暁の声





 謝意を表していただけるのなら――そう言ってアルフィノが持ちかけた交渉に折よく月からレポリット達が駆けつけたこともあり、互いに警戒してばかりだった暁と哲学者議会との間でようやく、一時的ではあるが協力関係を結ぶことができた。
 哲学者議会からは大撤収の全容について明かされ、暁は彼らの計画が抱えている問題であるエーテル縮退炉の改良に協力することと、その報酬としてハイデリンとの面会と「方舟」の使い方を提案させてほしいという取引。アルフィノが踏み込んだこの交渉は過半数以上の賛成を得られ、一行は責任者であるククロ・ダンクロに話を聞いたわけだが、

「――そういう無茶を言うときは、せめてエクスアダマントを手土産にしてほしいぜ!」
 この悲痛なククロの叫びがきっかけとなり、では各地方からの協力者が集っている派遣団メンバーの伝手を頼って各地のダラガブ片へ一斉にエクスアダマントを取りに行けばいいではないか、という話になった。それに加えてエクスアダマント級のはたらきが見込めるアラグの魔器や東方に伝わる神器など、方舟を宙へ飛ばすためにくべる薪が、終末を退けようと抗う人々の手によって、オールド・シャーレアンへ集おうとしている。
 そうと方針が決まり、キャメロンとカムイルは無言で顔を見合わせて頷き合った。もちろん、自分達にも骨まで噛り付いてしゃぶれるだけの兄の脛があるからだ。
「それじゃあ、私達も…――ジャヌバラーム家として、この機会に顔を立てさせてもらおうかな」
 そう言うやリンクパールに指を当てたキャメロンを見て、振り向いたアルフィノが驚きで目を丸くしていた。
「だが……君達、家の資産については兄上がすべて管理していて、自分達で自由にできるものはまったくないと言っていたじゃないか」
「だから、その自由にできる人の脛を齧るんだよ」
 すでに通信が始まったキャメロンに代わってカムイルが応える。
「さっき聞いた話だと、別にエクスアダマントじゃなくても、高濃度のエーテルを蓄積することができた上で伝導率がいい素材なら何でも大歓迎なんでしょ?」
「あ…ああ。確かにそうだが……」
「ウチの兄上は錬金商である以前に、マハ時代の魔法に関わる資料や遺物を取り憑かれたように収集している研究家なんだよ。フルシュノさんの前でする話じゃないかもしれないけど、きっと、シャーレアンじゃ即禁忌扱いになる代物も抱え込んでるはずだ」
「では…っ」
 言わんとすることを察したアルフィノに、カムイルもにやりとした笑顔で頷く。
「アラグに比べたら時代は新しいけど、マハ時代の魔器や、当時の魔道士達が強力な魔法を行使するために使っていた呪具ならウチに山ほどある。魔大戦最盛期の人達が使ってた遺物だよ?アラグの技術にも負けないくらいエーテル伝導率が高いでしょ」
 ケイロンとの通信を終え、キャメロンがカムイルに並んでアルフィノを見上げる。首尾はどうかと顔を向けたアルフィノに、キャメロンは親指を立てて自慢気な顔になった。
「お父様の代まで稼働していた錬金術素材の製造工場跡の地下に、ちょっとヤバいくらいエーテル伝導率が高いクリスタルが残ってるかもしれないって。回収できそうだったらそれを持ってきてくれるみたい。コレクションを手放すのはかなり渋ってたけど、それに見合うだけの物は用意して一緒に持ってきてくれるって」
「ああ、ありがとう…!」
「それと、ナナモ様の命でロロリト会長が好事家達からアラグの魔器を回収してるみたい。だからそっちの方面でも間接的に協力できるだろう、って言ってたよ」
「まったく…君が彼の家の生き残りだと聞いてもなかなか信じられなかったが、こうして兄上の話をうかがっていると、じわじわと実感がわいてきたよ」
「えーっ⁉私だって十分、普段から育ちのよさとか滲み出てたでしょ⁉」
 心外だ、と頬を膨らませるキャメロンにアルフィノが大口を開けて笑う。そうしてアルフィノはひとしきり笑うと、頼もしい友人二人の顔をそれぞれ見て力強く頷いた。
「さあ、私達も行動を開始しよう。エクスアダマントの到着をただ待っているだけではなく、今この瞬間に協力できることがあるはずだ」


