いいから黙って甘やかさせてくれ





 それは、唐突な呼び出しだった。
「え…?俺指名の依頼?」
 いつも通り、第一世界でリーンと一緒に過ごしていた昼下がり。どういう仕組みかわからないが世界を越えてもやりとりが可能なリンクシェルは当然、暁の業務連絡用のものであってもこちらの世界まで届く。原初世界でのあれやこれは専ら姉の方へ依頼が飛ぶことが多いので珍しいと思いながら応答した先はクルルで、稀有なこともあるものだと隠さず口にしたカムイルに「ごめんなさいね」と謝る。
「私もね、キャメくんが大切な人と過ごす時間を邪魔したくはなかったんだけど……できれば協力してほしいのよ」
「それは別に構わないけど」
「本当に?ちょっと長めの調査依頼になっちゃいそうなんだけど、大丈夫かしら?」
 一度リンクパールを角から外し、念のためにリーンにも話を通すことにした。冒険者としての仕事であれば止めはしないリーンだが、さすがに長期の不在になりそうなことは伝えておくべきだ。カムイルが顔を向けると、リンクシェルの着信を察して静かにしていたリーンが首を傾げた。
「クルルさんから。ちょっと期間が長めの調査をお願いしたいんだって」
「私なら大丈夫ですよ。せっかくのお仕事なんですから、行ってきてください」
 思っていた通り快く送り出してくれるリーンをぎゅっと抱きしめ、そのままリンクシェルを角に当て直してクルルとの通話を再開する。
「もしもし、クルルさん…?その調査依頼引き受けるんで、バルデシオン分館に行けばいいかな?」
「あら、ありがとう!そうね、詳しい話は来てもらってからで…そんなに慌てなくても、明日の午後で大丈夫よ」
「うん、じゃあまた明日」
 通信を切って外したリンクパールをテーブルに置き、ふう、と一息吐く。すぐ耳元で溜息を吐いたせいか、腕の中のリーンがくすぐったそうに小さく笑った。
「緊急招集、というわけではなさそうですね」
「うん。たぶん、バルデシオン委員会としての調査依頼じゃないかな」
 言いながら、早くも別れが惜しくなって抱きしめたリーンの頭に角をすりつける。

 影武者としての代行業ではなく自身も冒険者登録された今、こうして冒険者としての仕事が舞い込んできたりそれを引き受けるのは何も珍しい話ではない。だが暁としての大規模な作戦を除く大抵の場合、それらは姉のキャメロンへ依頼されることが多く、カムイルのところまで御鉢が回ってくる機会はなかなかない。ましてや、戦闘経験を買われての調査依頼となれば尚更だ。暁としての活動以外で第一世界を長く離れる機会があるとすれば、実家の手伝いにスポットで駆り出される場合がほとんどだった。
「長めって言われたけど、どれくらいなんだろ…?取り掛からなきゃそもそも見積もりが立たないのかもしれないけど、」
「そうですね……でももしかしたらエデンの調査をしたときのように、最初の実動部隊だけカムイルにお願いして、残りは調査隊が引き継ぐという可能性もありますし」
「あー…確かに、それもあり得るね」
 パンデモニウムの一件は姉と一緒にアテナの横っ面を殴り飛ばして無事解決したし、オルト・エウレカについては気心の知れた友人達とパーティを組んで最深部まで四度辿りついたし、第十三世界とのあれこれについては目下準備中だ。クルルの口ぶりからしてオムファロスについての進展があったわけでもなさそうだった。
 とはいえ、エオルゼアは広い。カムイルの生家がエオルゼア全図に載っていないように、原初世界にはまだまだ未踏の地がたくさん眠っていて、冒険者達を今か今かと待ち構えている。そのうちの一つが見つかって冒険者達の元へ調査依頼が舞い込んでくるという話は、きっとこれからもあちこちで起きるのだろう。今さらになって、冒険者稼業の何たるかを噛みしめた心地だった。
「…………行きたくねえ~…」
「ふふっ、」
 仕事だと思えば快く引き受けたカムイルだったが、リーンとしばらく会えなくなることに不満がないかと言えば嘘になる。リーンを抱き込んだそのままぎゅっとしがみ付いて尻尾まで絡みつくカムイルに、リーンは嬉しそうに笑いながらよしよしと頭を撫でた。
「私もちょっと淋しいけど…でも、カムイルが戻ってくる日は、カムイルの大好きなものをつくって待っていますから」
「ん、」
「どうか気をつけて、行ってきてください」
 しがみつくカムイルがじわじわと体重をかけて、ついにリーンが背中からソファへ寝転んだその上に抱きついている体勢になった。さながら、大型犬が飼い主にべったりと甘えているかのようだ。体重こそかけていないが、リーンの体にぴったりと貼りついて不服そうに尻尾を揺らしている。
「ねえカムイル、ここだと狭くないですか?ベッドへ行きましょう?」
「ん…」
 離れがたいとリーンの肩へ頭を擦りつけながら、カムイルは緩慢に体を起こすとそのままリーンを抱きかかえてベッドへと移動する。まだまだ健全な交際期間だと互いに誓っているので、ベッドへ移動したものの、ただぴったりと体を寄せて抱き合うだけだ。
 でも、カムイルはそれが好きだった。先にベッドへ降ろしたリーンが横になって腕を広げてくれるので、その隣にもぞもぞと身を寄せてリーンに抱きつく。今日のようにカムイルがリーンに抱きついて甘えることもあれば、リーンがカムイルに甘えてくれるときもある。どちらにしても、ゆったりと互いの体温を感じられるこの時間がたまらなく幸せなのだ。
「帰ってきたら、またこれやって」
「はい、もちろんです」
 そのままいい子いい子と頭を撫でられていると、ちょうと昼食を食べて腹の具合が落ちついていたタイミングということもあってか、カムイルは自分の目がとろんと蕩けそうになっていることを自覚した。このまま寝入ってしまうのは勿体ない気もしたが、しばらくリーンと会えないと思うと彼女の体温を感じながら眠りにつけるのも悪くないと思い、片手で雑に伊達眼鏡を外して枕元へと追いやる。それを見てカムイルが昼寝を決めたのだと察したリーンは、頭を撫でる手の動きを眠気を促すものへと変えた。
「明日からはきっと大変だから…ゆっくり休んでください、カムイル」
「うん…ありがと…」
 体温のあたたかさと手の動きの心地よさに逆らわず、カムイルはすぐにすうすうと穏やかな寝息を立て始めた。


