涙とケーキ
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~明智vision~
俺は最初、彼女が刑事になる事には反対していた。
女性は弱いから、などという短絡的な理由ではない。
母、そして三人の姉がいる俺にとって、女性とはむしろ強いものだ。
そうではなく、警察の業務に関しては、男性向きの仕事、女性向きの仕事があると考えていたからだ。
刑事の仕事は不規則でかつ過酷。
担当する事件に左右されるため、勤務時間ひとつ取っても、早朝から深夜まで、はては徹夜が続く事も日常茶飯事だ。
中でも、俺たちの緊急特命捜査室には、殺人から詐欺、誘拐、変態、遺失物、ありとあらゆる捜査が持ち込まれる。
そんな、警視庁一雑多な犯罪を扱う捜査室に、去年交通課に入ったばかりの女の子が配属されてきて、続くわけがないと思っていた。
刑事部にも、もちろん女性はいる。だが、あくまで支援であり、直接犯人と接する前線の刑事には、やはり少ない。
スカウトした当人の穂積室長はともかく、捜査室の俺たち捜査員たちが戸惑うのは、当然だと思う。
しかもその子が小柄で可愛い顔をしていて、何でも一生懸命に頑張る、魅力的な子だったとしたらどうだ?
俺でなくとも、彼女を危険な目には遭わせたくないと思うのではないか?
だが、彼女が配属されて、一ヶ月を過ぎた頃には、俺は考えを改めざるを得なくなった。
それは、ただ彼女が頑張り屋だからではなかった。
才能、としか表現出来ない彼女の能力は明らかに天性のもので、しかも、それは、俺たちの想像を超えるものだったからだ。
翼
「あっ、明智さん!」
片手に表彰状の入った紙筒を持って、警察署の玄関から出てきた彼女が、俺に手を振る。
駆け寄って来る笑顔はまだ幼くて、本当に若いと思う。
翼
「迎えに来て頂いて、ありがとうございます!」
明智
「お疲れ」
翼
「はい。緊張して、肩が凝っちゃいましたー」
俺は笑いながら煙草を携帯灰皿に揉み消し、彼女を伴って車に乗った。
明智
「しかし、櫻井は凄い」
翼
「はい?」
助手席でシートベルトを締めながら、彼女がこちらを向いた。
明智
「横断歩道で擦れ違った指名手配犯人に気付いたそうじゃないか。本当に驚いた」
翼
「ありがとうございます」
彼女は、恥ずかしそうに笑った。
翼
「でも、実際に捕まえて下さったのは、所轄の巡査さんたちですから」
明智
「それは、櫻井が犯人の居場所を特定して、応援を呼んだからだろう?」
翼
「逮捕の時、犯人はすごく抵抗したんです。私には確保出来ませんでした」
どこまでも謙虚というか、自意識が低いというか。
明智
「そういう時の為に、現場に出る警察官は鍛えてる。櫻井は、櫻井の出来る事をきちんとやり遂げた。立派だ」
翼
「ありがとうございます」
櫻井は頬を染めて、微笑んだ。
こうしてると、ごく普通の女の子なんだがな……。
俺はエンジンをかけ、車を発進させた。
翼
「犯人を逮捕出来た事より、明智さんに褒めてもらえたのが嬉しいです」
うっ。
明智
「……悪かったな、櫻井。女の子には無理だとか言って」
櫻井は、ぶんぶんと首を振った。
翼
「最初、明智さんや藤守さんが反対したのは、私を心配してくれたからだって分かってます」
明智
「そうなんだが……傷付けたんじゃないかと思ってな」
俺はハンドルを切った。
明智
「藤守はともかく、俺はその……口下手だから」
翼
「明智さんは無口だけと、温かくて優しい人だって事も、今は分かってます」
彼女はそう言うと、ちょっともじもじした。
翼
「急にこんなこと、言い出すのは変だと思うんですけど」
