~'22
✿
千尋が我に返ったとき、もう昼だと思った。
けれど、時計を見れば、まだ夜明け前だった。
六時十二分。
そういえば日の出の時間は七時十五分前くらいだったはずだ。いまごろ、初日の出を見るために、タワーや展望台は多くのひとにごった返しているに違いない。
「ああ、もう、どうせ寝れないんだ。外にでも出てみるか」
普段なら、そんな浮かれた危ない考えなんて出て来ない。けれど、今日はおかしい。新年早々おかしい自分に、千尋はちょっと苦し気に自嘲しながらも、コートとマフラーを身に着けた。
「どこに行こう」
玄関を出て、どこにも行くべき場所がみあたらないことに気が付いて、腹を抱えて笑う。ここまできたら、ただのアホだ。本当に、馬鹿だ。
「なにしてんだ、ぼくは……」
笑いも冷え切って、ようやく出かけようとしたときだった。
近くにひとの気配をして、千尋はふりかえった。こんなところでドカ笑いをしていたら不審がられるだろう。申し訳ない。そう思った心が揺れた。
「メリークリスマス! アンド! ハッピーニューイヤー!!」
ぱっと、薄暗い夜明け前の世界に、明るい色彩が飛び込んできた。赤、白。もじゃもじゃ。
「へ?」
千尋は思わず絶句する。
彼の目の前にいたのは、まっしろい大きな袋を背負った赤い服のおじいさん。それも、口元には綿あめのようなもふもふした口ひげをたたえている。
「メリークリスマス! アンド! ハッピーニューイヤー!」
彼は、また同じ文句をくりかえした。
「いや、それはさっき言われたのでわかっています。あけましておめでとう……その、新崎くん……」
千尋がおずおずと彼の名前を呼ぶと、目の前のサンタクロースは、苦笑いした。
「あれ? ばれてしまいましたか?」
「ばれるっていうか、声でもう、既にばっちり」
「あはは、すみません。おはようございます、不審者の新崎迅人です」
「ええ、まあ、不審者でしょうね。季節外れのサンタクロースだなんて」
「それはあなたにいわれたくないですよぉ、千尋さん」
いや、その前に、なぜ、ここに新崎がいるのだ? 彼は数時間前に大阪にいたはずだ。それが何故?
ああ、これが初夢か。いったい、どんな夢なんだ。正月にサンタが現れるだなんて。
「千尋さん、俺、お願いがあってきました」
「なんですか、もう、夢なら夢なんですから、なんでも言ってください。文句でも、憎まれ口でも」
「……はい、言います」
ほら、夢だ。
現実の新崎は、自分にむかって一度も、文句を言ったことがない。本当は不満に思っているくせに、全部飲み込んで、千尋さんの隣に堂々といられる男になります病を発症させて、ひたすら仕事にまい進していく。ただそれだけ。
さあ、言いたければ言えばいい。どんなことでも、聞いてやる。
千尋はなかなか言い出さないサンタクロースを睨みつけた。どうせ、夢だ。なんだってかまわない。
「えっと俺、千尋さんにまずいいたいことがありまして……」
「だから、それはなんですか。なんでも聞きますっていってますよね? 遠慮はいりませんからね?」
サンタクロースが、突然、がばっと頭をさげた。
「俺のアパートの鍵です! 受け取ってください!」
「は……い……?」
頭をさげたまま腕を伸ばして来たサンタの手にはしっかりと金属製の鍵が握られている。
「いや、うん、鍵だね」
「はい! 鍵です! 千尋さん、受け取ってください!」
「いや、えっと、まって、どうしてそうなった?」
「だって、俺、千尋さん家 の鍵、返してしまったので、さびしいじゃないですか!」
「うん、まあ、そうだけど……」
「だから、今度は、俺の番です。俺が、千尋さん、あなたを養います……!」
ほう、そうか、そうか。
新崎くんがぼくのことを養ってくれるのか。へえ。そっか。
「いやまてまて! 話が飛び過ぎだ!! 新崎くん!! 大丈夫か!?」
「俺は、真剣です」
サンタが顔をあげた。
よく見たら、本当に新崎だった。
彼につけひげは似合わない。思わず、千尋は吹き出した。
「だから、本気なんですってば!!」
