エタバンをとめないで


 昼過ぎにクガネを出た観光客船は、ゆっくりと時間をかけてリムサ・ロミンサへの海路を進んでいく。到着予定時刻は明朝なので今夜は船内泊だ。客室は二人が想像していたよりも広く、各都市の一般的な宿屋と同じくらいのサイズで手前に化粧台やローテーブルとソファ、奥にツインのベッドがぴたりと並べて設置されていた。トイレとシャワールームも分けられているのでなかなか悪くない。
「――とは言え、昨日の今日だからどうしても狭く感じるよね…」
「それは…昨日のお部屋は、ちょっとすごかったですから…」
 そう、今日の部屋が普通で昨日の宿がおかしかったのだ。ごく一般層の冒険者の金銭感覚で選ぶ部屋とクガネで一番高い部屋を比べるのが間違っている。ベッドが隙間なくぴったりと並べてあることだけが気がかりだが、生憎こちらはもう昨夜リーンと一つのベッドで無事過ごせているのだから、今夜も何事もなく過ごしてみせる。
「…で、さっき言ってたお願いって、何かな」
 忘れないうちに、と。カムイルがソファに腰を下ろしつつリーンに振ってみると、ベッドの傍で荷物を整理していたリーンの顔がかぁ…と赤くなるのがカムイルにもわかった。おや、とカムイルは思わず片眉を上げてしまう。
「……今じゃない方がいい?」
「い、いえ…!」
 時間を改めた方がいいかと思って聞いてみると、リーンは赤い顔のまま頭と手をぶんぶんと横に振る。なんだか昨日はリーンの方がいろいろと余裕があってこちらが押され気味だった気がしたので、こういう初心っぽいリアクションをしているリーンを見たのは久しぶりな気がした。
 リーンは手を止めてこちらへやって来ると、空いている方のソファへ座って深呼吸する。顔の赤みは治まりつつあるが、まだ視線は交わらない。
「えっと…カムイルに、お願いしたいことがあって…」
「うん、」
「…ウルダハで、私がオーダーしたものならつくってくれる、って…言ってたから…」
 そこまで言われて、カムイルにも話の流れが理解できた。思わず「あっ、」と声が出てしまうと、察したのだと気付いたリーンの顔の赤みが戻ってくる。それでも構わずリーンはカムイルの左手を掴んで、掴まれたカムイルは不意打ちに前のめりになった。
「うわっ…!」
「指輪…ッ…私とカムイルが、二人でつける指輪をっ…つくってほしいんです…!」
 前のめりの勢いでローテーブルに上体を預けるような姿勢になったカムイルは、自分の左手を掴んだままのリーンをそっと見上げた。見上げたリーンはソファから腰を上げていて、緊張と羞恥で潤んだ瞳でじっとカムイルを見下ろしている。
「リ、リーン…」
「私…カムイルがつくって残してくれた調理道具、ずっと大切に使ってます。貴方の手で私のためにつくってくれたのが、本当に…とっても、嬉しくて……直接会うことはできなくても、貴方と一緒に過ごした時間の証だったから――」
 リーンの手の力が緩んで、掴まれていたカムイルの手が自然と下りる。カムイルは上体を起こしてソファに座り直したが、リーンはまだその場に立ったまま、居心地が悪そうに自分の手をぎゅっと握りしめている。右手で左手の薬指を握り込んでいることを、今度はカムイルも見逃さなかった。
「特別な儀式とか…そういうのは、要らないんです。ただ、普段から身につけていられるもので何か、つくってもらえたらと思って…」
「…………」
「だ、だから…っ…別に、指輪じゃ、なくても…いいけど…でも……」
 ぷしゅ、と限界を迎えたリーンの頭から湯気が出た。カムイルにはそう見えた。
 耐えきれなくなったリーンは真っ赤な顔を両手で覆って、そのまま後ずさりするように元いたソファへ腰を下ろした。手で隠して尚、耳から肩まで赤くなっているのがわかる。これはしばらく顔を上げられそうにないな、とカムイルが腰を上げてリーンの座るソファのすぐ隣にしゃがみ込むと、俯いているリーンが「うう…」と唸る小さな声が聞こえた。
「ごめんなさい…急に、変なことを言って…」
「なんで…?俺、嬉しいよ」
