短編まとめ

※一緒にオルトエウレカを攻略してくれているフレンド二名をお借りしていますが、キャラクターとしての本名が不明だったのであくまで会話文の中でだけ名前を出しています


   ◆◇◆


「――ねえ、この後カラオケ行かない?」
 唐突に声をかけられて、帰り支度をしていたカムイルは面食らって顔を上げた。
 高校二年の春。家の事情で今年度からの編入になったカムイルには、まだ同じ学年の中に親しい友人はいない。人見知りなので、つくるつもりもない。長くても二年間、クラス替えで離れてしまえばたった一年だけの付き合いだというのに、特別仲のよい相手をつくるための様々な労力を割く気にはなれなかったからだ。
 だから四月頭にクラス全体での自己紹介をして以降、カムイルはクラスの中で自分から何かを発言したことはない。グループワークなどでやりとりをすることはあっても、その場限りの必要最低限な内容に留めていた。休み時間に楽しそうにじゃれているクラスメイト達の標的にならないように息をひそめ、昼休みは誰にも声をかけられないうちにふらりと教室を抜け出して、ホームルームが終わったらさっさと帰る。そんなことを一ヶ月も続ければ、誰とトラブルを起こすこともなく自然とクラスの中で孤立できた。
 授業や学校行事には協調性をもって参加してくれるけど、プライベートはあまり見せたがらない物静かな男子生徒。そういうポジションで静かに高校生活を終えられると思っていた矢先の出来事で、カムイルは眼鏡の奥でぱちくりと目を瞬かせた。
「え……?」
 どうして声をかけられたんだ、という疑問でうまく言葉を返せなかった。そのうちに、自分に声をかけてきてくれたクラスメイトの二人の素性を思い出す。確か、一年のときに姉のキャメロンとクラスメイトだった仲間内のメンバーだ。そういえば、クラス替えのタイミングで姉が紹介してくれた気がする。自分に負けず劣らず他人への心の壁が厚い姉が珍しく親しくしているので、嗚呼この人達は面倒な人種ではないのだろうな、とぼんやり考えたことだけ覚えている。
「きゃめくん、って呼んでいいかな…?きゃめちゃんがいつもそう呼んでるし、ほら、二人共名前が同じだから」
「あ…うん、大丈夫だけど」
 家庭の事情で姉と同じ名前を表向きには名乗っているため、カムイルは小さく頷く。それを見て、二人は顔を見合わせてほっとしたような表情になった。
「よかった…。クラス変わったときにきゃめちゃんが紹介してくれたけど、きゃめくん独りでいるほうが気が楽なタイプなのかなって思って、なかなか声かけられなくて」
「あー……うん」
「でも実習とか体育のときは普通に話してくれるから、いつか声かけて一緒に遊んでみたいよね、って二人で話してたんだ」
「そっか…なんか、ごめんね」
 気を遣われているのか、と思うと逆にどっと疲れが込み上げてきた。別にこの二人は悪くない。悪いのは、春に自分のふくらはぎにしがみついて無理矢理この二人の前に引きずり出して「そういうわけだから、私のかわいい弟をよろしくね!」などと言って無責任な紹介をしたキャメロンだ。おかげで他人に要らぬ心労をかけさせてしまったではないか。
「せっかく誘ってもらったけど、俺…今日は寄りたいところがあるから」
 別に予定はなかったが、そういうことにして椅子を机の中にしまった。通学用の鞄を肩にかければ、二人も強引には引き止めず道を空けてくれる。
「用事あるなら仕方ないよ」
「そうだね。こっちも急に誘ってごめん」
「…うん、ありがとう」
 小さく頭を下げ、そのまま視線を下向きにして教室を後にする。普段誰とも話さない自分がクラスメイトと会話している姿が珍しかったのか、少しだけ教室内と廊下から向けられる視線が痛かった。
「……あれ、1組のキャメちゃんの弟だっけ?同い年の」
「そうそう。養子だったか遠い親戚だったか忘れちゃったけど、今年からウチの学校なんだって」
「へえー!じゃああの子もいい家のお坊ちゃんなんだ!」
(…………人の噂話するなら、本人に聞こえない声量で喋ってくれよ)
 廊下でたむろしている女子グループの会話が嫌でも角に届く。聞こえないふりをして下駄箱まで向かって下足に履き替え、校門を抜けた先でようやく気が楽になった。

