暁の声





 表向きにとはいえ、暁が解散になったことで、キャメロンとカムイルの生活は随分とのんびりしたものに変化した。
 終末の騒動が収束した直後こそ、今まで二人で一つだったあれやこれやの手続きを行ったり、ジャヌバラームの家名が表立ったことで今までにない方面から声をかけられて慌ただしく過ごしていたが、それも過ぎてしまえばそれっきりだ。
 生活の拠点は相変わらずウルダハで、家もゴブレットビュートから変わらない。不滅隊にも所属したままなのでそちらで適当に仕事を振ってもらおうかと思ったが、同じような考えの冒険者はたくさんいるもので、傭兵任務はむしろ働き手に余裕があるくらいだった。

 ではそれ以外で何をして過ごそうかと考えた結果、キャメロンは古巣である呪術士ギルドへと戻り、アルダネス聖櫃堂が請け負う葬送の儀式を手伝うことにした。
 元々、暁の活動が活発な頃も手が空いたタイミングで助っ人的に手伝ってはいたのだが、なにせ終末という未曽有の大厄災に見舞われた直後だ。貴賤を問わず命を落とした者は多く、中には獣となって来世へ向かう魂さえ消滅してしまった被災者もいる。それでも死者を送る側の気持ちの問題としてしっかりと葬送を行いたいという遺族も少なくないため、終末の最前線に身を投じてきたキャメロン達冒険者が率先して、獣としてこの世を去った者の魂を送り出す儀式を受け持つことになったのだ。


 その日は昼過ぎには受け持ちの仕事が終わってしまったキャメロンが控室で儀式用の礼服から私服へ着替えていると、同じく仕事を終えたと思われるミコッテ女子が控室へ入ってきた。ここでの仕事が本格化してからすっかり顔なじみの同僚で、互いに顔を見合わせて「お疲れ様」と挨拶を交わす。
「そっちももう上がり?」
「うん。混乱が落ちついてきて獣になる人もぐっと減ったし、このまま収束していくといいね」
「そうだねぇ」
 先に着替え終わったキャメロンは荷物を手にとり、最後に髪の毛が乱れていないか鏡でチェックして控室を出ていこうとする。その様子を察してか、礼服を脱いだ同僚が「そういえば」と首だけで振り返ってキャメロンに声をかける。
「あんたの彼氏、ウルダハに帰ってきたみたい。さっきコロセウムの方から出てきてそのままエメラルドアベニューに向かっていったから、いつもの場所にいるんじゃない?」
「ほんとにっ?」
 恋人という間柄ではないのだが、キャメロンと親しくなった者が揶揄してワイモンドをそう呼ぶのは珍しい話ではないので、キャメロンは肯定も否定もせずそのまま話題に食いつく。その威勢のよさに、同僚は吹き出すように笑い返した。
「ほんとよ、ほんと。ずっと会いたかったんでしょう?早く行きなさいな」
「うん、ありがとう!」
 実は、キャメロンがゼノスとの戦いで負った傷を癒してからウルダハに戻ってこの方、エメラルドアベニューのいつもの場所どころか、ウルダハ市内でさえ、どこに行ってもワイモンドの姿を見かけることがなかったのだ。
 情報屋という仕事柄たまには遠方へ足を運ぶこともあるらしいので、今回も終末を乗り越えて変わりつつある情勢の機微を把握するためにあちこち飛び回っているのだとは思っていたのだが、それにしてもまったく姿を見かけないので心配していたのだ。
 聖櫃堂を駆け足で飛び出して階段を飛び降り、そのままエメラルドアベニューへと向かう。コロセウムを通り過ぎて不滅隊の兵舎へと差し掛かるが、ちらちらと見え始めたいつものベンチにそれらしき姿は見当たらない。ならば目的地はそのさらに先だろうと目星をつけてルビーロード国際市場へ続く階段を駆け上がり、勢いよくクイックサンドの扉を開く。
 少し上がった息を整えながら酒場の各テーブルを見渡して、モモディが応対しているカウンターに愛しい背中を見つけると、キャメロンはそのよく通る声のまま酒場中に響き渡る声量で彼の名前を叫んだ。
「――ワイモンド…!」
 あまりの声量に酒場中が一瞬だけ静まり返り、名前を叫ばれた本人は驚いて体が揺れた拍子に手に持ったグラスから酒を少々溢す。次第に歓談の声は戻ってもその場の全員が否応なく視線を向けるその中で、キャメロンは構わず駆け出してワイモンドの横腹へと勢いそのままに飛びついた。
