~'22
後日譚 そして未来へ
――「別れたいなら、別れましょう」
「え……?」
「千尋さんが、俺じゃいやだっていうのなら、別れてもしかたないことをしてきた自信があります」――
小さく千尋崇彦はひとり、リビングに佇みながら、ため息をついた。お正月早々の波乱――別名、新崎サンタ騒動――が終わり、ほっとしたい気分だというのに、彼の抱えている案件が彼をほおってはくれないからだ。
着信音に、すばやく反応した千尋は、スマホを耳に当てた。
「はよざーす」
軽快な守谷勝世の声がする。
「ああ、おはよう。その前に新年あけましておめでとうございます。今年も」
言い終わらないうちに守谷が割り込んだ。
「で、どう? ブラッシュアップは?」
年末ぎりぎりに、守谷に送った脚本の初稿のことである。
「ああ、うん、まだ……」
「なんかさ、序盤の主人公と海兵の、ふたりして無人島で目が醒めるシーン、その掛け合い、もうちょっと熱くできない?」
「熱く? にえたぎるような」
「もっと憎々し気に」
「ああ、そうだね」
それだけで会話が成立するのは、彼と積んできた「長い付き合い」のおかげだ。彼がいわんとしていることが具体的なことばでなくとも、感じ取ることができる。
「はい、じゃ、また夕方、電話するわ」
「はいはい、それよりそっちは年初の公演、どうなのさ」
「おっと、すっごいことになった、とだけお伝えしよう」
「へ?」
「まあ、お前の書いてくれた筋だもんなあ。熱い、熱い」
「いや、多分それ、お前の過剰すぎる演出のせいだとおもうんだが」
「まあ! そんなわけで正月ぼけなんてしてないで、どんどん突っ走ろうな」
「ああ、まったく、同い年だというのに、お前だけは全然年をとらないな」
「なに言ってんだ、お前、俺よりもっと若いやつとつるんでいるんだから、俺よりもっと気分も若くなるだろうに」
「いいじゃないか、彼、こんな老いぼれを好きでいて愛してくれるんだから」
「その年で老いぼれっていうなよ。俺もじゃんか。つか、まだまだ上はいるんだぞ。こんなところでへこたれてるなよ」
「ああ、そうだね」
「……って、ちょ、ちょっと待て待て」
「ん? どうした?」
「お前、今さっき、自分で、彼に好かれているとか言ってたような。え? 愛してくれてる、とか、え? ええ? えええ?」
突然、彼の声の調子がかわった。千尋は首をかしげる。おかしなことを言っただろうか。
「守谷? どうした?」
「いや、え? うーん。そうかそうか。新年早々なにかやつと関係が……」
「あ、別れるって言われた」
「そうかそうだよな。もう千尋も年は年だし……はぁ!?」
「まあ、別にぼくはどっちでもいいって感じで、実際、別れたわけでもない、のかなぁって感じのところで落ち着いた」
「は? へ? え? うそ」
「なんか最近、ギクシャクしていたし、少し距離をおいたほうがいいかな、とも思っていたんだよね」
「え、まじで……。おじさん、まだ新崎には千尋が必要だと思うんだけど」
「だから、別れてないって」
「い、いや、うん、そうなのね。はい。え、えーっと、でも、別れようって言われたんだろ? おい、無理するなって、千尋、俺にだったら弱音吐いてもいいんだぜ」
弱音? 何のことだ? 千尋はまた首をかしげた。
別に彼に別れようと言われても、そこまでショックなことでもなかったような気がする。流石に初めて彼のことばをきいて、ちょっと驚いたは驚いたが。
「いや、別に。本当になんとも思わない、というか。守谷? お前こそ、何か動揺してないか? 大丈夫か?」
「お、おう……おうよ……、ち、千尋が、幸せなら俺も元気だ」
「そうか、それならよかった。お前は元気だな」
「ちょ、ちょっと、うん、まあ、その……ええーと、はい」
「そうかそうか。それじゃ、またあとでな」
千尋は通信を切った。そして、リビングのソファに沈み込む。
今朝までいた新崎の姿はもうこの部屋にはない。彼は朝いちばんで、千尋の部屋を出て行った。
彼には向かう場所がある。
一緒にいたいという気持ちもあったが、前のめりな彼の背中を眺めることが出来た。それだけで、なかなか清々しい。
「よし、いい一年にするぞ」
千尋はうんとのびをして書斎に向かった。
関係の名前なんて、もう、どうでもいいのだ。いいや。付き合っている、そんな小さな枠ではもう、維持することすらできない。
だったら、別れてしまっても、もう問題ないじゃないか。
「ふふ、呪いか。面白いことを言ってくれる」
新崎の言い残したことばを思い出して、千尋は微笑んだ。そして、彼にこう伝えなくてはならないこと、言いたいことのひとつを言い渡すれていたことに気がついた。
――新崎くん、それ、呪いじゃなくて、祝福、かもしれないよ?――
書斎に入った千尋は自分の両頬をたたいた。はい、スイッチ入れた。これからだ、自分も、彼も。
たとえ傍にいなくても、互いが互いを支え合えなくても、前に向かって進む限り、お互いの隣にいることができる。
別れ話、上等。いいじゃないか、なってやろう。恋人以上の関係に。