 物心ついたときから人見知りではあったが、それが決定的になったのは幼稚園の頃の苦い思い出が原因だった。
 内気で物静かだったカムイルはやんちゃな男児達にとっては格好の的で、乱暴にじゃれつかれては毎日のように泣かされていた。別に彼らに何かをしたわけではない。子供の頃から何かをつくるのが好きだったから、独りで黙々と積み木やブロックで遊んだり、泥を固めて動物のかたちをつくったりするのが好きだった。誰にも迷惑をかけずに遊んでいたはずなのに、何故かその邪魔ばかりをされていた。
 どうして、と泣きついても大人は助けてくれなかった。男の子なら泣かないで立ち向かいなさい、嫌なものは嫌だと伝えて仲直りしなさいと言われて、それで相手がやめてくれるならこんなことにはなっていない、とまた泣いた。
 一方で、物静かで穏やかな性格だったので女児達にはおそろしくモテた。モテたとは言うものの、あの年頃から小学校にかけての年代ではやんちゃで乱暴でバカをやる男がほとんどを占めるため、そういうことをしないだけで周囲と比べて大人びて見えるというだけのことだ。あの年頃の女児の間では、「優しい」か「足が速い」というだけで鬼のようにモテる。たったそれだけのことだった。
 だというのに、カムイルはうっかり幼稚園のマドンナのハートを射止めてしまった。しかもかなりの大人数の前で告白され、子供の戯言とはいえ将来は結婚してほしいとまで言われてしまって、それがガキ大将グループの逆鱗に触れてボコボコにされた。
 そこまでされてしまうともう幼いカムイルには何もかも限界で、泣きわめきながら幼稚園の敷地から飛び出したところで黒塗りの高級車に追突してしまうかと思ったところ、運よくその車がブレーキをかけながらゆっくり停車しかけていたのであわやの大惨事には至らなかった。そのとき慌てて車から降りてきてくれたのが、今の家に引き取ってくれた兄のケイロンである。
 それからはカムイルの様子を見かねたケイロンが養子に迎えたいと幼稚園と家族に申し出てくれて、当時まだ幼かったカムイルには兄がどうやって彼らを説得してくれたのかはわからなかったが、あれよあれよの間に今の家に引き取られることになった。

