エタバンをとめないで



 ウルダハライディングへ降り立ったリーンは、温暖な気候に思わず額の汗をぬぐった。
「すごい…ザナラーンへ抜けたときから気候が変わったと思っていたけど、都市部に着くとさらに暖かいですね」
「イシュガルドからだから余計に暑いよね。コートとマフラー、このまま俺が預かってていい?」
「はい。すみません、お願いします」
 エレベーターで一階まで降り、すぐ目の前に広がったルビーロード国際市場の活気を見て、リーンは「わぁ…っ」と感嘆の息を吐いた。気候も、建物も、待ちゆく人の服装も、何もかもが初めて見る世界―軒下に並ぶ露店にリーンがふらふらと吸い寄せられていくので、キャメロンも苦笑を浮かべながらその後に続く。
「こっちは古書、あっちはスパイスに…ダンサーの人もいます…っ」
「気に入ってくれた?買い物がしたいなら、もう一つ大きな市場もあるよ」
 キャメロンの提案に、リーンは声にならない喜びで何度も首を縦に振って頷いた。こんなに興奮しているリーンを見るのは初めてだ。だが誰からどう見ても「おのぼりさん」状態のリーンが散策するには、ウルダハという街の治安は少々よろしくない。この都市のことを軽く説明するためにも、一息入れた方がよさそうだった。
「着いたばかりだし、軽くお茶にしようか」
 すぐ隣に面しているクイックサンドへリーンを案内し、扉を開けて中に入るように促す。第一世界では酒場らしい場所も数が限られているせいか、クイックサンドの落ちついた内装を見てリーンはその場に立ち尽くしてしまった。
「…照明が暗いお店だから不安?」
「いえ、そんなこと…!ただ、こういう雰囲気のお店はあっちには少ないから…」
「怖いお店じゃないから安心して。せっかくならカウンター席を……げっ、」
 せっかくならモモディに紹介したいと思ってカウンター席へ視線を向けたキャメロンは、よく見知った顔がまさにモモディのいるカウンターでグラスを傾けている姿を見て思わず顔を顰めた。向こうは店に入った時点でキャメロン達に気付いていたようで、にやけ顔を隠さずグラスを掲げて誘ってくる。ウルダハの情報屋、ワイモンドである。
「よう、可愛い子連れとは隅に置けないじゃないか」
「はぁー…いつもの場所に立ってないと思ったらこれだよ」
 中央の席に座っていたワイモンドを詰めるように手で追い払い、空いた席にキャメロンが座って、その隣にリーンを座らせる。あからさまな態度でワイモンドとリーンが隣にならないよう壁になったキャメロンに、ワイモンドもわかった上で「ガード堅すぎだろ」と揶揄った。その一方で男達のやりとりに気付かないリーンは、第一世界のドワーフ族に当たるララフェル族が素顔のまま店を切り盛りしている姿が見慣れないようで、少し呆けた様子でじっとモモディのことを見つめていた。
「リーン、彼女がここの女将のモモディさん。ララフェルのこと見慣れてないと思うけど、見た目の通り優しくて素敵な大人の女性だよ」
「まあまあ、口が上手いんだから」
「…で、こっちの胡散臭くて怪しいのがワイモンド。おきゃめの恋人だけど金にがめついからついていっちゃ駄目だよ」
「嘘を教えるな」
 すぱーん、と気持ちがいい音と共にワイモンドがキャメロンの後頭部を引っ叩いた。だがリーンはワイモンドという名前を聞いて「あっ」と嬉しそうに肩を弾ませる。
「貴方が、ワイモンドさん…!お姉さんの方のキャメさんからお話は聞いています!凄腕の情報屋さんで、キャメさんがどこで何をしていても全部の情報を掴んで安否を確認してくれていて、それなのに会うときはいつもそんな素振りを見せない、とってもお仕事ができる方だと…」
「ワイモンドもう職権乱用のストーカーじゃん。兄上に報告しとくわ」
