エタバンをとめないで



 レヴナンツトールは、数多の冒険者達の活気で溢れている一大拠点である。
 それはハイデリンとゾディアークを巡る戦いに終止符が打たれた今も変わらず、むしろ戦いを終えた直後ということもあり、「石の家」を中心に戦勝ムードで大いに賑わっていた。
 サンクレッドが「石の家」の扉を開けて外へ出ると、その活気に満ちた空気がまるで逆流するように迫ってくるので、思わず顔を顰めそうになる。いつにも増してセブンスヘブンがごった返しているかと思えば、冒険者達の熱気の中心で異邦の詩人が恭しくお辞儀をしている。どうやら彼の即興ライブがちょうど終わったところだったらしい。
「まったく…」
 サンクレッドの目当ての人物はきっとその喧騒の中にはいないだろうと思って、ごった返す観客達の波間を泳いでやっとの思いで外に出る。新鮮な空気を大きく吸い込んで一つ深呼吸をすると、ちょうど探していた金髪が見えたのでその場で呼びかけた。
「おーい、キャメー!」
 サンクレッドの呼びかけに、エーテライト近くのベンチに座っていた二人分の金髪がくるりと顔を向けた。それを見たサンクレッドは「あー…」と面倒くさそうに頭を掻く。
「えーっと…姉貴の方」
 サンクレッドに呼ばれた方がぴょんとベンチから飛び降り、呼ばれなかった方がもう一人と連れ立って歩く。やがて目の前に立ったでこぼこの二人組を見て、サンクレッドは肩を竦めて苦笑した。
「やれやれ…ルヴェユールの双子も顔がそっくりで難儀するが、お前達の名前はもっと厄介だな」
 そう――今回の戦いがきっかけで、二人のキャメロンはついに姉弟が同時に表舞台に立つようになったのである。

 かつての蛮神問題や帝国との争いとは比べ物にならなかった、星の命運を巡る壮絶な戦い。その中で「暁の血盟」としては前線に立てる冒険者を一人でも増やしたいという思いがあり、星の未来を憂う状況下においてなりふり構っていられないのはジャヌバラーム家としても同じだったため、当主ケイロンの命によってついに二人のキャメロンが共闘することになったのである。
 当家に関するトップシークレットは暁の賢人達、ロロリト、そしてナナモのみが知るところとなり、対外的には引き続き「詳細は第七霊災のショックで記憶から飛んでいるが同じ名前で別種族の姉弟になる習わしがある一族だった」ということで通している。動乱の只中での参戦だったため野暮な探りを入れる者もおらず、基本的にツーマンセルで行動しているので別に名前が一緒でもそこまで不便ではない、そもそも冒険者達の中には名前が被っている者もたくさんいるだろう、面倒くさかったら姉と弟で呼び分ければいい…等々の理由でそのまま二人のキャメロンとして定着していた。
「じゃあサンクレッドも、きゃめくんはきゃめくんって呼べばいいのに」
「あのなぁ…俺が今更、こいつをくん付けで呼ぶ仲でもないだろ」
「で、私に何の用?」
 サンクレッドとララフェルの姉では目線が合わないため、弟が両脇に手を差し入れて姉をサンクレッドの視線の高さに抱き上げる。お前達それでいいのか、というツッコミはもう何回もした上で諦めたのでサンクレッドはそのまま続けた。
「ウルダハから連絡だ。呪術士ギルドが、ヴォイドゲートや妖異達の事後処理について対策を練りたいからお前のところのご当主を紹介してほしい、ってさ」
「おっけー!でもココブキったら、私に直接連絡くれたらいいのに」
「この騒がしさだ、俺達に連絡した方がよっぽど繋がりやすいと思ったんだろう」
 サンクレッドから仔細を聞いた姉は、腕の中から飛び降りて弟を見上げた。
「…ということで、私はお兄様を迎えに行こうと思うけど、きゃめくんもお家に戻る?」
「いや、俺はここに残っておくよ。何かあったときに対処できた方がいいでしょ」