 カムイルはソファの肘掛けに腕を乗せて、そのまま頬杖して俯くリーンを見つめた。カムイルの気配が近くなったことに気付いて、リーンが指の隙間からちらりと視線だけを向ける。視線が交わって、カムイルが少し照れたようにはにかんだ。
「実は、さ……俺、リーンとガイアにあのプレゼントを贈るときに、リーンには他にもアクセサリーをあげようかなぁ…とか。ちょっとだけ、考えてて…」
「え…っ」
「でも、あのときはお互いの気持ちを確かめ合う前だったし…それなのにアクセサリーなんて重いかな、って思ってさ」
 リーンがゆっくりと顔を上げて、今度はカムイルがその左手をとった。形を確かめるように指の背で手首から手の甲、指先までゆっくりと撫でて、指輪がはめられるであろう薬指の付け根を指先でそっと掴む。その一連の所作をどきどきしながら見つめているしかなかったリーンは、カムイルが掴んだそこを確かめるように親指の腹で撫でられると、妙なくすぐったさに小さく息を呑んだ。
「指輪、つくるならここのサイズでつくりたいんだけど…それでもいいの?」
「つくってくれるんですか…?」
「うん。リムサに着いたら俺の分もつくるから、それ持って十二神の秘石巡りに行こうよ」
「それって…――」
 顔の影が重なって、リーンの言葉は途中で途切れた。
 唇に感じた熱が、二度三度と優しくそこを撫でてから離れていく。突然のことで目を瞑ることもできず、肌で感じた感触に頭の理解が追いつかず、鼻先が触れ合いそうな距離にあるカムイルの顔を呆然と見つめることしかできない――キスをされたのだと認識できたのは、照れ隠しで視線を逸らしたカムイルの目元が赤くなっていると気付いたときだった。
「…指輪がほしいって言ってもらって、その先まで言わせちゃったら格好悪いじゃん」
 またリーンの口から言わせるようなことをしてしまった、と。カムイルは自分の意気地のなさに何度目かわからない溜息を吐きそうになったが、それをぐっと飲みこんで真っ直ぐにリーンの瞳を見つめた。
 リーンにしてほしいことも、してあげたいこともたくさんある。リーンがこんなにも求めてくれているのだから、今更なんて考えずに、受け身で待つばかりではなく自分からもリーンを求めようと思った。
「俺も、この指に俺以外の奴の指輪なんてはめてほしくないから」
 今まできちんと言葉にできなかった分も、全部、想いを込めてつくりたい。

 ベッドで横になりながら、どんなデザインの指輪がいいかと二人で語らう間に船旅の夜は更けていった。デザイン案のスケッチや指のサイズを測った紐などを片付けたカムイルがベッドに戻ると、さっきまで起きていたと思ったリーンが眠ってしまっている。幸いにもナイトガウンには着替えてあったので体が冷えないように毛布を肩までかけ、カムイルもリーンを抱き込むようにその隣に横になった。
「おやすみ、リーン」
 起きている間は気にならなかった船の揺れも、横になって目を閉じると心地よい揺れに変わって眠りに誘われる。これにリーンはやられたのか、と考えているうちにカムイルも自然と眠ってしまっていて、目が覚めた頃には船は港へ着く直前だった。
 身支度を簡単に整えて船着き場へ降り、まずは指輪を製作するためにミズンマストを目指す。部屋に入って必要な道具を順番に並べていると、ベッドに座って眺めていたリーンが興味深そうに身を乗り出してきた。
「すごい…錬金術や調理の作業台は前にも見せてもらったけど、彫金になるとまた雰囲気が違いますね」
「細かい作業や宝石の加工があるからね」
 昨日の話し合いで、指輪はプラチナのものをつくることになっていた。凝った装飾は行わずに細身のシンプルなリングで仕上げる予定である。ちょうどプラチナインゴットの手持ちがあったので、それを加工すれば十分に足りそうだった。
 ただ、シンプルなデザインの中にも二人で考えて取り入れることにしたこだわりが一つだけある。その加工に必要な素材をリーンが取り出し、受け取ったカムイルは真剣な眼差しでそれを改めて確認する。
「…本当に、俺が加工していいの?」
 ――大氷河の永久氷晶。
