ホワイトデーより愛をこめて




「で、どうだい。気分は」
 一番見たくない白崎美歩のにやけづらが網膜に映し出され、九基圧照は腹の底から美歩への罵倒がのし上がってきそうなのを必死に抑えていた。
 昼休み。いつもと何一つ変わらない日常がただそこにあって、昨夜のもやもやは一体なんだったのだろうかと振り返る九基は、そのことをクラスは違うが毎日屋上で弁当を一緒に広げるのが日課になっている白崎に話してしまったのだ。
「お前の好きなそれを胃の中にいっぱい注ぎ込まれたような気分だ」
 九基は視線で白崎の手に持っているいちごミルクの紙パックを指した。毎日飽きずに白崎はジャムパンにいちごミルク。パッケージはやたらピンク色のものばかりを選ぶ。九基はその味を想像して、脳みそが砂糖に汚染されていくような気分になる。もしかしたら、白崎がこんな性格なのも、砂糖菓子でできた脳細胞が活発に活動しているせいなのかもしれない。
「ええ、最高の気分じゃん」
「よくねぇよ。甘ったるくて気持ち悪い」
「ぼくは九基氏の味覚のほうを疑うよ。まさか自販機でお茶を買うやつがいるとは思っていなかった」
「何が悪いんだよ」
 緑茶入りのペットボトルを片手に九基がたずねる。抹茶の粉末入りで百三十円。なかなか美味である。
「だって勿体ないだろ。どうせ同じ値段なら、もっと豪華なもののほうがいいだろ」
「ミックス・オ・レにレモン牛乳。ゲロ甘の極みを胃袋に流し込めと?」
「第二校舎前の自販機のミルクティーはロイヤルなので生クリーム入だぞ。どうせお茶ならそれを飲め」
「お前、あれ、ほとんど砂糖だぞ。お茶の良さを分かっていないな。未歩は日本人やりなおせ。……ところでお前、お返しはしたのか?」
 味覚の話題から方向転換させると白崎はまずとぼけるように小首をかしげた。
「お返し?」
「そう。お前、たくさんもらってただろ」
「何を? 九基くんからの愛情?」
「ばかか。俺がお前にラブ送ってどうするんだよ。ほら、チョコレートだよ」
「ああー」
 白崎はわかったとばかりに肩を落とした。
「まあ、ね。友チョコくれた子にはちゃんと返してる」
「えらいな」
「もっとほめて」
「それで、本命くれた子にはどうした?」
「もらってませーん」
「絶対もらってるだろ。お前みたいな美男子」
「美男子なのは否定できないけれど、もらってないって。流石にこっちにだって好きな子いるんだから」
「そりゃ、初耳だ」
「驚いてますねェ」
「驚きます。付き合ってないってことだよな」
「ぼくが一人身で嬉しい?」
「嬉しいというより、ざまあ見ろ」
「わー、ひでぇ」
 わざと傷ついたふりをする白崎に九基はため息をついた。こっちは、好意を寄せてくれる女子の名前も顔もわからないのに、顔のいいこの男はなんと幸せなことだろう。
「なあ、女子って好きなやつに自分の名前とか知られたくないのかな」
「何、急に女を語ってんの」
「いや、昨日、話しただろ。あのチョコの」
「えー。うげぇ」
「なんだよ、その反応」
「忘れろっていっただろ、ブス!」
「うるせぇ、ブスだって春を味わいてぇんだよ、イケメン!」
「そうだよ、ぼくの長所は見目のよさにある!!」
「何自分で自分を語ってんだよ!」
「だって美しく生まれちゃったんだもん」
「自分で言うな、自分で」
 ナルシスト気味た彼の発言にはなれている。けれど、本当に顔だけの男だ。なぜ、彼はあんなにも女子と仲良くできるのだろう。このナルキッソスの何がいいのだ。
「そんなこと言って、九基くんだってぼくがいいことを知っているくせに」
「顔はいいならな、顔は」
「他には?」
「足が長い」
「他には?」
「シミひとつない肌」
「ぶっは! 何それ。なんか化粧品のCMみたいな台詞だな」
「いや、だってそうだろ。未歩は奇麗だ」
「ん、そりゃありがとう。でもそうやって九基くんが甘やかすから、ぼくはこんなんになってしまったのじゃ。つらいのぉ」
「残念ながら、俺も正直に物言うたちなのだ」
「ということは本心からぼくが素敵な人間だと思っているのだな?」
「顔だけはな」
「うーむ、九基のハートを攻略したいでござるよ」
「やれるもんならやってみろ」
 白崎のくだらない戯言を受け流し九基は答える。そのとき、九基を呼ぶ声がした。
「くそ九基!!」
 振り返ろうとした瞬間、九基の後頭部に衝撃が走った。
「いって! 中宮!」
 出くわすたびに体のどこかが痛くなる存在は中宮夕梨しかいない。背後を振り返ってみて、やはり彼女であった。
「いやぁ、相変わらず石頭ですなぁ」
「そうと知っているなら、出合い頭チョップの悪癖をなおせ」
「いやぁ、それがですねぇ。やめようと思ってもやめられないことっていいますか。やっぱり出合い頭というのがたまんないんですねぇ」
「無理でもやめろ」
「あらまぁ。可愛い子ちゃんと一緒じゃないの」
「あ、どうも。可愛い子ちゃんです」
 九基といた白崎に気がついて、中宮が軽く会釈し、白崎も頭を下げた。
「って、おい、白崎にはチョップしないんかい!」
「美人は別腹なの」
「どういう神経してるんだよ。で、何?」
「そっちこそ、何よ」
「いやいや、お前が俺に話しかけてきたんだろ」
「あ、そうそう。例のガールの貴重な情報を得たんだよねぇ」
「えっ!?」
 彼女のいう例のガールとは「かしこ」の件だ。「かしこ」を人名だと思って、九基は噂好きでフットワークの軽い彼女なら見つけてくれるのではないかとまっさきに彼女に相談をしていた。
「ど、どういうことだよ」
「それがちょっとあれなので」
「あれとは!?」
「あれがあれであれなんすよ」
「おい、白崎の顔、じろじろ見てないで教えろよ!」
「あー、じゃあ、ちょっと、いい、外してもらっても」
「へ?」
 九基は白崎を見た。彼が頷く。
「いいよ。ぼく先に教室戻ることにする」
「あざーっす。じゃ、くそはこっちに来い」
「くそじゃない。九基だ」

