恋人の日・明智編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
翌朝。
明智さんの事は気掛かりだったものの、昨夜、小野瀬さんと入れ替わりに車に戻って来てくれた室長は穏やかで温かくて、私は、いつの間にか安心して寝入ってしまったらしい。
目覚めた時にはもう室長は隣にいなかったけれど、車は外からロックされていて、どこからか賑やかな話し声が聴こえてきていた。
明智さんはどうなったんだろう。
それに、もう、朝食の準備が始まっているのかしら。だったら急がないと。
私は慌てて身支度を整え、車を降りて、声のする方に向かった。
翼
「あっ」
早速、一番気になっていた明智さんの姿を発見して、私はホッと胸を撫で下ろした。
明智さんはバーベキューコンロに向かって、網一面に乗せた、大量のおにぎりを焼いている。
翼
「明智さん、おはようございます!」
私は明智さんに駆け寄って、元気よく挨拶してから、声を潜める。
翼
「……あの後、大丈夫でしたか?」
ところが、振り向いた明智さんの顔を見て、私は仰天した。
顔だけではない。首といわず腕といわず、とにかく、身体じゅう、蚊に刺された跡が残っている。
見ているこちらがむず痒くなりそうだ。
翼
「ど、どうして」
焼けたおにぎりに端から刷毛でお醤油を塗りながら、明智さんは、ぽりぽりと首筋を掻いた。
明智
「……一晩中、木に吊るされてたからな……」
翼
「ええっ?!」
明智
「夜明けに解放されたばかりだ」
誰に吊るされたのかは、聞かなくても分かるけど。
明智
「……まあ、その程度の罰で済んで良かったよ。お前と別れろ、なんて言われたら、どうしようかと思った」
明智さんが苦笑いした。
そう言われたら、私も笑って頷くしかない。
そこへ。
穂積
「おはよう、櫻井。よく眠れた?」
如月
「翼ちゃん、見て見て!」
室長と如月さんの二人が、それぞれ大きな虫かごを抱えて、ニコニコと歩いて来た。
かごの中には、艶々した立派なカブトムシや、勇ましいクワガタがいっぱい。
翼
「わあ!凄い!」
如月さんが胸を張る。
如月
「でっ、しょー?室長の仕掛けが大成功でね!」
穂積
「昔とった杵柄だわね」
翼
「私、こんな間近で本物を見たの、初めてです」
如月
「そうなの?じゃあ翼ちゃん、ちょっと、1匹持ってみる?」
如月さんと並んで虫かごを覗いてはしゃいでいると、シャツの裾から手を入れ、背中をボリボリかじりながら、藤守さんが歩いて来た。
如月
「藤守さん、おはようございます。寝不足ですか?」
藤守
「誰のせいや思てんねん……」
如月
「?」
如月さんは不思議そうな顔をして、首を傾げた。
藤守さんはげんなりしている。
藤守
「お前は高イビキやし、明智さんは何やうなされてウンウン唸るし、蚊はワンワン入って来るし、アニキは俺を起こして、蚊を退治せえ言うし」
小笠原
「やっぱり、車に逃げて正解だったみたいだね」
小野瀬
「だね」
駐車場の方から歩いて来た小笠原さんと小野瀬さんが、話に加わった。
小野瀬さんの顔を見て私は思わずドキリとしたけれど、小野瀬さんは、こっそりウインクをひとつ送ってきただけ。
むしろ、ピンチは、その直後に訪れた。
藤守兄
「穂積!明智ー!!」
突然、怒鳴り声とともに、どんがらがっしゃん、という大きな音がした。
全員が、一斉にそちらを振り向く。
そこでは慶史さんが、室長の私物である一斗缶に片足を突っ込んで、派手にひっくり返っていた。
穂積
「あぁら、アニ。おはよう。相変わらず鳴り物入りの登場ねえ」
