右腕
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~明智vision~
室長。
覚えていますか。
あの日もこんな雨でしたね。
命令に従って撃った籠城犯が、高校時代の親友だった。
何故あいつがそんな事件を起こしたのか理解出来なくて、それなのに撃ってしまった自分がもっと理解出来なくて、俺は引き金を引けなくなった。
拳銃を構えれば手が震える。
記憶が蘇って叫びたくなる。
銃を撃てない狙撃手など、SAT(特殊急襲部隊)にとっては役立たず以外のなにものでもない。
俺は療養という名目で隊の任務から外されたが、皮肉にも、SATのエースだったという肩書きが邪魔をして、異動もままならない。
かつての同僚たちの視線が俺を蔑んでいるようにしか思えない疑心暗鬼と、情けない自分に対する自己嫌悪とに苛まれて眼だけを異様にぎらつかせながら、針の筵の上にいるような毎日に留まるしかなかった。
そんな俺を拾ってくれたのが、室長だった。
新しい部署を立ち上げる。
俺の右腕になって欲しい。
そう言って、頭を下げてくれた。
銃なんか撃てなくていい。
そうも言ってくれた。
雨の日だったのに、雲の切れ間から、金色の光が射し込んだような気がした。
室長。
あなたは笑うかもしれない。
忘れたと嘯くかもしれない。
でも、あの時、あなたが俺を必要としてくれた事が、ただそれだけの事が、俺にとってどんなに嬉しかったか、お分かりになりますか。
居場所を得て、仲間を得て、時を経て、やがて俺は、あの時の親友の思いも知った。
SATの隊員のままでいたら、犯行の動機を調べる事は出来なかっただろう。
緊急特命捜査室の捜査員になったからこそ、事件の全容を知り、親友の真実を知り、理解する事が出来た。
手の震えも、悪夢も止んだ。
俺は、室長に救われた。
SATから復帰を打診されたが、断った。
俺はもう捜査室の人間だ。
自分に、誰かの役に立てる力があるのなら、捜査室と、室長の為に使いたかった。
いつまででも。
まだ捜査室の頭数も揃わない頃から、室長が俺と飲む時はいつも同じ、新橋のガード下だった。
二人とも未だに煙草を吸うので、同年代より上の酒飲みたちが集まるこの辺りの雑然とした雰囲気が、気楽で好ましかったからだ。
カウンターに並んでビールをちびちび飲む俺の隣で、室長は水を飲むように、焼酎の杯を重ねていた。
解散の内示が出た、と、室長が呟いた。
そうですか、と、俺は応えた。
何だか急に、頭の上を通り過ぎる電車の音が遠くなったように感じた。
明智すまん、と、室長が呟いた。
何を謝るのだろう、と、俺は思った。
確かに俺たちは今まで、解散の噂を聞くたびに浮き足立ち、そういうものだと諭す室長に、聞き分けの無い子供のように縋ってきた。
藤守など、嫌だと声を荒らげる事さえあった。
だが、緊急特命捜査室は、期間限定の試験的な部署だった。
いつか解散し再編成される日が来るのは、最初から分かっていた事だった。
室長には感謝こそすれ、謝られる事などひとつも無い。
俺だけじゃない。
他の部署では厄介者だったり、才能を持て余していた者ばかりだった俺たちを、室長がまとめあげ、ここまで導いてくれた。
全員が、室長に救われた。
それを伝えようとして、室長の横顔を見た時に、俺は息を飲んだ。
室長の睫毛が濡れていた。
すまん、と室長がもう一度言った時、涙が零れた。
すまん、明智。
こんな顔、お前にしか見せられない。
そう言った声が、肩が、震えていた。
室長。
俺は自惚れていいですか。
あの時、あなたを支えていたのは、鑑識にいる親友ではなく、伴侶となる恋人でもなく、あなたが、自分の右腕と呼んでくれていた、この俺、ただ一人だけだったのだと。
月日が満ちた、今日。
最後の仕事だと前置きをして、全員に正式な辞令を手渡した室長の睫毛は、もう濡れてはいなかった。
真っ先に俺の名前を読み上げた声も、肩も、もう、震えてはいなかった。
室長。
この先、あなたがどんなに高く遠い彼方へと駆け上がって行ってしまっても、俺は、忘れずにいていいですか。
あなたが、初めて俺の手を堅く握り締めてくれたあの日の事を。
よく通る声を、肩を抱いてくれた温かい掌を、いつも前を歩いていた頼もしい背中を。
指図を出す真剣な顔を、悪戯好きの子供のような顔を、輝くような笑顔を。
あなたが、俺の名前を呼びながら酔いつぶれたあの夜の事を。
あなたが俺と過ごしてくれた時間の全てを、俺に見せてくれた表情の全てを、最後に俺だけに見せてくれたあの涙を、胸に焼き付けて、覚えていていいですか。
室長。
最初から知っていました。
いつかはこの日がやって来ると。
室長。
こう呼ぶのも最後ですね。
今日まで一緒にいられて、幸せでした。
忘れません。
……ああ、雨ですよ。
あの日もこんな雨でした。
俺たちの旅立ちは、いつも雨ですね。
~END~
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