水ナス検事奮戦記
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その日の終業後、俺は、櫻井を都内のレストランに呼び出した。
白井の捜索中にも何度か使った店で、雰囲気がよく、料理も美味い。
櫻井も気に入っている店のひとつだ。
いつものように櫻井の皿にサラダやオードブルを取り分けてやってから、俺は、彼女と向かい合う席に座った。
どんな話になるのか、見当がついているのだろう。
櫻井は落ち着かない様子で、しきりに座り直したり、テーブルの下の手を握ったり解いたりしている。
藤守兄
「今日、地裁で、判事に話し掛けられたぞ」
出来るだけ穏やかに話し掛けたつもりだったが、櫻井の肩がびくりと跳ね、俺に向けられた顔は、心なしか青ざめていた。
翼
「あの……父は、何て?もしかして、慶史さんに失礼な事を言いましたか?」
藤守兄
「いや……」
失礼な事を言われたとは、思わない。
藤守兄
「お前のお父さんは正しい」
俺はそう笑って見せた後、地裁で判事から言われた事を、ほぼそのままに櫻井に伝えた。
俺は、彼女に隠し事をしたくはない。
楽しい事ばかりでなく、どんな困難も悩み事も、二人で共有し、解決していきたいと思っているからだ。
櫻井もそう思ってくれているのか、彼女は俺の話を最後まで黙って聞き、深く息を吐いてから、頷いた。
翼
「……父は、いつも正しいんです。だから私、父を尊敬しています」
藤守兄
「うむ」
翼
「でも、私ももう成人したんだし、自分の将来の事は、自分で決めたいんです」
藤守兄
「…うむ」
翼
「それに、『恋愛は一人前になってから』なんて言っていても、いざその時になったらなったで、今度は『やっと一人前になったばかりで』とか『せっかく一人前になったのに』とか言うに決まってるんです」
藤守兄
「………うむ」
櫻井が、テーブルの上で、小さな手をぎゅっ、と握った。
これは彼女の癖。
気合いというか、決意というか、それを込めて、彼女は自分の拳を握る。
櫻井は、意を決したように姿勢を正した。
翼
「……実は、父が、室長のお名前を出したのには、理由があるんです」
櫻井の口からも穂積の名前が出て、俺もまた、威儀を正した。
翼
「父は、若い頃、単身赴任した鹿児島で室長と出会ってるんですが、その頃の室長はまだ子供で、かなりやんちゃで。父は、毎日のように庭先の盆栽に打ち込まれるホームランボールに辟易していたとか……その事は、前に、慶史さんにもお話しした事があると思います」
藤守兄
「うむ」
俺は櫻井に頷いて見せ、続きを促した。
翼
「ここからは、まだお話ししていなかった事ですけど……中でも忘れられないのは、一番丹精込めて育てていた盆栽を、室長に持ち逃げされた事だそうです」
確かに初耳だった。
藤守兄
「持ち逃げ?」
それは穏やかではない。
翼
「はい。父は、ずっと、その事で、室長に腹を立てていました。ところが、つい先日……ちょうど、私と慶史さんが、お付き合いを始めた頃の事です。室長が、私のいない実家に、父を訪ねて来たのだそうです」
藤守兄
「……それは、お前ではなく、判事に会いに来たという事か」
櫻井は頷いた。
翼
「室長は、父に、盆栽を届けに来たんです」
ああ、と納得し聞き流しかけて、次の瞬間、俺は、ちょっと待て!と声に出していた。
藤守兄
「その、盆栽というのは、まさか」
翼
「そうです、父が、室長に……子供の頃の室長に、持ち逃げされたと思っていた、あの盆栽です。それを、返しに来てくれたんです」
俺は、穂積の年齢から、素早く逆算した。
藤守兄
「……判事の異動が穂積の中一の春としても、……十八年だぞ?!」
なんだその途方もない年月は。
翼