   ◆◇◆


 エーテル縮退炉改良のための素材到着までは大撤収に向けた作業の手伝いを方々で引き受けていた暁一行だったが、さすがに日を待たずして各地から品々が届くということはなく、日が暮れ始めたところでその日の作業は引き上げることになった。終末が迫る中で対応に追われているラヴィリンソスの研究者達とはいえ、さすがに不眠不休で働いているということはなく、夜間の活動が必要な者以外はしっかりと休息をとっているのだという。

「そういう訳だから、みんなも地上へ上がっていらっしゃい」
 自分達で力になれることがあれば、とつい全力投球してしまうアルフィノ達を見かねて声をかけに来てくれたクルルに素直に従って、アルフィノとアリゼー、キャメロンとカムイルの四人は揃って昇降機に乗り込んで地上へと戻った。アルティフィスホールの階段を上って外へ出れば、人工物ではない星空が四人とクルルを出迎える。北洋の夜空は澄んだ空気の中で星々もより輝いて見えて、それらすべてが絶望の中で終わりを迎えてしまったなんて、到底思えないほどに眩く見える。
 彼らが辿りついてしまった滅びという答えに、自分達は示さなければならないのだ――どんなに困難な道程であろうとも、歩みを止めずに進み続ける希望はあるのだということを。

 アメリアンスに顔を見せてくるというアルフィノ達とは議事堂前で別れ、残りの三人でバルデシオン分館まで戻る。二人で一緒に使うことになったナップルームへ入ると、キャメロンは一日の疲れを解すように思いきり伸びをした。
「議員の人達の前に立ったり、いろいろ力仕事のお手伝いもしたりして疲れたぁ…ラストスタンドにご飯食べに行こうと思うけど、きゃめくんどうする?」
 揃って活動できるようになるまでは否応なくすれ違い続きの日々だったため、カムイルが合流して以来、キャメロンは何かにつけて弟を誘うようになった。こうして一緒にいられる時間が増えるまで自覚はなかったが、なんだかんだで、大好きな弟と一緒にいられず数年間を過ごした淋しさが応えているのだ。とはいえ自分も弟も独りで過ごす時間がそれなりに欲しい性分であることもわかっているので、強引に誘うということはなく、こうしてお伺いを立てるやりとりが習慣になりつつあった。
「ラストスタンドって何が食べられるんだっけ?」
「いろいろあるけど、おすすめはでっかいハンバーガー!私の顔と同じくらい大きさあるんだよ!」
 そう言って自分の顔の横に両手を当てて見せる姉に、カムイルは苦笑で返す。
「結構、重いなぁ…俺、農園の視察と手伝いがメインだったからさ、そこで採れた野菜とかそれを使った保存食とかの試食とアドバイスやってたんだよね。だからあんまり、お腹空いてなくて」
「えー、いいなぁ」
「もう少し時間経てば小腹が空くと思うから、こっち戻ってくるときに軽めのやつテイクアウトしてきてよ」
「わかった!じゃあ私、ちょっと行ってくるね」
「ん、」
 お目当てのハンバーガーが余程気に入っていて待ち遠しいのか、キャメロンが狭い歩幅で駆けていく足音が扉を閉めてもしばらく聞こえてきた。生家で一緒に過ごしていた頃はそこまで食に強い関心があるような素振りはなかったのだが、冒険者稼業という体が資本の生活が長く続いたせいか、キャメロンはすっかり食べることが大好きな性分になっているらしい。
「……いろいろが片付いたら、あいつが食べたいものとか、つくってやろうかな」
 束の間の休息時間とはいえ未だ終末の渦中にあるというのに、食事を前に元気に駆けて行ったキャメロンの姿を見ていると、カムイルも自然と『これから』のことを考えてしまう。
 だが、きっと、こういう小さな想いこそが、明日を生きる活力になるのだとも思う。
「…………」

 エルピスに渡って、メーティオン達が受け取った深い悲しみや絶望を彼女から直に共有されて、その時に沸き上がった途方もなく暗い感情は、忘れようと思って忘れられるものではない。
 自分もそこそこ悲惨な経験をしてきた方だとは思っているが、星々の嘆きが束ねられたそれらは、とても一人の人間の人生の中で経験し得るものではない。それを考えると尚更、あんなに深くて暗い感情の渦の中に囚われてしまって、今も天の果てで終わりを謳い続けているメーティオン達のことを憎む気持ちには、どうしてもなれなかった。
 たった一人でもいい。彼女達に生きる喜びを伝えられる相手がいたのなら、きっと悲しみの連鎖は断ち切ることができる。互いの想いを映し出す彼女達が共鳴してくれたら、そのときに齎される喜びの色はきっと、絶望よりもずっと明るくて眩しいはずだから。