小笠原
「捜査室なら、ドアをバターンっていわせてるところだけど」
藤守
「野外ではそのネタがあったか!やるやないか、アニキ!」
藤守兄
「アホぅ!」
慶史さんはガバッと起き上がり、目を吊り上げた。
藤守兄
「それより穂積!明智!貴様ら、昨晩どこにいた?!」
真っ先に飛び上がったのは、実は私。
藤守
「アニキ、何を言うてんねん?二人とも、テントに居ったやん」
藤守さんが怪訝そうに言ったけれど、慶史さんは相手にしない。
藤守兄
「お前は、寝ぼけたままでイビキや蚊の大群と戦った後、疲れて寝てしまったから知らないのだ。その後、明智と穂積はテントを出ていった。そして、なんと朝まで帰って来なかったのだぞ!」
ビシッ、と自分の口で擬音を発して、慶史さんは、とりあえず手近に居た明智さんを指差した。
藤守兄
「怪しい。実にアヤシイ。俺にはあいにくテントの中に居続けなければならない重大な理由があって、外に出てまで後をつける事は出来なかったが」
藤守
「外に出ると、アニキの苦手な空飛ぶ虫がぎょうさん居るからやろ」
藤守兄
「やかましいぞ愚弟!……明智!現在、お前には、『昨夜、そこにいる見習い2年目の女の元に忍んで行った疑惑』がかけられている!」
藤守
「えっ」
如月
「まさか」
藤守兄
「こいつはムッツリだからな、油断ならん」
慶史さんはほくそ笑んだ。
藤守兄
「さあ、明智。潔白だと言うのなら、申し開きをしてみせろ!!昨夜、どこにいたのだ?!」
明智
「う……」
全員の注目を浴びて、明智さんの顔色が変わった。
残念ながら、彼は正直者で大根役者なので、この手のアドリブに大変弱い。
が。
穂積
「……ふふふ」
藤守兄
「む?」
穂積
「は、あっはっはっはっ!」
室長の高笑いが、一同の視線を一気に引き戻した。
穂積
「我々二人の隠密行動に気付いていたとは。なかなかやるわね、アニ!」
持っていたカブトムシの虫かごを如月さんに押し付けながら、室長が、ずい、と歩み出た。
朝陽を浴びて輝く金髪。天下無敵のその美貌。
明智さんを背にして慶史さんの正面に立ちはだかり、自信満々に笑みを浮かべるその姿は、まさに千両役者。
穂積
「バレたのなら仕方がないわ。明智!」
明智
「は、はい」
室長は明智さんの腕をぐいと掴むと、身体ごと、慶史さんの前に押し出した。
穂積
「アニ、明智のこの姿を見なさい」
藤守兄
「え?……うわっ!な、何だ?どうしたんだ、その虫刺されの跡は!」
虫の苦手な慶史さんが、思わず呻いて後ずさる。
穂積
「明智は昨夜、このワタシの手によって、一晩中木の枝に吊るされていたのよ。カッパを誘き寄せる為のオトリ、いや、エサとしてね!」
明智
「あっ」
翼
「えっ?」
全員
「えええっ?!」
室長は悔しそうに、大きな溜め息をついた。
穂積
「残念ながら、カッパは食いつかなかったけど」
藤守兄
「カッパだと?……穂積、貴様……、本当に、明智でカッパを釣るつもりだったのか?」
穂積
「やっぱり、エサの選択を間違えたかしら。明智は肉が硬そうだもんねえ」
藤守兄
「そこじゃない!本気で、部下を一晩中木に吊るしたのか、と聞いてるんだ!」
穂積
「もちろん大真面目よ。この、痛々しいロープの跡が見えないの?」
明智さんの手首にはくっきりと縄目がつき、紫色に腫れ上がっている。
藤守兄
「……ほ、本当だ……」
慶史さんが納得すると、全員が安堵の息を漏らした。
如月
「なーんだ。やっぱり、お兄さんのいつもの妄想かあ。明智さんが、室長命令に背いてまで、夜這いなんかするわけないもんね」
