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藤守
「……うーん……」
その夜、俺は、昼間、室長に問い掛けられた言葉の意味を、湯船に浸かりながら考えていた。
心中?
言葉通りの意味やない事は、俺かて分かる。
本気で心中を考えてるなら、相手は俺やのおて、噂の小野瀬さんとやろし。
これ言うたら、室長にめっちゃ嫌そうな顔されたけどな。
藤守
「……様々な活動……迅速な対応……」
無難にこなす方法もある、て言いながら、どうも、室長は別の方法を選ぼうとしてるようや。
もしかして、試されてるのを逆手に取って、何かをやろうとしてるんやろか。
けど、それを実行する為には、室長と心中する覚悟が必要らしい……。
藤守
「……うーん……」
悪いとは思うけど、決められへん。
だって、俺、まだ穂積室長をよう知らんし。
少年事件課では使い物にならなかった俺を、歓迎してくれはったけど。
自分にもコンプレックスがある、て、打ち明けてくれはったけど。
来てくれて嬉しい、て、笑いながら机を寄せてくれはったけど。
……
……俺、いつの間にか、誰かと深く関わる事が怖くなってるんやないか?
信じた相手に裏切られて、自分の身体にも裏切られて、それで、いつまでも怖じ気づいてて愛想笑いでごまかして。
こんなヘタレな俺やけど、穂積室長は、少年事件課から請け負ってくれたやないか。
早く治せ、と病室まで迎えに来てくれたやないか。
キャリアのエリートやのに、俺なんかと心中しようと言ってくれたやないか。
……あの人が喜んでくれるんやったら、俺、もう一度ぐらい、本気でぶつかってみてもええんやないか?
失敗しても、また裏切られてもええんやないか?
そしたら今度こそ立ち直れないかもしれへんけど、もう一度、誰かを、自分を、信じてみてもええんやないか?
それで、俺を拾ってくれた室長に、少しでも恩返しが出来るんやったら。
***
翌朝、腹をくくって出勤した俺は、挨拶と同時に、穂積室長の前に立った。
すう、と息を吸い込む。
藤守
「室長。俺、室長と心中します!」
穂積
「……藤守……」
室長は、俺を見つめたまま、読んでいたスポーツ新聞を畳み、ゆっくりと立ち上がった。
穂積
「……藤守……」
藤守
「室長が、困難な方の道を選ぶんやったら、俺、どこまでもお供しま」
穂積
「藤守!!」
最後まで言い終わらないうちに、俺は、室長に抱きつかれていた。
穂積
「ありがとう、よく言ってくれたわ!」
ぎゅう、と抱き締められて、何やこそばゆい。
ああ、こんな風にひとの体温を感じるのは、いつ以来やろか。
信頼を信頼で返してもらえたのは、いつ以来やろか。
この先、どんな困難が待ち受けてるのか知らんけど、今の気持ちを忘れない限り、俺はきっと頑張れる。
穂積
「じゃあ、早速、刑事部長にその旨報告してくるわね!」
……
……
……は?!
俺は、素早く身を翻して部屋を飛び出して行きそうになった穂積室長を、すんでの所で引き止めた。
藤守
「ちょ、ちょっと待ってください!」
穂積
「何かしら。ワタシ急いでるんだけど」
俺に左腕を掴まれたまま、室長の足の爪先はまだ扉の方を向いている。
うちの兄貴も行動が早いけど、この人も大概やな!
藤守
「部長に報告する前に、俺に説明してくださいよ!」
穂積
「あら?分かって返事をくれたものだと思ったわ」
藤守
「それは、その、室長に付いて行こうと決めただけで!そしたらもっと具体的に、こう、あるでしょう?!」
穂積
「藤守」
ああ!
だから、その嬉しそうな顔と声はやめて!