「でも…それはきっと、俺じゃない」
 メーティオンを抱えて造物院の奥へ閉じこもってしまったヘルメスを追っているとき、ずっと考えていた―もしエルピスにやって来ていたのがキャメロンだったら、彼女はヘルメスとメーティオンに対して、どんな言葉を送ったのだろうか、と。
 そうやって、自分の中の答えではなく姉ならどうしたのかと真っ先に考えてしまった時点で、きっと自分がどんなに言葉を尽くしても、メーティオンを絶望の底から引き上げてあげることはできなかったと思う。だって、仕方がないだろう。今までずっと姉の影として彼女に寄り添う人生を送ってきた自分の中に、明確な答えなんて抱いたことはなかったのだから。
 キャメロンの代理人候補として引き取られたことも、姉の名を与えられて生きてきたことも、これっぽっちも後悔はしていない。今の境遇は兄と姉に押し付けられたものではなく、カムイルが彼らに縋って分け与えてもらったものなのだから。それを責めているわけではないし、むしろ、我欲を貫く勇気のない自分を守ってくれていたのだと思っている。こうして姉の隣に堂々と立つようにと放り出されて、改めてそれを実感している。
「……考えるの、やめよ」
 自己嫌悪のループに入りかけたところで、カムイルはベッドに体を投げて思考をシャットダウンした。ただでさえ負の感情が呼び水になることがわかっている今の状況で、自分のマイナス思考癖はあまりいいものではない。それで破滅を選べるほど思いきれる度胸もないので良くも悪くも自分は獣になることはないだろうと思っているが、仲間達に要らぬ心配をさせるもの申し訳ないので、とりあえずこの終末を乗り切ったらやりたいことをリストアップしながら邪念を追い払うことにした。ちょうど、そんなタイミングだった。
「――…ねえ、中にいる?」
 扉越しのアリゼーの声が聞こえてきて、カムイルはむくりと上体を起こした。


   ◆◇◆


「やあ、今夜は独りで食事かい?」
 アルフィノに声をかけられ、キャメロンはハンバーガーに噛り付こうと大口を開けていたそのままの顔で彼を振り返った。
 付き合いが長いとはいえ、取り繕う素振りも見せないキャメロンにアルフィノは小さく笑いを溢した。
「ああ、せっかくのところを邪魔してすまないね。ひと口食べてからでいいよ」
「あひあおー」
 前歯がバンズにかかりかけていたキャメロンは「ありがとー」と間が抜けた返事をしてから、遠慮なくひと口目に噛り付いた。目一杯に頬張ったので飲み込むまでにもしばらく時間がかかるだろうと、アルフィノはキャメロンの対面にある椅子を引いて、おいしそうにハンバーガーを咀嚼する彼女をゆっくりと見守る。
 やがてごくん、と音が聞こえてきそうな勢いで盛大なひと口目をキャメロンが飲み込むと、ちょうどアルフィノが注文していたコーヒーとホットサンドのセットが運ばれてきた。
「アルフィノ、お家でご飯食べてこなかったの?」
「ああ。せっかくだからディナーを、とお母様に誘われたのだが…こんな状況だし、あまり時間がかからない食事の方がいいと思ってね。テイクアウトのつもりだったが、君の姿が見えたのでここで食べることにしたよ」
「ふうん、」
 馴染みの手袋を外して丁寧に畳んでからテーブルの上に置き、キャメロンに比べれば随分と小さく上品に口を開けて、アルフィノが三角形のサンドイッチの頂点に噛り付く。咀嚼にもあまり時間がかからないその量をゆっくりと味わい、最後は軽くコーヒーで流し込んでから、アルフィノは改めて対面のキャメロンを見つめた。
「……実は、君の意見を聞いてみたいと思っていたんだ」
 神妙な顔つきになってそう切り出したアルフィノに、これはちょいと込み入った話になりそうだ、とキャメロンは手に持ったままだったハンバーガーを一度、皿の上に戻す。合わせて頼んでいたスープを水分代わりにひと口啜って、「なあに?」とアルフィノに首を傾げて見せた。
「どうか、悪い意味で捉えてほしくはないのだが……君はあまり、周囲の物事に頓着しない性分だと思っている。何事にも無関心だということではなくて、例えどんな状況で、どんな相手と相対したとしても、けしてぶれない芯のようなものを持っていると思っているんだ」
「うん。私、自分のことしか考えていないからね」
 あっけらかんと答えて見せるキャメロンに、アルフィノは無意識に肩に入れてしまっていた力を抜いて「敵わないなあ」と苦笑を返す。
「以前に君は、人間が感情を持った生き物である以上、完璧な相互理解や歩み寄りは不可能だという前提で生きている、と言っていたね。自分でさえ自身の感情を制御できないことがあるのに、他人のそれを正しく理解することは不可能で、その前提を忘れて感情の押し付け合いをするから軋轢が生まれる。だから完璧なかたちで他者の気持ちに寄り添えることはないし、自分の感情も誰にも理解されなくて当然だと」
「うん、」
「そんな君の目には、絶望という感情に呑まれて獣へ転じてしまった人々は、どう映っているのだろうか…とね、そんなことをふと思ったんだ」

