水ナス検事奮戦記
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櫻井たちが金子の証言に基づいて、隠し財産を巡る捜査を進めている間。
俺はというと、旧日本軍第十一部隊・三沢小隊について調べていた。
金子繋がりで穂積に命じて調べさせようかとも思ったが、来日したトルキアの王女の護衛も請け負っていて傍目にも多忙な連中にそこまでさせるのは、さすがに俺の自尊心が許さなかったからだ。
だが、たった一人でのこの調査は、難航を極めた。
旧日本軍第十一部隊はいわゆる秘密部隊であり、そこに所属していた三沢小隊もまた、当時の記録に活動内容が残されていない。
この事が、軍事機密を扱った、という金子の証言に真実味を増しているのだ。
俺は、村松の生い立ちや、これまでの金子の証言に基づいて、同じ隊に所属していた、村松以外の隊員たちの消息について訪ね歩いた。
残念ながら、この俺をもってしても、時の流れには勝てない。
三沢小隊を詳しく知る戦争体験者に会う事は出来ず、特に新しい情報は得られなかったのだが……
しかし、諦めずに微かな手掛かりを一つ一つ検証してゆくうちに、気になる事をいくつか見つけた。
三沢小隊の隊長である三沢、さらに隊員だった林田という男が、終戦直後に自決していた。
敗戦後に元軍人が自決するというのは、珍しい事ではない。
共に戦い、先に戦地に散っていった者たちに対し、生き残ってしまった事に申し訳なさを感じ、あるいは、敗戦後に受けるであろう屈辱を思えば耐えきれず、生き恥を嫌って自ら命を絶った軍人の何と多いことか。
だが。
隊長であった三沢はともかく、下級兵であった林田は、何故自決したのか。
同じような境遇の村松や金子が生き延びていたのに、である。
さらに、もう一人、気になる隊員がいた。
山下、という男だ。
この男は、戦後、親戚や家族といった身内の元に帰っていない。
にも関わらず、戦死者名簿にも載っていない。
すなわち、戦争中に行方不明になったのだ。
しかも、金子が、戦後ずっと、この山下を探していた形跡がある。
俺は調査の中で、山下の故郷でも知人の家でも、訪ねてきたという金子の名前を聞いた。
藤守兄
「……ふうむ……」
ぎしり、と、俺の座っている椅子が音を鳴らした。
そんな時、愚弟が俺に伝えてきたのは、穂積が怪我をした、という情報だった。
聞けば、トルキアの王女の護衛中、現れた暴漢にソファーを投げつけたせいで、肩を脱臼したのだという。
藤守兄
「悪魔でも人並みに怪我をするのか」
つい正直な感想を漏らしてしまった俺に、愚弟は憤慨した様子で肩を怒らせた。
藤守
「笑い事やないんやで。俺と明智さんは施錠されたドアの外にいて、室長が間に合わんかったら、櫻井が撃たれてたかもしれん。ホンマに危なかったんやから」
藤守兄
「何だと?」
本当なら、ニーナ王女が襲撃され、危険な目に遭うところだった。
しかし、護衛である櫻井が先に暴漢に遭遇してしまい、穂積は咄嗟に隣室から突入し、暴漢に向かってソファーを投げたのだと愚弟は説明した。
藤守兄
「……」
恩義のある人の娘だ、と、穂積は言った事がある。
唯一女性の部下だから、一番下だから、まだ経験が足りないから。
様々な理由をつけて、穂積は櫻井を守ってきた。
俺と櫻井の仲に気付いた後でさえ、穂積は櫻井を守り続けていたのだ。
この朴念仁の俺でさえ感心するのだから、純粋な櫻井が穂積にどれほど感謝するか、負い目を感じるか。
藤守兄
「……」
感謝や負い目が恋愛感情に変わるプロセスを、つい最近体験したばかりの俺は知っている。
知ってしまっている。
