ホワイトデーより愛をこめて
ばかみたいな話だ。自分でも自分のしている行動に笑ってしまう。
白崎未歩は、その日あった部活を休んで早めに帰路についた。すぐにでも逃げ出したい気分だった。
あの中宮という少女。九基と仲が良いではないか。親しげな雰囲気に胸が押しつぶされる。この苦い感じは何度も味わってきた。せめて物質的に甘いものを口にしたい。
道路の端に自動販売機がある。そっと覗きこんだ飲料のレパートリーから虚しさに襲われる。ない。美味しそうなものがない。麦茶だとか玄米茶だとか質素なチョイスは、きっと九基向けだ。
そう、いつも九基ばかりだ。
転勤族とまではいかないが、小学一年から三年までで三回引っ越しをした。小学校という初めての集団生活のなかで、引っ込み思案でなかなか友人をつくることのできなかった白崎にとってそれは大きな枷である。せっかく、環境に慣れたと思ったころには、もう別の街に越さなくてはならない。そんな状況が嫌だった。
どうせまたすぐにここを離れなくてはならないのだろう。そういう思いで、三回目の学校に登校した。どうせまた集団には馴染めない。ひとりで過ごすのだと。だが。
「お前さ、そっち、女子トイレだぞ」
休み時間に用を足そうとしていたところ、背後から話しかけられた。振り返ってみて、実際に自分に向かって彼が話しかけてきてくれたのだと知って、背中がぞわりとした。
彼は同じクラスのナントカという存在で、彼は白崎が転校生だということを知っていて、だから、施設の作りに迷っているのだと思ったのだろう。しかし、白崎は迷ってなどいないし、第一、女子トイレと男子トイレの違いくらいわかっている。なんて失礼なやつだ。
「知ってる」
白崎は言った。けれど、その声は小さくて彼の耳に届かなかったらしい。
「なんだよ、もう一回言えって」
「知ってるよ」
「え?」
「だから、トイレ、知ってる!!」
「おう、じゃ、俺と一緒に行こうな」
「なんでだよ!!」
同い年であるのに妙な先輩風をふかして、彼は先頭立って男子トイレへと案内する。
「ほら、ここ、見ろ。ちゃんとマークが男子になっているか確認するんだぞ。間違っても赤いほうに行くんじゃない」
「いや、あの、もう、知ってます!」
「よし、いい返事だ」
なんなんだ、こいつ。それがナントカの第一印象。いや、これを機に何度も声をかけられるのだから、名前なんてすぐに覚えてしまった。彼の名前は九基圧照。
だからといって、彼と仲良くしようとも思わなかった。ただあちらから強引に攻め込まれてしまう。話しかけられるというより、押しかけられるというほうがしっくりくる。なぜ、やつはこんなにも自分を気にかけ、自分のほうへやってくるのだろう。
ある日、彼の存在が煩わしく感じて問い詰めてみた。
「だって、お前、人形みたいなんだもん」
返ってきた返答に白崎は驚いた。人形? そりゃどういう意味だ。
「お前さ、自分が奇麗なの、わかってないだろ。ひとは、というか、ここのやつらはビビってるわけ。転校生なんてもんだけでもレアなのに、そいつが美人だから」
「男に美人もくそもないはずだと思う」
「くそではない。白崎は美人だ」
あまりにも真面目に、まっすぐな瞳で見られて、そう言われてしまう。白崎はというと九基を見るのがつらくなって視線を逸した。
「つまり、なんなんだよ。ぼくが美人だから、あんたはお近付きになりたいのか?」
刺々しい口調で責めるように聞いた。それでも九基の反応は変わらないものだった。
「いいや。お前が人形みたいだからだ」
「だからそれは聞いた」
「奇麗だという意味以外にも、にこりともしないという意味もある」
「はぁ!?」
「遠巻きにされて、輪の中に入れていない。それだけじゃなくて普段から無表情でつまらないやつだ」
「悪かったな、そういうやつで」
「でも、だから気になった。寂しいなら隣りにいてやろうと思って」
「寂しくないぞ」
「そうか、良かった。それに、今、怒っている白崎が見れて良かった」
