暁の声

これを先に読んでおくと話がわかりやすいかもしれません




 処はウルダハ――クイックサンド併設の宿「砂時計亭」にて。
「ちょっとワイモンド!起きてる!?」
「んー…っ」
 この宿で一番等級が低い冒険者や旅人向けの部屋は、情報屋ワイモンドの根城の一つでもある。それこそ情報屋以前にヤンチャをしていた頃から女将のモモディには世話になっているが、こんなふうに慌ただしいノックで起こされるのは初めてのことだった。
 時刻は昼をとっくに過ぎているが、そもそも朝帰りの仕事が終わってからチェックインしたのでまだまだ眠り足りない。それはモモディだってわかっているはずだ。返事をするのも億劫でワイモンドが薄手の毛布を頭からかぶって丸くなったのと、モモディがマスターキーを使って客室に強行突入してきたのは同時だった。
 モモディはベッドの上で丸くなっている塊を目に留めると、「起きてるじゃない」と小さくぼやいてからワイモンドのすぐ傍まで駆け寄って遠慮なく毛布の上から叩いてくる。
「ねえ、大変なのよ!早く起きて!」
「うぅー……今日、朝帰りだったの知ってるだろ…?仕事なら手付金三倍にしろって依頼人に伝えておいてくれ……」
「本当にお金にがめついわね…貴方、それがリリラお嬢様のご依頼でも同じことが言えるのかしら?」
 まさかの名前が飛び出し、毛布の中のワイモンドは一気に目が覚めた。慌てて殻を破って跳ね起きると、腰に手を当てたモモディが随分と呆れた表情をしている。

 リリラお嬢様――すなわち、この国の女王陛下であるナナモからの内密の命ということになる。
 今の仕事についてからウルダハ内外における情報の番人としてある程度の地位や実力はつけてきた自負があるワイモンドでも、さすがに国王直々の仕事を請け負ったことはない。或いは何かしらやらかしてしまって呼び出されたのかもしれないが、それこそ思い当たる節があり過ぎる程度には今更だ。
 一体どうして、と回転の速い頭でぐるぐると考え込み始めたワイモンドを見て、モモディは一息吐いてから説明を始めた。
「貴方に会わせたい人がいるそうなのよ。今夜、このホテルで」
 そう言ってモモディからメモを渡されたワイモンドは、そこに書かれていたホテルの名前を見て訝し気に表情を歪めた。
「おいおい…東アルデナード商会が最近になってオープンさせた高級宿じゃないか。しかも最上階のスイートって、これ、ヤバい案件じゃないだろうな?」
「私は侍女にそのメモと言伝を預けられただけよ。どっちにしても相当な要人との面会になりそうだから、しっかり身支度を整えてから行くことね」
 くたびれた寝間着にぼさぼさの髪と伸びた髭。今朝は疲れ果ててのチェックインだったのでシャワーも浴びずにベッドにダイブしてそのまま気絶していたことを思い出し、モモディの痛い視線を感じながらワイモンドは面倒そうな顔で髭の伸びた顎を撫でた。


 メモに指定されていた集合場所は、最上階のロイヤルスイート。そこでディナーを、との誘い文句に素直に従って、身支度を整えたワイモンドは指定時間の少し前に件の高級宿の前に立っていた。
 身支度を整えたとは言っても、別段フォーマルな装いをしてきたわけではない。いつも通りにシャワーを浴びて、髭を剃り、髪をセットして、馴染みの一張羅に着替える。最後に丸いレンズのサングラスをかければ、それが情報屋ワイモンドの身だしなみなのだ。相手が例えナナモ本人であっても、このスタイルを変えるつもりはない。それを承知で雇ってくれる相手でなければこちらから願い下げだった。

