暁の声





 カムイルは星海へと潜らず、クルルと共にサポート役として地上に残ることを選んだ。
「……本当に、キャメちゃんと一緒に行かなくてよかったの?」
 ハイデリンの真意を問うために潜航した八人分のエーテルを観測する視線は逸らさぬまま、傍らのクルルがたずねてくる。カムイルも視線は外さぬまま、クルルからの言葉にレンズの奥の瞳を細めた。
「貴方は、私と違って、前線に出て戦うことだってできるわ。やっと二人で行動できるようになって、一番近くであの子のことを支えたいでしょうに、どうして…」
「…うん。でも、なんかさぁ……師匠に答えを示しに行くのに、二人分の想いはかえって邪魔になるのかな、って思って」
「答え…?」
 二人が観測している八人分のエーテルは今まさに、星海の最深部――マザークリスタルまで辿りついた。二人から少し距離をとって行方をじっと見守っていたフルシュノも、微かに体を動かして観測結果に目を凝らす。いよいよ、キャメロン達がハイデリンの元へと辿りついたのだ。
「エルピスで師匠に…ハイデリンになる前のヴェーネスに会って、聞かれたんだよ。俺達の旅はよいものであったか、ってさ。いろいろタイミングが悪くてその問いには答えられなかったんだけど、聞かれたときから俺は、もう…その答えは、俺のものじゃなくて、あいつの言葉で受け取ってほしいと思ってた」
「そう。エルピスではそんな話もしていたのね」
「うん。ちょっとした待ち時間の雑談みたいな感じで…でもきっと、師匠は、あのとき聞けなかった答えをずっと待ってくれていると思うんだ。この星に生きる人々のことが大好きで、大好きな分だけ心配で仕方なかった人だから」
「でも、実際にそれを聞かれたのはキャメくんでしょう?それとも、キャメちゃんに引き継いで答えてもらえるように託したの?」
 クルルの疑問に、カムイルは穏やかな表情になって首を横に振った。
「教えてない。でもあいつなら、きっと俺が思った通りに答えてくれると思う。それに、師匠が欲しい答えを示すなら、おきゃめの方が絶対に相性がいいんだよ」
「?」
 要領を得ないカムイルの言葉に、クルルは思わず視線を外してすぐ隣のカムイルの顔を見上げた。まさにその時だった。
「……戻ってくるようだぞ」
 フルシュノの言葉でクルルが弾かれたように視線を戻し、カムイルもレンズの奥の眼を険しい色に変える。
 八人のエーテルがマザークリスタルの付近に滞在していた観測時間は僅かなものだったが、その信号は今、確かに最深部から地上へと向かい始めている。ハイデリンとの邂逅が穏便に済むとは思っていなかったカムイルは、そのあまりの呆気なさに驚きの表情を隠せなかった。
「嘘でしょ…師匠のことだからてっきり、力を示せとかなんとか言って問答無用で戦う流れになると思ってたのに…」
「ちょっとキャメくん、貴方…エルピスで一体、何があったらそんな言葉が出てくるのよ」
「…いや、我々が観測している時間の流れが、エーテル界でも等しいとは限らない。それも最深部のマザークリスタルともなれば尚更だろう」
「でもみんな、しっかりとこちらへ戻りつつある」
 八人が迷わず帰還を始めているということは、マザークリスタルで何があったにせよ、事態がいい方向へと進んだ証だろう。やがて一行が通信可能な深部まで戻ってくると、クルル達の応答を求めるサンクレッドの声が断続的に聞こえてくるようになった。
「こちらサンクレッド。タウマゼインの二人、聞こえるか?」
「こちらクルル、聞こえているわ。みんなお疲れ様」
「行きこそ厄介そうなのに絡まれたが、帰り道は今のところ順調だ。時間がかからず昇降機まで戻れそうだから、引き上げる準備を頼む」
「ええ、了解よ」