 アリゼーは、ゼノスの生き方は強いが孤独であると言っていた。そのときアルフィノは、傍らにいる小さな友人のことを思わずにはいられなかった。
 きっとキャメロンがここまで赤裸々に彼女の考え方を話してくれたのは自分だけであろうと、ごく稀に、少しだけ思い上がってしまうことがある。
 世間の目から見た彼女は各地で偉大な冒険譚を紡ぎ続ける英雄で、今もこうして世界を終末から守るために最前線に立つ彼女は、お人好しで自己犠牲を厭わない立派な英雄である、と―そうはさせたくないと考えているアリゼーすら、きっと、無意識下では彼女を英雄視しているだろう。

 だが実際、本人にはそんなつもりは毛頭ないのだ。自身がそれを嫌う彼女は、他者にあまり干渉したがらない。考え方が違う人間がいれば「じゃあ仕方ないね」と無理な歩み寄りをもちかけることはなく、自分の考えを押し付けるということは絶対にしない。
 誰の意見も否定することはないそれはある種の優しさなのかもしれないが、この終末の最中で他人は他人であると割り切ってしまうその強さは、相手によってはひどく冷たい印象を持たれてしまうだろう。逆に考えれば、もしも彼女自身が獣に転じてしまうほどの深い絶望を抱え込み始めたときに、自分達の励ましの言葉で彼女を引き留めることはできるのだろうか、と――アルフィノはそこまで考えてしまって、杞憂だとはわかっていても、こうして彼女と直接言葉を交わしたいと強烈に思ったのだ。
 イシュガルドへの亡命から今日まで、彼女は常に隣を歩いてきた、かけがえのない存在だ。或いは、そんなふうに思っているのは自分だけかもしれないが、どうか自分の存在も彼女にとっての希望の光であってほしいと願ってしまう。

「君にだって、歩みを止めてしまいたいほどつらい記憶や、悲しい経験があっただろう。そんなときにどうやって自分自身を奮い立たせていたのか、教えてはもらえないだろうか」
 慎重に言葉を選びながらの問いかけに、キャメロンは一度腕を組んでから「うーん」と顔を顰めて唸り声を上げた。
「まず、獣になってしまった人達のことだけど……それこそアルフィノが言ったみたいに、その人達が何を思ってどうして絶望してしまったかなんて、私にはわからないと思う。話を聞いてあげることはできても、本人じゃないんだから、無責任に理解しようとか、そういうことは思えないかな。そういうことされると私は、じゃあお前に何がわかるんだよ!…ってなっちゃうタイプだし」
「うん、君らしいね」
「……でもね、優しい人ほど獣になっちゃうのかな、って。それはちょっと思っているの」
 思いがけず興味深い方向へ話が転がり、おや、とアルフィノは少し目を丸くした。
「その心は…?」
「だって、自分のことだけ考えてたら真っ先に、こんなところで死んでたまるか!って気持ちになると思うの。獣になってしまった人達だってそれは思っていたのかもしれないけど、じゃあなんで死にたくないのかを突き詰めたら、家族のこととか、友達のこととか、もしくはそういう人達が目の前で獣になってしまったとか……絶対に、自分以外の誰かのことを考えていたと思う。もちろん、そういう存在は生きるための活力になるけどさ、誰かのために生きなきゃいけないから生きるんじゃなくて、自分が生きてその人達と一緒に過ごしたいから生きるんだ、って……そこが逆の考え方になっちゃうと、目指す先は一緒でも違いが出ちゃうんじゃないかなって思うんだけど」
「…………」
「あ、ごめん。私の説明わかりづらいよね」
「ああ、いや…違うんだ」
 話に聞き入ってしまっていたアルフィノは慌てて否定したが、キャメロンはまた悩ましい顔で明後日の方向を見ながら別の例え方を考え始める。
「えーっとね……例えば出会ったばっかりの頃のアルフィノと一緒に行動するの、実はかなり嫌だったんだよね。あのときは打倒帝国軍の目的が一緒だったから指示にも従ってたけど、アルフィノが私のことを超える力持ちの英雄として担ぎ上げてるの見え見えだったし、別にお前のために帝国殴りに行くわけじゃないんだけど…ってずっと思ってた」
「うっ……その頃の話は、やめてくれ…」
 自身の手痛い失敗談とその当時に思っていたことを今更ながらストレートに伝えられ、アルフィノは思わず胸を押さえて俯いた。
「でもさ、タタルさんと三人でイシュガルドに行ってから、私もアルフィノのこと勘違いしてたかもしれないなぁ…って。アルフィノも接し方とか変えてくれたし、それからは普通にアルフィノのこと好きで、アルフィノに言われたから何かをするんじゃなくて、自分がアルフィノに何かをしてあげたいから手伝ってあげよう、って。それは今もずっと思ってるよ」
「キャメ…、」
「私はこれ全部、自分の我儘でやりたいことだけやってるつもりだから、何が違うのかって聞かれると説明が難しいんだけど…死にたくなったら自分がやりたかったことを考えて、嗚呼まだあれもこれもやってないじゃんって思ったら、まだ死にたくないな、って思う。パーティ組ませてもらってる人達とめっちゃ強い敵の攻略してるときは、もうこんなの無理だしできる気がしないって思うけど、でも倒したらもらえる装備と武器がかわいいから絶対に欲しいんだよなぁ、とか。かわいい装備がもらえたらそれ着てワイモンドに見せに行きたいなぁ、とか。この攻略終わったら友達とトレジャーハント行きたいなぁ、とか。我儘だからやりたいことも欲しいものもたくさんあって、そういうのを考えていると、死んでる場合じゃないなって思う」