   ◆◇◆


 翌日。名残惜しさでぎゅうぎゅう抱きしめていたリーンを後ろ髪引かれる思いで解放し、カムイルは一思いにオールド・シャーレアンまでテレポした。北洋の澄んだ空気と特有の潮風の匂いが懐かしく、もうしばらくこの地を訪れていなかったことを肌と嗅覚で感じる。
 出立が遅くなればなるほど腰が重くなると思って朝食もとらずに向こうを飛び出してきたので、軽く腹ごしらえをしようとラストスタンドへ向かうことにした。ナップルームで自炊をしてもいいかと考えたが、最近は料理といえばリーンと一緒につくる機会が増えたので、一人でキッチンに立つとリーンのことがより恋しくなりそうだったのだ。

 時刻は朝食というよりブランチになってしまう時間帯に差し掛かり、ここで食事をかねて多少時間を潰せばクルルに合う頃合いだろうかと予定を立てる。頼んだメニューは焼き立てトーストに卵とベーコンを乗せ、そこにサラダとマッシュポポトが添えられたプレートメニュー。カムイルの好物であるごろごろ野菜のスープつきだったので、それに惹かれて選んだものだ。
 自分でも似たようなプレートをつくって食べることはあるが、トーストの焼き加減一つでも、自分でつくるのと外食で提供されるものは味が違う。しっかりめに焼かれたトーストも卵と一緒にかぶりつけば半熟の黄身がパン生地にしみてしっとりとした味わいになり、なるほどこういう食べ方もありだな、と次にリーンへつくってあげるときのことを無意識に考えてしまう。その次の機会がいつになるかは、クルルの話を聞かなければわからないが。