「……本当に、嫌味なくらいにお綺麗なホテルだな」
 見上げたロロリト肝いりの高級宿は、ウルダハの富裕層向けに区画整備されたこのエリアの中で、新しいランドマークになったと言っても過言ではないくらいの煌びやかさでワイモンドを出迎える。それこそ、いつも通りの服装のワイモンドが館内へ足を踏み入れた際のドアマンやベルボーイの視線が痛いくらいだ。そんな視線に晒される現場も珍しいことではないし、殺気立った荒くれ達のアジトへ呼び出されるよりは幾分かマシだ。尤も、このホテルの最上階で待ち構えている今夜の客は、わかりやすく殺気立つ武闘派達よりもよっぽど怖いかもしれないが。
「この部屋に泊まっている客と約束しているんだが、」
 真っ直ぐにフロントへ進んで渡されたメモを見せると、すでに先方から伝えられていたのか、待たされることなくフロント係にエレベータまで案内された。このランクの宿ともなると一階からエレベータが完備されているものか、と。階数を案内する目盛が徐々に降りてくるのをぼんやりと見上げながら待つ。従業員が案内してくれるのはここまでのようで、エレベータが到着すると、一緒に乗り込まずにボタンの操作と案内だけされる。
「到着しましたら、エレベータを降りてすぐ正面がお部屋の扉でございます。最上階には一部屋しかございませんので迷われることはないかと思いますが、もしもお困りの際には、またこのエレベータで一階までお戻り下さい」
「…どうも」
 迷わず最上階のボタンが押され、続いてドアを閉じるボタンまで押されて従業員が身を引けば、無情にも左右から扉が迫ってワイモンドを閉じ込める。鉄製の凝った装飾が施されたそれはまるで洒落た鉄格子のようで、監獄に囚われたまま処刑場まで運ばれているようだ、とワイモンドは思う。
 生憎と外の景色は見えないが、次々と通り過ぎる各フロアの内装はどこも華やかで、世界に終末の危機が訪れているこんな世情でも、ちらほらと宿泊客らしき姿は見えた。それを能天気だ金の無駄遣いだと嫌う人間は少なくないだろうが、ワイモンド個人としては、こんな世の中でも惜しまずギルを放出して経済を回そうとしてくれる彼らの存在はありがたいと思う。
 きっとこの騒動が落ちつけば、難民と蛮族どちらの問題にも前向きな兆候が出始めている今のウルダハは、他国の先陣を切ってエオルゼアの経済を回していくことになる。そのときにどうしたって頼らざるを得ないのは、消費活動を行う余力がある富裕層だ。彼らの財がウルダハに光も闇をも齎しているのだということを、流れゆく景色を見つめながら、ワイモンドは改めて感じていた。