 明日はどうやって過ごそうか。この仕事が終わったら何をしよう。手に入った報酬で何を買おう。今は手が届かないなら届くその日までのんびり待とう――そういう小さな積み重ねが、明日を生きる糧になる。それはけして他者に押し付けられるものではなく、自らが見つけて、そこへ向かって手を伸ばすものだ。
「だからもしメーティオン達に会えるなら、私はまだまだこんなにやりたいことあるんだよ、って。それを伝えたいと思う。ヘルメスは優しい人だったからなんだか難しく考え過ぎちゃってたみたいだけど…生きる意味って、自分が生きたいから生きる、って我儘になるしかないじゃん。だから誰かと喧嘩するし、戦争はなくならないし、たぶんこれからもエオルゼアでは大なり小なり争いは起きると私は思ってるよ」
「ははっ、最後は随分と厳しい意見だね」
「だって、誰もが納得する一つの答えなんて、そんなのあり得ないよ。それができるなら私はエメトセルクと一緒に積み木の塔を建てられたし、ゼノスとは今頃マブダチになれてると思う」
 冗談なのか本気なのかは定かではないが、最後は突拍子もない締めで結んでキャメロンはハンバーガーにまた大口で噛り付いた。これ以上は自分の口から説明しようがない、という無言の回答だ。アルフィノも彼女に倣って食事を再開すると、口の中に広がるサンドイッチの味は、いつも以上に豊かな風味に感じられた。
 親しい友人と共にする食事が、こんなにもおいしい。ただそれだけの簡単なことで人は生きる希望を得られるはずなのに、簡単なことほど伝えることは難しいから、ひとりひとりが答えを見つけるしかない。それが、人生というものだ。
「ありがとう、キャメ。君と話したおかげで、私も難しく考え過ぎていてしまっていた部分を程よく解きほぐすことができたよ」
「それならよかった。アルフィノも優しくて他人のことばっかりだから、もっと自分に我儘に生きてみたらいいと思うよ」
「ああ、君を見習わせてもらうとするよ」
 彼女の語った言葉の通りに考えるなら、自分も十分、我儘で我欲を通しているつもりなのだが。大切な友人と二人きりの会話は何よりの金言だと胸に刻んで、アルフィノはまだ温かさを保っているコーヒーカップを口元へと運んだ。