 やがてサンクレッドの報告通り、一行は時間をかけずして昇降機まで無事に到着し、タウマゼインへと無事の帰還を果たした。
 到着した昇降機から降りてくるその様子は、満身創痍とまではいかないものの、苛烈な戦いがあったであろうことが見て取れる。だが不思議と、それぞれの顔に浮かんでいるのは晴れやかな表情で。それだけで、マザークリスタルで何が起きて、その結果がどうであったのかは聞くまでもなくわかった。
 それを見たカムイルがほっと胸を撫で下ろすと、その瞬間にばっちり視線の合ったキャメロンが、カムイルの顔を見るや否や勢いよく駆け出してそのまま体当たりするかのごとく飛びついてきた。
「うわぁ~ん!疲れたよきゃめくん~~っ!」
「走る元気はあるじゃねえかッ!」
 つれない言葉で返しながらも、キャメロンが床を蹴って飛び上がるのとカムイルが膝をついて両腕を広げるタイミングは一緒だった。カムイルが構えた懐の中へとキャメロンがすっぽり収まるように飛び込み、それをしっかり受け止めたカムイルも、姉の小さな体をぎゅっと抱きしめる。そんな二人の様子に、後から追いついたサンクレッドが腰に手を当てながら「やれやれ」と苦笑を溢す。
「本当に隙あらばじゃれついてるな、お前らは。あんまり騒々しくて、逆にこっちの疲れまで吹き飛ばされそうだ」
「騒いでんのはおきゃめだけだって!俺はクルルさんとどきどきハラハラしながらずっと見守ってたんだからね⁉」
「ああ、お前もありがとうな」
 キャメロンを抱えたままでまだ低い位置にあるカムイルの頭を、いつかのようにサンクレッドがぽんぽんと撫でる。まさかこの流れで優しい声で労われるとは思わず、カムイルは少し照れ臭くなって撫でられた場所の髪を梳くように撫でつけた。


   ◆◇◆


 ハイデリンの最後の言葉は、フルシュノを通じて無事に哲学者議会へも共有された。
 キャメロン達が彼女に認められたことが最大の決め手となったことで、哲学者議会は大撤収と方舟の活用方針を改めて検討し、結果、方舟は終焉を謳うものが巣食う最果ての地へと直接乗り込む手段として使うことが決まった。そこへ送り込まれるのはもちろん、ハイデリンと相対して彼女に認められた暁の血盟一同である。まったくもって願ったり叶ったりの展開で、方舟の改良と最終整備が完了するまでの間、一行には最後の休息の時間が与えられることになった。

「……そういえば、貴方達の親族もまだ、オールド・シャーレアンに滞在しているのではなくて?」
 その場は解散となり、最後の余暇時間をどう過ごそうかと話していたキャメロンとカムイルに、ヤ・シュトラが割って入って声をかける。そう言えばそうだったという表情で互いに顔を見合わせた二人に、彼女の目でもその様子ははっきりと視えたのか、ヤ・シュトラは呆れた表情で肩を竦めた。
「こんな状況なんですもの。せっかくなら、家族にも挨拶くらい済ませたいと思うでしょうに…それともジャヌバラーム家は、一族の中でさえそういう繋がりが薄いのかしら」
「ううん。そうじゃないけど、私もきゃめくんも今まで、こういうときにお兄様達には連絡したことがなくて…」
 確かにオールド・シャーレアンには今、ジャヌバラーム島からエーテル縮退炉の改良に使える素材をどっさりと持ってきたカメリアがそのまま滞在している。それはわかっていたのだが、両親へ手紙を送っていたルヴェユールの双子と違って、実家の存在が割れないようにむしろその手の連絡でさえ一切してこなかったキャメロンとカムイルには、想像すらつかない最終決戦の地へと乗り込むことが決まったこの期に及んでも、自分達の家族に顔を見せるという発想が根っから思い浮かばなかったのだ。
 そういう事情まで含めて察したヤ・シュトラは、膝をついてキャメロンに視線を合わせてから穏やかに微笑んだ。
「それなら、今回くらいはゆっくりと一緒に過ごしなさい。あの夜のキャンプ・ブロークングラスで、貴方の窮地を察して、なりふり構わず妖異を送り込んできたご当主達よ。貴方達のことが心配でないはずがないわ」
「…うん。ありがとう、ヤ・シュトラ」