「室長には、持ち逃げする気はなかったんです。その日、ホームランで割ったのが一番大切な盆栽の鉢だと知っていたので、持ち帰って鉢を直し、元通りにしてから謝って返すつもりだったのに、それが運悪く、父が別の赴任先に引っ越す前日で」
藤守兄
「……」
翼
「返しそびれた盆栽を、室長は独学で世話をして、育ててくれて。高校を出て、大学進学の為に上京してからは、ずっと、父に盆栽を返そうと奔走してくれたようです」
櫻井判事が東京地裁に配置されたのはいつからだったか。
翼
「警察官になって会いに行っても、父は室長に会ってくれない、話も聞いてくれない。室長は盆栽を抱えて、何度も、何年も、父を追い続けたそうで」
どちらも頑固だからな。
いや、頑固さだけなら、櫻井判事の方が、穂積より上かもしれない。
翼
「でも、私が警察官になって、捜査室に配属された事で、父と室長の間に接点が出来て……捜査室の評判を見聞きするうちに、ようやく、父も、室長に会う気になってくれたらしく」
藤守兄
「……」
知らなかった。
穂積も苦労してきたんだな。
確かに、事の発端を考えれば穂積が悪いんだが、判事も随分長いこと、大人げない態度をとってきたものだ。
翼
「盆栽を返された時、父は、長年、室長を誤解してきた事を反省したそうです。同時に、室長が、十八年間も盆栽を育ててくれた事に、素直に感謝したそうです」
藤守兄
「だろうな。うむ。分かる」
俺は嘆息し、腕組みをして椅子の背にもたれた。
いい話ではないか。
翼
「それで……」
メインのステーキを運んで来たウェイトレスが、まだ手の付けられていない前菜の皿をそのままにして、帰ってゆく。
俺は身体を起こすと、届いたステーキを前にしてフォークとナイフを持ち、櫻井に、熱いうちに食え、と促した。
櫻井は、まだ、拳を握ったままだ。
翼
「それで……、父は、『穂積を見直した』と」
藤守兄
「だろうな」
良かったではないか。
俺はほっとして、ようやくひと口、熱いステーキを頬張った。
翼
「それで……『結婚するなら、ああいう男にしろ』と……」
ごくり、と、肉の固まりが喉を通り過ぎる。
2800円のステーキは、石を飲み込んだような味がした。
穂積は、出来る男だ。
金髪碧眼という特殊な見た目とその美貌に加え、「緊急特命捜査室」などという警察のプロパガンダのような部署にいるせいで軽く見られがちだが、分かる人間には分かる。
オカマだの暴君だのと言われているが、その程度の悪評では、穂積の輝きは隠しきれない。
ただでさえ出世の約束された官僚候補生であるエリート、警察庁キャリアだという肩書きすら、奴には付録のようなもの。
桜田門の悪魔の異名は、相手が穂積を畏怖するが故に与えられたものだ。
俺は直接関係の無い検察庁にいるからこそ、見える。
警察官としての、穂積の資質と実力は、本物だ。
それは、認める。
だが、しかし。
不肖、この藤守慶史も、自分を本物だと信じている。
学歴でも身体能力でも、同年代の相手の誰にも引けを取らないと自負している。
もちろん、穂積に対してもだ。
片や警察官、片や検察官という違いはあるが、少なくとも今まで、自分が穂積よりも劣っていると感じた事は無かった。
それが、櫻井判事に、「穂積のように出来ないのか」と言われただけで。
櫻井の口から「室長のような男性と結婚しろと言われたんです」と聞かされただけで。
こんなにも、自信が揺らぐものだとは、思わなかった。
これではいかん。
俺は、常に完璧でなければならない。
それは、俺が俺であるために必要な条件だ。
完璧とは、No.1である事ではない。
検察官として、男として、俺が、俺に、自信を持っていなければならないという事だ。
俺は、穂積に会わなければならない。
穂積に勝つために、ではない。
俺が、俺である為に。