   ◆◇◆


 一方その頃、ナップルームを訪れていた妹のアリゼー。
「お邪魔するわよ」
「え?わっ…ちょっと…!」
 カムイルが扉を開けたのに合わせて素早く爪先をストッパー代わりに差し込み、断られる前にずいと室内へ押し通る。油断していたカムイルは体ごと割り込んでくるアリゼーとの接触を避けて自然と後退するしかなく、パタンと無情にも扉が閉まる頃には、アリゼーは慣れた様子でダイニングテーブルの一角に腰を落ちつけていた。
「えっ…とぉ……おきゃめなら、しばらく戻ってこないと思うけど…」
「あら、あなたに用事があっちゃいけないの?」
 よもや自分宛ての訪問だとは考えもしなかったカムイルは、面食らってしまい情けない顔になってアリゼーに向き直る。その反応を見て、テーブルに頬杖をついたアリゼーが不満そうにむすっと唇を尖らせた。
「なによ…私があんたに会いに来ちゃいけないわけ?」
「いや、別に…そういうことじゃないけど……」
 アリゼー本人にそんなつもりがないのはわかっているが、むっとしているときの彼女がどうしても自分を責めているように感じてしまうカムイルは、視線を逸らしてぎこちなく彼女の対面の椅子に腰を下ろした。「だってアリゼーちゃん、俺のこと好きじゃないでしょ」という言葉は喉元まで出かかっているが、本人を前に言うことではないし、言えるだけの気概もないので俯いたままで押し黙る。

 実際、剛毅果断という言葉そのままの印象があるアリゼーから見て、自分のように気弱で何事にも逃げ腰の人間は、見ていて気持ちがいいものではないだろうと思う。それをアリゼーから言われたわけではないし、カムイル自身が勝手に陥っている自己嫌悪の一部分ではあるのだが、どうにも、彼女のような人間に対する苦手意識は大人になってもなくならないものだった。
「アルフィノがね…ラストスタンドで食事しているあなたのお姉さんを見かけて、なんだか話したそうな顔をしていたから、そっちは譲ってあげて私がこっちに来たのよ。あなたとゆっくり話がしたいからアルフィノはお姉さんの方をよろしく、ってね」
「そう、なんだ…」
「……実際、ゆっくり話がしてみたいと思ったのは本当のことなんだから、そんな顔しないでよ」
 機嫌が悪いというよりは拗ねた様子のアリゼーの声色に、カムイルはおそるおそる俯いていた視線を上げた。対面に座るアリゼーは案の定、少し頬を赤らめて落ちつかなそうに髪の先をもてあそんでいる。
「ごめんなさい。私、こういう性格だから…あんたが好きなリーンみたいに、可愛げとかもないだろうし…」
「いっ…今、リーンは関係ないじゃん…⁉」
「とにかく!今までこんな機会なかったんだし、少しはあんたとも仲良くなりたいのよ!」
 仲良くなりたい――その言葉にカムイルは驚いて目を丸くし、言葉に出したアリゼーは赤らんでいた頬どころか顔中が急激に沸騰して「ああ、もう!」と自分の頭を抱える。そのままアリゼーが鈍い音を立てて額をテーブルに打ち付けたまま動かなくなってしまったので、どうしたものか、とカムイルは困惑しながらもとりあえず腰を上げた。
「あー…えっと……じゃあとりあえず、お茶菓子でも用意しよっか…?」
「……お願いするわ」
 頭を抱えた間の腕の下から、いじけたようなアリゼーの返事が聞こえてきた。