 チン、と到着を告げるベルが鳴る。鉄格子のような扉が開けばそこにあったのは、フロント係が言っていた通りの部屋の扉だった。繊細な彫刻が彫り込まれた石造りの廊下を数歩進んだだけで扉の前に到着してしまい、それと同時に、ワイモンドをここまで運んできたエレベータが降下していってしまう。退路が断たれた廊下は、耳が痛くなるくらい静かだった。
「…なんだろうな、この胸騒ぎは」
 情報屋の勘が、部屋のベルを押す指を躊躇わせる。この扉の先に進んでしまったら二度と戻れないような、そんな予感だ。
 今までの、危うきには近寄らず慎重に仕事を選んできたワイモンドなら、間違いなくこの場で引き返している。だがこれはナナモ直々の呼び出しで、実際に侍女と面識があるモモディが嘘の情報を掴まされるとも思えず、今のワイモンドは扉の先へと進むしかない。
「……行くか」
 ごくりと生唾を飲み込んで、おそるおそる、扉の横に備え付けられたベルの呼び出し金具を押す。ゆっくりとワイモンドが指を離した瞬間に扉の向こう側から上品なベルの音が聞こえてきて、静かな廊下では大きく聞こえるそれに思わず肩を竦めた。時間をおかずにコツコツとこちら側へやってくる靴音がして、音も立てずに扉が開かれる。その先で出迎えたのは、高級そうな仕立ての執事服に細いフレームの眼鏡がよく似合う、顔の綺麗なエレゼン族の男だった。レンズ越しに男の黄金の瞳に見つめられた途端、ズキン、と頭に痛みが走り、ワイモンドは思わず手でこめかみを押さえた。
「っ……?」
 どこかで、この男に会ったような気がする。
 ウルダハ近辺では使用人でもエレゼンは珍しいから、最近になって情報網を伸ばし始めたイシュガルドで面識があったのだろうか。否、情報屋である自分が一度でも会って話をした相手の顔を忘れるわけがない。例えそれが、ドアを開けただけの貴族の使用人であってもだ。
 この商売を始めてから仕事に関わることで物忘れをしたことなどなかった。だが目の前の男に関しては何かしらの記憶が欠如しているようで、それに気付いた途端、ワイモンドの頭は何かを拒むようにぐらぐらと揺れ始めた。まるで酒やエーテルで酔ったときのようで気持ち悪い。それでも仕事中なのだから隙は見せまいと気丈に顔を上げたワイモンドと再び目が合って、執事服の男はわざとらしいくらいにこやかな笑みを浮かべた。
「ようこそ、お越し下さいました。我が主がお待ちです。どうぞ中へ」
 男が一歩下がって脇に避け、深々と頭を下げてワイモンドを中へと促す。
 ようこそ、と歓迎する態度と口ぶりではあるが、男からはワイモンドを逃がすまいというプレッシャーが隠さず放たれている。ここで踵を返したところで、種族差でリーチの長い男に捕らえられて引きずり込まれるだけだろう。
「ご丁寧に、どうも」
 空元気でも飄々とした態度を装って、一歩、ロロリトご自慢の部屋へと足を踏み入れた。
 高級そうな石材が敷き詰められた廊下を進み、人の気配がする左手の部屋へ体を向ける。扉で区切られていないので、進めばそのまま居室に入れるつくりだ。
 一体どこの誰が、ナナモの名前まで出して自分を呼びつけたのか――その正体を拝んでやろうと気持ちを引き締め、ワイモンドは客人の待つ居室へと踏み込む。
 高級そうな調度品の影になって隠れている部屋の中央は、まだよく見えない。ワイモンドが一歩進むたびにその物陰に隠されていたテーブルとソファが姿を現し、やがて完全に部屋の全容が見える角度になると、ワイモンドが感じていた気持ち悪さはそこで限界に達した。
「う…ッ――――!」
 脳も、内臓も、体内のすべてがでたらめな速度でかき回されているかのような不快感。咄嗟に口を手で覆うが堪えきれず、膝から崩れ落ちて床に這いつくばるしかない。せり上がってこようとするものを抑えようとすればするほど不快感が増して、ワイモンドは堪えることを諦めて石材の床に思いきり吐き出した。
 二度三度と繰り返したところで吐き気は徐々に治まり始めたが、相変わらず脳がぐらぐらと揺れている。全身から滝のように汗が噴き出していて、それがまた不快だ。

 一体どうして、部屋に踏み込んだだけで――毒か呪詛でも仕込まれていたのかと考え始めたワイモンドを覗き込むように、部屋で待ち構えていた男のうちの一人が腰を上げて、ワイモンドのすぐ目の前に立った。
「あーらら…床の上で吐いてよかったねえ。もう少し位置がずれてたら、高いラグの上に出しちゃって弁償騒ぎだったよ」
 男の声を聞いて、また脳が揺れる。
 あのエレゼンの執事と同じだ。この声をどこかで聞いたことがある気がするのに、思い出せない。記憶の欠如に気付くと脳の揺れはひどくなって、視界の端に男の白衣の裾が揺れて見えるのが鬱陶しい。
「何、なんだ…っ…アンタ達……!」
 激しい嘔吐で一気に消耗した体で、やっと絞り出せた声。口元を拭ってワイモンドが顔を上げると、真正面に立っていたミコッテ族の男も目を合わせるようにしゃがみ込んで、にやりと不敵な笑みを浮かべてみせた。
「何、って…――アンタがしつこく追ってた、お嬢と坊の保護者だよ」