 そういうわけで、現在のカムイルはそこそこ裕福な家庭の養子として何不自由なく伸び伸びと生活させてもらえている。自分らしく過ごすことを否定せず応援してくれる兄には頭が上がらず、そんな兄と家族に迷惑をかけるわけにはいかないと思うと、他人と深く関わりを持とうという気持ちにはますます慣れなかった。
 悪目立ちするなんてもっての外だが、周囲を拒絶し過ぎても逆に存在が浮いてしまって要らぬやっかみを受ける。だから、空気のように自分の存在を消して過ごそうと決めたのだ。話しかければ応えるし、必要な協力はするものの、他人に興味や関心を持たれるようなことは絶対にしない。誰の記憶にも残らない地味な一生徒。そういうのが、一番いい。
「ただいま、」
「おっ、おかえりきゃめくん」
 帰宅を告げるためにリビングへ顔を覗かせると、すでに部屋着に着替えている姉のキャメロンがソファで横になってくつろいでいるところだった。その顔を見てクラスメイトとのやりとりを思い出したカムイルは、家族の前でだけ見せるしかめっ面になってどかどかと足音を立てながらソファへと近づく。
「おきゃめ、お前~…ッ!」
「えっ、なんかキレてる。なんで?」
「なんで、じゃないっ!」
 それこそクラスメイトが聞いたら驚かれるであろう声量で、カムイルはソファに手を突いて仰向け寝の姉の顔を覗き込んだ。そう、学校ではぼそぼそと喋っているが、カムイルの最大声量は姉に負けないくらいに喧しい。
「お前が変なこと言うから、クラスの子が気ィ使って俺のことカラオケに誘ってきたんだけど⁉」
「えーっ、やっくとだぐくんカラオケ行ってんの⁉私誘われてないんだけど!」
「知らねえよッ!」
「なになに~、お嬢と坊なんでそんな盛り上がってんの~?」
 二人の声がヒートアップしたところで、キッチンで何やらごそごそとやっていたカメリアがひょっこり顔を覗かせた。両手で持っているトレーの上には、ティーセットと茶請けのクッキーが用意されている。
「坊も支度とっておいで。話はおやつ食べながら聞いてあげるから」
「別に…聞いてもらうような話じゃないよ」
「またまた、そんなこと言って。学生は学校生活の様子を家族に聞かせるのも仕事の内なんだから、紅茶が冷める前に戻ってくるんだよ」
 急かすようにカメリアに背中を叩かれ、カムイルは渋々と階段を上って自室へ向かう。学ランとスラックスを丁寧にハンガーにかけ、枕元にたたんでおいた部屋着のスウェットとパーカーに着替えて再び階段を下りる。リビングに入るとポットから注がれた紅茶のいい香りがして、その匂いにつられたカムイルは素直に姉の隣の椅子に腰を下ろした。
「きゃめくん、カラオケに誘われたんだって。ほら、私が一年のときに一緒だったやっくとだぐくん。今年はきゃめくんと同じクラスなんだよね」
「へえ、カラオケいいじゃん。坊、歌うまいんだから行けばよかったのに」
「別に、うまくないし…カラオケみたいな、仲いい人とじゃないといけない場所、俺には無理だよ」
 最初から行く気など毛頭ない、というカムイルの態度にキャメロンとカメリアが顔を見合わせる。
「え…坊、大丈夫?お嬢と同じ学校だから平気だと思うけど、もしかしていじめられてる?」
「いや、そうじゃなくて…俺、高校で友達つくるつもりないから」
 今の家に引き取られてから通った小学校も、中学校も、特別仲がいい友達をつくらずに過ごしてきた。高校も、最初は姉と違う学校へ通っていたが、キャメロンがいないことでますます交友関係が狭くなるカムイルを心配した家族が二年から同じ学校に編入させてくれた。だが、それでも友達をつくるつもりはない。将来もカメリアに師事して兄の会社で働くつもりなので、自分には今の家の家族さえいればそれでいい。
「……でもきゃめくん、学部に仲いい先輩いるじゃん」
 学部というのは、今カムイル達が通っている高校のすぐ隣にある大学のことである。確かにそこに通っている学生の中に一人だけ顔見知りがいるが、別に仲がいいわけではない。どちらかといえば因縁がある相手だ。カムイルはティーカップを持つ指が思わずぴくりと動いてしまい、ゆっくりとソーサーに戻してから隣の姉を見下ろした。
「……ミトロンは友達じゃない。あいつがガイアにまとわりついてるから顔見知りってだけだよ」
「じゃあ友達じゃん」
「お前話聞いてる?」
 カムイルが仲良くしている貴重な友人に、大学付属の中等部に通っているリーンとガイアがいる。そしてそのガイアに不審者すれすれのアタックをしているのがミトロンこと学部生のアルテミスだった。ガイアと特別仲がいいリーンを排斥しようと妙な行動をとっていたところを運よくカムイルが見つけて止めに入ったことがきっかけで、今ではたまに四人で出かけたりもするものの、けして彼とは友達ではない。そう話してカムイルは否定するが、隣のキャメロンは嬉しそうに頬杖をついてくすくす笑っている。
「きゃめくん、私達以外でも仲良くできる人いるじゃん。リーンにちょっかい出されて第一印象最悪だった先輩とも一緒にお出かけできるんだから、あの二人と一緒にカラオケに行くくらいなんてことないよ」
「いや…でもミトロンは、リーンとガイアが一緒にいてくれるから…」
「じゃあ、私がついていこっか?」
「う…、」
 そこまで言われてしまうと、もう逃げようがない。カムイルが次第に反論の言葉に詰まり始めると、ぽん、とキャメロンが小さな手をカムイルの膝の上に置いてきた。
「ねえ、きゃめくん。学校だってなんだって、絶対に友達がいた方が楽しいよ。別に誰とでも見境なしに仲良くしろってわけじゃなくて、私みたいに人数は少なくてもいいから、安心して一緒に過ごせる人がいると、それだけで気が楽だよ?」
「で、も…俺なんか、別に一緒にいても楽しくないだろうし……」
「一緒にいて楽しいかどうかは、きゃめくんじゃなくて相手が決めることじゃない?」
 念押しのように膝を撫でられて、カムイルは完全に言葉に詰まった。
 キャメロンの言っていることは理解できる。自分だって、できることなら安心して話ができる人間が一人でも多くいてくれた方がありがたい。だが、はたして彼らが友達になってくれるだけの魅力が自分にあるだろうか。そう考えると、気が重い。
 家族なら話は別だ。否応なく衣食住を共に過ごさなければならないし、その中で互いのいい面も悪い面も受け止めて理解していくことができる。だが、それを、たった二年一緒に過ごすだけの赤の他人にできるだろうか。
「……あ。そういえばきゃめくんのクラス、明日調理実習じゃない?」
「うん、」
 家庭科の実習は月曜日からクラス順に回っていくので、キャメロンの言う通り明日はカムイル達のクラスの番だった。それがどうかしたかと首を傾げるカムイルに、「鈍いなあ」とキャメロンが横腹をつつく。
「調理実習って、三人組でやるじゃん。どうせきゃめくん、いつも人数調整要員で適当な班に入ってるんでしょ?」
「まあ、そうだけど…」
「明日、やっくとだぐくんと同じ班になりなよ。私からも二人に言っておいてあげるから。調理実習ならきゃめくん得意だし、少しは気がまぎれるでしょ?」
 そう言いながらキャメロンの手にはすでにスマホが握られているので、このままグループチャットで明日の実習について根回しをする気満々だ。こうなった姉を止められないとわかっているカムイルは素直に姉の提案を受け取ることにして、そんな姉弟のやりとりを黙って見守っていたカメリアは満足そうに微笑んでいる。
(明日、か……)