 心当たりの材料がそれしかなかったので、すっかりお馴染みのコーヒークッキーとコルシア産豆のコーヒーを淹れてアリゼーに提供する。
 カムイルの製作姿を見るのが初めてのアリゼーは随分と熱心な視線で作業工程を見守っていて、目の前に差し出されたクッキーを一つ手に取ると、感心したような溜息を吐いてまじまじとそれを見つめた。
「へえ…本当に、オカワリ亭で売っているやつそのものじゃない」
「別に難しいレシピじゃないし、つくれる冒険者なんて暁にごろごろいるでしょ」
「それでも、傭兵任務専属の冒険者だってたくさんいる中で、採集や製作も手広くやっているのはすごいことよ。もっと自分に自信を持てばいいのに、本当に、もったいない」
 サクッ、とアリゼーが小さくクッキーに噛り付いて割るように口に含む。リーンとガイアに何度も振る舞ってハンジ・フェーにも山ほど納品したものなので今更味の不安はないが、こうしてアリゼーに食べてもらうのは初めてなので、カムイルは少し緊張しつつ彼女の反応を待つ。彼女にとっては久しぶりになる第一世界での思い出の味に、ゆっくりと咀嚼してからコーヒーと共に飲み込んだアリゼーは「おいしい」と小さく呟いてくれた。
「そういえば、どうして一緒にラストスタンドへ行かなかったの?」
「ああ…俺はラヴィリンソスのお手伝いで保存食や農作物の試食をやってたから、まだあんまりお腹が空いてなくて」
「そっか。姿が見えないと思っていたら、あっちの方を手伝ってくれていたのね」
「うん。そういうアリゼーちゃんこそ、アルフィノと一緒にご飯食べてこなくてよかったの?」
「そのつもりだったけど、とりあえずこのクッキーで小腹は満たせそうよ」
 しっかりとした夕食が食べられなくなっては申し訳ないとカムイルが残りのクッキーを持ち帰るように提案すると、アリゼーも喜んでそれに賛成してくれた。リーンとガイアが食べきれなかった分をいつでも持ち帰れるようにと入れっぱなしだったラッピング素材もそのまま鞄の中に残っていたので同じように包装して渡すと、アリゼーの顔がぱっと明るい笑顔に変わる。喜んでくれる笑顔は、当然だがリーン達と同じように年頃の女の子らしいもので、そんなアリゼーの素の表情を初めて見たカムイルは、それでようやく彼女に対して感じていた余計な緊張が抜けてくれたような気がした。
 身構えるような相手ではないことは頭の中ではわかっていたが、気持ちの面でもようやく、少しリラックスして彼女と話せるようになった気がする。そう気付けるほどの時間が今まではとれていなかっただけで、彼女の言う通り、今夜のこの時間は貴重な機会なのかもしれない。
「なんだか、プレゼントを貰っちゃったみたいで申し訳ないわね」
「これくらいならいつでもつくるよ。いろいろ落ちついたら、もう少し手間がかかるリクエストも受け付けられるけど」
 何の気はなしにカムイルが返した言葉に、今度はクッキーの袋を持ったままのアリゼーが驚いて目を丸くした。そんなにおかしな申し出だっただろうか、とカムイルは首を傾げる。
「……驚いた。まさか、あなたからそんなに前向きな言葉が聞けるなんて」
「え?」
いろいろが落ちついたら・・・・・・・・・・・、って…それって、この終末を打ち破ることができたらってことでしょう?ヘタレなあなたのことだから、獣にならないまでも、いろいろとネガティブな考えになっているんじゃないかと思って……少しだけ、心配だったのよ」
「…………あ、」
 そういうことか、とカムイルは自身の胸の中で納得した声を上げた。声を上げて、それから、今までアリゼーの前では見せたことのないはにかんだ表情でくしゃりと笑う。
「うん…これ、第七霊災のときからの習慣なんだ」


 兄の屋敷を取り囲むようにそれ以外の島内すべてが焦土化されてしまった未曽有の大厄災の後で、幼かったキャメロンとカムイルが不安と恐怖を感じなかったわけもなく、起きてしまった目の前の出来事を幼い心が受け入れられるようになるまで、繰り返しお互いのことを励まし合って過ごしていた。
 カムイルが怖くて泣いてしまったときは姉が励ましてくれて、気丈に振る舞ってくれていた姉が堪えきれなくなって泣いてしまったときは、逆にカムイルが彼女を励まして。そうやって散々泣いて慰め合って過ごしていた二人はいつしか、過ぎてしまった厄災のことではなく、島の外に出られるようになったら何がしたいかを考えて過ごすようになった。

 小さな手を握り合って、肩をぴったりと寄せて、どんなに小さなことでもいいから、やりたいことをリストアップしていく。実現可能かどうかなんてことは重要ではなくて、叶わぬ夢でもいいから、とにかく明るいことを考えて気を紛らわしたかった。そうでもしなければ、悲嘆に暮れてばかりの幼い心は折れてしまいそうだった。
 そうやって何でもいいからやってみたいことをリストアップしていくと、不思議と明日への活力がわいた。自分達の頭の中で思いつくだけでもこんなに楽しいことが世の中にはあるのに、それらを体験しないままで諦めてしまうのは嫌だと思ったのだ。

 それからカムイルは、そしてきっと、キャメロンも。どうしようもなくつらくなったり、マイナス思考が悪い方向へと転がりそうなときはいつも、その先々にある明るい未来や楽しいイベントのことを考えて踏ん張るのが習慣になっていた。
 それはある種の現実逃避なのかもしれないけれど、デュナミスという想いの力が大きく作用する今の状況となっては、その現実逃避も悪いものではないのだと思える。厳しい現実を受け止めることは大切だが、受け止めきれるだけの余裕がないのなら、自分を騙して距離を置いて、少しずつ歩み寄っていければいい。そのくらいの緩さと狡さがなければ、小心者の自分にはとてもではないが、厳しい世の中で生きていくことは難しいのだから。