 大局で見れば戦いに終止符は打たれたものの、それで次の日から世の中の何もかもが平穏無事で済むというわけではない。戦禍を被った地域の復興や、そこから避難して帰れなくなってしまった難民への支援、この混乱に乗じて起こる犯罪や暴動の鎮圧と未然防止のための警備など、冒険者達にはまだまだ任務を宛がわれるであろう事案が山のようにあるのだ。今もまた、セブンスヘブンのどんちゃん騒ぎを抜けて何名かの冒険者が飛び出していった。
 弟キャメロンとサンクレッドが見送る中、姉は実家にリンクシェルで簡単な連絡を取るとそのままテレポでウルダハまで飛んでいった。伝言は済んだのでまた「石の家」に戻ろうかと思ったサンクレッドだったが、異邦の詩人が盛り上げる宴はまだまだ続きそうなので、キャメロンと共に外で一息吐くことにした。ふう、と男二人分の声が重なる。
 銀泪湖方面から慌ただしく人が駆け込んできたのは、ちょうどそんなタイミングだった。
「はあ…っ…はあ……あっ!サンクレッドさん、ちょうどいいところに!」
 男二人で声がした方を見れば、聖コクナイ財団の調査員が息を切らして走ってくる。何事か、と思わず腰を上げた二人の前で、調査員はなだれ込むように地に手をついた。
「どうした、何かあったのか?」
「はあ…はあ……グ・ラハさんを…早く…っ」
 息も絶え絶えといった様子の調査員は、絞り出すような声でグ・ラハの名前を出す。要領を得なかったのでキャメロンが簡易的な回復魔法で上がった息を整えてやると、調査員はそれでもどこか興奮した声色でこう続けた。
「グ・ラハさんを連れて、今すぐシルクスの峡間まで来て下さい…!」


 まだ事を荒立てるには早いので、サンクレッドがリンクパールを使って直接グ・ラハを呼び出す。宴の熱気に揉まれながら何とか抜け出してきたグ・ラハと合流し、三人で銀泪湖へと急いだ。真っ先にグ・ラハの名前が挙がったということは、何かクリスタルタワーに異変が起きたということだろうか。
「俺は特に何も感じていないんだが、気になるな…」
 走りながら、グ・ラハが遠くに見えるクリスタルタワーを見上げる。湖畔へ着くと先程の調査員が先に待っていて、グ・ラハの顔を見てほっとした表情を浮かべた。
「一体、何があったんだ」
「それが、どこから説明していいものか…我々では理解しがたい現象でして」
 そこまで話して、ちらり、と調査員がキャメロンを見た。助けを求められる言われがないので、キャメロンは思わず困惑した表情を浮かべる。
「えっ…何…?」
「いえ…とにかく、皆さんにはご説明するよりも見てもらった方が早いと思います」
 妙に言い渋るのは場所と言葉を選んでのことか、それとも、本当に説明しがたいような事態が起こっているのか。
 シルクスの峡間に辿りついた一行は、警戒しながら調査員の後についていく。いつも通りの薄暗い、洞窟のような景観。やがてガーロンド社と聖コクナイ財団が共同キャンプにしているポイントが目に入り――そこで、三人の男達は驚いて足を止めた。
 キャンプの薄明かりが照らす中、向かい合って座る二つのシルエット。見覚えがあるが記憶の中とは少し違う雰囲気。まさか、と存在し得ないはずの面影に呆然と立ち尽くしてしまう。そんな三人の反応を見て、案内してきた調査員は何とも言いにくそうに事の次第を語り出した。
「えーっと、ですね…いつも冒険者の皆さんが行き来しているように、突然、あの二人がここに現れまして…」
 調査員の声で気付いたのか、シルエットの中の一人が顔を上げた。薄明かりに照らされたアイスブルーの瞳と視線が合って、嗚呼、とキャメロンの口から感嘆が零れ落ちる。
「――リーン…」
 第一世界の住人であるはずのリーンとガイアの姿が、そこにはあった。


   ◆◇◆


 タタルに一報を入れてどんちゃん騒ぎを解散させ、一行はリーンとガイアを伴ってレヴナンツトールへと戻った。
 誰に見られるわけにもいかないので二人にはカウルのフードを目深に被ってもらい、傾き始めた夕陽の濃い影に紛れるように「石の家」へと滑り込む。そのまま未明の間に案内すると、中で待ち構えていた賢人一同とエスティニアンを見てリーンは肩を跳ねさせた。出迎えたヤ・シュトラは驚いたように目を見開き、続いて、二人の護衛のように並んだままの男三人に視線を向けた。