「おいやめろ、凄腕の情報屋で仕事ができるって部分以外はあいつの妄想だから訂正させてくれ」
 はあ…とワイモンドがどっと疲れたような顔で天井を仰いだ。そんな馬鹿なやりとりをしている間にモモディが名物のクランペットを焼いてくれていたようで、バターとシロップをたっぷり乗せたそれを「サービスよ」とキャメロンとリーンの前に出してくれた。
「でも、本当に珍しいお客さんね。キャメくんがガイド役なのかしら?」
「そ。ガイド兼ボディーガードなんだけど、俺がついていてもウルダハは治安悪いところあるし、そこら辺の説明を先にしておきたくてね…」

 そこから先は自然とウルダハという都市の特色について三人でリーンに聞かせる流れになり、まずは都市の成り立ちや特徴をモモディが、そして最新の情勢や市場での買い物に関する悪知恵をワイモンドが補足していった。
 頭や口のよく回る者達が水面下でありとあらゆる手ぐすねを引いて待ち構えているような街である。目に見える暴力や犯罪よりも、彼らの術中にはめられて身ぐるみまで奪い取られる方が余程恐ろしいのだ。
「…とはいえ、キャメくんが傍にいるから怖がらなくていいわよ」
「だな。今日はこいつの兄貴もウルダハに来てるし、お嬢ちゃんに変なカマかけようとする馬鹿はいないだろうよ」
「ったく…兄上に会っても、余計なこと言わないでよね」
 話がひと段落する頃には二人共クランペットを食べ終わっていたので、ドリンク代だけカウンターに置いてキャメロンは腰を上げた。続いてリーンも、ワイモンドとモモディに頭を下げながら席を立つ。すぐ隣に並んだリーンがどこかそわそわしているので、キャメロンはクイックサンドの正面口に向かいながら、リーンの顔を窺うように少し上体を屈めた。
「ごめん、怖がらせちゃったかな」
「いえ、大丈夫です」
「俺が一緒にいるから変な奴は寄ってこないと思うけど…まあ、俺からなるべく離れないでね」
 屋外へ出て、改めて振り返ってリーンに念押しする。以前に比べればかなり治安がよくなったとはいえ、大きな戦争の直後で平時より混乱が生じている今の状況では、用心して歩くに越したことはない。リーンを怖がらせたいわけではないし、ウルダハという街の魅力を存分に堪能してもらいたい気持ちもあるが、その油断でリーンに悲しい思いをしてほしくないのだ。何より、
「…………」
 自分はかつて、この街の暗部にかどわかされて心に傷を負ったことがある。
「……キャメさん、」
「ん?」
 嫌なことを思い出していたせいか、少し顔が強張っていたかもしれない。慌てて笑顔を取り繕って顔を向けると、思ったよりも近い距離からリーンがまっすぐにこちらを見上げてきていたので、そのことに少しどきりとした。
「ありがとうございます。私、まだまだ勉強不足なことが多いから…気にかけてもらえて、とても心強いです」
「あー…うん。俺なんかで頼りになるなら、いくらでも」
「それで…」
 くん、と左手の袖を引かれた。視線を落とせばリーンの華奢な指がキャメロンの服の袖を掴んでいて、そのことが何を言わんとしているのか気付けないほど鈍感でもなく、首から上に体中の熱が集まるのが嫌でもわかった。
 いや、確かに、今日一日はどう考えてもデートではあるのだが。さすがにそこまで想定していなかったと言うか――
「それで…その…私はまだ、この街には不慣れですし…」
「う…うん…っ」
「人通りも、多いから…はぐれてしまわないように、腕を、掴んでいても…いいでしょうか…?」
 同じく首から上を赤くしながら何とか言葉にしたリーンが、言い切った途端に俯き黙ってしまう。勘弁してくれ、とキャメロンもウルダハの快晴を仰ぎ見るしかなかった。
