水ナス検事奮戦記
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藤守兄
「本当か?!」
それは、ニーナ王女の一行が無事に日本を離れ、穂積の脱臼もめでたく完治した頃の、とある昼休み。
櫻井からかかってきた一本の電話に、俺は思わず大きな声を出していた。
翼
『はい。父は慶史さんを我が家にお招きして、きちんと挨拶をしたいと言いました』
判事から櫻井を通して伝えられた夢のような伝言を聞き、俺は、危うく、検察庁の廊下の柱にぶつかって眼鏡を落とすところだった。
藤守兄
「そ、そうか。それは、光栄だ。というか、正直に言えば嬉しいぞ。櫻井判事が、俺を許し……いや、いやいやいやいや待て待て落ち着け俺。これはもしや孔明の罠」
翼
『もう。罠なんかじゃありませんよ。父は、慶史さんが三沢小隊を独自に調べあげて事件を早期解決に導いた努力と、検察官として下した判断とを評価したと言っているんです』
電話越しなのに、櫻井が楽しそうに笑ったのが分かる。
馬鹿者、そんな声を聞いたら、俺らしくもなく胸がときめいてしまうではないかにやけてしまうではないか。
俺は急いで自分の事務室に戻ると、誰も居ないのを確かめつつも必死に真顔を作り、言葉を続けた。
藤守兄
「第一、挨拶とは何の挨拶だ?こう見えて自覚はあるが、俺はお前のお父様には、娘よりずっと年上のくせに欲望に勝てない分別の無い親の気持ちが分からない男だと思われているのだぞ」
受話器の向こうで、櫻井がくすくすと笑っている。
翼
『そこまでは思ってませんよ。父は、基本的に慶史さんのような真面目なカタブツが好きです。大丈夫』
だから、ねっ?と可愛い声でお願いされれば、惚れた弱みで強くは言い返せない。
翼
『それとも……父に反対されたら、私たち、もう、お付き合い出来ないんですか?』
藤守兄
「そんな事はないぞ!」
若干食い気味に叫んでしまった。
藤守兄
「この藤守慶史の辞書に、やり遂げないという言葉は載っていない!」
翼
『私の辞書にも、「やり遂げる」という形でしか載っていません』
藤守兄
「良かろう!腹を据えて、受けて立とう!今日か?明日か?」
翼
『じゃあ、今夜6時頃、うちに来てください。お待ちしています』
藤守兄
「うむ」
電話を切り、静かになった部屋で一人考える。
……
……
……
はっ!!
こっ、これはもしかしてまさかのあれか、『娘さんを俺に下さい』と言わなければならないフラグなのではないか?!
……その夜、6時きっかり。
藤守兄
「ごめんください」
秒針が真上に来るのを待って、俺はインターホンを押した。
すぐに内側から扉が開いて、櫻井が顔を出してくれたのでホッとする。
翼
「いらっしゃいませ!来てくれてありがとうございます!」
母
「ようこそおいで下さいました」
続いて出てきたのは、櫻井によく似た顔立ちの、おそらく櫻井判事の奥様だ。
これまた優しげな女性でホッとする。
母
「奥へどうぞ、どうぞ」
藤守兄
「は、恐れ入ります。これは、職場の近くでは評判の菓子でして、よろしければお召し上がりください」
母
「まあ、お気遣いありがとうございます」
手土産を手渡したところで靴を脱ぎ、框に足をかけた。
新品の靴下だが、穴など開いていないだろうな。
母
「あなた、藤守さんがお見えになりましたよ」
廊下を進み、居間の襖の前で、奥様が向こう側に向かって誰何の声をかけた。
藤守兄
「藤守です。本日は、お招きありがとうございます」
俺も続けて声をかけると、襖越しに、櫻井判事の声で返事が返ってきた。
櫻井判事
「入ってくれたまえ」
返事を聞いて、奥様がお茶を入れるために台所へ下がって行く。
藤守兄
「失礼します」
襖を開けると、和室の座卓の上座に、櫻井判事の姿があった。
櫻井判事
「藤守くん、よく来てくれたな」
藤守兄
「お言葉に甘えまして」
座卓を挟んで、櫻井判事の対面に置かれている座蒲団を勧められ、俺はそこに正座した。
櫻井判事
「『グリーンヒルズ』の件では、再調査ご苦労だった。満足のいく結論を出してくれて、ありがとう」
櫻井判事は、自らにも、相手にも厳しい人だ。
このような手放しの労いは、極めて珍しい事だと言える。
櫻井判事
「穂積の部下たちもよくやってくれたが、きみの下した判断は、期待以上だった」
藤守兄
「恐れ入ります」
俺は背筋を伸ばして、頭を下げた。
なるほど。
やはり、この事件を警視庁に差し戻したのは、櫻井判事だったのだなと俺は思った。
当初の裁判資料のままであれば、弁護団の主張通り、単なる認知症の高齢者絡みの偶発的な致死事件、あるいは金子に責任能力無しとして、穏便に処理されていただろう。
櫻井判事は厳格な事で知られるが、それは、特に冤罪問題を多く扱ってきたからだ。