「違う違う、なんなんだよ、その恰好は! おかしすぎる。どうしてそんなに似合わない恰好をしてるんだよ!」
「あ、やっぱりコスプレだけじゃクリスマス感ないかなーと思って、イルミネーションも買って来ました。電気でピカピカするやつ」
「いや、なんでそんなにクリスマスにこだわる!」
「だって、俺、クリスマス、すっかり忘れていて、千尋さんとデートできなかったから」
「はあ!?」
「ドラマのなかでは役柄がデートしているのに、なんで俺、好きなひとと一緒にいなかったんだろうなぁと思って」
「いや、待って、もう、頭の中、おかしいよ!? なんでこんな初夢みるの
!? ぼく、呪われてるのかな!?」
「はい、もう呪っていますから」
新崎は、笑った。その笑顔が、もじゃもじゃひげに隠されて、千尋は勿体ないと思った。
「呪われている?」
「ええ。千尋さんも、俺も、呪われていると思うんです」
「千尋さん、俺、あなたを目指しているんです。あなたの隣がいい。あなたの隣で胸を張っていられるように、ただ、そうなりたいだけだった……なのにって、言って、自分の行動を正当化してしまっている呪い、これが俺の呪い」
知っている。
そのせいで、きみはひどい目にあったじゃないか。
千尋は苦笑した。
「……じゃあ、ぼくにかかっている呪いは?」
「それは……えっと……」
「ああ! もう、そのもじゃもじゃ要らない! どうしてつけてきたんだ、夢新崎!」
「え、あ、いや、これ、そもそも用意したの、千尋さんですよ? 千尋さんがハロウィンのとき、着てたやつ。ほら、思い出して。結局あのあと、俺の家 に収納されることになったでしょう?」
「え、あ……」
「俺、ロケに出る前にこれ、見つけて、思わず、ああーってなったんです。いままで、俺、ずっと、あなたに与えることしか考えてなかった」
与える?
そうだよ。いつも、きみは、ぼくに与えてばかりくれていた。
千尋がじっと、新崎を見上げる。やっぱり彼にサンタの恰好は似合ってなかった。
「で、よくよく考えたら、千尋さんっていつも俺に与えてくれるから、そのお返しができない自分が嫌だったってだけで。ちゃんと、受け取ろうともしていなかった。返さなくちゃ、返して、それ以上に与えなくちゃ、与えられる人間にならなくちゃって」
「は? 何を言ってるんだ、きみは」
「だけど、頑張っても、無理でした!」
「いや、突然、開き直られても!」
もう、何が言いたいのか、判らない。変なやつだ。こんなにおかしなやつがこの地球上に存在していたとは。
「だから、です、千尋さん、俺は頑張っても無理でした」
「それはさっきも聞いた。きみは頑張っても無理だったんだね」
「はい、あなたに与えられる存在にはなれない。だから、方向転換します」
新崎が、腕を伸ばしてきた。千尋の手を取る。
そして、言った。
「与える人間を目指すのはあきらめて、あなたの、愛を受けとめる人間になります。だから、まだ、俺のこと、残念なやつだと思わないで。俺のこと見捨てないで」
サンタの恰好でこんなにすがられて、残念なやつだと思われないとでも思っているのだろうか、彼は。
「新崎、くん……?」
「だれよりも、いっぱい、千尋さんのこと、愛せる人間になるから! 千尋さんが俺にだったらもっといっぱい愛してあげられるなってくらいの可愛いひとになるから!」
「いや、まって、きみはもう充分、可愛いのだがな!」
「頑張る、頑張る! 俺、超かわいい子になる、頑張るから!」
「いや、頑張らないでよ。また倒れられたら困る!」
「千尋さんが、役者やめろって思ったら俺、やめる。やめて専業主夫になるから」
「いやいや、やめんでいい。というか、まって、本当にどうしたの!? というか、その前に、そのくちひげ取ってくれないかい? 本当に君に似合わないんだけど……」
「え、そうですか?」
失礼しました。新崎がそう言いながら、べりべりとくちひげをはずしていく。ようやく彼の顔があらわれた。誰よりも知っている誰よりも好きなひとの顔が。
「それで、用件はなんだい? どんな夢をきみはぼくに見せたいの? 簡潔にね?」