「…どういうことか、説明していただけて?」
「説明してほしいのは俺達の方さ」
 返したサンクレッドが肩を竦めてみせる。それを見たリーンが、フードを外しながら申し訳なさそうにサンクレッドを振り返った。
「ごめんなさい。私達も急に来てしまって…」
「いや、それは言っても仕方ないことだろう。それにしても…一体、どうやって…?」
 この場の全員の頭を支配している疑問を、改めてサンクレッドが言葉にする。リーンがどうしたものかとガイアを見ると、ガイアは鬱陶しそうにカウルを脱ぎながら口を開いた。
「詳しい仕組みは、私達だって知らないわよ。でも何故か、クリスタリウムにある姿見を通ってこちらへ渡ることができたの」
「まさか、星見の間のやつを使ったのか?」
 元来の所有者であるグ・ラハが驚きの声を上げると、ガイアとリーンが揃って頷いた。
 そう。リーンとガイアの二人は、普段キャメロン達冒険者が第一世界と原初世界の行き来に使っている星見の間のゲートを使ってこちらの世界へ渡ってきたのである。だが、水晶公こと当時のグ・ラハの召喚で第一世界へ招かれて行き来ができるようになった英雄達ではなく、第一世界側にしか縁がない二人がどうして、こちら側へ渡ることができたのか。キャメロンも賢人達も揃って「何故」と考え込んで黙ってしまうと、一人だけ状況理解が追い付かないエスティニアンが眉間に皴を刻んだ。
「…おい。まずこいつらは一体、誰なんだ」
「ああ。すまないね、エスティニアン」
 こういうときに真っ先に説明役を買って出るのがアルフィノである。
「彼女達…リーンとガイアは、以前にも話した第一世界の住人なんだ。二人は冒険者達が使っているのと同じルートでこちら側へやってきたみたいなんだが、その手段を使えるのは、グ・ラハによって原初世界から第一世界へ完全なかたちで召喚されたことがある者だけだからね。それで皆、条件が揃っていない二人がどうして…と考え込んでいるのさ」
「なるほどな」
「リーンとガイアも、思い当たる節はないのかい?」
 アルフィノからの問いかけに、リーンがちらりとガイアの顔を窺った。視線に気付いたガイアが妙に嫌そうな顔をする。そのやりとりを見逃さなかった上で、空気を読まずに話を続けられるのがアルフィノである。
「ガイアは、何か気付いたことがあるのかな?」
「あー、もう!普通、これだけ言いたくないって顔に出してるのに聞いてくる?」
「聞いてくるのがアルフィノだから諦めなよ、ガイア」
 キャメロンがすかさずフォローにならないフォローを入れると、アルフィノは「はて」と首を傾げてガイアは忌々し気にキャメロンを睨み上げてきた。何故だろう、数年ぶりに射貫かれるガイアの目力はかなり威力が上がっている気がする。はあ、と大きな溜息を吐いてから観念したガイアが続けた。
「確証はないし、あまり言いたくないことだけど……おそらく私が闇の巫女で、そして、眠っていたアシエンとしての能力を取り戻したからでしょうね」
 誰も何も言わなかったが、アシエンという言葉にその場の空気がぴりりと張りつめた。その空気を感じ取ったガイアは「だから嫌だったのよ」と小声でぼやく。
「アシエンは次元を超えて行き来ができるでしょう?具体的な術を思い出したわけじゃないけど、たぶんアナタ達がハイデリンとゾディアークの因果を穿った影響で、私の潜在的な能力として開花したんだと思うわ」
「なるほど。元々が魂そのものに次元を超える能力を秘めていて、かつ術を思い出せずともオレが造った道があったために、それを渡ることができた…ということか」
「リーンも理屈は一緒だと思うわ。何より、こちらの世界との繋がりを真っ先に感じ取ったのがリーンなんだから」
 ガイアの言葉にリーンが頷いた。