   ◆◇◆


 ウルダハ最高級ホテルの馬鹿みたいに広い浴室の贅沢にたっぷり湯を張ったバスタブに容赦なく放り込まれ、ワイモンドは呆然と天井を眺めるしかなかった。
「…………ヤバすぎるだろ、アイツらの実家」
 あれから――ワイモンドの身に起きたことは重度のエーテル酔いのようなもので、今まで何重にもかけられていた忘却魔法が解けた反動だから健康に問題はないと説明を受けた。
 じゃあその忘却魔法というのは何なんだと聞く前にふらふらの体を執事ことタッカーに持ち上げられ、抵抗できないまま身ぐるみを剥がされてバスタブの中へと放り込まれた。
「床のものはこちらが処理しておきますから、貴方も念入りに体を清めてから出てきて下さい。これからディナーになりますので、くれぐれも、その不快な臭いが消えるまでしっかりとお願い致します」
「いや…アンタらのせいだろ、あれは」
 ぐったりしている体では責め立てる気にもなれず、こんなふうに贅沢に風呂に入れる機会もそうないことだから、と割り切って素直に体を休めることにした。湯の温かさに身をゆだねて目を瞑っていると、忘却魔法とやらが解けた効果なのか、思い出せなかったあの二人との記憶がじわじわと脳裏に浮かび上がってきた。

 ――ワイモンドは何度も彼らと顔を合わせ、そのたびに記憶を消されていた。

 ある時は酒場で火を貸した飲み仲間、ある時は情報を買い付けるためにパールレーンへ呼び出した客、ある時はゴールドソーサーで雀卓を囲んだ相手…――他にもぱっと思い出せるだけでも、片手で数えるには足りないくらいに、カメリアに話しかけられてそのたびに記憶が飛んでいたらしい。カメリアほどではないが、タッカーにも何度か手を出されている。
 貴賤を問わず様々な人間の思惑と陰謀が渦巻くウルダハという都市を根城に、そのウルダハで最も高い値打ちがある「情報」を商売道具にしている以上、自分の身の振り方には細心の注意を払ってきた。「危うきに近寄らず」という信条も自分の身を守るためだ。どんなに値打ちのある情報でも、それで我が身を滅ぼしてしまうのなら意味がない。そのギリギリの境界線を見極めて、我ながらうまく商売をやっているつもりだった。
「…………」
 それがどうして――あの二人が生まれた家のことについては、何度記憶を飛ばされても諦められなかった。
 そもそも毎度のこと記憶を飛ばされていたのだから諦めるという言葉は正しくないかもしれないが、それでも何度も危険な目に遭えば、脳ではなく肉体に残っている記憶で本能的に危機感を覚え始めるはずだ。
 視覚、聴覚、時には嗅覚。ペンを走らせた手や、交渉相手の元まで歩いて向かった足。頭だけではなくこの身すべてを使って情報を収集しているのだから、例え頭の中では詮索欲が首をもたげても、肉体がどこかでそれに歯止めをかけているはずなのに。どうして、と自問自答するワイモンドの脳裏にはもう、一人の冒険者の顔が浮かんで離れなかった。
「…あいつのせい、か」

 キャメロン――今や方々で英雄殿と評される彼女は、ワイモンドの中では今も、最初に声をかけた雛チョコボッ子の頃から変わっていない。ララフェル族で見た目が大きく変わらないから、ということではない。彼女のワイモンドへの接し方が、駆け出しの頃から何一つ変わっていないのだ。
 もちろんキャメロンが持ち帰ってくる土産話のスケールは比べ物にならないくらいに大きくなっているし、いつもの場所で話し込んでいる際に彼女を見かけた人々の反応もまったく違うものにはなっている。あまり嬉しい話ではないが、ウルダハ政財界での印象もそうだ。それでもキャメロンはずっとウルダハという街に居ついていて、変わらずにワイモンドに話しかけてくる。そんな彼女を憎からず思うなという方に無理があったのだ。
 一介の情報屋である自分の手には余る存在になってしまったというのに、絶えずその動向を探ってしまう。彼女の冒険が三国を越えたときにはクガネの旧友を頼って、ずっとコネクションがなかったイシュガルド方面での情報も、エマネランという心強い助っ人の登場で得られるようになってきた。今も、キャメロンに私的に関わること限定なら、という条件付きでガレマルドでの様子を複数人から伝え聞いている。