千尋があらためて問うた瞬間、きらっと世界が輝いた。
「はい、俺、ずっと千尋さんのことが、大好きです」
彼の背中の向こうに、光があふれだした。しまった。日の出だ。明るんでいく世界のなかに、真っ赤ななりそこないのサンタクロースが佇んでいた。
「ねえ、アレ、何? あそこに変なのがいるけど……」
「え? うそ、あれってサンタ? ええー、もう正月なんですけど」
そして。
初日の出を見るためだろうか。外をうろつく近所の方々の視線が、こちらに向けられていることに気が付いた。
「ちょっ、千尋さん!?」
急に手を掴まれて勢いよく千尋に引っ張られた新崎は驚いて声をあげた。
「いいから、入りなさい!」
「へ? でも俺、千尋さんに鍵返せって言われて……」
「んもお! いまはそんなことどうでもいいから! これ以上、御近所迷惑かけないでほしいな!」
✿
サンタ騒動が夢ではなかったことに気が付いた理由は、あのあと、ふたりで言い合いになって、そのまま疲れて爆睡したあとのこと。
最初に目を醒ましたのは千尋だった。一緒に床にくたびれていた男の恰好を見て、悲鳴をあげた。
「んん……あ、ち、ひろさん……? おはよう……」
千尋のあげた悲鳴のせいで、寝ぼけまなこをこすりながら、起きた新崎に、千尋はまた悲鳴をあげた。
「どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもあるか! なんで、きみ、そんな恰好を……!」
新崎の身体にまとわりついているのは、赤いサンタクロースのユニフォーム。目が醒めても、こんなものを新崎が身に着けていて、そして、自分と一緒に寝ていたという事実は、まさしく、あの夜明け前のサンタ騒動が現実のものであったという証拠にほかならないだろう。
「ああ、もう、だめだ。ぼくはもう、新崎くん、きみがわからない」
「俺もです」
新崎が笑った。
「俺も、千尋さんのことになると、必死になりすぎちゃうみたいで、自分でも自分のこと、わからない。別れたいなら、別れましょう」
「え……?」
「千尋さんが、俺じゃいやだっていうのなら、別れてもしかたないことをしてきた自信があります」
「いや、きみ、そんなことで自信つけちゃだめだよ。で、実際に、いいの?」
「はい、別れても、千尋さんにはもう、呪いがかかっているので」
呪い。
そういえば、サンタ騒動の際に、彼が言っていた。千尋にも新崎にも、どちらにも呪いがかかっていた、と。
「その、呪いって何なの?」
「聞いちゃいますか~?」
新崎がいたずらっこのような笑みを浮かべた。
「実は、千尋さんにかかっている呪いは、あなたがどんなことになったとしても、新崎迅人があなたのことを大好きで、ずっと大好きのままだっていう呪いです」
「……っ! な、そ、それは呪いっていうか」
「はい、ストーカー体質みたいで、俺」
「いや、自分で言うな、ストーカー!」
「あ、ストーカーって、つきまといのことですよ? ブラム・ストーカーとは違いますからね」
「そのくらいわかります」
「はい、千尋さん、大好き」
ああ、そうだった。こういうやつだった。
千尋は頭を抱えた。
この男、こっちの都合を考える頭がないぽんこつで、いつもこちらに好意ばかりおしつけてくる。
「それに俺、千尋さんの鍵を失いましたけど、それって逆にチャンスなんじゃないかって思います」
「へ?」
「だって、これから、俺が家を買って、そこに千尋さんを招待すればいいじゃないかって! 賃貸じゃなくて、自分で俺と千尋さんの住む家を買うんです」
新崎はしごくまっとうな顔をしてそう言った。
「い、いやいやいやいや、ええええ!?」
「そうしたら、俺、もっと千尋さんと距離が近くなるかなって。そしたら、千尋さんから見えている世界、俺にも見えるかなって……」
「いや、あの、新崎くん……」
千尋は折れた。
むしろ、折れる以外になにができる。
「あのね、新崎くん、きみ、ちょっといいかな」
「はい、千尋さん」
「きみばかり、ぼくのことを好きみたいだけど、ぼくだって、きみをまっていたんだよ。話したいこと、あるんだ」