 少々月日が流れていたので自分の中での感情があれこれリセットされてしまっていたが、この反応を見て改めて、リーンが自分を慕ってくれているのだという事実を思い知らされた。リーンは黙って返答を待ってくれているので、もうこちらが腹を括って彼女に応えるしかない。答えはもちろんイエス一択だし、サファイアアベニュー国際市場の混雑を考えれば、掴まっていてもらった方がもしものときに守りやすい。他にもいろいろと御託を並べて心の準備をしたいところだが、いつまでも待たせてしまっては、せっかく申し出てくれたリーンに恥をかかせるだけだ。
「……うん、いいよ」
 掴まれたままだった袖を小さく振って、離れたリーンの指先を捕まえて、そのまま左手でしっかりと握り込む。キャメロンの方から手を繋ぐところまでは想定していなかったのか、俯いたままのリーンの耳の赤みが増したように見えた。それでも握った手の中でおそるおそる指を絡めてくれたので、嗚呼もう、と声に出したい感嘆を飲み込んでキャメロンも指を組むように握り返す。
「じゃあ…階段降りたらすぐそこが市場だから、行こうか」
「は、はい…!」
 これ絶対にワイモンドに見られているんだろうな、なんて少しだけ野暮なことを考えつつ、階段を降りてサファイアアベニュー国際市場へ向かう。リーンは相変わらずウルダハの街並みが珍しいようであちこち興味深そうに視線を向けるので、それに合わせてリーンの歩幅以上にゆっくりと歩く。キャメロンにとってウルダハはすっかり見慣れた街だったが、リーンに言われて外装に使われているタイルや石材に彫り込まれた模様を見ると、今まで気づかなかった発見が多くて新鮮な気持ちになった。
 やがてザル回廊へ入って市場の様子が見えてくると、目をやらずとも隣のリーンの表情がきらきらと輝いているであろうことが気配だけでわかった。異国情緒溢れる景色の中で、見慣れぬ服装の店主達が見慣れぬものを店先に並べているという状況は、老若男女問わず心が躍るものだ。キャメロンも初めて訪れた土地のマーケットは隅々まで見て回るタイプなので、リーンの感激と興奮は痛いほどよくわかる。すぐ手前にある素材屋の前で足を止めたリーンは、廉価の素材の他にも奥の棚にやたらと数字の桁が多い布や鉱石が並んでいるのを見て驚いていた。
「あれって、値札ですよね…?手前に並んでいる商品とは、全然値段が違う…」
「ウルダハは、いい意味でも悪い意味でも貧富の差があるからね。一般的な素材の他にも、富裕層が欲しがる珍しい粗皮や鉱石が並んでいることもあるんだ」
 そこまで説明して、キャメロンは軽くリーンの手を引いて店の軒先から離れるように促す。店主に聞こえない距離まで離れたことを確認して、キャメロンは腰をかがめてリーンに小声で耳打ちした。
「……で、ああいう高値の素材は普通ならその手の専門の商人が取り扱っているから、こういう一般層が多く出入りする市場に出回っているのは、偽物がほとんどなんだよ」
「あっ…なるほど…」
「珍品でも何でもない商材でも、平気でうまいこと理由つけて高値で吹っ掛けたりするから…もし買いたいものがあったら、まず俺に教えてね」
 さっそくウルダハ流の洗礼を目の当たりにしたリーンは、キャメロンの胸元で納得した顔で頷いてくれた。気を取り直して散策を再開したリーンは、やはり第一世界では目にできない食材や素材に目が行くようで、店先で足を止めてはキャメロンに訊ねてくれる。料理屋にラッシーが置いてあったので勧めてみると、おいしいと喜んで作り方を訊ねたりもしていた。そうしてゆっくりと市場の一番奥まで一通り見て回ったところで、二人はベンチに座って小休憩することにした。リーンはまだ少し残っているラッシーを飲みながら市場の様子を眺めていて、ふと、何か気づいたようにキャメロンを見る。