 中宮は白崎が去ったのを確認してから、話を切り出した。
「ます第一。例のブツを九基の下駄箱の中に投入した犯人が見つかった」
「おい、犯人扱いするなよ」
「ん」
 ずいと中宮が右手を差し出す。
「何だよ、この手は」
「ん」
「だから、この手は……あっ」
 無言の中宮に九基はひらめきを得て、財布を開けた。
「いくらだよ」
「ワンコイン」
 手痛い出費である。
「で、その子は隣のクラスのある女の子。仮にトトロちゃんと彼女を呼びましょう」
「待て待て、肝心の彼女の名前を教えてくれ」
「いや、それほど肝心ではない。だってトトロは、ゴミ箱からそれを発見して九基の下駄箱に放り込んだだけなのだから」
「はあ!?」
「捨てられていたんだってさ。日直は放課後、ゴミ箱取り替えるだろ? それで、発見した彼女は、躊躇いながらもゴミにまみれたそれを静かにゴミ箱から救出した」
「うっ、あれ、ゴミ箱の中にあったのかよ」
「そんでもって、トトロは誰のものか確かめるために封を開けて中に入っていた手紙を読んだ」
「あ、あのラッピング、ビニール製の袋にチョコの入った箱を入れて袋の口をモールで止めたような感じだったもんな。一度開けられていたとしても気が付かない。と、いうか! 見られてたのかよ! 俺へのラブレター」
「まあ、恥ずかしがるな。それを書いた本人のほうが恥ずかしがるだろう」
「で、その本人というのは?」
「わたしに手紙を見せ給え、九基」
「なんでだよ」
「筆跡さ。京陽(みやび)のクラスではっけんされたのだから、やつのクラスメイト全員が犯人候補だ。絞るためには手がかりがいる」
「待て。京陽って誰だ」
「トトロだ! あっ」
 何のための偽名を使った会話だったのだろう。九基はあきれながらも話を続けた。
「でも持ってきていないぞ」
「そうか。まあ、それでもお前が文字を覚えているだろう。じゃあ、例のあれを召喚しよう」
「あれとはなんだ」
「クラスメイト全員の筆跡が確認できるものだ。よし、放課後を待て」

 チャイムが鳴るまでの間、ずっと気分は落ち着かない。ようやく放課後を告げるそれが鳴り響いたとしても、今度はドのつく変人の襲来に戸惑うだけだ。もちろん出合い頭にはチョップがついてくる。
「さあ、来たまえ!」
 九基の教室まで迎えに来た中宮は、胸を張って叫んだ。
「どこにだよ」
「わたしの教室だ」
 ついていくとゴミ箱を指さされる。
「捨てろ」
「はぁ!?」
「裏庭まで持っていけ」
「なんで!?」
「なんでって今日はわたしが日直だからだ」
「お前の仕事だろ!」
「犯人を知りたくないのか」
「だからその犯人呼びやめろ!」
 結局、中宮の言うがままに行動してしまう自分の情けなさといったら。九基は、肩を落とす。けれど、すべてはまだ見ぬ少女のためなのだと、気合を入れ直す。
 雑用をすべて終えると、書き終えたばかりの学級日誌を手にふたりは職員室を訪れた。これで中宮の雑用は終わりだ。すこしほっとする。
 だが中宮は別のクラスの職員机へと足を運んだ。
「さあ、盗め」
「えっ」
「早くしろ、このCがトトロのいるクラスだ」
 そうか。目の前の日誌は隣のクラスのもの。これをちゃっかり拝借して、あの手紙の差出人を特定しようというのか。




「探せ! 何としてでも見つけ出せ!」
 グラウンドから野球部の掛け声の聞こえる。九基は、中宮のクラスでC組の学級日誌とにらめっこしていた。
 手紙を読んだのは確かなのだが、筆跡を憶えているかというとなんとも怪しい。実際、この字ではないだろうかと悩みながらページを捲る。
「まだわからんのか」
 なかなか見つからないそれにしびれをきらす中宮。
「無理だ。わからん」
「わからんのか、くそったれ」
「くそじゃくて九基な。俺の名前、そろそろ覚えろよ」
「知ってるわ!」
 もう半分諦め状態の九基は、そういえばC組には白崎がいたことを思い出した。次にめくったページに、几帳面な字で「白崎未歩」の字が踊っていたからだ。
「あ……」
 思わず声を漏らした九基に中宮が日誌を覗きこむ。
「見つかったか!?」
「あ、いや、白崎の名前が出てきたから」
「なんだよ。仲良しくんか。なかなか難航するなぁ」
「もういいよ」
「は?」
「もう、彼女を探すのは諦め」
「え、諦めちゃうのか!!」
「ここまで探して見つからないんだ。もういいよ。未歩にもそんなのいたづらだろって言われてたんだ。あれはいたづらだったってことにする」
「いいのかよ」
「ありがとな、中宮。これまで付き合ってくれて」
「んじゃ、ほら」
 中宮は右手を差し出してきた。九基は苦笑いした。
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