 知りたいのだ。隠されれば隠されるほど、遠退けば遠退くほど、彼女のすべてを暴かずにいられない。
 これは情報屋である自分の性だと思っていたが、どうやら、そう言って誤魔化せるボーダーラインはとうの昔に越えてしまっていたらしい。弟の方に「ストーカーじゃん」と冗談半分で言われたこともあったが、あながち間違いではなかったな、と今更自分で気づいて笑ってしまう。やれやれと濡れた髪をかき上げたところで、こんこん、と広い浴室の遠くのすりガラスがノックされた。
「ご無事ですか?」
「おう、生きてるぜ」
 すりガラスのモザイクで見えないタッカーにひらひらと大きく手を振ると、脱衣所でもよく響くらしい盛大な溜息が聞こえてきた。
「そろそろディナーの準備のためにシェフを呼びます。着替えはここに用意してありますので、御支度が整いましたら先程の部屋まで」
「はいよ」
 ゆっくり湯船に浸かったおかげで気力も体力も戻ってきて、ついでに用意されていた無駄にいい香りのするソープのおかげで臭いもすっかり問題なさそうだ。もう二度とこんな贅沢な風呂には入れないと思うと名残惜しかったが、次に出迎えてくれるであろう食事も負けないくらいに豪勢なのだろうと期待をしつつ、身支度を整えるためにバスルームを後にした。


   ◆◇◆


「――――…ということで、私がジャヌバラーム家の四代目当主であり、ガルシア錬金商を取り仕切っている、キャメロン達の兄のケイロンだ。いつも、妹と弟が世話になっている」
 ケイロンから一通りの事情を聞いたワイモンドは、飛び出してきたとんでもない家名に高級肉を口元へ運ぼうとしていた姿勢のまま石のように固まってしまった。
 風呂上りに用意されていたオアシス風のゆったりとした服に着替えてからワイモンドが居室へ戻ると、ダイニングテーブルの上にはすでに前菜やスープが並んでいて、最後の仕上げにシェフが持ち込んだ鉄板の上で上等そうな肉を焼き始めようというタイミングだった。こんな宿の最高ランクの部屋に泊まっているのだから只者ではないと思っていたが、贅の限りを尽くしたであろう歓迎っぷりにワイモンドは思わず肩を竦めてしまう。
 テーブルについて乾杯し、シェフが肉を焼き上げるまでの間にケイロンから自己紹介を受け、なるほどガルシア錬金商の若社長ならこの待遇も納得だ、と。それだけでもキャメロン達の実家の人間がとんでもない大物だと驚かされたというのに。
「待て待て待て…ちょっと、待ってくれ」
 シェフとその他の給仕スタッフが退室した途端に「実は、」と打ち明けられたその正体。ようやくケイロンの話の内容を咀嚼できるようになったワイモンドは、ナイフとフォークを置いて思わず頭を抱えた。
「いや……頭では、納得できるんだよ。アンタの親父さん達の代までのジャヌバラームは異常なまでの秘匿主義だったし、妖異を使った非合法な研究と錬金材の生産なんて聞かされたら、そりゃ頑なに外部の人間を島に入れなかった理由も納得だ。アンタが今まで表に出てこなかったのも、家名の影響力を考えりゃ、あいつらと暁の連中の立場が危うくなるからってな。でも…」
 自分がとんでもない地雷原に足を突っ込みかけて、そのたびに記憶を飛ばされて追い返されていたのだと思い知らされる。