「ここの市場、織物や鉱石…あと彫金細工の小物も多い気がするんですけど、職人さんの街なんですか?」
「ああ…ウルダハには裁縫、彫金、採掘のギルドがそれぞれあるからね。お膝元だし、他の都市よりは流通量も多いかも」
「そっか。こっちにはクリスタリウムみたいな都市がいくつもあるから、各地に工芸館みたいなものがあるんですね」
「うん。リムサ・ロミンサっていう海の都には調理師のギルドがあって、レストランも併設されているんだよ。グリダニアは森の都だから木工と革細工が盛んだね」
「すごい…ウルダハだけでも広いのに、大きな都市が他にもあるなんて」
 想像するだけで圧倒されてしまったのか、リーンはラッシーのカップを両手に持ったまま、ほう、と息を吐いてウルダハの空を見上げた。
 光の氾濫以降の世界しか見ていないリーンにとっては、まずエオルゼアという世界そのものの広さが途方もないものなのだ。それこそクガネやドマまで連れて行って見せてあげたいところだが、少なくとも今日は時間的に難しいだろう。そう考えてから、そういえばリーンは今夜も「石の家」に戻るのか確認していなかったと思い出す。
「リーンは今夜はまた、レヴナンツトールの方に泊まるの?」
 戻るなら戻るで、その時間を考えてプランを立てなければならない。だがリーンは首を横に振って答えた。
「いえ、キャメさんと一緒なら各都市の宿屋に泊まってもいい、とサンクレッド達には言われています。…あっ、一緒というのは、あのっ…お部屋じゃなくて、同じ宿屋に泊まるという意味で…!」
「う、うん…大丈夫、伝わったから…」
「えっと…だから今日は、モモディさんのところの宿屋に泊まれたらいいな、って…それでも大丈夫ですか?」
 案内役を任されたときからリーンの傍にはついているつもりだったので、もちろん断る理由はない。砂時計亭ならある程度の融通が利くので、安全で質のいい部屋の確保もできるだろう。
 リーンが少し申し訳なさそうな顔をするので、キャメロンは「大丈夫だよ」と笑って返した。
「そうと決まれば、ウルダハ観光の続きをしようか。日差しが強くなってきたし、次は屋内を案内するよ」
「はい、よろしくお願いします」
 空になったカップを近場のゴミ箱に捨て、今度は何も言わずに自然と手を繋いだ。


   ◆◇◆


 パールレーンを足早に抜けてゴールドコートへ入ると、エオルゼアでも珍しいデザインの噴水にリーンが目を丸くして天井を見上げる。ベンチには涼を求めるウルダハ市民がちらほらといて、彼らを横目に見ながら、リーンが興味を示してくれた各ギルドを案内した。裁縫師ギルド、採掘師ギルドと順番に見て回り、途中で「ブルースカイ」にも食いついていたのでマスクカーニバルを二人で観戦して、初めて青魔法を見たリーンは、興奮気味にキャメロンへ解説を請うてきた。
 試合が一区切りついて外へ出る頃には陽が傾き始めていたので、最後に彫金師ギルドと隣接の宝飾店を見ることにした。屋外の市場と違って少し高級そうな店の造りにリーンは気後れしたようだったが、「そんな堅苦しい店じゃないから」と手を引いて案内する。
「高価な宝石やアクセサリーだけじゃなくて、戦闘向けのものも買えるんだよ。こういう雰囲気だけど、わりと冒険者も買いに来るんだから」
 店先に立っていた店員がセールストークを始めようとするので、それを片手で断って一般層向けの価格帯のものが並んでいるケースへ向かう。色とりどりの宝石やアクセサリーが並ぶショーケースを、リーンは興味深そうに覗き込んだ。
「すごく、綺麗…でも、キャメさんならつくれちゃいそう」
「リーンのオーダーなら喜んでつくるよ?」
「いえ、そういうつもりで言ったわけじゃなくて…!」
