ROSE
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~穂積vision~
小用を足して洗面所で手を洗っていると、小野瀬が入って来た。
「ほーづーみ♪」
「……お前は、俺がトイレに来るのをどこかから見てるのか?」
俺は顔をしかめながら、蛇口を締めた。
「やだなあ。勘だよ。あ、それとも愛かな?」
俺の嫌味にも全く動じず、小野瀬は変わらずニコニコしている。
ハンカチをしまい廊下に出ると、小野瀬が顔を寄せてきた。
「穂積、今夜、何か予定ある?」
「いや、別に」
俺の返事を聞いて、小野瀬はうんうんと頷いた。
「じゃあ、一緒に呑まない?面白いバーを見つけたんだよ」
「バーって……お前、酒、呑めないだろ」
小野瀬は笑顔を消さない。
「雰囲気が大事なんだよ。今回の目的は、ナンパ、だからね」
「……へえ」
俺は少し驚いた。
今月に入って何回か、俺は、小野瀬とその仲間たちに誘われて合コンに行った。
俺はひたすら酒を呑むばかりだが、小野瀬は周囲の女の子に甘い冗談を言ったり、笑わせたりしていた。
だが、合コンが解散になると、未練たっぷりの女の子たちを振り返りもせず、小野瀬は俺の車を運転して、俺の部屋に泊まりに来るのが常だった。
余談だが、小野瀬は俺の部屋に来ると、ぶつぶつ文句を言いながらもキレイに片付けてくれるので、俺は大変助かっている。
しかし……、すると、今までの合コンは、女の子が目的じゃなかったのか。
まあ、俺も、人の事は言えないけど。
「俺もお前も、合コンの餌だよ。会場に、たくさん女の子を呼ぶ為のね」
小野瀬は、ふふ、と笑った。
「だから、仲間との合コンでお持ち帰りはしないよ。餌が釣り人を裏切って、魚を食べちゃったら反則でしょ?」
なるほど。
毎週のように合コンしていても、小野瀬には小野瀬なりのルールがあるという事か。
「そこで今夜は、俺とお前の二人だけで釣りをしてみよう、ってわけ」
小野瀬は俺に、バーの名前と住所をメモした紙を寄越した。
「近いから、歩きで行こうよ。俺は少し遅くなるから、お前、先に行っててくれる?」
渡されたメモの住所で、場所の見当はついた。確かに、徒歩でも行ける距離だ。
「分かった」
「じゃ、終業後にそのバーで。期待してるよ」
「ああ」
小野瀬を見送って、俺はふと、違和感に気付いた。
言われた時には、何気なく聞き流してしまったのだが。
「……期待してる?」
何だろう。
嫌な予感がする。
俺は振り返ったが、もちろん、小野瀬の姿は、もうどこにも見当たらなかった。
~《ROSE》~
小野瀬の指定したバーは警視庁から程近い、路地の奥にあった。
何となく安っぽい店だが、小野瀬はこういう雰囲気が好きなのかな。
扉を開けると、数歩先に、もう一枚扉がある。
扉の手前の壁には、薔薇の彫刻が施された大きな姿見。
「入る前に身だしなみを整えろ」と言われているようで、俺も何となく襟など直した。
今日の俺は、濃紺のダブルのスーツ。
庁内では動きやすい服装にショートブーツだが、行き帰りは無難なスーツにしている。
ネクタイも締めているし革靴だし、大抵の店なら入れてもらえるはずだ。
扉を開けると薄暗く、俺は数秒、目を慣らしてから、カウンターの一番手前に腰掛けた。
「いらっしゃいませ」
五十代半ばといった年頃の、微妙に太った男性が、フロアの方から近付いて来た。
俺が振り向くと、その男性は一瞬、眩しそうに俺を見て、それからチェシャ猫のように笑った。
どうやら、この男性がマスターらしい。
「バーボンを。ロックで」
「ハイ喜んで!」
返事は居酒屋みたいだが、マスターはカウンターの内側に入ると手を洗い、思いの外器用な手付きで酒を作って、俺にグラスを差し出した。
へえ。
意外とまともな店かも。
そんな事を思いながらグラスを引き寄せようとした時、偶然、マスターと俺の指先が触れた。
するとマスターはこの暗がりでも判るほど顔を紅くして、手を引っ込めた。
マスターはぺこりと頭を下げて、しかしどこかへ行くでもなく、俺をちらちらと見ながら、そこにそのまま立っている。
……何だ今の。
……いや、考えすぎだよな。
訝しむ俺の思いが伝わったのか、マスターは不意に背を向けて、店の奥に姿を消した。
何となくほっとしたのもつかの間、マスターは、カットフルーツを山盛りにしたガラスの皿を抱えて、戻って来た。
「あの、これ」
それを俺の前に、そっと差し出す。
「サービスです」
「え?」
意味が分からず、俺はマスターの顔を見た。
「だってお兄さん、スッゴク格好いいから!」
言うが早いか、マスターは真っ赤な顔をして、俺の手を握り締めた。
「アタシの気持ち、受け取って!」
「小野瀬ーーー!!」
俺は椅子から飛び退きながら、入り口で腹を抱えて大笑いしている小野瀬に向かって、怒り心頭で怒鳴った。
「面白い店だろ?」
「面白くねえよ!」
小野瀬はまだ、くっくっと笑っている。
「危うく一般市民に発砲するところだっただろうが!!」
今は拳銃を所持していないから良かったものの。
怒鳴り続ける俺に、小野瀬は唇に指を当てて、しー、と言う。