「ハイデリンとゾディアークを巡る因果に変化が起きつつあることは、光の巫女である私も、ガイアも、ずっと感じていました。でもその変化の波が穏やかになって、それから数日たったある日、クリスタルタワーの奥から……その…皆さんの魂の気配を感じて。気になったから、ライナさんにお願いして星見の間に通してもらったんです」
「こちらに渡った後も、シルクスの峡間にある転送装置越しに第一世界との繋がりは感じられたのか?」
「はい。先程の説明の通り、私達も通り道さえあれば世界を行き来できるんだと思います。ただ…」
 そこまで説明して、ふらりとリーンの体が傾いた。すぐ傍にいたキャメロンが自然と受け止めるかたちになり、リーンを抱き止めて支えになる。
「リーン、大丈夫?」
「すみません。この通り私も、それにガイアも消耗が激しくて…アシエンの魂を持つガイアの方が少しだけ耐性が強いみたいなんですが、それでも、こちらの世界で少し休む必要が…」
 重度のエーテル酔い、というところだろうか。いかに光の巫女と闇の巫女といえど、不慣れで不完全な状態での次元転移はかなりの負荷がかかったようである。倒れこそしていないが、よくよく見たガイアの顔色もあまりいいとは言えなかった。二人の体調を考えてその場は一旦解散となり、ヤ・シュトラ、クルル、アリゼーの三人が診察するとのことで男達は揃って未明の間から追い出された。
 世界の危機とは少し違うが、これはこれでとんでもないことが起こったものである。その場の全員の視線は自然と、あちらとこちらのクリスタルタワーの管理者であるグ・ラハへ注がれることになり、アルフィノを除いて自分より体格のいい男達の視線を集めた当人は「う…」と耳を平たくしてたじろいだ。
「…おい。まさか、オレの監督不行届とか言うなよ?キャメ達が通るためにもあの機能は残しておくべきだったし、それに、こちらへ戻るときはバタバタしていたから安全装置みたいなものも用意できなかったし…!」
「承知しております。それよりも、二人はまた、無事に第一世界へ帰れるのですか…?」
「あ…ああ、それは心配ないと思う」
 責められているわけではないとわかってほっとした後、グ・ラハは力強く頷いた。
「リーンやガイアの説明で理屈は納得できた。おそらくだが、実際に次元を超えているのはガイアで、リーンはガイアに運ばれてきたかたちなんだと思う」
「なるほど…魂のみで召喚された我々にはソウル・サイフォンが必要でしたが、そもそも肉体を保持しているリーンはそのまま来ることができた、ということですか」
「まあそれでも、二人が光の巫女と闇の巫女だからできたことだと思うけどな」
 一先ず、彼女達がこちらで休息をとれれば問題はなさそうである。今すぐ何かをできるわけでもないので残りのメンツも解散することになり、だがサンクレッドはやはり二人のことが気がかりなのか、足を止めてじっと未明の間に続く扉を見つめている。それを見たウリエンジェは微笑みを浮かべた。
「……立派に成長していましたね、リーンもガイアも」
 数年越しに顔を合わせたリーンとガイアは、まだ少女の面影を残しつつも大人になっていた。
 こちらとあちらの世界では時間の流れが違うので正確な年齢はわからないが、おそらく二人共、成人したばかりといったところだろう。キャメロンから二人がエデン調査を無事に終えたと聞いたときも随分と成長したものだと感慨深かったが、実際に本人に会って目の当たりにするのでは感じ方がまるで違った。
 サンクレッドの脳裏にはどうしたって、かつて同じように成長を見守ってきたミンフィリアの姿を浮かべずにはいられなかった。ウリエンジェもそれをわかっているので、それ以上は何も踏み込まない。
「さて…淑女の部屋の前にいつまでも立っているわけにもいきません。あとは任せて、我々も退散致しましょう」
「…ああ、そうだな」


 大きな体調異常はなしということがわかり、リーンとガイアはそのまま未明の間に間借りして泊まることになった。
「宿屋に案内できず、ごめんなさいね。今夜はタタルがついていてくれるから、何かあったら彼女に言ってちょうだい」