「ワイモンド~~ッ!」
「うるせえ!いきなり引っ付くな!」
 グラスをカウンターに置いたワイモンドが首根っこを掴んで引き剥がそうとするが、終末のあれこれまで含めると実に数か月ぶりにようやく顔を拝めたワイモンドに感極まっているキャメロンは、梃子でも動かぬ頑固さでしがみついたまま離れない。そんな二人のやりとりを見ているモモディは、平穏な日常な戻ってきてくれたのだという実感が改めて込み上げてきて、ほんの少しだけ目元に光るものが滲む思いだった。
「ぜのぴにやられた怪我やっと治してウルダハに戻ってこれたと思ったら全っ然姿が見えないし、今までどこ行ってたのよ!?」
「あぁ?なんだお前、兄貴から何も聞いてないのかよ」
 よもやそこで兄の話題が出てくるとは思わず、キャメロンはきょとんとワイモンドの顔を見上げる。それでようやく隙ができたので、ワイモンドは改めてキャメロンの首根っこを掴み直すと、自分の隣の椅子の上に下ろして座らせてやった。
「お前の兄貴がとんでもない額の依頼料吹っ掛けてきたおかげで、今日まであちこち馬車馬の如く駆けずり回って、報酬に見合うだけの仕事をようやく納めてきたんだよ。まったく……ガルシア錬金商の若社長ってだけでも十分驚かされたのに、どうなってんだよ、お前の兄貴とその周りの連中は」
「……それってつまり、実家の家族にご挨拶してくれたってこと?」
「妙な言い回しをするな」
 ワイモンドが遠慮なく片手でキャメロンの両頬を鷲掴み、おちょぼ口にされたキャメロンは「むぅ~」と不満そうな唸り声を上げる。
「まあまあ、ワイモンドもキャメもお疲れ様。ほらワイモンドも、放してあげなさい?その子だって最近は、新しいお仕事が増えて忙しくしていたのよ」
「…ああ、そういやそうだったな」
 ぱっとワイモンドの手が離れ、解放されたキャメロンは掴まれていた両頬の具合を確かめるようにぷにぷにと揉みこむ。ケイロンやカメリアの無茶ぶりに振り回されて忙しくはしていたが、キャメロンが聖櫃堂で葬送の仕事を請け負い始めたという情報はもちろん、ワイモンドはとっくに掌握済みだ。

 最果ての地なんて途方もない場所まで飛んで世界を救ったというのに、やはり彼女が戻る場所はウルダハなのだという事実がわかったとき、ワイモンドの胸は少なからず高揚した――自分の胸が高揚しているのだという自覚から目を背けるのが、次第に難しくなってきた。
 今や彼女が見ている世界はワイモンドの目に映るものよりもはるかに広く、出会った人々の数も、その数多から向けられる想いも、とても想像すらつかない大きなものへと変わっているだろうに。その広い世界へ羽ばたいた後にも変わらずに自分の元へと戻ってきてくれる雛鳥を、どうして愛しく思わずにいられるというのか。
「……変わらねえな、お前は」
 どうか変わってくれるな、と願ってしまう。
「終末から世界を救ってみせた英雄サマだってのに、その大役を終えて戻った先が古巣のギルドと来たもんだ。ウルダハの外にだって、他にも居つく先は山ほどあるだろうに」
「別にいいの。やーっと『英雄』なんて似合わない看板が下ろせたんだから、好きな場所で好きなことして暮らしてもいいでしょ」
 想像通りの答えが返ってきたことに安堵して、ワイモンドはグラスの中身を飲み干してから同じものをモモディにまた注文する。席についただけで何も頼んでいなかったキャメロンもそれに便乗していつものメニューを頼もうと身を乗り出すと、「そういえば」とモモディが人差し指を立てて二人の顔を交互に見る。
「キャメ、貴方…ワイモンドが戻ってきたら、お酒の飲み方を教えてほしかったんでしょう?せっかくこうして二人揃ったんだから、記念すべき最初の一杯目、戦勝祝いにワイモンドに奢ってもらいなさい。ワイモンドも、それくらい構わないわね?」
 そう言ってウインクして見せるモモディのアシストに、てっきり他所での祝賀会でとっくに飲酒を解禁していたと思っていたワイモンドは、少々驚いた顔になってすぐ隣のキャメロンのことをまじまじと見つめた。
「お前、まだ酒飲んでなかったのか…?」
「当然だよ!ワイモンドの前でも飲んだことないのに、他の男の人の前で酔っ払っちゃうのなんて、私絶対に嫌だもん」