 かつてリーンが疑似蛮神のシヴァをその身に降ろした際、霊極性であるシヴァの氷属性とリーン自身の光属性が共鳴して暴走を起こしかけたときにできたものだ。リーンは当時もこれを持ち帰ってガイアとの思い出のネックレスに加工していたが、使い切らなかった欠片をその後も大切に持っていたのである。
「いつか、貴方に加工してもらえたら、って…ずっと、そう思っていたんです」
 ガイアと一緒にネックレスに加工出来たように、もしも、いつかカムイルとの思い出の品にも使うことができたら…――それがよもや指輪になるとは、あのときのリーンは想像すらしていなかった。リーンのエーテルの作用によって生み出されたこの氷晶は、文字通りリーンの魂が込められたものと言っても過言ではない。だからこそ、あのネックレスを持っていたガイアの意識を深い闇の中から引き上げることもできたのだ。それが今こうして自分の手に委ねられたのだと、カムイルは手にした永久氷晶を額に押し当ててじっと瞳を閉じた。
「ありがとう…大切に使うね」
 プラチナの鍛造自体は他のリングと工程に違いがないため、カムイルは慣れた手つきで作業を進めていった。リーンの指のサイズと同じ木の棒を目安にまずはシルバーで試作品をつくり、実際に指につけたときの雰囲気を確認しながら調整を進めていく。右手に試作品のシルバーリングをつけたリーンがそれだけでも目に見えて嬉しそうだったので、その素直な反応にカムイルは思わず笑いをこぼした。
「それサイズ確認につくっただけだし、欲しいならもう少し整えてあげるよ」
「本当ですか…!あ…でも、今もプラチナのものをつくってもらっているのに…」
「いいから、遠慮しないで」
 ほら、と手を出すと申し訳なさそうにリーンがシルバーリングをその上に置く。後で磨き上げるために一旦作業台に置き、カムイルはプラチナリングの仕上げにとりかかった。永久氷晶はリングのアームに小さく埋め込むので、まずは大きな結晶から必要なサイズだけ切り出していく。はたして普通の彫金道具で加工できるのか不安だったが、クリスタリウムの職人でも扱えただけあって、他の鉱石と同じように加工できるようだ。そうとわかれば作業は着々と進んでいき、リーンが見守る中、二人分の指輪が無事に完成した。手持ちの素材で厚紙のリングケースも簡単につくり、カムイルは自分の分の指輪が入ったケースと、試作品のシルバーリングにプラチナとは異なる細工を施したもの、そして残った永久結晶をリーンへ手渡した。
「じゃあ俺の指輪はリーンに持っててもらって…最後に、お互いに交換しようか」
「はい、ありがとうございます…!」
 受け取ったリーンは、手の中にあるリングケースをぎゅっと胸に抱き寄せた。


   ◆◇◆


 二人の十二神巡礼は、リムサ・ロミンサにあるリムレーン像からスタートする。単純にリムサ・ロミンサにいたからというだけでなく、航海を司るリムレーンに最初に祈りを捧げることで、けして短くはない巡礼の旅路を安全に進めるようにとの祈願もあった。
「さて、ここからのルートだけど…」
 街を出て低地ラノシアへ出たところでカムイルが地図を広げ、それをリーンが覗き込む。地図には十二神秘石がある凡その位置が書き込まれていて、各地に点在するその広さを見てリーンは改めて驚き目を丸くした。
「先に外地にあるオシュオンを見てきて、また今いる低地ラノシアに戻ってニメーヤを見て、リムサからライディングでイシュガルドに行こうと思う。時間的に、今日は皇都で泊まることになりそうかな」
「イシュガルドって、あの雪が積もっていた街ですよね?」
「そうそう。そしたら明日はクルザスとモードゥナにあるやつを回って、グリダニア方面を回る感じで。南部森林を抜けるとすぐ東ザナラーンだからアーゼマを見て、リトルアラミゴに行ってラールガーを見て、最後はウルダハって感じで…」
 そこまでカムイルが説明したところで、二人の頭上を大きな影が横切った。何だろうと思ってリーンが顔を上げると、そこにはとても陸地で見えるとは思えない生物がいて。
「えっ……クジラ…?」
