暁の声





 ――一方、紅玉海。

 暁からの要請を受け東方諸国での神器、魔器収集の取りまとめ役になったハンコックは、主に醴泉神社や碧のタマミズに奉納されている神器をクガネへと安全に移送する準備のため、再び筋違砦へと訪れていた。
 前回ここでソロバンと偶然顔を合わせた際に移送については依頼済みのため、すでに海賊衆の協力で紅玉海の海路上にある神器やそれに類する貴重品は個々に収集済みであり、今回の目的は、それらをまとめて大型船でクガネへ運ぶための積荷確認とその現場監督だ。実際の積荷の入れ替え作業と確認は海賊衆の船員と東アルデナード商会の従業員達が行っているため、ハンコックはラショウ達がいつも構えている砦上部の席を借りて腰を休めていた。
 ドマ解放戦線での支援がきっかけで海賊衆とも取引する機会が増えたハンコックだったが、さすがにここまで大掛かりな仕事を共同で行うのは初めてのことである。いつも崩さない飄々とした態度もほんの少しだけ緩み、ふう、と一つ息を吐いた。そんなときのことである。

「――とっ…頭領~~ッ…!」
 ばたばたと慌ただしく階段を駆け上がってくる足音が聞こえたと思った矢先、海賊衆の新入りが転がり込むようにハンコック達がいる砦上部へとやってきた。それから遅れて浜辺の方で何やら揉めているような声も聞こえてきて、タンスイは咄嗟に背中の槍へ手をかける。
「どうした、獣でも現れたか?」
「い…いや…そうじゃあねえんですが……っ」
 終末の影響による騒ぎではないとわかり、一同は一先ずほっと胸を撫で下ろす。ではこの慌てぶりは一体どうしたことかと眉を顰める三人に、乱れた呼吸をやっとの思いで整えた新入りが事情を話し出した。
「荷の積み込み作業も問題ねえんですが…クガネからの小型連絡船がやって来たと思ったら、そこに乗り合わせてきた男が、物凄い剣幕でハンコックの旦那を出せって……」
「…………私を?」
 ハンコックが思わず自分を指さし、ラショウとタンスイも、じろりと冷ややかな眼差しになってハンコックへ視線を向ける。一体どんな厄介事を持ち込んできたんだと無言で威圧する二人に、商売相手を利用させてもらうことはあってもけして陥れることはなく両者に利益があるかたちですべて完結してきたハンコックは、身に覚えがないと必死で首を横に振った。
「本当に、誰かの恨みを買うような取引をしたことはありません!えーっと…こういうときは、袖の下を……」
「金で解決しようとしてるじゃねえか」
 ごそごそとわざとらしく袖の下に手を突っ込むハンコックに、こいつ全然動じてないな、とタンスイが呆れ半分にツッコミを入れた。
 とにもかくにもハンコックの商売絡みならそこまで慌てるようなことでもないだろうとタンスイが槍にかけていた手を下ろすと、新入りが転がり込んできたときよりも随分と荒々しい足音が勢いを殺さないまま一気に木製の階段を駆け上がり、やがて紅玉海ではあまり見かけない顔の男が姿を現した。
 服装と少し浅黒い肌の色からして、西方からの珍客だろう。ハンコックによく似た丸いサングラスをしたその男に見覚えがないラショウとタンスイは揃って訝しげな顔になり、男に見覚えがあるどころではないハンコックは「あっ」と彼にしては随分と間の抜けた声を漏らす。その瞬間、駆け上がってきた男が締め上げる勢いでハンコックの着物の袷を掴んだ。
「ハンコック、てめぇ……ッ!」
「これはこれは……お久しぶりデス、ワイモンド」
 そう――サングラス越しでも隠し切れない鬼の形相で筋違砦を駆け上がってきたのは、ウルダハの情報屋ことワイモンドだった。