 年長者の助言に素直に従うことになり、キャメロンとカムイルはリンクシェルでカメリアに連絡を取ることにした。どこで過ごしているのかとたずねると荷物を運んできた商船の中で過ごしているようで、ハンコックも一緒だから顔を見せに来いと誘われた。そういうわけで行先が決まり、二人は七賢人の庭から港へと続く階段道を並んで下っていくことにした。
「そういえば、ウチに商船あるってきゃめくん知ってた?島の周りの海はもう駄目になっちゃってるから、てっきり空路しか使ってないと思ってたんだけど」
「いや、俺も知らなかった。もうコソコソする必要もなくなったし、今後のために新しく買ったんじゃないの?荷の積み替えとかはザナラーンか、もしくはリムサまで行ってからやってると思うけど」
「そっかぁ…お金持ってるなあ、ウチの会社」
 自分達でさえ実感がわかないほどの額の一族の遺産が残っていることはわかっていたが、今まではケイロンが日常生活に関わる場面で大きな買い物をしていることがなかったため、こうして少しは金銭感覚の想像がしやすい状況を目の当たりにして初めて、二人はじみじみと、自分達はルヴェユール兄妹に引けをとらないくらい実家が太いのだと思い知らされた気分だった。
「きゃめくん、どうする?たぶん、いろんなことが終わって平和な日常ってやつが戻ってきたら、家のこととお金絡みのことであれこれ声かけられると思うよ?」
「どうする、って…今まで通り、第七霊災で記憶飛んでることにすればいいでしょ。兄上の会社のことについては、それこそ何も知らないわけだし」
「えー?玉の輿狙いで女の子達からアピールされたらどうしよう、とか思わないの?きゃめくん顔がいいし優しいしヘタレなところがちょっとかわいいし、なんかもう、そこにお金と太い実家が加わったら最強にモテるじゃん」
「お前それそっくりそのまま自分に跳ね返ってくる言葉って自覚ある?黙ってりゃかわいいんだから、顔が好みのミッドランダーにナンパされてもホイホイついて行くなよ」
「黙ってなくてもかわいいって言ってよ!」
 やいのやいのと騒がしく話すうちにエーテライト・プラザを抜けて知神の港まで辿りつくと、都市内エーテライトの近くに立っていた男が二人に気付き、そのまま小走りで傍まで駆け寄ってきた。
 目深に被ったアイパッチ付きのネオイシュガルディアンキャップと長い前髪で顔はよく見えないが、二十代半ばくらいのミコッテだ。迎えの者だと思って足を止めた二人は、男がキャップを外したことでよくわかるようになった顔つきを見て、揃って「あっ」と声を出していた。
「……りあくん…?」
 男の顔が、カメリアにそっくりだったのだ。
 そっくりではあるが、顔のパーツ以外に差異がある。母譲りの美貌を受け継いでいる顔に髭がないのでベビーフェイスの甘さがより際立っており、夜色の深い髪色は同じだが、金のメッシュではなく毛先にかけてその色味が薄くなっている。
 何より、顔に浮かべているその表情だ。
 どう繕っても胡散臭さが抜けないカメリアとは違って、見ているこちらが居たたまれなくなりそうなほど爽やかできらきらと輝いて見える純粋な笑顔。顔も背格好もまったく同じなのに、その表情と佇まいの雰囲気だけで、どこからどう見てもカメリアには見えない。あまりにも眩い善の存在に笑顔を向けられ、どちらかといえば性根は陰気で面倒である自覚がある二人は、石化したように動けなくなってしまった。
「ああ、よかった…!やっぱり兄さんと顔が似ているから、気付いてもらえましたね!」
 動けなくなってしまった二人に構わず―というよりもその戸惑いが伝わらないほど鈍感なのか、カメリアの弟らしきその青年はさらに笑顔を輝かせた。カムイルは思わず眼鏡の上から手で目を覆って「うわ眩しっ」と上体を仰け反らせる。カメリアに弟なんていただろうか、と首をひねるキャメロンを前に、その青年は深々と頭を下げた。
「お嬢様、若様、お初にお目にかかります。お察しの通りカメリアの弟の、サルビアと申します。兄の指示でお迎えに参りましたので、どうぞこちらへ」