「ありがとうございます、ヤ・シュトラさん」
「それじゃあ、おやすみなさい」
「あ…あの…!」
 リーンに呼び止められ、部屋を出ようとしていたヤ・シュトラは足を止めた。首を傾げてリーンの言葉を待つが、リーンはリーンで咄嗟の行動だったようで、どうしたものかと罰の悪そうな表情になる。それでもヤ・シュトラが優しく微笑んで待っていると、内緒話をするような声色でこっそりとヤ・シュトラに訊ねる。
「あの……弟さんの方のキャメさんは…」
「…ああ、なるほどね」
 ヤ・シュトラとしてもリーンの恋心については覚えがあるので、ふふ、と小さく笑みをこぼす。第一世界で流れた時間はこちらよりも幾分か多かったであろうに、それでも変わらず彼を慕っているリーンのことが微笑ましく思えた。
「彼、普段はゴブレットビュートという冒険者向けの居住区に住んでいるの。ここからは少し遠いわね」
「そうですか…」
 ヤ・シュトラの眼にも、リーンがわかりやすく落ち込む様子が見えた。見た目こそ大人の女性へと近づいているが、こういった素直な反応は変わらないようである。すぐにでも彼女の想い人を呼びつけてあげたいところだが、今夜のところはゆっくり体を休めてほしいので、ヤ・シュトラはぽんぽん、と言い聞かせるようにリーンの肩を撫でた。
「明日からは出歩いても大丈夫そうだから、案内役にあの子を呼んであげるわ」
「ヤ・シュトラさん…」
「さあ、今夜はもう休みなさい。せっかく素敵なレディになって会いに来たのに、クマができては台無しよ?」
 ヤ・シュトラを見送って扉を閉じたリーンは、嬉しさで足取りを軽くしてベッドへ戻る。先に横になって本を読んでいたガイアは、随分と嬉しそうなリーンの様子に苦笑を漏らした。
「明日、アイツと会えるって?」
「うん…!」
 リーンがベッドに入り、ガイアも本を閉じてサイドテーブルの灯りを消す。成長した今となっては別々のベッドに入るようになったが、それでも体の向きを合わせて眠れるまで他愛もない話をするのは変わらない。
「楽しみだね、ガイア。こっちの世界に来られたら行きたかった場所がたくさんあったけど、どこから案内してもらおっか?」
「何言ってるのよ、リーンとアイツの二人で行きなさい」
 うきうきしているわりに当然のようにガイアを含めた三人で行動するつもりのリーンに、さすがのガイアもフォローなしでばっさりと切り捨てる。それでも暗闇の中できょとんとリーン呆けているので、こうして二人で過ごすようになってから何度目かわからない溜息を吐いた。
「私は私で、こっちの世界でしか読めない物語をたくさん調べたり集めたいのよ」
「でも、案内してもらう人が必要じゃない…?」
「それは、あのグ・ラハって人に頼むわ。彼、水晶公だった人なんでしょ?私達の世界に夜が戻ってくるまでの話とかも聞いてみたかったし、気にしないで」
 そもそもこちらの世界に来たきっかけも、リーンがキャメロンへの想いを募らせた故のことだったのに。それで二人の時間を邪魔するような野暮をする気はガイアにはさらさらなかった。


 星見の間からこちらへ来た経緯について説明したときにリーンは誤魔化していたが、最初のきっかけは、リーンがキャメロンの気配を微かに感じ取ったことだった。折しもハイデリンとゾディアークを巡る因果に変化が訪れたと感じた矢先のことで、二つの世界の境界としてリーンに思い当たる場所はあの星見の間しかあり得なかったので、ライナに頼んで中に入らせてもらったのだ。
 実際にその場所に立つと、二つの世界の境界がすぐそこにあるのだということはガイアにも感じることができた。アシエンが持ち得ていた次元転移の能力について思い出せたわけではなかったが、そこを通れば向こう側へと繋がっていると本能的に理解できたような感覚で。
 自分ならリーンを向こうの世界へ連れていける、という確信がガイアにはあった。
「…どうするの、リーン?」
「…………」
 あのエデンの調査作戦が終わって、束の間の五日間を過ごして。