 勢いよく胸倉を掴まれたハンコックは、トレードマークの赤いサングラスがずれて普段は隠されている紫色の瞳が丸見えになっている。
 交渉事において目の動きは最も感情を悟られやすい――それ故にハンコックもワイモンドも常にサングラスの奥に思惑を隠して過ごしているわけだが、ワイモンドもワイモンドで駆けあがってきた汗でサングラスのつるが滑ったせいか、黒いレンズの縁から鳶色の瞳が見え隠れしていた。
 いつもは互いの腹に一物では済まない数の思惑を抱え込んだままビジネスパートナーとして、そして時には同じ苦労を知る友人として付き合ってきたハンコックに対して、今だけははらわたまで引きずり出して事の次第を問い質してやる、とワイモンドは本気の剣幕になっている。彼がそうなったであろう経緯も自分に矛先を向ける理由も思い当たる節があるハンコックは、とりあえず、といつもの薄っぺらい笑顔を貼りつけて「まあまあ」とワイモンドを宥めようとした。
「例の件についてデスネ?生憎、今は暁の血盟直々の依頼の最中デスので、それが終わってから改めてゆっくりと……」
「荷の積み替えが終わるまでお前が暇してるのはわかってんだよ。いいからこの場で全部吐きやがれ二枚舌のコウモリ野郎。姉貴はまだしも、弟の方はここにいる副頭領サンに世話になってんだろうが」
 ワイモンドという名前に、姉と弟というキーワード。
 その素性についての思い当たる節にようやく気付いたタンスイは、「嗚呼」と声を出して掌を拳で打った。
「お前、確か……姉貴の方のキャメロンの恋人の情報屋…――――」
「恋人じゃないから訂正させろッ!」
 余程気が立っているのか、ハンコックの胸倉を掴んだままワイモンドのヘイトがタンスイにもそのまま飛び火した。仮にも東の海のギャングである海賊衆の副頭領に怯むことなく噛みつけるとは――それ以前にこうして身一つで筋違砦まで乗り込んできたことといい、音に聞くウルダハの情報屋という男は、カムイルから聞いている以上に豪胆らしい。
「まあ、なんだ。積荷の準備にはもう少し時間がかかるし、ゆっくり座って話そうや」
「では、俺は下の様子を見に行くとするか」
 キャメロンとカムイルに関わる話だということを察して、ラショウはそれとなく席を立ち新入りと共に浜辺の方へ降りていってくれた。


 積荷の準備はその後も滞りなく進んでいそうなので、三人は軽く人払いをしてからそれぞれ机についた。いつもラショウが腰かけている椅子にタンスイが座り、その対面に座っていたハンコックの隣にワイモンドが腰を下ろす。その間にワイモンドも幾分か落ちついたようで、未だハンコックへ向けられる剣幕は鋭いが、話ができる程度にはなっている。カムイル(尤も、ここにいる全員が彼の本来の名前までは知らないままだが)にも関わる話だからとワイモンドに声をかけられたので、そこまで興味があるわけではなかったが、渋々とタンスイもその場に同席することになったのだ。
 ワイモンドがハンコックへの事実確認を交えつつ語って聞かせたキャメロン達の実家にまつわる話というのは、ひんがしに産まれて子供の頃から紅玉海で海賊衆として生きてきたタンスイからしてみれば、あまり現実味のない御伽噺のような内容としか思えなかった。
 西方では名の通った大商家なのかもしれないが、生憎と、ジャヌバラームという家名を聞き及んだことはない。ただ、カムイルがたまに愚痴混じりに話して聞かせてきた実家の兄や一緒に暮らしている兄貴分達の様子について合点がいったり、彼自身の生まれはアジムステップだったのではないかというタンスイの個人的な予想について答え合わせができた程度の内容で。それ以外の難しい錬金術の話やら複雑な家庭事情やらなどは、端から興味がないので右から左へ聞き流しただけに終わった。