 ラノシアへ出る少し前にカムイルが呼んでおいたホエールが、二人を迎えるために空からゆっくりと降りてくる。キャメロンやカムイルが様々な生物を手懐けて乗りこなしていると知っていたリーンもさすがにホエールを見たのは初めてで、二人が乗りやすいようにと腹を大地につけて大人しく待っている姿に驚き呆然としてしまった。
「ビスマルクみたい…」
「いつも通りチョコボに相乗りでもよかったんだけど、さすがに今回は移動続きだからね。こいつの体は大きいから絨毯やクッションも置いてあるし、体の揺れも小さいから長旅でも疲れにくいんだよ」
 ホエールの背から垂れている梯子を伝って先にカムイルが上へ登り、リーンへ手を差し伸べてくれる。リーンもおそるおそる梯子に足をかけ、最後はカムイルに抱き上げられるようにしてホエールの背に乗ると、そこには絨毯どころかテーブルや書籍、飲み物のボトルまで置いてある。まるで空飛ぶ居室だ。リーンとカムイルが腰を下ろして落ちついた頃合いを見計らって、ホエールがゆっくりとその身を上昇させる。座席の周囲はホエールのエーテルでドームのように覆われているようで、過ぎゆく景色の速さに対してまったく風を感じさせない。それでも高さが怖くてリーンがぴったりと体をくっつけていると、カムイルがぽんぽん、と膝を叩いてリーンをそこへ招いた。
「おいで。後ろから抱いててあげるから、俺に寄りかかっていいよ」
「お…お邪魔します」
 招かれた膝の間にリーンが座ると、カムイルが後ろから包み込むようにリーンを抱きしめる。体格差もあって背中と左右がすっぽりと囲われると安心感があり、ほっと息を吐いてリーンはカムイルの胸板へ寄りかかった。カムイルに抱かれて見下ろす海辺の景色はコルシア島にそっくりで、クガネやウルダハのような異国情緒溢れる景観とは違った、どこか懐かしさを感じさせるものがある。
「こうして見ると、ラノシアは本当にコルシア島と景色が似ていますね」
「そうだね。山の方に行くと森林や渓谷が増えるけど、ここはまだ開けた場所だから似てるかも」
 東ラノシアを抜けて高地ラノシアへと差し掛かるにつれて、カムイルの話した通り、山の岩肌や木々が多く目立つようになる。温泉が湧いているのか次第に硫黄の匂いがして、見下ろして見えたブロンズレイクの湯治場は、レイクランドにあるクリアメルトと少し雰囲気が似ていると思った。次第に狭くなる渓谷を眼下にホエールは外地ラノシアへと悠々空を泳ぎ、やがてコボルド族の鉱山の外観が見えてくると、リーンはカムイルの腕の中で少しだけ身を乗り出した。
「なんだか、ドワーフ族の採掘場みたい」
「確かに、蛮族の住んでる場所ってのは合ってるけど…」
 ホエールを撫でて高度を下げるように指示すると、ちょうど高地と外地の境にある渓谷を抜けたところでホエールが山道沿いにその巨体を下ろした。低空でゆっくりと進む中、そこで活動する者達の姿を見てリーンが「あ、」と小さく声を漏らす。
「あれって…モルド族…?」
「そう。こっちではコボルド族って名前で、そっちのドワーフ族みたいに各都市とは別の場所でコミュニティを形成している蛮族なんだ」
 作業していたコボルド族達は突然空から降りてきたホエールの巨体に少し警戒した様子を見せたが、こちらがただの通行人で何もしてこないとわかると、また各々の作業に戻っていった。それでも何人かは物珍しそうにリーン達を見ているので、リーンは思わず頭を下げて小さく会釈をする。ホエールは低空飛行のままですぐ横に逸れた道を器用に進んでいき、やがてワンダラーパレスを臨む崖岸の先まで辿りつくと、地に腹をつけて二人が降りやすいように少々体を傾けた。まずはカムイルがホエールの背から飛び降り、リーンも後からカムイルの胸に飛び込むようにして降りる。身の丈よりもはるかに大きな岩にしっかりと刻まれたオシュオンの印。これが、二つ目の秘石だ。カムイルが瞳を閉じて祈りを捧げたので、リーンもそれに倣ってオシュオンの秘石に祈る。どうか、世界を越えてこの人との愛を誓うことを祝福してほしい――リーンの願いは、ただそれだけだ。
「…よし。じゃ、慌ただしいけど次に行くよ」