 そう堂々と宣ってふん、と鼻を鳴らしながら腕組みして見せるキャメロンに、そんなところで操を立ててどうするんだ、とワイモンドは苦笑を漏らしてしまう――だが、言われて悪い心地はしなかった。引く手数多であろう彼女が変わらず自分を選んでくれることへの優越感は、どうしたって感じずにいられない。
 モモディからアルコールのメニュー表を渡されたワイモンドが、それをテーブルの上に置いてキャメロンと一緒に覗き込む。粗悪な酒場が多いウルダハの中でクイックサンドは安心して酒が飲める貴重な店なので、どのメニューでも安心して飲ませることはできるのだが、なにせ初めてアルコールを体内に入れるのだから、度数の低い無難なものから様子を見る必要がある。
「お前辛いものがいけるクチだから、たぶん酒もそこそこ飲めるとは思うけど…」
「ワイモンドがさっき飲んでたやつは?」
「ブランデーか?やめておけ、いきなり飲んだらたぶん倒れるぞ」
 酒を飲みなれないキャメロンにも口当たりがよくて、だが飲み過ぎてしまう危険もなく、ほどほどにアルコールを飲んでいる気分になれるもの。上から順番にメニュー表を指でなぞった先で目に留まったメニューに、「これだ」とワイモンドは小さく呟く。
「シャンディガフ一つ、甘めのジンジャーエールでつくってやってくれ」
「了解よ」
 メニューを承ったモモディが、鼻歌交じりにララフェルステップを下りて注文の用意に取り掛かる。名前は聞いたことがあっても詳しい酒の種類を知らなかったキャメロンは、首を傾げながらワイモンドの顔を覗き込んだ。
「ジンジャーエールで割ったお酒?」
「ああ、麦酒のジンジャーエール割りだ。甘めのやつで割ってもらうように頼んだから、エールの苦みが程よく中和されて飲みやすいと思うぞ」
「へえー、」
 程なくしてモモディが両手にグラスを持って戻り、ブランデーのロックをワイモンドへ、そしてシャンディガフの入った背の高いグラスをキャメロンの目の前へ置いてくれた。表面に少しだけ泡の層があるそれは見た目だけなら麦酒そのものだが、おそるおそる鼻を近づけて匂いを嗅いでみると、アルコール特有の香りに混じってキャメロンにも馴染み深いジンジャーエールの甘い匂いも感じられる。
 麦酒といえば木製ジョッキで水の如く呷っているジオットの姿しか思い浮かばなかったキャメロンは、こんな飲み方もあるのか、とわくわくしながらグラスを手にとった。持ち上げたグラスはもちろん、隣のワイモンドへと向けられる。それを見たワイモンドも、片手で持ち上げたグラスをキャメロンへと向けて差し出してくれた。
「そんじゃ、まあ……遅くなっちまったけど、お前の戦勝と快気祝いをひっくるめて」
「乾杯っ!」
 ちん、とグラスが小気味よい音を奏でる。アルコールの味とはどんなものかとドキドキしながらひと口グラスを傾けたキャメロンは、ワイモンドに聞いた通りの飲みやすい口当たりに目を輝かせると、唇の上にお約束の泡をつけてワイモンドの顔を見上げた。
「これ、おいしい!」
「ヒゲついてんぞ」
 親指を伸ばして拭ってやり、特に深く考えることもなくそのままぺろりと舐める。それを見たモモディが「あらまあ、」と口元に手を当てて微笑ましそうに目を細めた。
「飲みやすいかもしれないけど、あんまり調子づいて呷るなよ。酔いが回ってきたらペースを落として……って、酔ったことないからそれもわからないか」
「酔っぱらうってどういう感じなの?ウリエンジェさんは人が分裂して見えるようになるみたいだけど」
「そりゃ飲み過ぎの酩酊状態だ。なんというか、感じ方は人によって違うだろうけど…ほろ酔いは気分がよくなって、体がじんわりあたたかくなって、それが心地いい感じかな」
「ふうん…」
 キャメロンがまたひと口飲んで、それで一度、グラスをコースターの上へ戻す。聞いた傍から早速体の変化を感じたのかと思ってワイモンドが様子を見ていると、キャメロンは腕組みして「うーん」と小難しそうな顔をしながら唸り声を上げた。
「どうした、気持ち悪くなってきたか?」
「いや、そうじゃないんだけど……じゃあいざ酔いが回り始めても、あんまり気付かないかもしれないなぁ、って」