 サルビアと名乗ったその青年に先導された商船は中型ながらも立派な造りのもので、案内された船室は船の見た目から想像していたよりも広く、快適な船旅を過ごせそうなものだった。
 扉を開ければカメリアとハンコックが軽食を摘まみながら雑談していたようで、顔を見せた二人を手招きして歓迎した。ここまで案内してきたサルビアと言えば、外で警護にあたるからと言ってそのまま扉を閉めて出ていってしまう。ぱたりと閉じた扉の外を指さし、顔はカメリアへと向けて、カムイルは訝し気な表情を浮かべて思っているそのままを言葉にした。
「誰なの?あの……りあくんから毒気という毒気を抜き取って、ドラヴァニアの綺麗な水だけ与えて育て直して、さらに不純物を取り除きまくってようやく一滴だけ絞りとれるみたいな善の者オーラ全開の好青年」
「毒気と不純物だらけの泥水で悪かったな。俺の弟だよ」
 カムイルにかわいくないことを言われるのはいつものことなので、カメリアも特に気には留めずに、ただしどこか疲れた様子で盛大な溜息を吐いた。いつも飄々としているのに珍しい、とカムイルがその隣に腰を下ろして、腰を下ろしたカムイルの膝の上にキャメロンが遠慮なく座る。それを対面の席で見ているハンコックは、付き合いが長いとはいえ実際に見ることは叶わなかったジャヌバラーム家の者達の団欒の様子に、ほっこりとサングラスの奥に隠した目元を綻ばせた。
「りあくん、弟なんていたっけ?」
「いたよ?でも俺と違って錬金術や研究職に向かない性分だったみたいでさ、ガキの頃からずっと交易船の水夫志願で、そっちの雑用を手伝いながら仕事を覚えてたんだよ。だから第七霊災にてっきり巻き込まれたと思ったんだけど…使いっ走りのために一人だけ南ザナラーンの港に残っていたらしくて、それで運よく生き残ったんだと」
 語って聞かせつつ、カメリアが馴染みの煙草を咥えて火をつける。ふう、と一息吐いてから、カメリアは扉の窓越しに見えるサルビアの背中に視線を向けた。
「……島外でジャヌバラームの壊滅っぷりを聞いて、それでも他言無用の禁は破るまいと、今までずっと出生地を隠して生き延びてきたらしい。旦那が家名を公表したのを聞きつけてウルダハにすっ飛んできて、クイックサンドの女将さんに俺達が滞在しているホテルのこと聞いて顔出してくれて、それで俺も初めて、生きてるって知ったんだ」
「なるほどね、」
「いやあ、それにしてもちょうどよかったわぁ!北洋向けに使える海路のルートがなかったからどうやってオールド・シャーレアンまで荷物運ぼうかと思ってたんだけどさ、あいつずっと交易船の用心棒で食ってたらしくて、信頼できる心当たりの船を紹介してくれたんだよ」
 さすが俺の弟、と締めくくってカメリアが満足そうに灰を落とす。最後はおどけて見せていたが、実際、死んだと思っていた―見捨てざるを得なかった弟が生き延びていたことがわかって嬉しいのだろう。サルビアの背中を見るカメリアの眼差しには、キャメロン達へ向けるそれとはまた違った愛情がこもっていた。その照れ隠しを察してか、ハンコックが話題の矛先をキャメロン達へと向ける。
「それにしても、お二人がこうして揃っているのを見ていると、本当に仲がよろしいのデスネ。せっかく御当主殿も島外へ出られるようになりましたし、この終末を退けたあかつきには、皆様でクガネへ家族旅行というのはいかがでしょう。望海楼の特別客室、せっかくですから御当主殿にねだってみては…?」
「えーっ、どうせスイート泊まるならワイモンドと一緒がいいよ!」
 カメリアもいる前だというのに遠慮せずワイモンドの名前を出すキャメロンに、いろいろと込み入った事情も全部承知しているハンコックは、思わず膝を叩いて大笑いする。
 ワイモンドが彼女へ執着していることも、その執着のせいでカメリア達が頭を悩ませる事態になっていたことも、終ぞ彼女自身は知る由もないのだろう。それを思うとハンコックには、古い友人であるワイモンドのことがいろんな意味で哀れに思えた。あまりにおかしくて涙まで出てしまい、その目元を拭いながら「そういえば」とハンコックが続ける。
「実はこちらへ荷物を届ける途中で偶然ワイモンドに会ったので、彼のことも運んで貴方へのサプライズとしてお届けしたかったのデスガ…」
「えっ、そうなの⁉」
 ワイモンドの名前にキャメロンが思わず身を乗り出し、落ちそうになる前にカムイルが腕を回して自分の腹に抱き寄せる。
「生憎、ウルダハに帰るからと断られてしまいました。こちらのことが落ちついたら是非、彼にも顔を見せてあげて下さいネ?」
「もちろんだよ!もうジャヌバラームの人間って隠す必要ないし、今こそ家名に物言わせて、ワイモンドを専属の情報屋として雇ってやるんだからっ」
 ふふーん、と得意げに腕組みして鼻を鳴らすキャメロンに、カメリアは心の中だけで「もう旦那が買収済みだよ」とツッコミを入れた。
「弟君も、よいお相手がいるとの噂、御当主殿からうかがっていますよ?」
「えっ⁉」
 ワイモンド絡みの話が続いていたのですっかり油断していたカムイルは、話題の矛先が思っていたよりも鋭角に自分へ突き刺さりびくりと肩を震わせた。思わずキャメロンを抱き寄せていた腕に力が入ってしまい、「苦しいよお」と下から不満そうな声が聞こえてきて腕の力を緩める。
「ご事情があってなかなかこちらへお招きできない方だと存じております。デスガ、もしクガネにいらっしゃる機会があれば、そのときは東アルデナード商会としてではなく、御当主殿の友人である私個人として、素敵な旅のバックアップをさせていただきます」
「……うん、そうだね」