藤守
「俺、今、どんな悪魔の契約を成立させてしまったんですか?」
穂積
「うまい事言うわねえ」
室長はニッコリ笑って、ようやく俺に向き直った。
穂積
「ワタシ、アンタに『緊急特命捜査室』の存在意義を説明したわよね。あ、今はまだ『特命捜査準備室』だけど」
いや、そこは今、どうでもええです。
穂積
「警察を宣伝し、警察庁と警視庁との連携を深め、事件解決の為に最善かつ迅速な対応をする。それが捜査室に課せられた命題だ、と伝えたわよね」
藤守
「はい」
穂積
「宣伝の為であれば、広報活動や交通安全教室に協力すればいいし、事件の早期解決の為であれば、刑事部全課の業務に協力すればいいの」
藤守
「おっしゃる通りです」
穂積
「『無難にこなす』とはそういう事よ」
そう言った室長がにんまりと微笑むのを見て、俺は、背中がぞくりとした。
穂積
「でもワタシは考えた」
藤守
「急用を思い出しました」
穂積
「まあ座りなさい」
室長は笑顔で、俺を俺の椅子に座らせた。
何やのこの人のこの美形に似合わない怪力。
穂積
「ワタシは考えたのよ」
藤守
「聞きたくないです!」
穂積
「ただ協力するだけじゃ、つまらない。警視庁管内の全ての場所に出入りを許され、どんな事件にも関与する権利を与えてもらい、面倒な手続き無しで他の部署とも官公庁とも連携する事が出来れば、緊急特命捜査室は、警視庁で最も汎用性と機動力のある部署になるはず。それこそが、ワタシに求められている事だと思うの」
藤守
「……志が高い……」
穂積
「それで成果を上げれば、宣伝効果も抜群でしょ?」
藤守
「……水を差すようで申し訳ないですけど、簡単に言いますと、それは、つまり……」
穂積
「まあ『何でも屋』ね」
室長はサラリと言った。
穂積
「警察庁の上層部に聞いたら、ワタシにその気があるなら、最大限の捜査権限を与え、全ての部署との連携体制も整えてくれると言ったわ。……でも、こういう事はやっぱり、部下になる人間の意見も聞かないと。ねっ、そうでしょう?」
熱い思いを滔々と話す室長を前に、俺は、自分の身体から血の気が引いて行くのを感じた。
穂積
「だから、藤守が賛成してくれて、力になると言ってくれて、捜査室の方針が決まったわ。ありがとう、藤守!やる気のある部下で、ワタシ、本当に嬉しいわ!」
藤守
「喜んでもらえて嬉しいです!けど、俺、そこまで言うてません!」
穂積
「少年事件課の課長から、100円でアンタを買い取って良かったわ!」
藤守
「その裏取引の話、冗談やのおて実話なんですか?!」
穂積
「じゃあ改めて、刑事部長にその旨報告してくるわね!」
藤守
「待って!」
穂積
「駄目だったら約束通り心中しましょう、藤守!」
藤守
「やーめーてー!!」
***
藤守
「……という事があったわけや」
翼
「つまり、捜査室が今のような何でもすぐやる『雑用室』になったのは、賢史くんの『やります』の一言があったからなんだね」
藤守
「俺、『やります』言うてへん!」
俺はテーブルを叩いた。
今、レストランで俺と向かい合わせに座っているのは室長やなくて、捜査室の同僚であり、恋人になったばかりの翼。
翼
「でも、良かった。室長と賢史くんが、心中するような羽目にならなくて」
藤守
「阿呆。今でこそ笑い話やけどな、お前が入ってくる前、捜査室は殺伐としてたんやで。明智さんと小笠原は超マイペースやし、室長は成果を上げるために無理難題を引き受けてくるし、俺と如月はその室長に毎日怒鳴られて引っ張り回されて息も絶え絶えやし」
翼
「うふふ。でも、その頃の話をする賢史くん、楽しそうだよ」
翼の笑顔を見ながら、俺は、あの頃の事を思い出す。
確かに、必死やったけど、無我夢中やったけど、楽しかった。
特に、室長と二人きりだった頃、へとへとになるまで東奔西走して、毎日のように口論して、毎晩のように酔いつぶれるまで飲んで、交互に自宅を行き来しては泣いて怒って笑い合ったあの濃密な時間は、忘れようとしても忘れられへん一生の思い出や。
翼
「もし、もう一度、その頃に戻ってやり直せるとしても、賢史くんはやっぱり、室長と走る困難な道の方を選んだと思うよ」
俺の表情を見ていた翼が、そう言って笑った。
翼
「だって、賢史くん、この頃、溜め息なんてつかないもん」
俺もそう思う。
あれから、俺は、少年事件課を離れるきっかけになった奴らとも再会してまた辛い思いをしたし、危険な目にもたくさん遭った。
けど、一度も、本気であの時の選択を後悔した事はない。
この先、出世してゆく室長と、いつまで一緒におれるのかは分からへん。
けど、きっと室長と別れたとしても、捜査室が解散したとしても、俺はその後も走り続ける。
俺の魂は、桜田門の悪魔に、100円で買い取られてしまったんやから。
走り続けなあかんねん。
あの時の、あの誓いが色褪せない限り。
~END~
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