 ケイロンの話によれば、これからナナモとロロリトに協力してもらってジャヌバラーム家四代目当主として世に名乗りは上げるものの、当家が妖異を用いて行っていた非合法な研究や、莫大な資産の一部を今も隠し持っていることなどは伏せて、一切の後ろ盾を失った状態から一代でガルシア錬金商として再び成り上がったという触れ込みになるらしい。
 ならばどうして、ウルダハの情報屋という最も危険な相手に、こうして当家の秘密を洗いざらい打ち明けてくれるのか。そう顔と態度で訴えかけるワイモンドに、ケイロンは苦笑して肩を竦めてみせた。
「貴方には、本当に手を焼かされたのだ。大抵の人間は一度でも記憶を飛ばしてしまえば、消えたジャヌバラーム家のことを詮索しようとはしなかった。もうあの島は滅んでしまったことだし、島内に一族郎党引きこもっていたのだから生き残りなんているはずがない、とな。でも、貴方は違った」
「…………」
「何度記憶を封じても、貴方はあの子を諦めなかった。記憶の忘却や操作にも当然エーテルが用いられるので、それこそ貴方は、あと一度でも忘却魔法を重ねられていたら、記憶だけでなく肉体や魂を構成するエーテルにまで影響が出てしまい、廃人になりかねない状態だった。そのため、先程の解除でも大きな反作用が出てしまったのだ。もう少し穏便な解除手段もあるみたいなのだが、私の研究がまだそこまで追い付いていなくてな。その点は、申し訳なかった」
 目を伏せるケイロンの後ろで、テーブルにはつかず立ったまま控えていたカメリアが大きく溜息を吐き出して割り込んでくる。
「まったく……本当に苦労したんだぜ?お嬢の記憶ごと消しちゃえばまだ楽だったのに、それができない。だがアンタの詮索はお嬢を起点に始まるもんだから、お嬢の記憶がある限り何度でも、霊災前のお嬢の足跡を探そうとする。だから、アンタがお嬢に興味なくなるまで徐々に段階を踏んで忘却魔法を強めていこうって方針になったのに…これがまったく食い下がらない。ほんと、執念深くて参ったよ」
「妙な言い方をするな。暇さえあれば絡んでくるのはあいつの方で、俺は完全に巻き込まれた側だろうが」
「えー、本当にぃ?そのわりには方々の人間に金握らせてお嬢の動向を常に見張っているみたいだし、坊も言ってたけど、職権乱用のストーカーって言われても文句言えないよ?」
「う…っ」
 ちょうど自覚し始めた痛いところを突かれ、ワイモンドは何も言えなかった。
「そういう貴方だから、例えあの子の身の上が明らかになったところで、また私達のことをいろいろと探り始めるのではないかと思ってな。私としても、貴方とは直接会ってみたかったことだし、こうして先手を打ってすべて話してしまおうと思ったのだ」
「じゃあこっちも先に言っておくが、それでアンタらに飼い殺されるつもりなんてないからな。俺はこれからも情報屋として動くし、その一環として、あいつらの動向を追うのをやめるつもりもない」
「もちろんだとも。だから、ここからは商談取引といこうではないか」
 そうケイロンが告げると同時に、ワイモンドの後ろに立って控えていたタッカーがテーブルの上に手を滑らせた。
 何事かと思い視線をそちらへ向けたワイモンドは、そこに置かれていた約束手形とその額を見て、今度こそナイフとフォークを手から落とした。

「ガルシア錬金商として、これから情報の仕入れ先を貴方にお願いしたいのだ。市場の取引動向から、ウルダハ内外の商家の飾色に、できれば呪術士ギルドが所蔵している禁書についても詳しく知りたい。手付金は――確か、三倍だったな?」

 クイックサンドで寝ぼけながらモモディに返した言葉をまさか拾われているとは思わず、モモディが本当にあの冗談を伝えるわけもないので、つまりあのときの会話を盗み聞きされていたということになる。
 否、きっと今日のことだけではないだろう。ワイモンドが常にキャメロンの動向に目を光らせているように、ケイロン達もワイモンドの動向を常に監視しているのだ。
「趣味が悪い旦那だぜ、まったく…」
 それこそ、怖ろしい妖異との取引を迫られた気分だ。だがもう、ワイモンドに断るという選択肢は残されていない。覚悟を決めて、ワイモンドは約束手形を懐に収めた。
「交渉成立だ。アンタらの御家に関する情報は、俺が責任をもって守り通してやるよ」
「ああ。頼りにさせてもらうぞ、正義の情報屋さん・・・・・・・・

9/18ページ