか。知っていて、何故……」
小野瀬
「穂積」
小野瀬さんの声も、顔も、苦痛に歪んでいた。
小野瀬
「理屈じゃないんだ。お前には分かるだろう」
穂積
「……」
室長が、言葉を失った。