「はい」
 またホエールの背に乗ると、カムイルは今度は湖の上を通って一気にブロンズレイクまで下りた。その後は元来た道を辿り、東ラノシアを経由して低地ラノシアへと戻る。リムサ・ロミンサを横目に通り過ぎてモラビー造船廠のすぐ南、オシュオンと比べれば小さな岩にニメーヤの印が淡く輝いている。カムイルも実際にこの秘石を見に来たのは初めてで、「こんなところに…」と呟きながらホエールから降りた。
「カムイルでもここに来るのは初めてなんですね」
「そりゃあね。俺は行動範囲狭いし、この辺に用事があったとしても、そこの造船廠までで全部済んじゃうから」
 そう。エオルゼアで暮らしているカムイルとは言え、今回巡る十二の秘石の在り処の中ではっきりと覚えのある場所の数は多くない。改めて場所を調べて驚くことの方が多く、特に碩老樹瞑想窟の入口にノフィカの印が刻まれた秘石があるとの記述を見たときは、もう何度も通った場所なのにその存在を知らなかったので、関心の向かない事柄に関して自分は本当に無頓着なのだな、と自身のよろしくない性分に笑ってしまうほどだった。
 ニメーヤ神に祈りを捧げて顔を上げる頃には、日暮れ近い海の色が少しずつ変わり始めていた。当初の予定通り、ライディングでイシュガルドに着く頃には夜になるだろう。蒼天街の一角に職人や外から来た商人が滞在するための宿があったはずなので、そこに泊まるつもりだ。さすがに、リーンを案内するのに「忘れられた騎士亭」は気が引けた。


 飛空艇に乗ってクルザス方面へ差し掛かると急に大気の温度が下がる。カムイルは荷物から預かっていたコートを取り出すとリーンの肩にかけ、包まれたリーンも嬉しそうに白い息を吐いた。その頬に、ふんわりと小さな雪が舞い降りる。
「私、雪が降るのを見るのって初めてです」
「最初に寄ったときは降ってなかったもんね」
 第一世界にも大氷河はあったが、あれは日常的に人々が過ごすような場所ではなかった。イシュガルドのような、日々の営みがある街に雪が降る景色は見慣れぬ者の目には幻想的に映り、実際、カムイルも初めてイシュガルドを訪れたときはその景色に見惚れたことを覚えている。
「あっちにはこんなに寒い地域は、もう残っていないから…」
「大丈夫、建物の中はみんなどこも暖かいよ。俺なんて、少しでも暖かい場所に行くたびに眼鏡が曇って大変なんだから」
「そっか…気温差が大きいとそういうこともあるんですね」
 他愛のない話をする間にイシュガルドライディングへ到着し、リーンは雪の舞う夜空を見上げて感嘆の息を吐いた。白い肌なので鼻先や頬が早くも赤く滲んでいて、はっと気づいたカムイルがリーンの手を慌てて確認すると、指先もすでに赤くなり始めていた。このままでは霜焼けになってしまう。思わずカムイルはリーンの両手を温めるようにぎゅっと握り込んだ。握ったリーンの指先が、思っていたよりもかなり冷たい。
「冷た…ッ!」
「わぁ…キャメさんの手、すっごく温かい」
「言ってる場合じゃないよ…!霜焼けになる前に宿に行こ!」
 いそいそと蒼天街へ向かい、目をつけておいた宿に入る。扉を開けた瞬間すぐに曇った眼鏡を顔から外すと、隣のリーンが「本当に曇った…」と小さく呟いた。二人部屋に空きがあったのでそのまま案内してもらうと、通された部屋はあらかじめストーブで温められていて、むしろコートを着たままでは暑いくらいだ。リーンはコート掛けにコートやマフラーをかけながら不思議そうにカムイルに訊ねる。
「霜焼け、って…寒いところにずっといるとなるやつですよね」
「そう。指先とか耳とか、体の末端が冷えたときに起こるんだよ。痒みや湿疹が出たらすぐに言ってね、薬つくってあげるから」
「ふふっ…カムイルって、本当に何でもつくれるんですね」
 カーテンを引こうと窓辺に立ったリーンは、そこから見下ろした景色にまた息を呑んだ。蒼天街を一望できるそこからは、カムイル達が腕を振るって整備したと聞く広場や建築物がよく見える。個人に差はあれど、暁の冒険者と呼ばれる者達の多くは、戦闘職ばかりでなくこうした職人としての腕も立つ。強敵に立ち向かうだけでも凄いことだと思うのに、街ひとつ彼らの手で復興させてしまうなんて。憧れの英雄達の背中が遠退いたように感じて、リーンは窓ガラスについていた手をきゅっと握りしめた。