 兄がハンコックにどこまで事情を話しているかはわからないが、リーンを原初世界へ招く手段がないことはその通りだ。
 だがヤ・シュトラが解き明かしてみせると言葉にしているように、もしもいつか世界の壁を超えてリーンを原初世界へ連れてこられるのなら、彼女に見せたい景色がたくさんある。クガネはもちろん、自分達が生活拠点にしているウルダハはサンクレッドとミンフィリアにも縁がある都市だし、筋違砦へ行ってタンスイにも紹介してあげたい。
 他にもリーンについて考えていると、懐に大切にしまったままの永久氷晶がほんの少しだけ反応を返してくれたように感じられた。
「今すぐに連れてくることはできないけど、きっとクガネの街並みを見たらすっごく喜んでくれると思うから、次に会うときはクガネの風景画でも持っていってあげようかな」
 珍しくリーンのことを素直に話すカムイルに、キャメロンもカメリアもいつものように茶化したりせず、愛おしそうな眼差しでリーンへ想いを馳せるカムイルを見つめる。カムイルが第一世界へ渡ったばかりであることも承知しているキャメロンにしてみれば、そのタイミングで二人の関係が進展したであろうことは、カムイルの表情を見ていれば言われずともわかった。
「…まだまだ終わるわけにはいかないよね。私達も、この世界も」
 こうして誰かと集まって他愛のない話をするだけで、明日への希望は溢れ出す。世界の壁を超えたいという大きな夢から、明日何を食べるかという些細な日常まで、そのかたちは様々で。それらを思えば、やはり星外から齎される終わりをそのまま素直に受け取るわけにはいかないのだ。
「りあくん、ハンコックも、ありがとう」
 ぴょんとキャメロンがカムイルの膝から飛び降り、カムイルも軽くなった腰を上げて席を立つ。これが最果ての地へと出立する前の最後の会話だと察して、だが特に態度を改めるということはなく、カメリアはいつも通りの様子で片手をひらひらと振った。
「気が済むまで暴れてこい、って。旦那から伝言」
「うん、任せて!」
「それじゃ、まあ……世界の命運、お嬢達に託したわ」
 最後にぐっと親指を立てて見せ、キャメロンとカムイルは晴れ晴れとした表情で船室を後にした。