 翌日。調理室への移動のために慌ただしい教室の中、カムイルの席へ昨日と同じように二人がやってきてくれた。姉の根回しがあったとはいえ、同級生が当たり前のように自分に声をかけてくれるなんて機会は今まであまり経験がなくて、少し胸がむず痒い。
「行こ」
「……うん、」
 短いやり取り。無駄な言葉が削ぎ落されたそれは、むしろ友好の証だ。やはりそこがむず痒い心地がして、カムイルはエプロンを入れてきた袋を胸に抱えながら二人の後に続いて教室を出た。
「きゃめくん、料理得意なんだって?いつもきゃめちゃんの分までお弁当つくってるって聞いてびっくりしたよ」
「いや、得意ってわけじゃ……ただ、つくるのが好きなだけで…」
「いやいや、普段からやってるだけでもすごいって。今日はいろいろ教えてね」
「うん…俺で、わかることなら」
 話題を、自分に合わせてくれている。エプロン袋を抱える胸の内側がじわじわと熱くなるのを感じて、袋を持つ手にきゅっと力が入った。
 同じ年頃の同性の友達なんて、あり得ないと思っていた。高校生になったところでバカ騒ぎをする奴は変わらないし、大人びて達観しているような子は、敢えてカムイルを構うようなことはしない。最初からつるんでいるグループの輪に向こうから招かれることは絶対にあり得ないし、自分が一歩前へ踏み出さない限り、気兼ねなく話せる相手なんてできないと思っていた。
(一歩踏み出したから、二人と話せているのかな…)
 廊下を移動する間も二人は絶えず話しかけてくれて、でも、気疲れするようなそれではなかった。少しずつカムイルのことを聞いてくれて、カムイルがたどたどしく受け応えると、その反応を拾ってまた優しくボールを投げてくれる。調理室の中に入ってエプロンの紐を締める頃には、カムイルは随分とリラックスして二人と話せるようになっていた。
 黒板に書かれているメニュー名はグラタンで、カムイルにとってはつくり慣れたものだ。指示されている調理過程に多少の違いはあるが、問題なくつくれそうなものである。
「きゃめくん、グラタンつくれる?」
「うん。いつも俺がやってるのと少し違うところもあるけど、慣れてるからいけそう」
「というかグラタンのつくり方頭に入ってるの?それがまず凄いわ」
 教師の掛け声と共に調理が始まり、立ち上がったカムイルは二人にそれぞれ指示を出す。鍋に湯を沸かしてマカロニを茹でる係と、牛乳など軽量が必要な材料を計って用意しておく係。指示を出した後にカムイルはまな板と包丁を用意すると、まず調理馴れしていない人が嫌がるであろう玉ねぎの皮をむき始めた。目に沁みるのも気にせずトントンと軽快な音で半月切りにしていくカムイルの手元を見て、二人が思わず「おお、」と声を上げる。
「マジで料理やってる人の手つきだ…」
「別に、これくらいすぐに馴れるよ」
 二人がそれぞれ手すきになったので、玉ねぎ以外の材料を切ってもらうように指示を出す。二人が刃の入れ方や材料を切る幅などを聞いてきてくれるので、カムイルも少し嬉しくなって、後ろからそれぞれの手元を覗き込みながらアドバイスを送る。もちろん、茹でているマカロニの加減をさり気なく見つつだ。
「なんだ、二人共普通に包丁使えるじゃん」
「いや、でもさすがにあんなに早く切れないって」
「それで大丈夫だよ。料理なんて、怪我せず安全が一番なんだから」
 材料を一通り切り終えたので、フライパンに油を敷いてあたためてから鶏肉を炒めてもらう。カムイルは見守るだけで基本的には二人に動いてもらいつつ、炒めた具材に加えた牛乳がフライパンの中で順調にホワイトソースへ変化していくと、実際に調理をしている二人が嬉しそうにカムイルを振り返ってくれた。
「すごい!もうこの時点でおいしそうなんだけど!」
「というか、ホワイトソース買わなくても普通に牛乳でつくれるんだね」
「…うん。やってみると、結構簡単でしょ?」
 程よいところで湯切りしておいたマカロニも加えてソースと絡め、フライパンの中身が見覚えのあるグラタンにかなり近づいてきたところで耐熱容器に移す。チーズやパン粉は自分の分にそれぞれ好きなように乗せようという話になり、カムイルが先陣を切って適量をまぶすと、後の二人もそれを参考にして仕上げていく。オーブンに並べてセットすればあとは焼き上がりを待つだけだ。調理過程をすべて終えた調理器具の後片付けを始めると、それに気付いた実習教員のリングサスが作業台までやってきて三人の肩を叩く。
「お前さん達、随分と手際がいいじゃないか。さては料理馴れしてる奴がいたな?」
「きゃめくんがやってくれました」
 二人揃って当たり前のようにカムイルを指さすので、洗い終えた鍋の水気を拭き取っていたカムイルはぎょっとして肩を竦ませる。
「いや、別に…俺はちょっとアドバイスしただけで、切ったり炒めたりしてくれたのは二人だから…」
「ほう。しかも自分でやっちまえば早いところを、経験が浅い二人にやらせたわけだ。友達が料理に触れる機会を奪わず傍でサポートしてやれるとは、なかなかやるじゃねえか」
「友達……、」
 アウラ族のカムイルよりも体格のいいリングサスの手が伸びてきて、表情を隠すように長く伸ばしている髪をぐちゃぐちゃにしながら頭を撫でてくる。その豪快な手つきにもみくちゃにされながら、やはりカムイルの胸にはどこかむず痒い―けれどあたたかいものがじんわりと広がりつつあった。