「ごめんごめん。あのマスター、前回は俺に迫って来たんだよ?」
俺と小野瀬はカウンターを避けて、遠いボックス席に移動していた。
「だから、穂積ならどうなるかな、と思って」
小野瀬はウーロン茶を飲みながら、俺がもらったカットフルーツをもぐもぐ食べている。
「穂積、ローズちゃんこっち見てるよ」
「うるせえ!手を振るな!」
マスターは、まだ、カウンターの奥からこちらに熱い視線を送っているらしい。
俺はカウンターに背を向けている。当たり前だが完全無視だ。
テーブルに置かれたウイスキーのセットで、小野瀬が濃い目に水割りを作ってくれる。
「でも、良かったよ。穂積がソッチじゃないと分かって」
「はあ?」
「お前、合コン行っても、酒呑んでるだけだろ?女には興味ないのかと思ったよ」
小野瀬は、まんざら冗談でもなさそうに言った。
「……」
だからって男かよ。
俺は小野瀬を睨んだ。
「ごめん、悪かったって」
笑いながら小野瀬は謝るが。
こいつ絶対反省してない。
「じゃあさ、穂積って、好きなコいるの?」
「お前はいつもいきなりだな」
小野瀬は、ニヤニヤしながら俺を見た。
「彼女がいないのは、あの部屋を見たら分かるけどね」
「悪かったな」
「俺は、前に話したよね。まだ、特定の相手を作るつもりはないって。だから、色々な女の子と遊んでみたいって」
言ってたな、そういえば。そこだけ聞くと最低だけど。
近くで見ていて、分かるようになった。
小野瀬は庁内でも合コンでも、相手の女性に合わせて、上手に接し方を変えている。
それは相手に対する気配りでもあり、同時に、本当の姿を誰にも見せない、という防御でもある。
小野瀬は、自分の周りに集まる女性を観察しながら、探しているんだと思う。
小野瀬が、本当に好きになれそうな相手を。
本当の小野瀬を、好きになってくれそうな相手を。
「早く見つかるといいな」
俺がぽつりと言うと、小野瀬は一瞬驚いた顔をして、それからゆっくりと笑顔になった。
「……だからさ。穂積も、正直に教えて?」
「俺はお前よりは正直だ」
「ふうん?」
小野瀬が、俺の顔を覗き込んできた。
こいつは心理学をかじったとかで、相手の心の動きを読む。
嘘をついても無駄なので、俺は、小野瀬の顔をじっと見返した。
「……気になる子はいる」
「おお!」
「……茶化すならやめる」
小野瀬はごめんごめん、と手を合わせた。
「穂積にそんな子がいるとは思わなかったな……。どういう関係?」
「……数年前、その子が高校生の時、遠くから見て、可愛いと思った。それきりだ。話もしてない」
一目惚れか、と小野瀬は微笑んだ。俺は、首を軽く横に振る。
「俺は、彼女の事を前から知ってた。ずっと、会いたいと思ってた。想像通りに成長してた」
「その子、今はどうしてる?」
「知らない」
「会いたいか?」
「………………会いたい」
うわー、と言って小野瀬が笑う。俺は今さら恥ずかしくなって、グラスをあおった。
くそ。話すんじゃなかった。
「……でも、穂積にそんな風に想われるなんて、その子は幸せだと思うよ」
「え?」
俺はびっくりした。
「穂積は、もっと自信持っていいよ」
俺に言い聞かせるように言って、小野瀬は笑顔を浮かべた。
「お前いい奴だから」
「……小野瀬……」
俺が見つめると、小野瀬は照れ隠しなのか、はははと笑った。
「だからさ、今日のナンパ協力して?」
「はあ?」
「お前には好きな子がいるんだから、今夜のお相手はいらないだろ?」
何だその理論。
でもまあ、一目惚れの話なんかした後で、リアルな女を抱く気にはならないかな。……どうかな。
仕方ない、今夜は小野瀬に協力してやるか。
「分かった、手伝う」
「ありがとう」
小野瀬はおどけて頭を下げた。
「あれ、どう?」
小野瀬が顎で示す方向を、俺は目線だけで見た。
入って来たのは長い黒髪でライトグレーのパンツスーツを着た女と、栗色の髪を肩で切り揃えた、カナリア色のツーピースを着た女だった。
二人連れの女は、入り口近くのボックス席に座った。
服装もそうだが、手にしたバッグがカジュアルではない。仕事帰りだろうか、と、小野瀬が言った。
俺には女のバッグなんか見分けがつかない。
飲み物をオーダーすると、二人とも、会話をしながら、ゆったりと店内を眺め始めた。小野瀬が言う。
「あれ、ナンパ目当てだと思うんだけど」
「へえ」
そのつもりで見れば、なるほど物色しているようにも見える。
もっとも、俺たちは一番奥にいるので、あそこからでは暗くて見えないだろう。
「どっちだ?」
俺が訊いた。
「うーん、黒髪のお嬢さんかな」
小野瀬の言う女は長身でスタイルも良く、遠目にもきれいな女に見えた。
「作戦はどうする?」
「時間差で行こうか。穂積、あのテーブルに座れる?」
二人の座っている席を見ると、椅子はまだ残っている。
俺は頷いた。
「ナンパなんて、優しい職務質問みたいなもんだろ」
俺が言うと、小野瀬はくすくす笑った。
「違うと思うけど、お前がそうだと思うならそれでいいよ」
苦笑する小野瀬を置いて、俺はゆっくりと立ち上がった。