 慌てて首を横に振ったリーンの視界の端に、ショーケースの中でも珍しいデザインの指輪が映り込んだ。戦闘向けの他の指輪とはデザインが異なっていて、だが富裕層向けの高価な品ほどの煌びやかさもなく、シルバーで造られた清純そうな指輪。不思議と魅かれて見つめていると、隣から覗き込んできたキャメロンが「ああ」と小さく声を漏らす。
「それは、エターナルバンドの誓約に使う指輪だね」
「エターナルバンド…?」
 耳慣れない言葉に、リーンが首を傾げながら繰り返す。
「えーっと…簡単に言うと、特別なパートナー同士で互いの絆を誓い合う儀式、って感じかな。エオルゼアでは十二神の信仰があるから、この指輪に十二神の名前を刻印して、各地にある十二神の秘石を二人で巡礼することで絆を確かめ合う…的な。婚姻の記念にやる人達もいれば、深い友情の証として儀式を行う人もいるよ」
「エターナル、バンド…名前の通り、久遠の絆を誓い合う儀式なんですね」
「うん。俺も詳しいことは知らないけど、第七霊災がきっかけで見直された儀式らしいよ」
 そう、現代のエターナルバンドの歴史は意外と浅いのだ。
 キャメロンは自分に縁のないことだと思って詳しく知っているわけではないのだが、彫金師ギルドに通う間に否応なく耳にしてきた話によれば、第七霊災の折にエオルゼアの安寧を祈って秘石の巡礼を行う中で特別な絆を育み結ばれた者達が現れたため、エターナルセレモニーを執り行う教会が誓約前の試練としてこの巡礼を取り入れたものが、今日の一般的なエターナルバンドの形式となっているのである。とはいえ、神々を巡礼する男女の話などは古から類似するものが存在するらしく、一概に「便乗」の一言では済ませられない儀式でもあるらしい。
「……まあ、リーン達が暮らしているところは十二神信仰もないし、珍しい文化だよね」
「そうですね。でも、こういう風習ってなんだか素敵です」
 二人並んでしばらく清純の指輪を眺めていたが、次第に店員達の視線が痛くなってきたので、キャメロンはそれとなくショーケースを離れて別のアクセサリーへ目を向けた。そこまで話しておいて彼女とエターナルバンドをしないのか、と店員の目が口ほどにものを言ってきたのである。
 確かにリーンとの気持ちはほぼほぼ通じ合っているようなものだし、その手の話題に切り込むなら今がちょうどそのタイミングだっただろう。だがそもそもの話、キャメロンとリーンは未だに、はっきりとした言葉で互いの気持ちを確かめ合っていないのだ。その過程を飛ばしていきなりエターナルバンドを申し出るというのは、話の順序が逆だと思った。
 それに、仮にリーンとの関係が進展するのであれば、きちんと彼女に話しておかなければならないこともある。
「リーン、遅くなるからそろそろ行こうか」
「あっ…はい、」
 いろいろと考え始めると宝飾店の居心地が悪くなってきたので、リーンに声をかけて店を出る。リーンはキャメロンの隣まで駆け寄ると、当たり前のように手を繋いできてくれた。

 リーンにまだ黙っていることを思えば、こうして手を繋いでいることさえ厚顔無知極まりないものなのかもしれない。隠そうと思って隠していることではないが、ただの友人関係で終わる相手に打ち明けるには、少々繊細な内容でもある。だから今日まで話さずにいたが、名残惜しそうに清純の指輪を見ていたリーンのことを思うと、そろそろ潮時なのかもしれない。
 砂時計亭に着き、受付に話してそれなりにグレードの高い個室を二部屋、隣り合ってとれるように交渉する。ちょうど空きがあると言われて通されたのは観光客向けの部屋の中でも高価過ぎず質の良いフロアで、部屋の前まで案内されると、従業員のララフェルが一礼してから下のフロアへと降りて行った。