明智
「?」
……これは。
この雰囲気は。
学生時代、女の子に告白された時の、あの雰囲気ではないか。
折よく信号待ちで車を停めた俺は、左に座っている彼女を盗み見た。
彼女はもう一目で分かるほど顔を赤らめて、視線を泳がせている。
俺に伝えたい事のある表情だ。
しかも、好意的な何かを。
明智
「……」
胸が高鳴るのを隠して、俺は前を向いた。
まだ信号は変わらない。
翼
「ずっと、思ってたんです」
信号が青に変わる。
翼
「明智さんて、……お母さんみたいだな、って」
俺は思わず、アクセルを目一杯踏み込んでしまった。
翼
「キャーーーーッ!!」
明智
「す、す、すまん!」
急発進した車を抑えて、ひとまず路肩に寄せる。
サイドブレーキを引いてから、俺は櫻井を振り返った。
明智
「大丈夫か!」
櫻井は身体を捻ってヘッドレストにしがみつき、ガタガタ震えていた。
目には涙が浮かび、顔色は真っ青だ。
翼
「……」
明智
「櫻井」
とにかく気を鎮めようと、俺は、出来るだけゆっくり、優しく、櫻井に声を掛けた。
明智
「櫻井」
すると、見開いていた櫻井の目が焦点を結び、同時に、その大きな目から、涙がぽろぽろと溢れて落ちた。
翼
「ご、ご、ごめんなさい」
てっきり櫻井に怒られると思っていた俺は、拍子抜けした。
明智
「櫻井?」
翼
「わ、私が、明智さんに、急に変な事を言ったから……ごめんなさい」
怖さで硬直してしまったのか、不自然な体勢のまま、櫻井は涙を流している。
明智
「いや、今のは俺が……」
俺は、ハッとした。
どう考えても、今のは、こんなに泣くような出来事ではない。
もしかして、櫻井は、今までずっと、泣くのを我慢してきたんじゃないのか?
突然、自分の意思とは関係無く新しい部署に異動させられ、室長と如月以外には仲間と認めてももらえず、それでも、女の子の身で出来る事を考えながら、頑張ってきて。
俺は、そんな事にも気付かずにいたのか。
明智
「……」
俺はハンカチを出して、しゃくりあげている彼女に差し出した。
櫻井は一瞬、困ったような顔をしたが、素直にハンカチを受け取って、涙を拭いた。
思い切って腕を伸ばし、頭を撫でてやる。
おそらく室長や小野瀬さんなら、もっと上手に慰めるだろう。だが、俺にはそれが精一杯だった。
警視庁に戻り、捜査室に向かって歩き出す頃には、彼女はだいぶ立ち直っていた。
翼
「でも、すみません、明智さんにお金を使わせてしまって」
彼女の手には、さっき急停車した場所のすぐ近くにあった、ケーキショップの名前が印刷された箱。
中味は、捜査室全員で食べても余る数のショートケーキだ。
何とか機嫌を直してもらおうと、俺が車を降りて買ってきたものだ。
翼
「このお店、初めてです。楽しみですね」
健気に笑顔をつくって、俺の気持ちを盛り上げようとしてくれるのが痛いほど分かる。
明智
「櫻井が、甘いものを好きで良かった」
翼
「私も、明智さんとスイーツの話が出来て幸せです」
ようやく笑顔になった櫻井の隣を歩きながら、俺は目を細めていた。
明智
「帰ったら、俺が紅茶を淹れよう」
翼
「嬉しい!明智さんの紅茶、私、大好きです!」
くるくる変わる彼女の表情の、ひとつひとつが愛おしい。
櫻井はニコニコしながら、先に行って、エレベーターのボタンを押した。
明智
「お前が喜ぶなら、紅茶ぐらいいつでも淹れてやる」
俺はそっと呟いてみたが、きっと、彼女には聞こえなかっただろうな。
~END~
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