善意だ。彼は善意の塊だ。それは甘ったるいミルクセーキを飲み干した後の舌先のように、痺れる。
「それにしても、お前の下の名前なんなの?」
「未歩だけど」
「知ってる。あ、俺、圧照ね」
「知ってる」
「未歩ってさ、なんか乙女チックだよな」
「やめろ、ばかにするな」
「ばかにしてない。なんか可愛い」
「うるせ、黙れ」
「未歩はもうちょっと、自分に自身を持て。俺以外に友だちをつくる秘訣は、まず自分をアピールすることで自身を売り込んでいくことだ」
「どこのセールスマンだよ!? つーか人の名前を呼ぶな」
「未歩ちゃーん」
「猫なで声やめろ!!」
なんだかんだで、九基を追い払うことができなくて、そのままズルズルと友人未満――九基本人は友人だと思っていたらしい――を続けることになる。だが九基プロデュースのおかげで、学校の連中からは白崎はナルシストだと思われ、それでも周囲に友だちはでき、居心地もよくなり、白崎自体、もうこのまま自分の顔の良さを認めてしまっても、いいという感じで流されに流された。それが不愉快というわけでもないのだ。だから、困ってしまう。
次第に、好きになっていく感覚は、きっとただの友だち感情ではないような気がして。
✿
だが、またそれはやって来る。引っ越しだ。父親の転勤にともない家族全員が付いていくことが決まった。引っ越し先から今通っている学校へは通学することは困難だろう。けれど、白崎は残らずついていくことを決定した。
逃げ出したいという感情がどこかにあった。
曖昧で中途半端なままずっと、九基と共にいてもつらいのは自分だけだ。だから、すこし距離をとって冷静になりたかった。どうせならそのまま、忘れてしまいたかった。
越すのは、新学期に合わせることになり、まだ数か月ある。その間に、決着をつけなくてはならない。けれど、正面切って好きだというのは、無理だ。カレンダーにかけた。その日だったら、きっと、なんとかなる。バレンタインデーの赤文字にささやかな作戦を立てた。
最初から女子になりきって手紙を書いたわけではなかった。ただ、思い浮かべた九基の顔から、彼がどういう女子が好きなのかを勝手に想像した。あの渋いお茶を好むやつなのだ。きっとなんだかんだで古風で質素な感じの文面のほうがいいだろう。この文面を見た九基の反応を想像して、彼は笑いが収まらなかった。いたずらを仕掛ける側というのは、なかなかいい。仕掛ける前の楽しみというのはいつまでも味わっていたい。けれど、書き上げたそれをデパートで買った菓子に添えてみて、やはり、渡すべきではない気がした。
どうせなら波風立たせずに静かに去りたい。何事もなかったように、そのまま去ってしまいたい。二月十四日、学校まで持ってきたそれを、白崎は捨てた。
それから、なぜだろうか。
九基の様子が変わった。妙によそよそしくなるし、何かを影でこそこそとしている。気になって、彼の後を追えば、彼と同じ部活に所属していた中宮という女子生徒との距離が異常に近い。密かにあっていたふたりはすみやかに会話を終えると、静かに立ち去っていく。どう見ても怪しい。
そうか。彼も春を追う者だったか。白崎は脱力した。どう見ても、勝ち目はない。いや、勝とう負けようの前に最初から自分がいなくなることはわかっている。このまま消えよう。そう思っていたのに。
「なあ、チョコレートってどんな意味だと思う?」
三月十三日。九基からの電話を受けて初めてあのチョコレートと手紙が事態を引き起こしているのだと知った。それにしても、何が「かしこ」ちゃんだ。彼の天然ばかっぷりには驚かされる。もしやあの中宮というのも、彼の「かしこ」ちゃん探しに巻き込まれただけなのかもしれない。そう思うと腹の底から面白くて仕方がなかった。
しかし、彼にあれが自分の作であるということだけはばれてはならない。だから、どうにかして、あきらめるように、それを忘れてもらえるように仕向けなくてはならない。こっちが必死になれば相手にもそれが伝わってしまう。何も不自然な感じが残らないように九基を笑い飛ばし、なんとかその場をやりきったと思っていた。