 試しにキャメロンの部屋の扉を開けて内装を確認してみると、キャメロンでも泊まったことがない部屋の造りになっている。ベッドは冒険者向けの部屋よりも大きくて寝具も明らかに寝心地がよさそうで、豪奢な装飾のローテーブルとふかふかのソファまで備え付けられてある。寝室の広さからして、浴室やトイレもそれなりに広そうだ。床に敷き詰められたレッドカーペットも、いつもの部屋のものより明らかに高そうである。
「うわ…これで中の上のグレードって、富裕層向けのスイートルームは一体どうなってるんだよ」
「このお部屋は、キャメさんも初めて泊まるんですか?」
「そりゃそうだよ。冒険者が使うのは、下の方の階にある一番安い部屋だからね」
 もちろんそんな部屋にリーンを泊まらせるわけにも行かないので、察したフロントがきちんとした部屋を用意してくれたことに胸を撫で下ろした。多くを言わずとも話が通じるのはウルダハのいいところでもある。
「じゃあ俺はずっと部屋にいるから、何かあったらいつでも呼んで。わかってると思うけど、宿の外や酒場には絶対に一人で行かないでね。この部屋ならルームサービスも頼めるけど、外で食べたかったら付き合うから」
「はい、ありがとうございます」
 リーンが頭を下げて部屋の中へ入っていき、閉めた扉に鍵を回す音まで確認して、キャメロンはほっと一息吐いた。夜はまだ始まったばかりだが、一先ず今日のミッションはコンプリートしたと考えていいだろう。この後もしかしたら下に降りて外食するかもしれないが、クイックサンドなら馴染みの店なので肩の荷も軽い。
 部屋に入り、遠慮なくダイブしたベッドは思っていた以上に寝心地がよかった。柔らかすぎず硬すぎないマットレスの反発が心地よく、頬を撫でるシーツの肌触りも悪くない。財さえあれば己の暮らしを如何様にも豊かにできるのがウルダハの美点であるとキャメロンは思っているが、久々にあからさまなウルダハらしさを肌で感じて、思わず苦笑が漏れてしまった。
「でも…これくらいちゃんとした部屋なら、リーンも喜んでくれたかな」
 眼鏡を外し、キャメロンの頭でも十分余ってしまうサイズの枕へ顔をうずめた。目を閉じて今日のことを振り返ると、どうしても強く思い出されるのは、エターナルバンドの指輪を熱心に見つめていたリーンの横顔だった。
「…………」
 エターナルバンドの誓約を行うペアのすべてがそうという訳ではないものの、凡その場合は交際や婚姻の記念に恋人同士が行うことが多く、世間的にはエターナルバンドは愛を誓い合う儀式というイメージが強い。それはキャメロンにとってもそうだ。そしておそらく、今日初めてエターナルバンドについて知ったリーンも同様のイメージを抱いただろう。
 だから、指輪を見つめているリーンの顔を見てどうしようもなく胸が痛んだ。
 今までも散々、自分の想いをはぐらかして明確な言葉も行動も示さなかった。自分の本当の名前を打ち明けたことが精一杯の告白だったが、逆に考えれば、自分の気持ちを伝えることから逃げたのである。
 それでも昨日までだったら、関係を曖昧なままにしておく理由があった。リーンは違う世界に住んでいて、いつ会えるかも会えなくなるかもわからなくて、最後に会った時はまだ幼くて、自分だって子供に毛が生えたようなもので―だが、今やそれらの障害がほぼすべて取り除かれてしまったのだ。
 グ・ラハとガイアの話を聞く限りでは、ガイアが同行するという条件付きでリーンは今後も原初世界と第一世界を渡れるようになった。キャメロンは姉の影武者という立場が変じて、個人として表立って自由に行動できるようになった。住む世界は違えど、互いの意志でいつでも会える環境になったということだ。そしてリーンもキャメロンも過ぎた時間の分だけ互いに年齢を重ね、男女の愛を誓い合うには十分な年頃になっている。

