恋人の日・明智編
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食事の後、(色々な意味で)身も凍るような肝試しが終わり、室長と山田くんが豪快な手筒花火を(普通に)披露してくれて、この夜のイベントは終了した。
小野瀬さんと小笠原さんは混雑するテントを避け、車中泊すると言って、早々に小野瀬さんの車に退散して行った。
その他の男性陣は、昼間のうちに設営した大型テントに、5人で雑魚寝するという。
山田くんは勤務時間が終了したのか、いつの間にか完全に姿を消していた。
山田くんて、悪い人じゃないんだけど、変な人。
私の事、「お嬢さん」とか「マルガレーテ」なんて呼ぶの。
それに、急に迫ってきたり、私だけにアイスをくれたり。
そのくせ肝試しでは脅かし役の室長とタッグを組んで、川の冷水を仕込んだ水鉄砲で全員を狙撃してみたり。
本当に、キャンプ場の従業員なのかしら。
穂積
「櫻井、ハイこれ」
室長が、私に自分の車のキーを貸してくれた。
室長の車はフルフラットになるから楽に寝られるし、ドアロックをすればテントより安全だという事で、最初から室長が提案してくれていたのだ。
そして、この条件のおかげで、今回、私は父親にキャンプ参加を許可してもらえた。
翼
「ありがとうございます」
たくさんの意味を込めて、私は室長にお礼を言った。
穂積
「タオルケットの他に、寝袋と毛布も積んであるから。風邪をひかないようにして寝るのよ」
小さい子に言い聞かせるような口調で、室長が頭を撫でてくれる。
翼
「はい」
穂積
「いい子ね。ゆっくりおやすみなさい」
思わず見惚れるほど優しい顔で私に微笑んでくれてから、室長は、テントに向かいかけていた4人の男性を振り返った。
穂積
「……いいか、てめえら」
突然、室長の声が低くなった。
穂積
「特に、アニ。これ以降、朝7時まで、こいつが寝てる車の半径10メートル以内に近付くんじゃねえぞ」
凄みのある男の声でそれだけ言うと、室長は、また、突然おネエ言葉に戻った。
穂積
「分かったわね?約束したわよ?」
私からは、室長の背中しか見えない。
けれど、明智さんや慶史さん、それに藤守さんと如月さんたちの顔色も、みるみる青くなっていく。
明智
「……はい」
藤守兄
「お、俺がそんな非常識な行動をするはずがなかろう!」
藤守
「……今の、『約束』ちゃうよな」
如月
「完全に『命令』ですよね……」
穂積
「文句あるの?」
全員
「ありません!」
穂積
「よろしい」
きっと今、室長は、目も眩むような美しい笑顔を浮かべているはずだった。
実の父より厳しいかもしれない室長のガードが功を奏して、私はようやく一人、車の中で静かな夜を満喫していた。
窓からはたくさんの星が見え、虫の音が聴こえてくる。
けれど、しばらくすると、自分だけの静寂が少し怖くなってきた。
間を雑木林が隔てているものの、この車と室長たちのいるテントとは、おそらく、300メートルと離れていない。
窓を開けて耳を澄ませば、藤守さんや如月さんの大きな声が聴こえてきそうだった。
でも、窓を開けたら、その隙間から幽霊が忍び込みそうな気がして。
車内の暗闇から、妖怪がじっと隙を窺っているような気がして。
こんな事なら、みんなと一緒のテントにしてもらえば良かったかなあ。
そうも思ってみたけれど、それでは、キャンプに参加する事すら出来なかったはず。
仕方なく一人寝の覚悟を決めたものの、みんなの顔を思い浮かべた後では、たまらなく、独りが心細くなってしまった。
私は携帯を取り出して、明智さんに空メールを送った。
これは、周りに誰かがいる時のために予め決めた、2人の間のルール。
彼がメールに気付いてくれる事、そして、他の人に気付かれないように抜け出してきてくれるよう、私はバーベキューの神様に祈った。
メール発信から、5分ほど経った頃。
星明かりだけの暗闇の中で目を閉じ、口の中でお念仏を唱えていた私の耳に、車の窓を叩く、微かな音が聴こえた。
明智
「櫻井」
心配そうな響きを含んだ、けれど、落ち着いた低い声。
来てくれた!
ほっとして、胸が熱くなる。
翼
「明智さん……」
身体を起こして返した私の声は、涙声になってしまった。
明智
「窓を少し開けてくれるか」
ガラス越しの囁くような声に、私は急いで車のキーを差し、エンジンを掛けずに窓だけを開ける。
明智
「どうした?」
翼
「ごめんなさい。……心細くなっちゃって……」
明智さんは、そうか、と頷いた。
明智
「ルームライトのスイッチを切ってから、ドアを開けてくれ」
私は言われた通りにした。
暗闇の中で、明智さんが私の手を引いて、車の外に導いてくれる。
川からの夜風が気持ちいい。
真っ暗なのに、明智さんが手を繋いでくれているだけで、少しも怖くない。
明智
「……こんなに静かなら、心細くもなるよな。俺たちのテントなんか、半数寝てても騒がしいぞ。如月は大イビキだし、藤守兄弟は何故かケンカしてるし、蚊は入って来るし。あの中ですやすや寝ていられる、室長の神経が羨ましい」
溜め息混じりで私に囁く明智さんの説明に、現場の状況を思い浮かべて、私はつい笑ってしまった。
明智さんも、笑い返してくれる。
明智
「目が慣れてきたら、少し、歩くか?」
翼
「はい」
私たちは、のんびりと歩き出した。
明智
「……今日は、すまなかったな」
翼
「え?」
明智
「舌。もう、大丈夫か?」
明智さんが口を開けて僅かに舌を出し、自分で指差す。
普段見る事の無い仕草にちょっと嬉しくなりながらも、すぐに昼間の出来事を思い出して、私は恐縮した。
翼
「はい。お騒がせして、すみませんでした。もう、全然平気です」
明智
「そうか。大した火傷じゃなくて、良かった」
安心したように笑った明智さんの歩みが、ゆっくりになり、やがて、足が止まった。
翼
「?」
明智
「……じゃあ、いいかな」
翼
「はい?」
振り返って私に向き直った明智さんが、長身を屈めた。