(了)
――「別れたいなら、別れましょう」
「え……?」
「千尋さんが、俺じゃいやだっていうのなら、別れてもしかたないことをしてきた自信があります」――
小さく千尋崇彦はひとり、リビングに佇みながら、ため息をついた。お正月早々の波乱――別名、新崎サンタ騒動――が終わり、ほっとしたい気分だというのに、彼の抱えている案件が彼をほおってはくれないからだ。
着信音に、すばやく反応した千尋は、スマホを耳に当てた。
「はよざーす」
軽快な守谷勝世の声がする。
「ああ、おはよう。その前に新年あけましておめでとうございます。今年も」
言い終わらないうちに守谷が割り込んだ。
「で、どう? ブラッシュアップは?」
年末ぎりぎりに、守谷に送った脚本の初稿のことである。
「ああ、うん、まだ……」
「なんかさ、序盤の主人公と海兵の、ふたりして無人島で目が醒めるシーン、その掛け合い、もうちょっと熱くできない?」
「熱く? にえたぎるような」
「もっと憎々し気に」
「ああ、そうだね」
それだけで会話が成立するのは、彼と積んできた「長い付き合い」のおかげだ。彼がいわんとしていることが具体的なことばでなくとも、感じ取ることができる。
「はい、じゃ、また夕方、電話するわ」
「はいはい、それよりそっちは年初の公演、どうなのさ」
「おっと、すっごいことになった、とだけお伝えしよう」
「へ?」
「まあ、お前の書いてくれた筋だもんなあ。熱い、熱い」
「いや、多分それ、お前の過剰すぎる演出のせいだとおもうんだが」
「まあ! そんなわけで正月ぼけなんてしてないで、どんどん突っ走ろうな」
「ああ、まったく、同い年だというのに、お前だけは全然年をとらないな」
「なに言ってんだ、お前、俺よりもっと若いやつとつるんでいるんだから、俺よりもっと気分も若くなるだろうに」
「いいじゃないか、彼、こんな老いぼれを好きでいて愛してくれるんだから」
「その年で老いぼれっていうなよ。俺もじゃんか。つか、まだまだ上はいるんだぞ。こんなところでへこたれてるなよ」
「ああ、そうだね」
「……って、ちょ、ちょっと待て待て」
「ん? どうした?」
「お前、今さっき、自分で、彼に好かれているとか言ってたような。え? 愛してくれてる、とか、え? ええ? えええ?」
突然、彼の声の調子がかわった。千尋は首をかしげる。おかしなことを言っただろうか。
「守谷? どうした?」
「いや、え? うーん。そうかそうか。新年早々なにかやつと関係が……」
「あ、別れるって言われた」
「そうかそうだよな。もう千尋も年は年だし……はぁ!?」
「まあ、別にぼくはどっちでもいいって感じで、実際、別れたわけでもない、のかなぁって感じのところで落ち着いた」
「は? へ? え? うそ」
「なんか最近、ギクシャクしていたし、少し距離をおいたほうがいいかな、とも思っていたんだよね」
「え、まじで……。おじさん、まだ新崎には千尋が必要だと思うんだけど」
「だから、別れてないって」
「い、いや、うん、そうなのね。はい。え、えーっと、でも、別れようって言われたんだろ? おい、無理するなって、千尋、俺にだったら弱音吐いてもいいんだぜ」
弱音? 何のことだ? 千尋はまた首をかしげた。
別に彼に別れようと言われても、そこまでショックなことでもなかったような気がする。流石に初めて彼のことばをきいて、ちょっと驚いたは驚いたが。
「いや、別に。本当になんとも思わない、というか。守谷? お前こそ、何か動揺してないか? 大丈夫か?」
「お、おう……おうよ……、ち、千尋が、幸せなら俺も元気だ」
「そうか、それならよかった。お前は元気だな」
「ちょ、ちょっと、うん、まあ、その……ええーと、はい」
「そうかそうか。それじゃ、またあとでな」
千尋は通信を切った。そして、リビングのソファに沈み込む。
今朝までいた新崎の姿はもうこの部屋にはない。彼は朝いちばんで、千尋の部屋を出て行った。
彼には向かう場所がある。
一緒にいたいという気持ちもあったが、前のめりな彼の背中を眺めることが出来た。それだけで、なかなか清々しい。
「よし、いい一年にするぞ」
千尋はうんとのびをして書斎に向かった。
関係の名前なんて、もう、どうでもいいのだ。いいや。付き合っている、そんな小さな枠ではもう、維持することすらできない。
だったら、別れてしまっても、もう問題ないじゃないか。
「ふふ、呪いか。面白いことを言ってくれる」
新崎の言い残したことばを思い出して、千尋は微笑んだ。そして、彼にこう伝えなくてはならないこと、言いたいことのひとつを言い渡すれていたことに気がついた。
――新崎くん、それ、呪いじゃなくて、祝福、かもしれないよ?――
書斎に入った千尋は自分の両頬をたたいた。はい、スイッチ入れた。これからだ、自分も、彼も。
たとえ傍にいなくても、互いが互いを支え合えなくても、前に向かって進む限り、お互いの隣にいることができる。
別れ話、上等。いいじゃないか、なってやろう。恋人以上の関係に。
(了)