白崎未歩は、その日あった部活を休んで早めに帰路についた。すぐにでも逃げ出したい気分だった。
あの中宮という少女。九基と仲が良いではないか。親しげな雰囲気に胸が押しつぶされる。この苦い感じは何度も味わってきた。せめて物質的に甘いものを口にしたい。
道路の端に自動販売機がある。そっと覗きこんだ飲料のレパートリーから虚しさに襲われる。ない。美味しそうなものがない。麦茶だとか玄米茶だとか質素なチョイスは、きっと九基向けだ。
そう、いつも九基ばかりだ。
転勤族とまではいかないが、小学一年から三年までで三回引っ越しをした。小学校という初めての集団生活のなかで、引っ込み思案でなかなか友人をつくることのできなかった白崎にとってそれは大きな枷である。せっかく、環境に慣れたと思ったころには、もう別の街に越さなくてはならない。そんな状況が嫌だった。
どうせまたすぐにここを離れなくてはならないのだろう。そういう思いで、三回目の学校に登校した。どうせまた集団には馴染めない。ひとりで過ごすのだと。だが。
「お前さ、そっち、女子トイレだぞ」
休み時間に用を足そうとしていたところ、背後から話しかけられた。振り返ってみて、実際に自分に向かって彼が話しかけてきてくれたのだと知って、背中がぞわりとした。
彼は同じクラスのナントカという存在で、彼は白崎が転校生だということを知っていて、だから、施設の作りに迷っているのだと思ったのだろう。しかし、白崎は迷ってなどいないし、第一、女子トイレと男子トイレの違いくらいわかっている。なんて失礼なやつだ。
「知ってる」
白崎は言った。けれど、その声は小さくて彼の耳に届かなかったらしい。
「なんだよ、もう一回言えって」
「知ってるよ」
「え?」
「だから、トイレ、知ってる!!」
「おう、じゃ、俺と一緒に行こうな」
「なんでだよ!!」
同い年であるのに妙な先輩風をふかして、彼は先頭立って男子トイレへと案内する。
「ほら、ここ、見ろ。ちゃんとマークが男子になっているか確認するんだぞ。間違っても赤いほうに行くんじゃない」
「いや、あの、もう、知ってます!」
「よし、いい返事だ」
なんなんだ、こいつ。それがナントカの第一印象。いや、これを機に何度も声をかけられるのだから、名前なんてすぐに覚えてしまった。彼の名前は九基圧照。
だからといって、彼と仲良くしようとも思わなかった。ただあちらから強引に攻め込まれてしまう。話しかけられるというより、押しかけられるというほうがしっくりくる。なぜ、やつはこんなにも自分を気にかけ、自分のほうへやってくるのだろう。
ある日、彼の存在が煩わしく感じて問い詰めてみた。
「だって、お前、人形みたいなんだもん」
返ってきた返答に白崎は驚いた。人形? そりゃどういう意味だ。
「お前さ、自分が奇麗なの、わかってないだろ。ひとは、というか、ここのやつらはビビってるわけ。転校生なんてもんだけでもレアなのに、そいつが美人だから」
「男に美人もくそもないはずだと思う」
「くそではない。白崎は美人だ」
あまりにも真面目に、まっすぐな瞳で見られて、そう言われてしまう。白崎はというと九基を見るのがつらくなって視線を逸した。
「つまり、なんなんだよ。ぼくが美人だから、あんたはお近付きになりたいのか?」
刺々しい口調で責めるように聞いた。それでも九基の反応は変わらないものだった。
「いいや。お前が人形みたいだからだ」
「だからそれは聞いた」
「奇麗だという意味以外にも、にこりともしないという意味もある」
「はぁ!?」
「遠巻きにされて、輪の中に入れていない。それだけじゃなくて普段から無表情でつまらないやつだ」
「悪かったな、そういうやつで」
「でも、だから気になった。寂しいなら隣りにいてやろうと思って」
「寂しくないぞ」
「そうか、良かった。それに、今、怒っている白崎が見れて良かった」
善意だ。彼は善意の塊だ。それは甘ったるいミルクセーキを飲み干した後の舌先のように、痺れる。