何となく胸がざわつき、無性に櫻井に会いたくなったが、治療を受けただけで退院した穂積に率いられ、捜査室の連中はこれから、揃って松代へ急行するのだという。
藤守
「小笠原が発掘に意欲的で、正確な場所を割り出したらしいねん。いい結果を持って帰るから、兄貴、待っててや」
そう言われてしまえば、おう、としか答えられない。
門外漢の身が恨めしいが、櫻井も、俺も、それぞれの仕事を全うして判事に認めてもらわなくては、交際さえままならなくなる。
俺は三沢小隊の調査を進めつつ、松代からの報告を待つ事にした。
待っている時間はとてつもなく長く感じたが、やがて、松代に赴いていた櫻井たちが、重大な発見をして戻って来た。
おかげで事態は一気に進展し、解決に向かったのだ。
藤守兄
「……雉も鳴かずば射たれまいに……か」
事件の全容が明らかになり、俺と櫻井は、久し振りに俺の部屋で二人きりの時間を過ごしていた。
せっかくの休日、しかも待ち望んだ櫻井との逢瀬だというのに、つい考えてしまうのは、村松と金子の事件の事だ。
松代で掘り出されたのは、行方不明になっていた、山下の白骨死体だった。
金子が、村松を殴り倒してまでも見つけ出したかったものは、まさに、それだったのだ。
軍事機密を隠匿するためだと言われて金子たちが掘り続けた場所に残っていたのは、単なる地下壕だった。
三沢小隊は、下級兵にはダミーとなる地下壕を掘らせ、実際には、上官たちが近くの寺の本堂の下を掘って、機密文書を隠したのだ。
だから、穂積たちが本堂の下を掘り返した時、本来ならそこには、旧日本軍の機密である、有価証券などが埋められているはずだった。
しかし、現れたのは山下の遺体と、戦勝国である連合国軍兵士のものと思われる、「MURDER WILL OUT(殺人は露呈する・悪事千里を走る)Louis」と書かれたメモだったという。
つまり、松代に隠されていた軍事機密の箱は、とっくの昔に連合国軍が掘り返し、中にあった巨額の有価証券などを持ち去っていたのだ。
ここからは推測だが、彼らは、調査中に、寺の敷地内の別の場所で、他殺された山下の遺体を発見した。
そして、軍事機密を抜き出した後の箱に、その遺体を入れて、本堂の下に埋め戻した。
いつの日か、隠した軍事機密を掘り返そうとここを訪れる人物……おそらく殺人の犯人……に、「知っているぞ」と伝え、震え上がらせる為に。
「愚か者」と嘲笑う為に。
藤守兄
「終戦直後に自決したとされた三沢小隊長と林田も、機密を独り占めしようとした村松が殺した可能性が高い」
これは、穂積から検察に再送致された「グリーンヒルズ老人殺傷事件」の最終調書と、俺自身が調べた結果から、俺が導きだした推論だ。
穂積が入院中に金子から聞き出した話によれば、金子は、戦争中から、同僚であった山下の失踪がどうしても納得出来なかったのだという。
逃げ出したのだと村松から言われたが、そんな男ではないと信じていた。
だが戦争が終わり、小隊が解散してからは村松とも音信不通になり、山下の行方を探すのも諦めかけていた。
だが、偶然老人ホームで村松と再会したのを機に、山下の失踪に繋がる話を聞き出そうとした。
村松はもう、まともな会話が出来ないほど認知症の症状が進んでいたが、山下の行方を問い詰めた金子に対し、ふとした弾みに「雉も鳴かずば射たれまいに」と漏らしたという。
その瞬間、金子の中で、全てが繋がった。
金子は、反射的に村松を殴り倒していた。
これがこの事件の発端であり、金子にとっては、全てが完結した瞬間だったのだ。
藤守兄
「遡れば何十年にも渡るこの事件を解決したのは、俺たちではない。金子の執念だ」
俺のベッドで、隣に腰掛けている櫻井が、不安なのだろう、こちらに身体を寄せてきた。