 それ以来、キャメロンは一度も第一世界に姿を見せなかった。
 元いた世界に次の脅威が差し迫っているという話は聞いていたし、それがハイデリンとゾディアークを巡る大きな争いだったのだということも、光と闇の巫女である二人はすぐに感じとって把握していた。
だからこそ、彼が一度も姿を現さないことが不安で堪らなかった。
 きっと大丈夫だと信じていても、ふとした瞬間にどうしようもなく胸が震える。大切に想う人を自分の手の届かない場所で失ってしまうかもしれないと思うと、怖くてたまらず泣いてしまうこともあった。
そんなリーンの姿を、ガイアは誰よりも傍で見守ってきた。
 住む世界が違うから、と想いを告げることを諦めたリーン。当時はまだ子供だったから、と身を引いたリーン。だが今、リーンは当時のキャメロンと同じ年頃まで成長して、こうして世界の壁を超える手段も見つかった。もう、彼のことを諦める理由は一つもないのだ。
「……連れて行って、ガイア」
 ぎゅっ、とガイアの手を握るリーンが力を込める。
 ガイアも応えるように強く握り返した。
「私…もう諦めたくないし、後悔もしたくない。あの人に会えるなら、私の気持ちを全部、伝えたいの」
「…ええ、そうよ。アイツに思い知らせてやらなきゃ」
 勝手に想ってるだけ、なんて。あまりにも淋しいことだから。
 二人は確かめ合うように互いに頷くと、力強くゲートの向こう側へと一歩踏み出したのだった。


   ◆◇◆


 弟キャメロンの朝は、けして遅くない。
 昨日の思いがけない再会があったせいか思うように熟睡できず、朝陽が昇る少し前の時間には自然と目が覚めた。
「…………」
 リーンが、次元を超えて原初世界へやってきた。
 ガイアやグ・ラハの説明を受けて頭では納得できたものの、感情がまったく追い付いていない。もちろん、戦いが一息ついたので近いうちにまた第一世界に顔を出そうとは思っていたが、まさかこんなにも早く、しかもあちらからやってくるとは思っていなかった。心の準備ができていないのである。
「……はぁー…」
 しかも二人は成長して、随分と大人っぽくなっていた。
 まだ少女のあどけなさが抜けきっていないので、大きく見ても二十歳前後だろう。ちょうど、最後にリーンと会っていた頃のキャメロンくらいの年齢になったと思われる。今まで身近で成長を見てきた女子といえばまったく見た目の変化がない姉しかいなかったので、他種族だとあんなにも印象が変わるものなのか、とカルチャーショックに近い感覚を覚えていた。
 こちらの世界で言うところのハイランダーの血が入っているらしいガイアは元々大人っぽかった顔立ちが年相応の瑞々しさと共にさらに磨き上がっていて、クールかつエレガントな印象の服装や化粧が非常に似合っていた。一方のリーンはガイアの隣に立つとまだまだ幼い印象が強かったが、子供らしい顔の丸みが以前よりもシャープになっていて大人の女性のそれに近付いていた。背も伸びていて、よろけたリーンを抱きとめたときに以前とは違う位置に肩があることに気付いてはっとしたのだ。
 エデン調査の完了から今日までそれなりの時間が経っているのでキャメロンも多少なりとも年齢は重ねたものの、あの年頃の女子の変化は思っていた以上に大きいのだと思い知らされた。ちょっと大人っぽくなったね、どころではない。かなり大人っぽくなっていたのだ。もうどうしたらいいかわからない。
「やばい……やばいよ…こんなの聞いてないよ……」
 弟キャメロンの朝は、けして遅くない。
 遅くはないのだが、覚醒してからこの方ずっとベッドの上で悶々と身を震わせているだけですっかり朝陽が昇りきっていた。だって理想の女の子が理想の女性へ成長する過程が突然目の前に現れたのだ。何も手につかなくなる愚かな男の惨めな姿くらい許してほしい。
 姉が昨日あの場に居合わせなくて本当によかった。いたら一晩中からかわれた挙句あっちだけ勝手に寝落ちして放置されていた。まあこの一大ニュースは遅からず姉の耳に入るので、そのうち弄られ倒すことは間違いないのだが。