「……副頭領サンは、随分とどうでもよさそうだな」
「うん?」
 まだまだ話が長くなりそうなので煙でも吹かそうかと煙草の用意を始めたタンスイに、意外そうな声色でワイモンドがたずねる。「別に、」と準備をする手は止めないままでタンスイは小さく返した。
「俺達は…――ここは、故郷も家族も、何もかもを捨ててきた連中の集まりだ。俺だってそうだ。確かにあの甘ったれの弟はよく俺を訪ねてきたし、見ていて危なっかしいところもあったから首輪をつけてやったりもしたが……あいつがここに懐いた理由もきっと、例え一夜の間だけでも、自分を取り巻く故郷と家族のことを忘れたかったのだろうさ。生まれも育ちも境遇も関係なく、ありのまま丸裸の自分を見てくれる居場所がほしい。口には出さなかったが、そういう気持ちがどこかにあったから、あいつはここへ通っていたんだと俺は思っている。だから、今更あいつの生まれのことなんてどうでもいいんだよ」
「言い方がやらしいなあ」
「うるせえ、放っとけ」
 人見知りで臆病者のカムイルがどうして自分に懐いて、そして海賊衆の中では妙に取り繕うこともなく、伸び伸びと過ごせていたのか。カムイルの面倒を見てやりながらタンスイが出した結論が、それだった。
「自分の置かれた境遇を悲観しているわけじゃあなかったが…それでもあの性格だから、気を張らずにありのままで居られる時間も必要だったんだろう。他にもいろいろと、面倒な事情を抱えていたしな」
「なるほどなぁ……あ、俺も吸っていいか?」
「おう、」
 各々が咥えた煙管と煙草に火をつけて、ふう、とそれぞれ胸に抱いた感情と共に吐き出す。さっきの口ぶりといい、タンスイとカムイルの間で一時的に成立していた関係についてはきっと、ワイモンドも承知の上なのだろうと思う。
 そうなるに至った理由にも経緯にも後ろめたいことは一切ないので突かれたところで痛くはないのだが、そもそもの発端となったカムイルの心の傷についてこの男は知っているのだろうか、と。言葉には出さずとも何とはなしに吐き出した煙越しに顔を見れば、なるほど情報屋という商売はこちらが想像している以上に相手の心の内を読むことに長けているようで、視線が交わった鳶色の瞳で、そっくりそのまま答えを返された。
「……姉貴の名前ごと、弟の面倒も見るつもりなんだな」

 いくら名前が割れなかったとはいえ、懸想して熱心に見守っている娘の弟――それも同じ名前を背負わされた影武者であった少年が辱められて、執念深いこの男が黙っているわけがないだろう。
 ましてや彼のテリトリーであるウルダハで起きた出来事だ。その後の顛末まではカムイルが知る由もなかったが、姉の名前が不名誉なかたちで世に出ることも、弟の身に起きた出来事が明るみになることもないように、この男が手ずから裏社会の闇の中へと葬り去っていたのだ。
 そしておそらく、タンスイとの関係のことも外部へ漏れないようにとずっと見張っていたのだろう。ラショウをはじめとした事情を知っている連中の口が軽くないとはいえ、それでも今日まで妙な噂にならずによく済んだと思っていたが、よもや自分も知らぬところで手ぐすねを引いていた人間がいたとは思いもよらなかった。
 あいつらも随分と恐ろしい男に好かれたものだ、と。タンスイは思わず乾いた笑いを溢してしまった。
「はははっ…とんでもねえな、アンタ。それだけやっておいて姉貴の方を好いてないっていうのは、さすがに無理があるぞ」
「ええ、私もそう思います」
 ワイモンドのヘイトが落ちついたせいか、ハンコックもいつもの調子を取り戻してタンスイの言葉にうんうんと頷く。その懲りていない様子に、ワイモンドはハンコックの脇腹へ遠慮なく肘を入れてやった。
「……というわけで、別に俺は副頭領サンに対しては何とも思ってないから安心してくれ。むしろ、あの弟をよく御してくれていたと感謝したいくらいだぜ」
「別に大したことはしていないさ。まあ、それももうお役御免になったけどな」
 ふられる前から勝手に失恋したとうじうじ思い悩んでいた相手と前向きな関係になれそうだ、と。最後にカムイルが顔を見せた日に、タンスイはそんな話を聞かされた。ふらふらとどこへなりとも行ってしまいそうだった彼がようやく真っ直ぐ歩けるようになったことへの安堵こそあれ、自分の手がかからなくなる淋しさのようなものは微塵も感じていない。それでもまた、ああだこうだと愚痴を吐き出しには来るだろうから、そのときは変わらない態度で迎えてやるだけだ。