(了)
千尋が我に返ったとき、もう昼だと思った。
けれど、時計を見れば、まだ夜明け前だった。
六時十二分。
そういえば日の出の時間は七時十五分前くらいだったはずだ。いまごろ、初日の出を見るために、タワーや展望台は多くのひとにごった返しているに違いない。
「ああ、もう、どうせ寝れないんだ。外にでも出てみるか」
普段なら、そんな浮かれた危ない考えなんて出て来ない。けれど、今日はおかしい。新年早々おかしい自分に、千尋はちょっと苦し気に自嘲しながらも、コートとマフラーを身に着けた。
「どこに行こう」
玄関を出て、どこにも行くべき場所がみあたらないことに気が付いて、腹を抱えて笑う。ここまできたら、ただのアホだ。本当に、馬鹿だ。
「なにしてんだ、ぼくは……」
笑いも冷え切って、ようやく出かけようとしたときだった。
近くにひとの気配をして、千尋はふりかえった。こんなところでドカ笑いをしていたら不審がられるだろう。申し訳ない。そう思った心が揺れた。
「メリークリスマス! アンド! ハッピーニューイヤー!!」
ぱっと、薄暗い夜明け前の世界に、明るい色彩が飛び込んできた。赤、白。もじゃもじゃ。
「へ?」
千尋は思わず絶句する。
彼の目の前にいたのは、まっしろい大きな袋を背負った赤い服のおじいさん。それも、口元には綿あめのようなもふもふした口ひげをたたえている。
「メリークリスマス! アンド! ハッピーニューイヤー!」
彼は、また同じ文句をくりかえした。
「いや、それはさっき言われたのでわかっています。あけましておめでとう……その、新崎くん……」
千尋がおずおずと彼の名前を呼ぶと、目の前のサンタクロースは、苦笑いした。
「あれ? ばれてしまいましたか?」
「ばれるっていうか、声でもう、既にばっちり」
「あはは、すみません。おはようございます、不審者の新崎迅人です」
「ええ、まあ、不審者でしょうね。季節外れのサンタクロースだなんて」
「それはあなたにいわれたくないですよぉ、千尋さん」
いや、その前に、なぜ、ここに新崎がいるのだ? 彼は数時間前に大阪にいたはずだ。それが何故?
ああ、これが初夢か。いったい、どんな夢なんだ。正月にサンタが現れるだなんて。
「千尋さん、俺、お願いがあってきました」
「なんですか、もう、夢なら夢なんですから、なんでも言ってください。文句でも、憎まれ口でも」
「……はい、言います」
ほら、夢だ。
現実の新崎は、自分にむかって一度も、文句を言ったことがない。本当は不満に思っているくせに、全部飲み込んで、千尋さんの隣に堂々といられる男になります病を発症させて、ひたすら仕事にまい進していく。ただそれだけ。
さあ、言いたければ言えばいい。どんなことでも、聞いてやる。
千尋はなかなか言い出さないサンタクロースを睨みつけた。どうせ、夢だ。なんだってかまわない。
「えっと俺、千尋さんにまずいいたいことがありまして……」
「だから、それはなんですか。なんでも聞きますっていってますよね? 遠慮はいりませんからね?」
サンタクロースが、突然、がばっと頭をさげた。
「俺のアパートの鍵です! 受け取ってください!」
「は……い……?」
頭をさげたまま腕を伸ばして来たサンタの手にはしっかりと金属製の鍵が握られている。
「いや、うん、鍵だね」
「はい! 鍵です! 千尋さん、受け取ってください!」
「いや、えっと、まって、どうしてそうなった?」
「だって、俺、千尋さん
「うん、まあ、そうだけど……」
「だから、今度は、俺の番です。俺が、千尋さん、あなたを養います……!」
ほう、そうか、そうか。
新崎くんがぼくのことを養ってくれるのか。へえ。そっか。
「いやまてまて! 話が飛び過ぎだ!! 新崎くん!! 大丈夫か!?」
「俺は、真剣です」
サンタが顔をあげた。
よく見たら、本当に新崎だった。
彼につけひげは似合わない。思わず、千尋は吹き出した。
「だから、本気なんですってば!!」