翼
「……慶史さん、金子はどうなるんですか?」
今、金子は、病院の一室で、静かに横になっているという。
もとより余命は幾何も無い。
真実を知りたい一心で、病に侵された身を長らえてきたのだ。
前回の裁判で、重罪を逃れる為に弁護側から高齢と疾病による心神耗弱を提案されても、頑として受け入れなかった。
その理由が、今なら分かる。
金子は、村松のように逃げたくなかったのだ。
わざわざ法廷で、松代に軍事機密が埋められているのだと騒ぎ立ててみせた。
あの時は、何を考えているのかと腹が立ったが、今なら分かる。
金子は、もう自分には山下の無念を晴らす体力も残された時間も無いのを知って、最後の賭けに出たのだ。
誰でもいい、掘り出してくれと。
自分の代わりに、村松の罪を暴いてくれと。
藤守兄
「あの金子の潔さに、俺は、敬意を払わねばならん」
その為には、やはり金子の罪は罪として、処分するべきだろう。
一方、当初、被害者だと思われていた村松が、三件の殺人事件を犯していたと思われる事も忘れてはならない。
むしろ、村松の罪の方が遥かに重いのだ。
だが、村松は既にこの世にない。
三沢、林田、山下の遺族としては直系でない親戚が数名存命だが、いずれも、今更の裁判を希望していない。
藤守兄
「村松の場合、殺人の容疑は濃厚だが、有罪を確実とするには年月が経ちすぎていて、嫌疑不十分となる可能性が高い。遺族の処罰感情も低い。よって、被疑者死亡により、不起訴処分とする」
櫻井は俺の言葉の意味を咀嚼すると、唇をきゅっと結んでから、再び訊いてきた。
翼
「それなら、金子は?」
藤守兄
「過失致死罪だ。だが、諸般の事情を考慮して、起訴猶予とし、公判請求はしない」
俺がそう言うと、櫻井の表情が明るくなった。
藤守兄
「お前なら分かるだろうが、起訴猶予というのは、今は様子を見て、いずれ起訴するという意味ではないぞ。刑事訴訟法では……」
そこまで言ったところで、櫻井が横から俺に抱きついてきた。
翼
「慶史さん、ありがとう!」
藤守兄
「れっ、礼を言われるような事ではないぞ!俺は、法に則ってだな……!」
刑事訴訟法では、「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の状況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる」と定めている。
これが起訴猶予だ。
つまり、金子の犯行が悪質なものではなく、再犯の可能性も低く、村松の遺族も裁判の長期化を望んでいない事を考慮した上で、起訴しないという事だ。
金子には、残された時間が少ない。
せめて、その時間を静かに過ごせるようにしてやりたいと思うより外に、俺に出来る事など無いではないか。
翼
「ううん。それは、慶史さんにしか出来ない事です」
藤守兄
「櫻井……」
俺は、櫻井の髪を撫でた。
櫻井が見上げてくる。
翼
「……いつまで、『櫻井』なんですか?」
藤守兄
「……は?……あ?!」
櫻井が、ぽっと頬を染める。
翼
「……『翼』と呼んでください」
ああ。
愛おしい。
櫻井判事が認めてくれるかどうかは分からないが、今回、櫻井は刑事として、俺は検察官として、出来るだけの事はした。
これから先も、この、愛おしい相手に隣にいてほしい。
いや。
いてもらわなければ困る。
俺の眼鏡を外した櫻井の手を握り締めながら、俺は、そう、強く思った。
それから間もなく、金子は静かにこの世を去った。
孤独に戦い続け、誰にも顧みられる事の無いはずだった彼の棺は、俺と櫻井、そして、穂積以下捜査室の捜査員全員が見送る中を、静かに、穏やかに、遠ざかって行った。