「はぁ……ご飯食べよう…」
 脳で処理しきれない感情を体力で発散したせいか無性に腹が減った。
顔を洗って眼鏡をかけ、ドードーの卵を割ってオムレツをつくる。トマトソースは瓶につくり置きしてあるものを小鍋で温め直してかければ完成だ。同時進行で弱火にかけていた野菜スープも程よく温まったのでボウルに移し、パンは行儀悪く口にくわえてそのままテーブルへつく。何も手につかないなりにも食事をすれば少しは心が穏やかになるもので、完食する頃にはキャメロンはぼんやりと今日の予定を考え始めていた。
 今日の昼までには姉が兄達を連れてくると思うのでそちらに合流するか、それとも不滅隊の方に行って適当に仕事を振ってもらおうか。そう言えば姉弟で揃って表に出るようになってからフリーカンパニーに顔を出せていなかったので、社長や先輩方の予定を聞いてきちんと挨拶をしたほうがいいかも知れない。
 本音を言えば「石の家」に行ってリーンの顔を見たいところなのだが、それを第一に考えるのは何だか気が引けたし、リーンとしても他の面々とゆっくり話したいかも知れないし、何より例の秘密を打ち明けたその後初めての再会なので、どんな顔をして彼女と会えばいいのかわからないのだ。とにかく、心の準備ができるまでは何か適当な予定をつくってやり過ごそうと食器を持って立ち上がったキャメロンの角に、まるで心の中を読まれたかのようなタイミングでリンクシェルの着信音が響いた。嫌な予感がするが、応答しないわけにはいかない。覚悟を決め、おそるおそる着信に応答した。
「もしもし、」
「ちょっと!いつまで寝てんのよ!」
 間髪入れずに飛び込んできたのはアリゼーの声だった。
「いや、起きて普通にご飯食べてたけど…」
「そういう細かいこと聞いてるんじゃないのよ!さっさと顔を出しに来なさい!」
「うわ」
 予想通りの展開に思わず心の声が出てしまった。それを聞いたアリゼーが通話の向こう側で声にならない憤りを体で発散したらしく、遠くからアルフィノらしき慌てふためく声が微かに漏れ聞こえた。こんな展開になる予感はしていたが、やはり覚悟を決めて「石の家」に行くしかないようだ。
「……せめて一時間待ってもらえない?」
「テレポできるんだから五分で来なさい」
 アリゼーに慈悲はなかった。


 昨日よりは落ちつきを取り戻したセブンスヘブンを抜け、一つ呼吸を整えてから「石の家」の扉を開けた。入ってすぐ手前のテーブルにウリエンジェとリーンが座っていて、入口側を向いた席にいたウリエンジェがキャメロンに気付く。ウリエンジェの視線に気付いたリーンも振り向いて、すぐにキャメロンと目が合った。
「あっ…おはようございます」
「ん、おはよ」
 壁の死角で見えなかったがテーブルにはアリゼーも座っていたので、キャメロンは残っていたリーンの隣の椅子を引いて腰を下ろす。この後の展開はなんとなく予想できるが、キャメロンは「それで?」ととぼけてウリエンジェに話を振った。
「お呼び立てしてしまい、申し訳ありません。リーンとガイアはしばらくこちらで過ごすことになりましたので、ぜひ、貴方にリーンの護衛と案内役をお願いしたく」
「いいよ。ところでガイアの姿が見えないけど、どうしてんの?」
 あえてガイアの話題を出すとアリゼーが顔面で「わざわざそれ聞く?」と訴えてくるので、キャメロンは少しだけ顔の向きをアリゼーから逸らした。
「ガイアならすでに、こちらの世界の様々な物語や伝承について調べたい、と意気込んで朝早くから出ていきましたよ。英雄譚に詳しい案内人がついていますので、その点も安心でしょう」
「ああ…ラハが捕まったのか…」
「では、私とアリゼー様は別件がありますのでこれにて。リーン、せっかくの機会ですから、遠慮せず羽を伸ばして下さいね」
「ええ。ありがとう、ウリエンジェ」
 一礼して、ウリエンジェが席を立つ。アリゼーもそれに続いて席を立ち、ぽん、とキャメロンの肩に手を置いて角の付け根に顔を寄せてきた。