 無事にすべての班のグラタンが焼き上がり、実食の時間になった。慣れているカムイルのアドバイス通りにつくったグラタンが大きな失敗をするわけもなく、自分の手でつくったおいしさも相まって、隣合って座っている二人は嬉しそうにグラタンを食べ進めている。料理は、これがあるから好きだ。自分がつくったり手伝ったものをおいしそうに食べてくれる人を見ていると、それだけで心が満たされていく。
「きゃめくん、本当にありがとね。いろいろアドバイスしてくれたから失敗しないで済んだよ」
「うんうん。きゃめくんがいなかったら、牛乳あっためてるところで絶対に焦がしたりしてたと思うし」
「いや、別にそんな…本当に、二人がちゃんとやってくれたから……」
 家族以外に褒められ馴れていなくて、つい謙遜以上に否定的な態度をとってしまう。人によっては鬱陶しがられるとわかっていても、この自己肯定感の低さはなかなか治せない。
 二人はどうだろうか、とカムイルは少し不安になってちらりと対面の二人の顔色を窺った。カムイルと視線がしっかり合った二人は、変わらず気さくな笑みを浮かべてくれている。それが、とても嬉しい。
「……あと、途中からきゃめくんが肩の力抜いて話してくれてて、俺達それも嬉しかったよ」
「えっ…?」
「うん、だいぶ硬さが抜けてたよね」
 そんなつもりはなかったのだが、やはり大好きな調理をしながらだったせいか、いつの間にか随分と気が緩んでいたらしい。急に恥ずかしくなって両手で顔を覆って俯くと、もうカムイルに対して遠慮はいらないと確信したのか、二人がテーブルの向こうから腕を伸ばしてバシバシと容赦なくカムイルの肩や背中を叩いてくる。
「はっ…ずかしい……マジで……」
「なーんで恥ずかしがってんの?これからもその調子でよろしく頼むよ」
「きゃめちゃんが言ってた通りで安心したよ。きゃめくん、ガードさえ崩れたらすぐに仲良くしてくれるって」
「あの野郎……」
 観念して真っ赤な顔を上げると、先程以上に気さくな―というより、随分と悪戯っぽくにやにや笑いを隠さない二人とバッチリ目が合った。いろいろと込み上げてくるものはあったが、カムイルは再び顔を隠してぼそりと呟いた。
「カラオケ……」
「え?」
「カラオケ、奢ってよ…今日の借りに、フリータイムドリンクバー付きで」
 友達の輪に入れてくれ、と。生まれて初めて、精一杯の勇気を振り絞って声に出したカムイルに、二人は調理室中の注目を集めるくらい勢いよく音を立ててハイタッチを交わした。

 その週末、カラオケに来てくれたカムイルが片想い失恋ソングばかり歌うので二人が心配になったのは、また別の話。




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