その経験から、今回の事件に関しても、納得いくまで調べたかったのに違いない。
藤守兄
「勉強させていただきました」
俺はもう一度、深々と一礼する。
藤守兄
「ありがとうございました」
櫻井判事
「翼」
櫻井判事の声に合わせ、俺が頭を上げるのを待っていたようなタイミングで、櫻井が茶菓子を乗せたお盆を運んできた。
菓子盆に三種の菓子が盛り合わせられている。
そのうち一種は、俺が持参したものだった。
続いて奥様が入って来て、急須から湯呑みにお茶を注いでくれる。
母
「こちらのお茶菓子は、藤守さんがお持ちくださったんですよ」
櫻井判事
「うむ、美味そうだ。……そうして並んでいるのを見ると、きみと翼は、なかなか似合いだな」
藤守兄
「ぅ熱っつい!」
翼
「きゃあっ慶史さん、大丈夫ですか?!」
櫻井判事の呟きに過剰に反応して湯呑みを落としそうになった俺は、勢い余ってお茶をこぼしかけてしまった。
櫻井が急いでハンカチで拭いてくれる。
俺とした事が。
焦ったが、櫻井判事は目を細めて俺を見ていた。
櫻井判事
「穂積も悪くないと思っていたのだがな……」
翼
「もう、お父さんったら。室長は私をそんな目で見てない、って何度も言ってるのに」
櫻井が頬を膨らませて反論した、その時。
「こんばんはー」
玄関先で、聞き覚えのある声がした。
すぐに腰を上げた奥様が出迎える声がして、明るい笑い声が聞こえてくる。
笑顔で現れたのは、穂積だった。
穂積
「お邪魔します」
まるで、出番を見計らっていたかのような 登場に、少々背筋が寒くなる。
だが穂積の方は、俺がいる事に全く驚かない。
穂積
「ようアニ、久し振り」
そう言うと、座蒲団も敷かぬまま、櫻井の隣にちゃっかり座った。
櫻井判事
「穂積、肩の怪我はもういいのか?『グリーンヒルズ』の件では、ご苦労だったな」
穂積
「ありがとうございます」
穂積は姿勢を正し、きちんと一礼した。
櫻井判事
「お前には翼が世話になった。何か礼をしなければならないと思っているところだ」
おそらく、穂積が肩を傷めてまでも櫻井の命を救った事を言っているのだろう。
穂積は「とんでもない」と手を振りかけ……不意に、悪戯を思い付いたような顔をした。
穂積
「でしたら、ひとつお願いがあります。先日お返しした、紅葉の『翼』。あれを俺に頂けませんか」
翼
「えっ?」
櫻井判事
「何だと?」
櫻井親娘がきょとんとする。
穂積
「十何年も育ててきたら、愛着が湧いてしまいましてね。そばに置いていないと、寂しくてたまらない」
櫻井判事
「し、しかし、お前、あれは……」
盆栽が唯一無二の趣味だという櫻井判事が、愛娘の名前を付けるほど大切にしている盆栽だ。
……もっとも、今まで育ててきたのは、実際にはほぼ穂積のようだが。
穂積
「いいじゃないですか、くださいよ。本体の櫻井はアニに取られてしまいそうですから、代わりに、一生大事にします」
櫻井判事
「お前という奴は……」
穂積
「おや?何故だろう肩が痛いなー?」
あまりの事に櫻井判事はワナワナと震え出したが、穂積の方は、脱臼が完治した肩をわざとらしく揉みながらうそぶいている。
櫻井判事
「……ええい、分かった!」
ついに、櫻井判事が爆発した。
櫻井判事
「『翼』はお前にくれてやる!」
翼
「えっ」
藤守兄
「えっ」
穂積
「やった!ありがとうございます!」
穂積がパチンと手を叩く。
櫻井判事
「ただし!正式に譲るのは、私があの世に行ってからだ。それまでは、今まで通り、預けるだけだからな!」
穂積
「もちろんそれで結構ですよ」
言うが早いか、穂積は早速立ち上がり、床の間に飾られていた紅葉の盆栽を抱え上げた。
穂積
「娘のように可愛がります!」
櫻井判事
「あ、こら!もう行くのか?夕飯ぐらい食べていけ!」
穂積
「そこまで野暮な真似は致しませんよ」
穂積は俺と櫻井の方を向いて笑いながら、持参した風呂敷で盆栽をさっさと包むと、それを抱えてとっとと玄関を出ていってしまった。
穂積
「お邪魔しましたー!」
まるで嵐のようだった穂積の訪問に、櫻井判事は呆れたり怒ったり。
藤守兄
「何をしに来たのだ、あいつは……」
櫻井判事
「藤守くん!」
藤守兄
「は、はいっ?!」
急に矛先がこちらに向いて、驚いた弾みに声が裏返ってしまった。
櫻井判事
「わたしは前言を撤回する!以前、きみと穂積とを比較するような発言をして、すまなかった。撤回して修正する!穂積の悪ガキに比べたら、きみの方が100倍も大人の男だ!」
同時に、がしっ、と、力強く手を握られた。
櫻井判事
「翼を頼むぞ、藤守くん!」
藤守兄
「はっ」
俺は櫻井を振り返り、その顔が輝くような笑顔に変わるのを確かめて、頷いた。
藤守兄
「はい!」