「――ハンコックの旦那ァッ!荷を全部積み終わったんで、最終点検だけ頼みます!」
 ちょうど話の区切りがいいところで、浜辺から大きく張り上げた声が聞こえてきた。ワイモンドに見舞われた一撃の痛みがまだ少し残っているハンコックは、脇腹をさすりながらも席を立つ。
「いたた…では、皆様から受け取った大切な想いを彼らに届けるため、我々も参りましょうか」
「ああ、そうだな」
 煙管の灰を落としてタンスイも立ち上がる。ワイモンドも残りを一息で大きく吸い込み、携帯灰皿に吸い殻を落としながら二人の後に続いた。
「ワイモンドもご一緒にいかがですカ?まだまだお二人は、お互いに積もるお話もあることでしょう」
「いや、積もる話はもうないけど乗ってくわ。俺の分の帆別銭はお前持ちな」
「おう、乗ってけ乗ってけ」
 時刻は夕暮れ。西日で鮮やかに染まる紅玉海を、人々の希望を乗せた大型海賊船がクガネへと帆を急ぐ。クガネには他にもボズヤのレジスタンス達などから託された品々など、山ほどの荷物が終結しつつあるため、劇団マジェスティックの好意で劇場艇を使ってオールド・シャーレアンまで運ぶことになっている。今夜はこのまま夜通しで搬入作業になり、夜明けと共に出航予定だ。
「ワイモンドのことも一緒にお届けしたら、さぞやお喜びになると思うのデスガ……」
「絶っ対に嫌だ」
 遠回しにこのままオールド・シャーレアンまで一緒に行かないかと誘うハンコックに、ワイモンドは苦虫を噛み潰したような顔になってきっぱりと首を横に振る。この期に及んでまだ自分の目で直接キャメロン達の雄姿を見守るつもりがないのか、とタンスイは呆れて肩を竦めた。
「それなら、あいつらが無事で帰ってきたときの戦勝祝いに酒でも飲ませてやれ。確かまだ飲酒解禁してなかっただろ、あの姉弟」
「あー…そういやそうだったな。じゃあ副頭領サンに任せるわ」
「ウチは強い清酒しか出せねえぞ。そっちで飲み方教えてやれ」
「ウルダハだって、値段も度数も馬鹿みたいに高い酒か、悪酔い必至の安酒しかねえぞ」
「それでしたら、我が商会がおすすめする一品はどうでしょう?価格帯も飲み口も、どのようなご要望にもお応えできるものを取り揃えておりますよ?」
「いや、お前のところからは絶対に買わねえ」
 終末が始まってしまった世界の中でも、明日が来ることは変わらない。明日が来るということは、明けない夜はないということだ。
 戦勝祝いという言葉が自然と口を突いて出て、それをここにいる誰もが疑わずにいるように、この終末も必ず退けることができるものだと信じている。不本意ながら敵の本丸へ乗り込めるだけの実力には劣るので、彼らを本丸へと送り出すために、こうして自分達にできることを精一杯やるだけだ。
「……あいつがいつも通りに帰ってこられるように、俺はウルダハで待つんだよ」

 彼女の行く道が、どんなに長く、遠く、自分の手が届かない彼方へと続こうとも。
 いつも通りに、いつもの場所で、いつもの笑顔が見られると信じている。

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