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~藤守vision~
藤守賢史。
警視庁生活安全部少年事件課の警察官。
昨日まで、それが俺の肩書きやった。
藤守
「……はあ……」
何があかんかったんやろ?
俺はまた、溜め息をついていた。
最近、しょっちゅう溜め息をついているような気がする。
くよくよと悩んでしまう性格は、子供の頃からや。
生まれた時にはもう、俺には秀才の兄貴がおった。
出来の良い兄貴は自慢でもあったけど、あまりにも出来が良過ぎるっちゅーねん。
男前でスポーツマンとかミスター北高とか偏差値90とか、何やねん。
おかげで、平凡な俺は肩身が狭かった。
それでも俺なりに頑張って、なりたかった警察官になって。
配属された少年事件課で、毎日毎日不良少年やらヤンキー娘やらを追いかけて走って走って。
「部活の時代から、お前は汗だくになって走るのだけは得意だからな」なんて、兄貴に馬鹿にされたりもしたけど。
補導したやつらの身の上話を聞いて、叱ったり褒めたり励ましたり一緒に泣いたりしていると、だんだん打ち解けてくれるのが嬉しかった。
サボりがちだった学校に行くようになった、とか、タバコやめたよ、カタギになったんだ、就職できたのアンタのおかげ、なんて言われれば、もう、泣きたいぐらいに幸せやった。
警察官になって、少年事件課に入って、本当に良かった、そう思ってた。
けど、俺は、勘違いしてた。
俺が信じれば、相手もみんな心を入れ換えてくれると信じてたんや。
飲み屋で暴れた未成年たちを補導した時も、だから、将来の為に、出来る限り軽い処分で放免したつもりやった。
そいつらが、後に、三人もの女性に性的暴行を加え、自分達の将来どころか、他人の人生までめちゃくちゃにするような重い罪を犯してしまうやなんて、考えもせずに。
藤守
「……はあ……」
胃が痛い。
胃潰瘍は治ったはずやのに、退院したばかりやのに。
藤守
「……はあ……」
俺はもう何回目か分からない溜め息をつきながら、今日から配属される、刑事部のある階に辿り着いた。
刑事部の廊下は、殺気だった刑事たちが怒鳴り声とともに行き交っていて、不謹慎やけど、まるでドラマみたい。
忙しそうな人達の邪魔をしないように気を付けながら進んで、新設されたというセキュリティゲートを前もって用意させられた承認手順で抜けると、初めて入ったその先は、いきなり、静まり返った無人の廊下やった。
振り返れば、後ろの廊下はやっぱり殺伐としていて騒々しいのに。
藤守
「……はあ……」
なんで俺、こんな所におるんやろ?
少年事件課におったら、俺かて、さっきの人達みたいに、命令を受けて、忙しく走っていたはずや。
もしかして俺、あの失敗のせいで、こんな離れ島みたいな部署に飛ばされてきたんやろか。
ヒマでヒマでヒマで、もう辞表書いて辞めなあかんような職場やったら、どないしよう。
逆に、毎日毎日毎日えげつない事件ばかりで、もうモツ煮込みが食えんようになってしまったら、もっとどないしよう。
藤守
「……はあ……」
頭の中が忙しいせいで重くなる足取りをなんとか持ち上げて、俺は、俺の新しい配属先となる部屋の扉を見上げた。
『刑事部 特命捜査準備室』
このビミョーなネーミング。
ああ、やる気出えへんわ……
その時やった。
刑事A
「フジケン!」
聞き覚えのある声に渾名で呼ばれて振り向けば、同期入庁で、刑事部に配属されていた連中が、笑顔で手を挙げていた。
刑事A
「なんだお前、今度はそこに入るのか?」
藤守
「そうやねん」
見知った顔に出会えて、俺もちょっとだけ笑顔になれた。
刑事B
「室長が悪魔でオカマらしいから、食われないように気を付けろよ!」
藤守
「入る前から不吉な事を言うなや……」
刑事A
「そもそも、そこ、何を扱う部署なんだ?」
藤守
「俺もよう知らん」
答えながら、俺は首を傾げた。
本当によう知らん。
異動は俺が胃潰瘍で入院している間に決まった事やった。
少年事件課の課長は冗談か本気か、『100円の缶コーヒーと交換で、お前を穂積室長に譲ったから』としか説明してくれへんかった。
その穂積室長とも、病室に見舞いに来てくれはった後は、退院してから、セキュリティゲートの登録をする為に必要な書類を少年事件課まで届けてくれはった時に会うたきりや。
女性職員たちからは羨ましがられたりしたけど。
正直、あの人の事もよう分からん。
藤守
「大丈夫や、たぶん俺、あの人のタイプちゃうから!」
穂積
「そうでもないわよ」
ふっ、という吐息とともに背後から耳元に囁かれ、突然の事に俺は悲鳴を上げた。
藤守
「ぅひゃああっ!」
穂積
「待ってたわ、藤守」
なんちゅう色気のある声出すねん。