「違う違う、なんなんだよ、その恰好は! おかしすぎる。どうしてそんなに似合わない恰好をしてるんだよ!」
「あ、やっぱりコスプレだけじゃクリスマス感ないかなーと思って、イルミネーションも買って来ました。電気でピカピカするやつ」
「いや、なんでそんなにクリスマスにこだわる!」
「だって、俺、クリスマス、すっかり忘れていて、千尋さんとデートできなかったから」
「はあ!?」
「ドラマのなかでは役柄がデートしているのに、なんで俺、好きなひとと一緒にいなかったんだろうなぁと思って」
「いや、待って、もう、頭の中、おかしいよ!? なんでこんな初夢みるの
!? ぼく、呪われてるのかな!?」
「はい、もう呪っていますから」
新崎は、笑った。その笑顔が、もじゃもじゃひげに隠されて、千尋は勿体ないと思った。
「呪われている?」
「ええ。千尋さんも、俺も、呪われていると思うんです」
「千尋さん、俺、あなたを目指しているんです。あなたの隣がいい。あなたの隣で胸を張っていられるように、ただ、そうなりたいだけだった……なのにって、言って、自分の行動を正当化してしまっている呪い、これが俺の呪い」
知っている。
そのせいで、きみはひどい目にあったじゃないか。
千尋は苦笑した。
「……じゃあ、ぼくにかかっている呪いは?」
「それは……えっと……」
「ああ! もう、そのもじゃもじゃ要らない! どうしてつけてきたんだ、夢新崎!」
「え、あ、いや、これ、そもそも用意したの、千尋さんですよ? 千尋さんがハロウィンのとき、着てたやつ。ほら、思い出して。結局あのあと、俺の
「え、あ……」
「俺、ロケに出る前にこれ、見つけて、思わず、ああーってなったんです。いままで、俺、ずっと、あなたに与えることしか考えてなかった」
与える?
そうだよ。いつも、きみは、ぼくに与えてばかりくれていた。
千尋がじっと、新崎を見上げる。やっぱり彼にサンタの恰好は似合ってなかった。
「で、よくよく考えたら、千尋さんっていつも俺に与えてくれるから、そのお返しができない自分が嫌だったってだけで。ちゃんと、受け取ろうともしていなかった。返さなくちゃ、返して、それ以上に与えなくちゃ、与えられる人間にならなくちゃって」
「は? 何を言ってるんだ、きみは」
「だけど、頑張っても、無理でした!」
「いや、突然、開き直られても!」
もう、何が言いたいのか、判らない。変なやつだ。こんなにおかしなやつがこの地球上に存在していたとは。
「だから、です、千尋さん、俺は頑張っても無理でした」
「それはさっきも聞いた。きみは頑張っても無理だったんだね」
「はい、あなたに与えられる存在にはなれない。だから、方向転換します」
新崎が、腕を伸ばしてきた。千尋の手を取る。
そして、言った。
「与える人間を目指すのはあきらめて、あなたの、愛を受けとめる人間になります。だから、まだ、俺のこと、残念なやつだと思わないで。俺のこと見捨てないで」
サンタの恰好でこんなにすがられて、残念なやつだと思われないとでも思っているのだろうか、彼は。
「新崎、くん……?」
「だれよりも、いっぱい、千尋さんのこと、愛せる人間になるから! 千尋さんが俺にだったらもっといっぱい愛してあげられるなってくらいの可愛いひとになるから!」
「いや、まって、きみはもう充分、可愛いのだがな!」
「頑張る、頑張る! 俺、超かわいい子になる、頑張るから!」
「いや、頑張らないでよ。また倒れられたら困る!」
「千尋さんが、役者やめろって思ったら俺、やめる。やめて専業主夫になるから」
「いやいや、やめんでいい。というか、まって、本当にどうしたの!? というか、その前に、そのくちひげ取ってくれないかい? 本当に君に似合わないんだけど……」
「え、そうですか?」
失礼しました。新崎がそう言いながら、べりべりとくちひげをはずしていく。ようやく彼の顔があらわれた。誰よりも知っている誰よりも好きなひとの顔が。
「それで、用件はなんだい? どんな夢をきみはぼくに見せたいの? 簡潔にね?」
千尋があらためて問うた瞬間、きらっと世界が輝いた。