「――あれ、きゃめくんじゃん」
 あとから運ばれてきた食後のコーヒーを飲んでいると、視界の外から声をかけられた。振り向いた先にいたのはエレゼン族の友人――ヤック・ニルで、テイクアウト用のカップを持っていたので正面に座るように視線で促した。
「珍しいね、戻ってくるにしてもウルダハにいることの方が多いのに」
「んー…今回は家の用事じゃなくて、クルルさんに呼ばれてて」
「えっ、きゃめくんも?」
「え、やっくも?」
 きょとん、と長身の男二人で顔を見合わせてしまう。クルルからの話では他の冒険者とチームを組むような話が出なかったので考えもしなかったが、数日かかりそうな調査依頼ともなれば即席パーティが組まれるのも納得だ。相変わらず人見知りが治らないカムイルなので、その相手が気心知れた友人であることにほっと安堵の息を吐いた。
「よかった…俺はこっちに戻ってきてもあんまり冒険者らしい仕事は受けないし、やっくが一緒にいてくれるのは正直助かるよ」
「リーンとガイアは元気にしてる?」
「うん。この間は二人が各地を見て回っている定期調査に用心棒として同行させてもらったんだけど、クリスタリウムやユールモア以外の人達も元気そうだった」
 そのまま自然とカムイルがヤックへ第一世界の近況を伝えるかたちでしばし雑談し、互いのカップの中身が空になった頃合いで席を立つ。腹ごなしも兼ねて歩いて向かったバルデシオン分館のメインホールの扉を開ければ、何やら書面に目を通していたクルルが顔を上げて「あら!」と嬉しそうな声を上げた。
「二人共、来てくれてありがとう。先に合流していたのね」
「偶然だけどね。ということは、やっぱり俺達で一緒に調査に向かう感じ?」
「ええ、そうなのよ。実はね…――――」

 クルルが語るには、今回はオルト・エウレカの深部に関する追加調査を依頼したいとのことだった。カムイル達がその最深部へ四度辿りついた後、ノアとグ・ラハが調査結果と実際の歴史的な事実、資料などを突き合せて情報を整理していたところ、エクスカリバー以外にも闘神が創り出した武器が眠っている可能性が浮上したらしい。
 数多の有志達の手でその全貌が暴かれて攻略方法も確立された今のオルト・エウレカは、遺物や埋もれた財宝を目当てに後続勢がたびたび訪れるちょっとしたホットスポットになりつつある。実際に最深部まで到達した経験があるパーティならまだしも、ディープダンジョン攻略に不慣れな者達が偶発的にその武器を見つけ、万が一にも手にしようものなら、まだ見ぬ闘神がその身に降りて新たな脅威となりかねない――そこで、踏破実績のあるカムイル達に新ルートの調査を依頼したいとのことだった。
「ラハくんが解読してくれたおかげで、新ルートへの侵入方法はわかっているわ。分岐地点はちょうど三十階。ほとんどの冒険者達はそこまでで引き上げる場所だけど、中には腕試し感覚でその先に進んでしまうパーティも出てくる分水嶺ってところね」
「なるほどね、」
 新ルートの侵入方法が書かれたレポートを受け取りながら、そういえば、とカムイルはクルルを見下ろす。
「俺達、三人パーティでずっと攻略してたんだけど…そっちにも声はかかってるの?」
「ええ。彼はたまたまラハくんと別件で一緒にいたから、お願いしてモードゥナへ先に向かってもらっているわ。二人も準備ができたら合流してちょうだい」
「了解。それじゃ、行ってくるよ」
 要するに、久しぶりのオルト・エウレカ攻略部再結成というわけだ。ディープダンジョン有段者として一緒に攻略してくれていたもう一人の友人の存在も心強く、カムイルはクルルに明るい表情で手を振りながらバルデシオン分館を後にした。

「いやぁ…久々の傭兵任務がやっく達と一緒で本当によかったよ」
 テレポでモードゥナへ飛び、それぞれナイト、賢者、赤魔道士へクラスチェンジすると懐かしい気持ちになる。三人で攻略に集中していたのはつい三ヶ月ほど前の話であってそこまで時間は経っていないのだが、やはり第一世界での暮らしの方が長くなったせいか、侵入口である一階メインフロアに立つと久しく感じていなかった高揚感で胸が躍る。
 グ・ラハのレポートによれば、目標のフロアは三十階から分岐して然程進まなくても辿りつけるらしい。推定階層数は四十階――逆に言えば、ディープダンジョン攻略に慣れ始めたものの経験が浅い冒険者が不用意に辿りつきかねないルートというわけだ。
「…まあ、三十一階から九十九階までの行程と比べたらかなり楽だね」
「どんなに厄介なボスがいたところで、フロア数が少なければ事故率も減るしね」
「それじゃあ、まずはリハビリがてら軽く三十階まで行きますか」
 応、と気合いの声を上げ、数か月ぶりに再結集した男達は意気揚々とオルト・エウレカの攻略を始めた。


   ◆◇◆


 攻略を始めた――のだが、
「――――なんなんだよあのクソモンスターハウスッ!」
 一ヶ月後、モードゥナ某所の酒場にて。
 その日も理不尽なトラップからの事故による全滅であえなく振り出しへ戻されたカムイルは、元来のよく通る声で悔しさともどかしさと苛立ちを一思いに吐き出した。