「こんなの、もう…俺が逃げてるだけじゃん…」
 そう、今となっては理由もなく逃げているだけなのだ。自分に意気地がないばかりに答えをはぐらかしたことで、リーンにあんな顔をさせてしまった。
 熱心に指輪を見つめるリーンの顔には憧憬だけでなく、どこか焦がれるような表情もにじんでいた。最後に過ごしていた時よりもそれがはっきりとわかって、半端に思わせぶりなことをしたせいで余計に淋しい思いをさせていたのだと気付かされた。もう、自分の都合で逃げている場合じゃない。
「言わなきゃ……ちゃんと、全部…」


   ◆◇◆


「……早く、ちゃんと言わなきゃ」
 時を同じくして、リーンも同じようにベッドに身を預けてひとり呟いていた。
 仰向きに横たわって、頭のサイズよりはるかに大きな枕を抱いて、ウルダハ風の織物で囲われた天蓋を見上げる。今日はウルダハを存分に観光できて、しかもキャメロンにエスコートもしてもらえて。とても楽しい一日だったというのに、リーンはたった一つの心残りで何度も溜息を吐いていた。
 ――もう彼のことを諦めないと決めたのに、まだ自分の気持ちを伝えることができていない。
 せっかくガイアに連れて来てもらって、サンクレッド達が気を利かせて二人で過ごせるように手を回してくれたというのに。いざ自分の気持ちを伝えようと思うと、どうやってアプローチしたらいいのかわからなかった。
 頑張って腕を掴ませてもらおうとお願いして、あちらから手を握ってもらえたのはとても嬉しかった。歳月が経っても変わらず触れ合うことを許してもらえて安心して、だが、いざ打ち明けようと思うとなかなかよきタイミングが掴めなかった。
 市場での休憩中、ギルドを順番に案内してもらっている道中、最後に宝飾店で指輪にまつわる話を聞いた時、或いはつい先程、互いの部屋に入るそのタイミングで、たった一言「話したいことがある」と言えばよかったのに。一体、何をどこから話せばいいのかと思うと考えがうまくまとまらず、結局いつも通りの当たり障りのない会話をすることしかできなかった。

「はぁ…」
 左腕を上げ、自分の顔の上で手を大きく広げて見る。じっと見つめる視線の先は薬指で、脳裏に思い描いているのは宝飾店で見たシルバーの指輪だった。
 エターナルバンドという儀式に使われるあの指輪が婚約指輪に相当する意味を持つものなのだろうということは、今日初めて話を聞いたリーンでも理解できた。だってあの指輪のデザインは、第一世界でも使われているスタンダードな婚約指輪のそれと同じだったのだ。即物的な考えだと思われてしまうかもしれないが、あの指輪と儀式にまつわる話を聞いたらもう、リーンは彼と指輪を交わしたいという気持ちでいっぱいになってしまった。
 婚約指輪なんて重いものじゃなくてもいい。ただ、世界を違えていても互いを想い合っている気持ちの一部として身に着けていたい。宝飾店でキャメロンに「リーンのオーダーなら喜んでつくる」と言ってもらった。彼の言葉はきっとお世辞ではなくて、リーンが頼んだら本当に何でもつくってくれるのだろう。
 そのオーダーがもし「左手の薬指にはめる指輪」だと告げたら、彼はどんな反応をするのだろうか。
「――――」
 たとえ、どんな反応でも構わない。
 想いを告げられなかった後悔の方がずっと苦しいのだということを、嫌というほど思い知ったのだから。
「よし…!」
 リーンはかざしたままだった左手を拳にしてぎゅっと力を込めると、跳ねるように身を起こして部屋を出た。




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