水ナス検事奮戦記
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翌日。
昨夜泊まった櫻井を部屋から出勤させてから、俺はいつものように、検察庁に登庁した。
自分の事務所で書類を整理した後、午後からの法廷に備えて、東京地裁に入る。
……そう言えば、今日の裁判官は櫻井判事だったか。
そんな事を考えていた俺は、通路の反対側から歩いて来た人物に気付いて、思わず足を止めた。
急いで脇に寄り、浅く頭を下げる。
普段なら、そのまま、会釈だけで擦れ違う相手だった。
が。
今日のその相手は、俺の前で足を止めると、じっ、と佇んだ。
藤守兄
「……?……」
顔を上げた俺と、櫻井判事の目が合った。
それは仕事の時と同じ、いや、それ以上に厳しい、審判者の目。
さっき思い浮かべたばかりの人物に見詰められて、さすがの俺も額にじわりと汗をかく。
櫻井判事
「藤守検察官、だね。わたしは、判事の櫻井だ」
藤守兄
「はい!もちろん、存じ上げております」
俺は姿勢を正した。
櫻井判事
「…京都大学法学部に在籍中、司法試験に合格し、卒業後すぐに研修を受けて検察官になり、2年前に東京地検に転勤になり、去年はダム建設に絡む収賄事件を解決するなど、難事件に取り組んで成果を上げてきた。現在も、ホームレス失踪事件、グリーンヒルズ事件など、複数の裁判を担当中。……Tバック仮面の事件は、別の検察官に担当を引き継いだのだったな」
櫻井判事は、すらすらと俺の経歴を諳じた。
櫻井判事
「大変に聡明で、労を惜しまず働き、行動力もある。自尊心が高く頭も少々硬いが、状況に応じて他人と協力する事も、恩情を以て被告を測る事も出来る」
藤守兄
「……恐れ入ります」
櫻井判事
「立派な検察官だ。見た目も端正で好ましい」
褒められているのに、背筋が寒くなってくるのは何故だ。
判事が息継ぎをする沈黙さえ恐ろしく、俺は掠れた声を出した。
藤守兄
「……は、重ね重ね……」
恐縮してもう一度頭を下げた俺に、櫻井判事の溜め息が聞こえた。
櫻井判事
「そのきみが何故、軽々しく、嫁入り前の娘を部屋に泊めたりする」
心臓が止まるかと思った。
藤守兄
「は、判事!その、お嬢様との件につきましては、近々、正式にご挨拶に伺うつもりでおりました!」
縋る思いで言ってみたが、判事の眼差しは冷ややかだ。
櫻井判事
「そうだろうとも。父親など後回しだろうな」
藤守兄
「そ、そそそういうつもりでは!」
ではどういうつもりだ、と訊かれて、反論に迷った。
その間に少し冷静になった判事が、俺に言い聞かせるような口調に変わる。
櫻井判事
「……藤守検察官、私は、娘が好きで付き合っている相手を悪く言いたくはない。自分の娘の不出来を、他人のせいにしたくもない。だが、きみは、娘より幾つ年上かね?」
藤守兄
「……」
判事は、深く刻まれた、自分の眉間の皺を擦った。
櫻井判事
「あれは世間を知らない。今、ようやく社会に出て、警察官としての自覚を持ち始めたところだ。恋愛などにうつつを抜かしている時ではない。きみはそうは思わないのか?たとえ、どれほど娘の方が夢中になったとしても、きみは分別のある年齢の大人なのだ。あれの成長を待って、一人前になるまで見守ってやる事は出来ないのか?…たとえば穂積のように」
藤守兄
「穂積?」
不意に判事の口から出たこの場にいない男の名前に、俺は思わず聞き返した。
判事が、ハッとしたように額から手を離す。
櫻井判事
「あ、いや。今、穂積は関係無かったな」
俺が重ねて尋ねようとするのを制して、判事は腕時計を確かめた。
櫻井判事
「引き留めてすまなかった。行ってくれたまえ」
目礼して、こちらを見つめる。
その目はもう穏やかないつもの判事の眼差しだったが、立ち去れ、と言われたようで居たたまれなかった。
藤守兄
「……失礼します。ご挨拶には、また、改めて」
櫻井判事
「改めてご挨拶などいらん」
ぴしゃりと釘を刺されてしまっては、二の句が継げない。
くるりと踵を返した判事の背中に深々と頭を下げながら、完敗を喫した俺は、がっくりと肩を落とした。