「せっかくのデートなんだから、気合入れなさいよね」
「うっ…わかってるよ」
 珍しくにこにこしてわかりやすく楽しそうなウリエンジェと、何故かキャメロン本人より力が入っていたアリゼーが暁の間へと入っていき、テーブルにはキャメロンとリーンだけが残された。今日は他の皆もすでに出払っているようで、鼻歌交じりに帳簿をつけているタタル以外には人がいない。そのせいか、二人の間に沈黙が流れると妙に気まずかった。ちらりと視線をリーンに投げると、リーンの方も少し緊張した面持ちでキャメロンを見ていた。久々の対面で気恥ずかしいのはお互い様らしい。それがわかって、キャメロンは少しだけ肩から力が抜けた。
「あー…えっと……久しぶりだね」
「は、はいっ…お久しぶりです…!」
「体調は、もう大丈夫なの?」
 キャメロンの帰り際には随分と辛そうにしていたので訊ねてみると、リーンは「ばっちりです」と元気よく頷く。会話が始まったことでリーンの方の緊張もほぐれたようだった。
「夜、寝る前にはすっかり平気で…」
「そっか。それなら、今日からあちこち見て回っても大丈夫そうだね」
「はい。お忙しいのに、案内をお願いしてしまってすみません」
「暇してたから気にしないで。リーンはもう、どこか行きたいところ決まってる?」
 ちょうどテーブルの上に地図があったので、それを広げて二人で覗き込む。
「行ってみたい場所はたくさんあるんですけど…キャメさんのおすすめの場所とか、ありますか?」
「おすすめ、っていうのとは少し違うけど、土地勘があるのはウルダハかな」
 とんとん、と地図の南方に描かれているウルダハ王宮の絵を指差す。ウルダハの名前はよく出していたので、リーンも場所を見てぴんと来たような反応をした。
「ウルダハ…!キャメさん達が生活拠点にしている都市ですよね、行ってみたいです!」
「じゃあ、決まりだね。北ザナラーンから抜けようと思うとちょっと面倒だから、一度イシュガルドに行ってそこから都市間を行き来している飛空船に乗ろうか」
 地図の上で指を滑らせ、モードゥナからクルザス、クルザスからウルダハへ移動させていくと、その動きを追うだけでもリーンの目がきらきらと輝いた。その期待に応えられるほどのエスコートができるだろうかと考えると少し気後れしてしまうので、とにかく今日一日はリーンのアンテナが興味を示した方へ散策してみよう、とキャメロンは地図を畳んで腰を上げた。まずは降雪地帯を抜けることになるので、薄着のリーンのために防寒具が必要だ。
「タタルさん、リーンに貸せそうなコートとかマフラーってある?」
「ふっふっふーん…そう言われるだろうと思って、昨夜のうちに用意しておきまっした!」
 駄目元で聞いてみたのだが、タタルは「よくぞ頼ってくれた」と言わんばかりの得意そうな表情をしたかと思うと、机の下から白い毛糸のコートとマフラー、ブーツカバーの三点セットを取り出して広げて見せた。第一世界では馴染みがなかったであろう防寒具に、リーンの表情がまた明るくなる。北に抜ければすぐクルザスに出るのでリーンにはこの場で身支度を整えてもらい、慣れない厚着に少し動きづらそうなリーンの手を引いて、タタルに礼を言いながら「石の家」を出発した。
 見送るタタルはにっこりと笑顔で二人に手を振り、やがて二人が出て行った扉が閉じると、今度はタタルの背後にある暁の間の扉がゆっくりと開いた。その向こう側から顔を覗かせたのは言わずもがな、隠れて二人の様子を窺っていた暁の賢人達である。下からクルル、アリゼー、アルフィノ、サンクレッド、ウリエンジェが「やれやれ」と胸を撫で下ろし、ヤ・シュトラはソファに座って悠然と微笑んでいる。
 タタルはくるりと体ごと振り向いて賢人達と目を合わせると、ぐっ、とサムズアップして見せた。
「デートのサポートも、できる受付にお任せでっす!」




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