「ほう?」
 興味深い言葉に、ワイモンドは少し興が乗って口角が上がる。キャメロンが来る前から少しずつブランデーを楽しんでいるワイモンドはそれこそ、自分がちょうどいい塩梅のほろ酔いに入りかけていることを感じ始めていた。舌で転がすブランデーの甘さが程よくて、ゆっくり飲み込むと、通り過ぎる喉元から胃の奥までがじんわりと熱を帯びる。それで隣には極上の酒のあてが座っているのだから、気分だって自然と上がるものだ。
 だから、自分の耳に届いた彼女の言葉は、それこそ酔っ払いが聞き間違えたものではないかと思えるほどに自分にとって都合のいい答えで――
「ワイモンドと一緒にいたらいつだって気分いいし楽しいから、一緒に飲んでてもあんまり酔っぱらったのがわからないかも」
「…………、」
「だから私がおかしくなっちゃったら、ワイモンドが責任とって止めてね」
 おかしくなりそうなのも、責任を取ってほしいのも、全部こちらの台詞だ。
「…………はあぁ~…っ」
 勘弁してくれ、と思わず頭を抱えてカウンターに突っ伏してしまう。
「お前、マジで……マジでそういうところだぞ、お前…」
「ワイモンド、語彙力どっか行ってるよ。酔っぱらってる?」
「うるせえな」
 執着心に気付かないふりをしていた自分も大概だが、これだけ懐に招き入れてやっているのにそちらも自覚がないのだからお互い様だ。
「……なあ、キャメロン」
 突っ伏した体勢のまま、腕に頭を乗せてワイモンドがキャメロンへ顔を向ける。
 酔った勢いで――なんて言い訳ができるほど、まだ酔いは回っていない。それでも今から告げる言葉は、酒の力でも借りなければけして口にできなかっただろう。
「お前がどこへ行っちまおうとも、俺は別に構わないし、止めもしない。行った先で好みの男がいれば、気が済むまで愛想を振りまいてくればいい」
「……」
「それでいいから…――どこへ行っても、誰と出会っても、必ずウルダハに戻ってこい。お前が最後に戻ってくる先がここなら、俺はそれで構わねえよ」
 何処をほっつき歩いて、他にどんな男を引っ掛けたとしても、最終的には自分のところへ戻ってくればいいし、戻ってくるという確信もある。だというのに当の本人がこちらの執着に気付かないのだから、まったくもって困ったものだ。
 わかりやすく手を伸ばせば伝わるだろうか、と。枕にしていた腕を立てて頬杖を突き、空いた片手をキャメロンの丸い頭に添える。細くしなやかな髪が逃げるように指の間をすり抜けていくのが無性に悔しくて、逃すまいと絡めるようにして頭を撫でた。それを心地よく感じているのか、キャメロンも擦り付けるようにワイモンドの掌へ頭を預ける。
「何、それ……ワイモンド、私のこと大好きじゃん」
「バーカ、気付いてねえのはお前だけだよ」
 尤も、ワイモンド自身もつい最近まで気付かないふりをしていたのだが。

 スツールに座る身をほんの少しだけ寄せ合って、キャメロンがゆっくりとワイモンドに寄りかかる。好きだなんだという言葉は散々ワイモンドに対して尽くしてきたので、今更になってキャメロンから返す言葉はない。気分がよくなって、体がじんわりとあたたかくなって、どうしようもなく心地がいい。やはりこの状況で酔いが回ったところで、それがワイモンドのせいか酒のせいかの違いはわからないかもしれないな、と。そう改めて感じて、キャメロンはおかしそうに笑いを溢した。
「あーあ、酔っちゃったなぁ…って、こういうときは言うんだっけ?」
「なんでそういう無駄な知識はあるんだよ」
「お持ち帰りしてくれてもいいんだよ?」
「あー……まあ、そうだな」
 てっきりいつも通りにつれなくいなされると思っていたキャメロンは、随分と歯切れの悪いワイモンドに、思わず寄りかかっていた体を戻して彼の顔を覗き込む。目と目が合ったワイモンドはばつが悪そうな表情を浮かべていて、覗き込んできたキャメロンの額に狙いを定めると遠慮なくデコピンをお見舞いした。
「痛っ!?」
「次また同じことやったら、その時は冗談にしてやらねえぞ」

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