水ナス検事奮戦記
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櫻井との夕食の後、彼女を寮まで送り届けたその足で、俺は、ひとり警視庁に向かった。
もちろん、穂積に会うのが目的だ。
俺はいらちなのだ。
午後九時をまわっても、まだ、警視庁には煌々と明かりが点いていた。
特に刑事部のある階は人の出入りも多く、真剣な顔の男たちがひっきりなしに行き交っている。
何かあったか、と、最近の事件の記憶を引き出そうとしかけて、やめた。
事件は毎日起きている。
これが、ここでの日常だ。
さらに進むと、当たり前のように、捜査室の窓にも明かりが点いていた。
俺は、ノックを兼ねて目一杯の勢いをつけ、扉を開ける。
藤守兄
「おい、穂積!」
扉が壁に当たってばたーん、と大きな音がしたが、いつもの事だ。
しかし、見慣れた景色の中に、穂積を始めとするいつもの顔触れはいなかった。
そのせいで、真っ先に俺の目に入って来たのは、やけに見通しのよくなった、穂積の机の上。
藤守兄
「……」
そこには、以前、確かに、見事な紅葉の盆栽があった事を思い出す。
あれが、そうだったのか。
……本当に、返したのか。
空いたスペースの広さのせいで、逆に、無くなったものの存在の大きさを知る。
ふと、穂積の胸の内にも同じ広さの穴が空いたのだろうか、などいう、俺にしてはセンチメンタルな思いがよぎった。
だとしたら、……だとしたら、どれほど。
穂積
「何か用かしら?」
藤守兄
「うわぁっ!」
背後からいきなり、裏声とともにフッと耳に息を吹き掛けられて、俺とした事が悲鳴を上げてしまった。
藤守兄
「何すんねん!」
穂積
「アンタこそ何してくれてんの」
急いで振り返ると、左手に資料らしいファイル、右手にコーヒーカップを持った穂積が、俺の顔を見て眉をひそめていた。
穂積
「ドアは静かに開けろ、っていつも言ってるでしょ」
藤守兄
「お前は静かに現れすぎだ!見ろこの鳥肌を!」
穂積
「三十路男の肌なんか見たくないわ」
シャツの袖を捲って見せながら文句を言う俺を尻目に室長席に戻り、机の上にカップを置いて睨んでくる無愛想な顔は、いつもの穂積だ。
藤守兄
「……お前、一人か」
穂積
「他の連中はもう帰したわ。ワタシは今まで会議だったの。外務省から、来日するトルキアの王女の護衛を仰せつかって来たところよ」
藤守兄
「そうか」
相変わらずのオカマ口調はフェイクだと知ってはいるものの、なかなか慣れない。
椅子に座った穂積は、俺の存在など気にしないという風にファイルを開きかけたが、不意に手を止め、机の横に立ったままの俺の顔を見上げた。
穂積
「飲む?」
そう言って、まだ口をつけていない自分のコーヒーカップを、俺に差し出してくれる。
藤守兄
「おう、お前にしては気が利くではないか」
ちょうど喉が渇いていたので遠慮なくもらって、俺はそれを一気に飲み干した。
藤守兄
「って、ぐげぇっほげほげほ!」
何だこれは?!
藤守兄
「何だこれは!!」
穂積
「そんなに不味い?」
藤守兄
「ま、ず、い、なんてものじゃない!俺を殺す気か!」
穂積は溜め息をついた。
穂積
「言ったでしょ、ワタシ一人なの。だからー、自販機でカフェオレを買おうとしたらー、たまたま売り切れでー、仕方がないからー、給湯室にあったインスタントコーヒーの粉をカップに半分入れてー、熱湯注いで来たわけよ」
藤守兄
「言いたいことは山のようにあるが、まず、これはインスタントコーヒーの粉ではない!コーヒー豆を挽いた粉だ!」
穂積
「そうなの?」
藤守兄
「次に、湯を入れた後はせめて掻き混ぜろ!そして、粉が溶けない時点で、インスタントコーヒーではないという異変に気付け!最後に、たとえインスタントコーヒーだったとしても、カップ半分は入れ過ぎだ!!」
穂積
「……アニ、アンタ博識ね」
藤守兄
「常識だ馬鹿者!」
さっき褒めてやったばかりなのに、こいつのこの駄目さ加減はどうした事だ。
仕事は人一倍出来るくせに、それ以外の事はまるっきり……こいつの部下は大変だな。
穂積
「ところで、何の用?」
真っ直ぐに見つめられて、一瞬、返事に窮した。
そうだ、俺は穂積に会いに来たのだ。
それは間違いないのだが、悪魔のコーヒーで完全に出鼻を挫かれた。
何から話せばいいか、頭の中で言葉を探していた俺の顔をじっと見ていた穂積が、静かに口を開いた。
穂積
「もしかして、もう、櫻井判事から聞いたのかしら」
藤守兄
「ぇあ?」
濃すぎるコーヒーのせいで余計カラカラに渇いた喉から、おかしな声が出た。
今のはどういう意味だ?
そういえば、穂積は、知っているのか?
盆栽の件を通して、櫻井判事が、穂積という人間を許し、認めた事を。
その上で、娘の相手にふさわしい男だと言った事を。
……俺が、その事実を知っている、という事を?
穂積
「今日、正式に、一課から、うちの担当に移行したわよ」
………………は?
話が見えない。
穂積
「これ」
穂積は机上から、開きかけていたのとは別のファイルを、俺に向けて差し出してくる。
俺は内心の躊躇を隠し、努めて平静を装いながら、穂積の差し出したファイルを開いた。
《老人ホームグリーンヒルズにおける高齢者殺傷事件》
そこに書かれていた文字を読んだ途端、俺は、一気に現実に引き戻されていた。