それに、なんやからそんな嬉しそうな顔してますのん。
こんな間近で、肩に手を置かれてそんな高揚した顔見せられたら、俺、ドキドキしてまうやないですか。
藤守
「……もしかして、本当に、俺を待ってて下さったんですか?」
穂積
「もちろんよ。今日アンタに会えると思ったら、ゆうべは楽しみで眠れなかったわ」
頬を桜色に染めた穂積室長が、弾んだ声で言いながら大きく頷く。
……俺、ホンマに食われるんちゃうやろか。
そろそろと視線だけを後ろの同期刑事たちに送れば、並んでこちらを見ていた二人は、俺に向かって静かに合掌していた。
***
穂積
「ここがアンタの席。あっちがワタシの席」
特命捜査準備室の中には、キャビネットの他には、室長と俺の机と椅子しか無かった。
藤守
「……あのう、もしかして、二人きりですか?」
穂積
「そうよ。寂しければ、アンタの机とワタシの机をくっつけてもいいわよ?」
たぶん本気で言うてくれてるのが怖い。
藤守
「基本的な質問をしてもよろしいでしょうか?」
穂積
「何かしら」
室長は小首を傾げた。
藤守
「ここは何をする部署なのですか?」
穂積
「緊急の特命を捜査する為の部署よ。今はその準備段階だから、『特命捜査準備室』」
明快すぎる。
藤守
「では、その『特命捜査準備室』で、自分は何をすればよろしいのでしょうか」
俺が食い下がると、室長は俺の言葉の続きを遮って、眉をひそめた。
穂積
「その前に、その、気持ち悪い発音の標準語をやめてくれないかしら」
気持ち悪い、って……裏声でオネエ言葉の室長に言われるの、ちょっとショックなんですけど。
穂積
「さっき、部屋の外では関西弁だったじゃないの。あの方がいいわ、あれで喋ってちょうだい」
藤守
「実は、東京で関西弁喋るのが、けっこうコンプレックスでして……」
穂積
「ワタシなんか鹿児島よ。本気出したら通訳が要るわよ」
藤守
「……え?鹿児島ですか?!てっきり、ハーフの帰国子女かと思うてました」
穂積
「厳密に言うと、祖父が外国人だからクォーターね。でも鹿児島生まれ。何?アンタ、コンプレックスでワタシと勝負する気?」
室長の言葉に、俺はハッとした。
穂積室長は桁外れにキレイな顔立ちの人で、髪の色から肌の色から目の色まで、外国の血が入っているのは一目で分かる。
それやのに、生まれつきの日本人でオカマやとしたら、今までの人生、どれだけの偏見と戦ってきたか、計り知れへんやないか。
穂積
「……後半は失礼な事を考えていたようだけど、不問に付しましょう」
藤守
「すんませんでした」
何で心を読まれてるねん俺。
穂積
「分かればいいのよ。ちょっと、そっち持ちなさい」
そう言うと、室長は本当に俺の机を運んで、自分の机と向かい合わせにくっつくように置き直した。
二人してそれぞれ自分の椅子に腰掛けたところで、室長は改めて口を開く。
穂積
「では、さっきの質問の答えだけど」
藤守
「はい」
室長の真正面に座らされる形で、俺は姿勢を正した。
穂積
「『緊急特命捜査室』が開設される目的は、ひとつ、警察の宣伝として」
意外な話だった。
藤守
「へ?宣伝、ですか?」
穂積
「そう。警察の仕事を、一般の方に分かりやすく伝える為、目につく場所で、様々な活動を行う事」
藤守
「様々な活動」
穂積
「もうひとつは、警察庁と警視庁との連携を深め、事件解決の為に最善かつ迅速な対応をする事」
藤守
「迅速な対応」
穂積
「そう。それが、ワタシの受け取った任命書に書かれていた、『緊急特命捜査室』の存在意義よ」
藤守
「室長」
俺は片手を挙げた。
穂積
「ハイ藤守くん」
藤守
「すんませんけど、おっしゃってる内容が漠然としていて、よう分かりません」
穂積
「アンタ賢いわ」
叱られるかと思ったら褒められて、俺はちょっと拍子抜けした。
室長はそんな俺の様子を見て、少し悪戯っぽく微笑んだ。
穂積
「正直に言いましょう。これはね、ワタシが、上層部に試されているんだと思うの」
藤守
「試されてる?……室長が、ですか?」
穂積
「だから漠然としているのよ」
ますます分からない。
穂積
「ねえ、藤守」
試されている、と言いながらも、穂積室長はなんだか楽しそうやった。
穂積
「アンタはどう思う?」
藤守
「へ?」
机の向こうで、室長は、子供がよくそうするように、くるり、くるりと椅子を回した。
穂積
「上層部からの命令を文字通り、無難にこなして良しとするやり方もあるわよね。でも、ワタシは欲が深いの」
藤守
「……あの、まだ、よう分からんのですけど……」
口ではそう言うたものの、俺の胸の内では、じわじわと何かが形を作ろうとしている。
室長が、椅子を回すのを止めて、俺に顔を向けた瞬間、その何かは、不安という名の確信に変わった。
穂積
「アンタ、ワタシと心中する気はある?」