 そんなことをぽつぽつと話して、こんなに込み入った話を、あんなに苦手意識があったアリゼーに対して不思議と打ち明けられている自分自身にカムイルは驚いた。何がきっかけで彼女に対して心を開けたのかはわからない。わからないけれど、目の前で真摯に話を聞いてくれているアリゼーがいるのだから、理屈なんてどうでもいい。
「本当に…笑っちゃうくらい、自分にも他人にも甘いのね」
 そう言って呆れたように苦笑するアリゼーは、だが、カムイルの心の在り方を否定はしなかった。それもまた終末に抗う心の在り方のひとつなのだと、呆れながらも受け止めてくれた。
「私は、性格も考え方も全然違うから……でもきっと、あなたみたいな考え方が合う人も、世の中にはいると思うわ。考え方の起点は違うかもしれないけど、生きることを投げ出さないで明日へ進み続けようとしている結果は同じだもの。思っていたよりも根性あるし肝も据わってるじゃない」
 呆れた表情から一変してにやりと笑いかけるアリゼーに、カムイルは逆に苦々しい表情になって首を横に振った。
「いや…だから根性もないし肝も据わってないってば。基本的に逃げながら騙し騙しで生きているだけで……ねえ、俺の話聞いてた?」
「聞いてたわよ?それと、もうあなたの自己肯定感の低さには騙されないから」
 おもむろに席を立ったアリゼーが、びしっと人差し指を立ててカムイルの目の前に突き出す。空いた手は腰に当てて、ふふん、とどこか自慢気な喜びが垣間見える顔つきだ。
「あなたを見ていてもやもやしていた理由が、やっとわかったの。他人に気後れすることがないくらいたくさん長所があるくせに、それを全部、短所として自己評価してるのよ。時には謙虚さも必要だけど、もっと自分に自信を持ちなさいよね!」
 アリゼーの語気は強いが、けしてカムイルを威圧するようなものではない。受け取る方が恥ずかしくなってしまうくらい真っ直ぐな励ましの言葉に、カムイルはいたたまれなくなって褐色肌でもわかるくらいにかぁ…っと顔を赤らめた。
「は……はあっ…⁉アリゼーちゃんマジで俺の話ちゃんと聞いてた⁉さっきの話聞いててそうはならないでしょ!」
「ほら、それだって照れ隠しじゃない。甘やかされるのが好きな自覚があるくせに褒められ馴れてないの?」
「うッ……」
 腕組みして仁王立ちになったアリゼーに痛いところを突かれて、カムイルからはそれ以上の反論はできなかった。他人から褒められたり好意的な言葉を投げかけられたときに反射的に否定してしまうのは、最早矯正が困難になっている自覚ある悪癖だ。思い返せば、ヴェーネスの食事のときにも照れ隠しだと指摘されていた気がする。
「この終末を乗り越えたら第一世界にまた戻って、ちょっとリーンに褒められ倒して来ることね。私からも一筆書いてあげるから、絶対にやりなさい」
「だッ…から…!リーンは今、関係ないじゃん!」
「あら、長所を教えてもらうなら恋人が一番適任じゃない。というか、まさか…あんた達、あんなに見え見えの両想いだったのにまだ付き合ってないの?」
 情けない呻き声で肯定するカムイルに、アリゼーはまた呆れた顔になって溜息を吐く。そんな顔で見ないでくれ。これでも頑張って告白っぽいことはしてきたし、それが実っていい感じのフラグも立っているのだ。恥ずかしいから絶対に言わないけれど。
「……まあいいわ。そっちは時間の問題だと思うし」
「うう……、」
「コーヒークッキー、ありがたくいただいていくわね。急に押しかけちゃったのに、いろいろ話してくれてありがとう」
 引きっぱなしだった椅子を戻して帰り支度を始めるアリゼーに、カムイルも席を立って部屋の出入口まで彼女を見送る。開いたままの扉に寄りかかって立つカムイルを振り返って、アリゼーは最後に肘で脇を小突いてやった。
「痛っ…」
「今日話してくれたこと、絶対に忘れないから。あんたがまたへたれそうになったときは、今度からは私も腕を引っ張ってあげるわ」
 だから覚悟してなさい、と。期待と信頼に満ちた眼差しを向けてくれるアリゼーに、自分の在り方を無理に変えるつもりは毛頭ないカムイルは肩を竦めて返した。
「ありがとう。でも、どうかお手柔らかにね」

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