藤守
「当たり前やろ。第一、キャンプ場でそんな事したら、公然わいせつやで」
小笠原
「刑法174条。罰則は6ヵ月以下の懲役もしくは30万円以下の罰金。……て言うか、むしろ室長の行為の方が重罪じゃない?」
藤守さんが、うーん、と唸った。
藤守
「吊るされた明智さんには気の毒やけど、確かに、カッパがいそうな川ではあるわな」
如月
「カッパのエサはキュウリじゃないんですか?」
小笠原
「肉食だという説もあるよ」
話題が明智さんの昨夜の所在からどんどん逸れてゆく。
私が内心それを歓迎していると、突然、慶史さんが話題を引き戻した。
藤守兄
「貴様ら、カッパに理解がありすぎだ!……まあ、いい。明智のアリバイは認めてやろう。……個人的に同情するしな」
明智さんが、ひそかにホッと息を吐く。
慶史さんは一つ咳払いをすると、さっきまで室長のいた場所に向き直って、また「ビシッ」と言った。
藤守兄
「では!穂積!!貴様は昨夜どこにいた?!」
けれど、室長はもう、そこにはいない。
藤守兄
「あれ?」
穂積
「ワタシ?」
いつの間にバーベキューコンロの前に移動したのか、焼きおにぎりを頬張りながら、室長が首を傾げた。
藤守兄
「貴様!尋問の途中だろうが!おにぎり喰うな!」
如月
「あっ、室長ズルい!」
穂積
「早く食べないと焦げちゃうわよ」
もぐもぐしながら、室長は、私や小笠原さんにも、一つずつおにぎりをくれる。
藤守兄
「穂積!……貴様、ますます怪しいぞ!明智に比べ、貴様には虫に刺された跡がない。昨夜、どこにいたんだ!」
室長は私に微笑んでから、慶史さんに向き直った。
穂積
「ワタシはワタシの車に居たわよ」
藤守兄
「な、何だと?!」
室長は平然と答えたけど、聞いた方の慶史さんは、途端に真っ赤になって狼狽した。
藤守兄
「だだだだが、お前のく、車には、そ、そこの、見習い2年目の女が……」
穂積
「居たに決まってるでしょ。この子が心配で見に行ったんだから」
藤守兄
「し、しかし」
穂積
「ワタシは昨夜、言ったわよね」
室長は慶史さんを制し、全員の顔を見渡しながら、不意に、声色を変えた。
穂積
「『これ以降、朝7時まで、こいつが寝てる車の半径10メートル以内に近付くんじゃねえぞ』」
如月さんや藤守さんが「言いましたね」「確かに」と頷くと、室長は、にっこり笑ってオカマに戻った。
穂積
「アンタたちはそれを聞いている。小野瀬は小笠原が見張っている。だから、誰も車に近付かないはず。でも、誰か足りなくない?しかも、かなりアブナイのが」
全員がハッとした。
全員
「山田!!!」
穂積
「そう。しかも、アイツにはワタシの命令に従う義理はない。だから、警戒が必要だと判断したのよ」
神出鬼没の山田くんの名前が出た事で、説得力が増した。
彼は昨日、何度も声をかけてきたり、アイスで懐柔しようとしてみたり、私に対して、度々ちょっかいを出してきていたから。
穂積
「おまけに、この子は怖がりで泣き虫だしね。だから、職場のお父さんとして、朝まで同じ車内に居ただけ。ね、櫻井」
藤守兄
「ほ、本当か?穂積に不埒な真似をされなかったか?」
翼
「はい。熊が出ても幽霊が出ても守ってくれるとおっしゃいましたから、私、安心して眠れました」
慶史さんはまだぱくぱくしていたけれど、私が室長の言葉を肯定するように何度も頷いたので、どうやら、それ以上の追及を諦めてくれたみたい。
室長が、ぱんぱん、と手を叩いた。
穂積
「さ、スッキリしたら朝食よ!」
全員
「はーい!いっただっきまーす!」