アメリカ
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いつものバーのマスターは、いつになくくたびれた様子で扉を開けた俺たちを見て「おやおや」と言ったものの、それきり何も言わず、穂積に焼酎のお湯割りを、俺にウーロン茶を、そして、二人の間に救急箱を置いた。
無言で乾杯をしてグラスの中身を一口飲むと、俺と穂積は揃って顔をしかめた。
どうやら口の中が切れているらしい。
飲み物がアルコールの穂積は、さらに痛み倍増だろう。
明るい場所で見ると、穂積の端整な顔のあちこちに、擦り傷が出来ていた。
俺の竹刀が擦ったんだろう。
俺はふと、自分の顔には傷がない事に気付いた。穂積が、一度も顔を殴らなかったからだ。
身体の方は全身痣だらけだろうが、穂積は、服を着て見える場所には痕跡を残さなかった。
ちえっ、と舌打ちをすると、穂積がこちらを向いた。
穂積
「何だ」
小野瀬
「完敗」
穂積
「変な奴」
そう言いながらも、穂積がグラスを上げた。
穂積
「ん」
ちん、と音を立てて、俺のグラスに自分のグラスを当ててくれる。
俺はようやく穂積の勘違いに気付いたが、何となく嬉しくて、そのまま、「乾杯」と言った事にした。
また、こうして穂積と飲める。
穂積
「もう、こうしてお前と飲めなくなるな」
穂積の言葉に、俺は驚いて飛び上がりそうになった。
だが、穂積は真顔でマスターからお代わりを受け取ったところだった。
穂積
「アメリカに行ったら」
……今、穂積は、俺とまた飲みたい、と言ってくれていると解釈していいんだろうか。
穂積
「……俺、鹿児島だから、東京に知り合いがいない。同期は勝手にライバル視してくる。異動ばかりで、先輩とも後輩とも付き合いが持続しない。その上、今度はアメリカだ」
ああ。
少しずつ、穂積の気持ちが分かってきた。
穂積
「……お前に『単身赴任で気楽』って言われて、カチンと来た。俺は外国で1年間、命令で仕事の為に研修してくるだけだ。それなのに」
穂積がグラスをあおった。
穂積
「『宿命だ、出世の為だ、どこへでも行け』だ。……お前の言葉は正論だ。だが、お前には言われたくない」
小野瀬
「悪かったよ」
穂積は首を横に振った。
穂積
「言ったろう、正論だ。ただ俺は……」
珍しく酔いがまわってきたのか、穂積が額を手で押さえた。
穂積
「……お前に、寂しいのが俺だけじゃない、と教えてもらいたかった」
穂積。
こいつの口から、「寂しい」だなんて。
思わず、目頭が熱くなった。
俺だって、寂しいよ。
穂積がいなくなると思っただけで、いつもの俺ではいられなかったよ。
両腕を枕にカウンターに突っ伏した穂積の背中を、俺は、静かに撫でた。
穂積
「……何年後かに、警視庁に新しい部署が出来るって噂、聞いてるか」
しばらくして、何の脈絡もなく、穂積がぽつりと言った。
俺も穂積と同じようにカウンターに突っ伏して、俺たちは2人で、とろんとした顔を見合わせていた。
マスターがウーロン茶のお代わりにくれた、甘い香りのするホットミルクを飲んだせいか、俺も身体が重くなってきている。
小野瀬
「うん。……『特命捜査室』だっけ?大層な名前だよね」
刑事部の中に新設されるという『特命捜査室』は、窃盗から殺人から外国人犯罪から、とにかくあらゆる捜査に対応出来る部署になるらしい。
少数の精鋭で、既存の枠に囚われない機動力を生かして事件を早期解決に導く。
まさに『特命捜査』で、成功すれば実に有効な組織になるが、今の時点では、あくまでも実験的な設置だと聞いている。
穂積
「……俺さ」
小野瀬
「うん」
穂積
「そこに呼ばれそうな気がする」
その言葉は、俺の中に、すんなりと入ってきた。
少人数精鋭、短期の実験的組織、汎用性、機動力という特性が、穂積にぴたりと合致する。
「穂積が偉くなる前に、あいつを自分の部下にしたい」という声を、俺自身、何度も聞いた事がある。
新設の部署だから、きっと、ベテランの刑事が室長に選ばれるだろう。
そこへ穂積がアメリカから帰って来れば、メンバーに選出されても何の不思議もない。
小野瀬
「俺も、そんな気がしてきたよ」
穂積
「……そしたら……新設部署なら……少なくても、3年はそこにいられるだろ?」
穂積は目を細めた。
穂積
「……お前、科警研に戻るなよ。警視庁の鑑識にいろよ」
俺はたぶん、泣きそうな顔をしていたと思う。
穂積が目を閉じたから。
穂積
「……そのための準備だと思えば……何でもねえよ。アメリカも……今までの転勤も」
新しい捜査室で3年間過ごせたとしても、キャリアの穂積は、いずれまた必ず異動になる。
俺なら、どうせ別れる事になる相手に感情移入したりしない。
だが、穂積にはそれが出来ない。
おそらく、深く関わった分だけ、今までよりも余計に辛い別れになるはずだけど。
俺が言わなくても、穂積にも分かりきっているはずだけど。
それでも、夢を見たくなる時がある。
寂しくてたまらない日も、誰かと殴り合いたい日も。
酔い潰れて寝てしまいたい夜も。
マスターが、毛布を掛けてくれる。
穂積と、それから俺にも。
俺は穂積の寝息を聴きながら、静かに目を閉じた。
穂積。
たまには俺たちにも、こんなしまらない一日の終わりがあってもいいよな。
~END~