「はい、俺、ずっと千尋さんのことが、大好きです」
彼の背中の向こうに、光があふれだした。しまった。日の出だ。明るんでいく世界のなかに、真っ赤ななりそこないのサンタクロースが佇んでいた。
「ねえ、アレ、何? あそこに変なのがいるけど……」
「え? うそ、あれってサンタ? ええー、もう正月なんですけど」
そして。
初日の出を見るためだろうか。外をうろつく近所の方々の視線が、こちらに向けられていることに気が付いた。
「ちょっ、千尋さん!?」
急に手を掴まれて勢いよく千尋に引っ張られた新崎は驚いて声をあげた。
「いいから、入りなさい!」
「へ? でも俺、千尋さんに鍵返せって言われて……」
「んもお! いまはそんなことどうでもいいから! これ以上、御近所迷惑かけないでほしいな!」
✿
サンタ騒動が夢ではなかったことに気が付いた理由は、あのあと、ふたりで言い合いになって、そのまま疲れて爆睡したあとのこと。
最初に目を醒ましたのは千尋だった。一緒に床にくたびれていた男の恰好を見て、悲鳴をあげた。
「んん……あ、ち、ひろさん……? おはよう……」
千尋のあげた悲鳴のせいで、寝ぼけまなこをこすりながら、起きた新崎に、千尋はまた悲鳴をあげた。
「どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもあるか! なんで、きみ、そんな恰好を……!」
新崎の身体にまとわりついているのは、赤いサンタクロースのユニフォーム。目が醒めても、こんなものを新崎が身に着けていて、そして、自分と一緒に寝ていたという事実は、まさしく、あの夜明け前のサンタ騒動が現実のものであったという証拠にほかならないだろう。
「ああ、もう、だめだ。ぼくはもう、新崎くん、きみがわからない」
「俺もです」
新崎が笑った。
「俺も、千尋さんのことになると、必死になりすぎちゃうみたいで、自分でも自分のこと、わからない。別れたいなら、別れましょう」
「え……?」
「千尋さんが、俺じゃいやだっていうのなら、別れてもしかたないことをしてきた自信があります」
「いや、きみ、そんなことで自信つけちゃだめだよ。で、実際に、いいの?」
「はい、別れても、千尋さんにはもう、呪いがかかっているので」
呪い。
そういえば、サンタ騒動の際に、彼が言っていた。千尋にも新崎にも、どちらにも呪いがかかっていた、と。
「その、呪いって何なの?」
「聞いちゃいますか~?」
新崎がいたずらっこのような笑みを浮かべた。
「実は、千尋さんにかかっている呪いは、あなたがどんなことになったとしても、新崎迅人があなたのことを大好きで、ずっと大好きのままだっていう呪いです」
「……っ! な、そ、それは呪いっていうか」
「はい、ストーカー体質みたいで、俺」
「いや、自分で言うな、ストーカー!」
「あ、ストーカーって、つきまといのことですよ? ブラム・ストーカーとは違いますからね」
「そのくらいわかります」
「はい、千尋さん、大好き」
ああ、そうだった。こういうやつだった。
千尋は頭を抱えた。
この男、こっちの都合を考える頭がないぽんこつで、いつもこちらに好意ばかりおしつけてくる。
「それに俺、千尋さんの鍵を失いましたけど、それって逆にチャンスなんじゃないかって思います」
「へ?」
「だって、これから、俺が家を買って、そこに千尋さんを招待すればいいじゃないかって! 賃貸じゃなくて、自分で俺と千尋さんの住む家を買うんです」
新崎はしごくまっとうな顔をしてそう言った。
「い、いやいやいやいや、ええええ!?」
「そうしたら、俺、もっと千尋さんと距離が近くなるかなって。そしたら、千尋さんから見えている世界、俺にも見えるかなって……」
「いや、あの、新崎くん……」
千尋は折れた。
むしろ、折れる以外になにができる。
「あのね、新崎くん、きみ、ちょっといいかな」
「はい、千尋さん」
「きみばかり、ぼくのことを好きみたいだけど、ぼくだって、きみをまっていたんだよ。話したいこと、あるんだ」
(了)