「…カムイル、」
「ん?」
 部屋に備え付けの暖炉に火を起こしていたカムイルが、リーンに呼ばれて窓際へとやってくる。何気ない様子でリーンのすぐ後ろに立って、窓ガラスに反射しているリーンの表情が少し曇っていることに気が付くと、そのままそっとリーンを抱え込んだ。
「どうしたの…?まだ寒い?」
「そうじゃなくて…」
 部屋も、カムイルの体温も温かい。肩を抱くように回された腕に頬をすり寄せて、リーンはそっと瞳を閉じた。
「カムイルには敵わないなぁ…って、思ったんです。苦手で嫌だって言ってるのに、戦うときは真剣で、強くて、頼もしくて……クラフトは趣味って言うけど、それだって何でもつくれちゃうし…」
「…………」
「私、カムイルに助けてもらったり、いろいろ与えてもらってばかりで…私だって何かしてあげたいのに、何ができるのかな…って、思って」
「……うーん、」
 ぽつりぽつりと話すリーンの言葉に、カムイルがそっと腕の力を込めた。
「でも俺、現在進行形で、リーンにめちゃくちゃ満たされてるよ?」
「え…?」
「例えばね、」
 そこで言葉を区切って、カムイルが「よいしょ」とリーンをいきなり横抱きで抱え上げた。突然のことでバランスを崩しそうになったリーンは慌ててカムイルの首に腕を回し、そのまま並んだベッドへと降ろされてぺたりと座り込む。一体どうしたのかと目を白黒させている間にカムイルもベッドの上へ上がり、そのままリーンを巻き込むようにしてベッドへとなだれ込んだ。仰向きのリーンとうつ伏せのカムイルが寝具に程よく沈み、ぎし、と小さく軋む音がした。
「あ…あの、カムイル…っ」
「大丈夫。変なことしないし、たぶん、まだする勇気もないから」
 体を横向きに変えたカムイルが、リーンの腰に腕を回して抱き寄せる。そのまま抱き込むようにして胸の中に閉じ込められて、何度か髪を梳くように頭を撫でられた。
「もう、今日だけでもかなり露骨だからわかってると思うけど…俺からリーンに触る回数、増えたでしょ…?」
「あ…、」
「めちゃくちゃ甘えてるんだよ、すでに。大丈夫だってわかった途端にすぐこうなるし、これからはもっとぐずぐずになって、リーンから離れられなくなると思う」
 カムイルに抱かれた胸の中で、リーンはタンスイの言葉を思い出していた。カムイルは深い仲になった相手に甘えるまでの時間が早い、と――それが今の状態なのだとわかり、急にリーンは恥ずかしさと嬉しさが極まって顔が熱くなった。
「俺は、さ…リーンがほしいものとかやりたいこととかあるなら、俺にできることなら全部、俺の手で叶えてあげたいんだよ。だから、もらってばっかりなんて思わないで。俺もやりたくてやってることなんだから」
「カムイル…」
「それでも何かお返ししてくれるって言うなら…今みたいに、俺のこと甘やかして」
 カムイルがリーンを抱く腕の力を抜いた。「甘やかして」と言われたリーンはカムイルの腕の中から抜け出すと、上体だけを起こして寝ころんだままのカムイルを見下ろす。見上げてくるカムイルの目の色は今までになく柔らかいもので、少し艶っぽい。初めて見たその表情にリーンがどきどきしながらカムイルの髪をそっと撫でると、カムイルがくすぐったそうに笑いながら瞳を閉じた。
「リーンの手、柔らかくて気持ちいい」
「…もしかして、タンスイさんにもこんなふうに甘えていたんですか?」
「今それ聞く?あいつは、こんなふうに甘やかしてくれなかったよ」
「そうですか…、」
 さっきのカムイルの表情を知っている人が他にもいたら嫌だ、なんて。初めて覚えた嫉妬の味は思ったよりも甘くて苦いもので、その味を噛みしめながらリーンのイシュガルドでの夜は更けていった。




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