 階層数的にはかかっても十日前後で踏破できると思っていた新ルートが、蓋を開けてみれば裏ダンジョンと言っても過言ではないレベルの魔窟だったのだ。
 まずはお手並み拝見とホアハウンドが巡回するフロアに同時にサスカッチが配置され、即死攻撃持ちのモンスターを二種相手取ることになる。ホアハウンドは全力で殴れば遠吠え前に処理できるものの、攻撃に夢中でサスカッチがバナナを食べたことに気付かないという事故が多発した。
それらのフロアをやっと越えたと思えば次の階層で待ち受けていたのがスペクターの群れで、超広範囲の攻撃をしてくるこの巡回モンスターがとにかく苦手だった三人は案の定、ここでも泣きを見ることになった。それでも勘を取り戻して厄介なフロアを切り抜けた先に待ち受けていたのが、アラグの魔導システムでギチギチに詰まったモンスターハウスである。

「マジでなんなんだよあれ。どれか釣ろうと思ったら他も釣れるし、吹っ飛ばされて一気に敵視集めちゃうし、事故って全方向AOEとかざらにあるし……アラグマジ最低、性格悪い、星海でちょっとアモン殴ってくる」
「まあまあきゃめくん、落ちついて」
 テーブルに突っ伏して泣きが入るカムイルに、運ばれてきたグラスとおつまみの小皿を受け取りながら他二人が慰めの言葉をかけてくれる。まずは乾杯、とグラスを鳴らしたものの、カムイルは少し口に含んだだけでしょんぼりとグラスをテーブルの上に置いた。
「なんで俺に声がかかったんだろ…俺なんか足引っ張るだけだし、絶対におきゃめが来てくれた方がよかったじゃん……今からでもいいから交代したい…」
 カムイルのこの自己肯定感の低さは今更なので、慣れている二人は過度にフォローすることも鬱陶しがることもせず、はいはい、と聞き流して小皿にとりわけたおつまみをカムイルの前へと出してくれる。というよりも、友人二人にはカムイルが日を追うごとにしょんぼりとしおれていく別の理由 の見当がついているのだ。
「……きゃめくん、絶対にリーン切れの禁断症状出てるよね」
「うん。これは、早く向こうに帰してあげたいね…」
 カムイルに聞こえないように小声で言葉を交わし、友人二人は顔を見合わせて頷いた。
 クルルに聞いた話と想定階層数では、かかっても十日前後で攻略できる見込みがあったのだ。だが実際は三十一階から九十九階をぎゅっと濃縮に詰め込んだ地獄の縮図であり、カムイルとしても、当初の見積もりからどんどん伸びて終わりの見えない戦いに色々とフラストレーションが溜まっているのである。
 ましてや、最近になってようやく遠慮なしにリーンとの健全交際期間を満喫できるようになったという嬉しい報告を聞いたばかりだ。恋する若者に想定外の長期出張は辛かろう、と二人は未だに突っ伏しているカムイルの両肩をそれぞれ優しく叩いてやった。
「大丈夫?なんなら息抜きも兼ねて、明日はお休みにして一回リーンのとこ戻る?」
「いい。今あっちに戻ったら、絶対にこっちに帰ってこられなくなる…」
「うーん、これは重症」
「それに……」
 むくり、とようやく上体を起こしたカムイルを「おっ」と二人が見上げる。眼鏡の奥の瞳は相変わらずしょぼしょぼとしているが、その中に微かに見える意志の強そうな光は、強敵相手に何度もトライを繰り返しているときの彼の姉そっくりのものだった。
「リーンが…せっかく冒険者としてのお仕事なんだから、って言って送り出してくれたんだ。思ってたより時間がかかっちゃいそうなことはもう、フェオちゃんに伝言をお願いして伝えてあるし……ちゃんと、こっちの仕事終わらせてから帰りたい」
 そう言って、小皿にとりわけてもらったおつまみサラダを小さな口で食べ始める。愚痴も弱音も吐いてはいるが、また明日のトライに備えて鋭気を養おうとしている証拠だ。
 心が折れたわけではない。影武者時代のカムイルならば弱音を吐いた流れでそのまま姉に連絡するなりして諦めてしまっていただろうに、リーンと想いを通じたことでよい変化が訪れているのだとわかり、友人達は嬉しそうに顔を綻ばせながらカムイルを見つめていた。




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