   ◆◇◆


 それからオールド・シャーレアンで見かけた馴染みの顔とそれぞれ言葉を交わしてから二人がナップルームへ戻ろうとすると、ちょうど部屋の扉の前にアリゼーが立っていた。アリゼーも気配で二人に気付いたようで、顔を向けるとぱっと明るい表情になる。
「よかった、ちょうど部屋を訪ねようとしていたところなの」
「アリゼーちゃん、ゆっくり休めた?」
「ええ、バッチリよ。それでね…」
 言葉を区切って険しい顔つきになるアリゼーに、いよいよか、と二人も覚悟を決める。
「……方舟の最終調整が完了したそうよ。貴方達さえよければ、明朝には終末作戦を決行に移したいのだけれど」
 アリゼーの言葉にキャメロンとカムイルは互いに顔を見合わせて、そして、二人揃ってアリゼーへと向き直ってから力強く頷く。その反応を見て、アリゼーはほんの少しだけ肩の力を抜いてくれた。
「よかった…それじゃあ私、アルフィノに伝えてくるわ。二人はこのまま、今夜はゆっくり休んでちょうだい」
「うん、ありがとね」

 駆け出していくアリゼーの背中が見えなくなるまで見送ってから部屋へ入り、二人揃って大きく伸びをする。元より今夜はこのまま横になってゆっくり体を休めるつもりだったが、いよいよ明朝が作戦決行だと思うと、キャメロンの胸には戦いの前の高揚のようなものが沸き上がってくる。このままハイになって眠れなくなってしまうと困るので、キャメロンは温かい飲み物で眠気を誘おうと片手鍋に手を伸ばした。
「ホットココアかロークワットと蜂蜜のホットティ淹れようと思うけど、きゃめくんどうする?」
「ホットティもらおっかな」
「んー、」
 面倒なので鍋の中身は魔法ですぐに沸騰させ、少し冷ます間にロークワットの蜂蜜漬けが入った瓶を取り出して、スプーンで掬った適量を二つのマグカップにそれぞれ落とす。あとは蜂蜜漬けの果肉を溶かすようにゆっくりお湯を注げば出来上がりで、両手にそれぞれマグカップを持っていざダイニングテーブルを振り向いたキャメロンは、振り向いたすぐ目の前にカムイルが差し出してきたものを見てぱちくりと目を瞬かせた。
「……え?」
 両手がふさがっていて受け取りようのないそれを、じっと見つめ返すしかない。あまり見覚えのないそれをキャメロンがよくよく観察して「あ、」とその正体に気が付いたのと、カムイルが自分の分のマグカップを大きな手でひょいと引き取ったのは同時だった。
「これ、もしかして…大氷河の永久氷晶?」
「うん、」
 カムイルはキャメロンの空いた掌にそれを握らせると、マグカップを受け取ったそのまま自分の席に腰を下ろしてしまう。キャメロンは握らされたそれをしばし見つめて、いろいろと言いたい言葉が口を吐きそうになったが、立ちっぱなしでいるわけにもいかないのでカムイルの対面の席に座る。
 何を言われた訳ではないが、この永久氷晶がどのような経緯でカムイルの手に渡ったものかの想像は難くない。それを受け取ってしまったいいものかと戸惑いの表情で顔色を窺ってくるキャメロンに、カムイルはマグカップの中身を一口含んでから肩を竦めて見せた。
「俺、クルルさんと一緒にこっちに残ろうと思うから。だから、それはおきゃめが持っていってよ」
 カムイルの言葉を聞いて、キャメロンの戸惑いの表情がまた別のものに変わった。
「一緒に……来てくれないの…?」