「それにしても、お前の下の名前なんなの?」
「未歩だけど」
「知ってる。あ、俺、圧照ね」
「知ってる」
「未歩ってさ、なんか乙女チックだよな」
「やめろ、ばかにするな」
「ばかにしてない。なんか可愛い」
「うるせ、黙れ」
「未歩はもうちょっと、自分に自身を持て。俺以外に友だちをつくる秘訣は、まず自分をアピールすることで自身を売り込んでいくことだ」
「どこのセールスマンだよ!? つーか人の名前を呼ぶな」
「未歩ちゃーん」
「猫なで声やめろ!!」
なんだかんだで、九基を追い払うことができなくて、そのままズルズルと友人未満――九基本人は友人だと思っていたらしい――を続けることになる。だが九基プロデュースのおかげで、学校の連中からは白崎はナルシストだと思われ、それでも周囲に友だちはでき、居心地もよくなり、白崎自体、もうこのまま自分の顔の良さを認めてしまっても、いいという感じで流されに流された。それが不愉快というわけでもないのだ。だから、困ってしまう。
次第に、好きになっていく感覚は、きっとただの友だち感情ではないような気がして。
✿
だが、またそれはやって来る。引っ越しだ。父親の転勤にともない家族全員が付いていくことが決まった。引っ越し先から今通っている学校へは通学することは困難だろう。けれど、白崎は残らずついていくことを決定した。
逃げ出したいという感情がどこかにあった。
曖昧で中途半端なままずっと、九基と共にいてもつらいのは自分だけだ。だから、すこし距離をとって冷静になりたかった。どうせならそのまま、忘れてしまいたかった。
越すのは、新学期に合わせることになり、まだ数か月ある。その間に、決着をつけなくてはならない。けれど、正面切って好きだというのは、無理だ。カレンダーにかけた。その日だったら、きっと、なんとかなる。バレンタインデーの赤文字にささやかな作戦を立てた。
最初から女子になりきって手紙を書いたわけではなかった。ただ、思い浮かべた九基の顔から、彼がどういう女子が好きなのかを勝手に想像した。あの渋いお茶を好むやつなのだ。きっとなんだかんだで古風で質素な感じの文面のほうがいいだろう。この文面を見た九基の反応を想像して、彼は笑いが収まらなかった。いたずらを仕掛ける側というのは、なかなかいい。仕掛ける前の楽しみというのはいつまでも味わっていたい。けれど、書き上げたそれをデパートで買った菓子に添えてみて、やはり、渡すべきではない気がした。
どうせなら波風立たせずに静かに去りたい。何事もなかったように、そのまま去ってしまいたい。二月十四日、学校まで持ってきたそれを、白崎は捨てた。
それから、なぜだろうか。
九基の様子が変わった。妙によそよそしくなるし、何かを影でこそこそとしている。気になって、彼の後を追えば、彼と同じ部活に所属していた中宮という女子生徒との距離が異常に近い。密かにあっていたふたりはすみやかに会話を終えると、静かに立ち去っていく。どう見ても怪しい。
そうか。彼も春を追う者だったか。白崎は脱力した。どう見ても、勝ち目はない。いや、勝とう負けようの前に最初から自分がいなくなることはわかっている。このまま消えよう。そう思っていたのに。
「なあ、チョコレートってどんな意味だと思う?」
三月十三日。九基からの電話を受けて初めてあのチョコレートと手紙が事態を引き起こしているのだと知った。それにしても、何が「かしこ」ちゃんだ。彼の天然ばかっぷりには驚かされる。もしやあの中宮というのも、彼の「かしこ」ちゃん探しに巻き込まれただけなのかもしれない。そう思うと腹の底から面白くて仕方がなかった。
しかし、彼にあれが自分の作であるということだけはばれてはならない。だから、どうにかして、あきらめるように、それを忘れてもらえるように仕向けなくてはならない。こっちが必死になれば相手にもそれが伝わってしまう。何も不自然な感じが残らないように九基を笑い飛ばし、なんとかその場をやりきったと思っていた。