 ここまで来たら当然、カムイルも共に方舟に乗ってくれるものだと思っていた。
 だがどうにも弟にそのつもりはなく、彼の中ではすでにそれが決定事項になっているらしい。こうなってしまってはキャメロンが何を言ったところで結論が変わらないことはわかっているので、反論の言葉の代わりにキャメロンは永久氷晶をカムイルへと突き返した。
「それじゃあ、これは持っていけない。きゃめくんが持ってなきゃ駄目だよ」
「うん。だからさ、ちゃんとまた俺に返して」
 カムイルの言葉は端的で、それでもキャメロンには十分伝わって、はっとした表情になり突き返していた腕を引いてくれる。
 一から十まで言葉にせずともこちらの気持ちを汲んでくれる存在は本当にありがたくて、かけがえのないもので。だからこそ彼女に持っていてほしいとカムイルは思うのだ。
「それは確かに、リーンが俺のために持たせてくれたものだけど……でもさ、そこに込められているリーンの気持ちって、きっと、俺だけに向けたものじゃないと思う。おきゃめも、サンクレッドも…リーンが大切に想っている皆への気持ちが込められたものだから、皆と一緒に行くおきゃめに持っていってほしいんだ」
「きゃめくん……、」
「それで、絶対に俺に返して」
 キャメロンが永久氷晶を握る小さな手を、カムイルが大きな両手で優しく包み込む。
「一緒に行けなくて、ごめん…でも俺、きっとお前の邪魔になっちゃうから。エルピスの時みたいに一人ならまだ気張っていられるかもしれないけど、おきゃめが傍にいてくれたら、絶対に、お前に甘えちゃうってわかってるんだよ。わかるでしょ?そんな甘っちょろい気持ちで立ち向かえるような相手じゃないって」
「…………」
「だから一緒には行けないけど…俺がおきゃめを信じる気持ちだけ持っていってくれたら、雑念がない分ずっと強く響くと思うから」
 包み込んだ両手から想いを込めるように瞳を閉じたカムイルを見て、キャメロンはそれ以上何も言えなかった。
 ただでさえ気心が知れてその胸に抱く想いが手に取るようにわかるカムイルが、この最終決戦にどれだけ強い想いをかけているかが伝わってくる。
 それはけして逃げの姿勢でも甘えでもない。ましてやエルピスで直にメーティオン達の絶望を流し込まれた経験があった中で、自分にできる最善の戦い方を真剣に考え抜いて、その末に導き出した答えがこれなのだ。

「……ずるいなぁ、きゃめくん」
 キャメロンが永久氷晶を持つ手をぎゅっと握り込む。それが受け取りの証だとわかって、カムイルも姉の小さな手を包み込んでいた両手をゆっくりと開いた。
「私が私のことを信用できないのわかってて、でもきゃめくんが信じてくれる私のことなら信じられるってのも知ってて、これ渡してきたでしょ」
「なんだ、わかってんじゃん」
 にやり、とカムイルが得意そうに口角を上げる。それを合図に湿っぽい雰囲気は霧散して、視線が合った二人は吹き出すように互いにからからと笑い合った。
「あー、もう!緊張してたの馬鹿みたい!やっぱり飲み物だけじゃなくて何かおいしいもの食べてから寝よ!」
「太るぞ」
 調理師の支度に着替えるや腕まくりして一品拵えようとするキャメロンに、それで止まらないとはわかっているがカムイルが釘をさす。案の定「明日死ぬほど動くからいいの」と言って聞かない姉の勝負飯をつくってやるか、と。カムイルも支度を整えながらキャメロンが並べている食材を覗き込む。
「せっかくだし、俺がつくろうか?」
「ううん、大丈夫!」
 てっきりお任せされるかと思っていたカムイルは、思ったよりも勢いよく断ってきた姉に思わずきょとんと目を丸くしてしまう。そんなカムイルを見上げて、キャメロンはにっこりと嬉しそうに満面の笑みを返して見せた。
「きゃめくんには帰ってきてからいろんなものリクエストしたいから、手料理はそのときの楽しみにとっておくの!」

15/18ページ