~'22

お月見には間に合わない

「千尋《ちひろ》さん、何しているんですか?」
 恋人である千尋《ちひろ》崇彦《たかひこ》の家に入り浸っている俳優の新崎《にいざき》迅人《はやと》は、千尋にもらった合鍵で室内に入って来た。千尋がせっせと台所を走り回っている。首をかしげながら、そばによると、千尋は驚いて声をあげた。
「わ! 新崎くん!?」
 来ていたんだ、と千尋がつぶやく。
「おじゃまします、千尋さん。俺、急遽明後日から地方ロケ入ったので、会えるうちに会っておこうと思ってお邪魔しにきました。何をしているんですか?」
「何って……お餅」
「お餅!?」
 ぺったん、ぺったん。
 そんな擬音が新崎の脳裏に浮かんできてそれから消えた。
「ほら、あれ、餅つき機」
「え? これが?」
 フローリングの上に置かれた新聞紙の上に、どかんとのっかっている機械がウィンウィンと音を立てていた。
「これ、もち米。これを中にいれて、お餅にしたのが、アレ」
 作業台の上にあつあつのお餅が湯気を立てて千尋を待っている。
「お、お手伝いします!」
「本当? じゃ、手を洗っておいで」
「はい!」
 新崎にとって、千尋のしていることは何だって楽しい。嬉々として、手を洗う新崎だった。
「準備万端です!」
「そっか、よかった。それじゃ、お餅をこのフィルムにセットするのを手伝ってくれる?」
「はい、もちろん!」
 作ったお餅を保存する袋が、用意されていた。それに出来立ての熱々をちょこちょこと、盛って行く。
「ねえ、千尋さん」
「ん? 何?」
「どうして、突然、お餅なんて、作ろうと思ったんですか? それもこの量」
「ああ……それはね」
 千尋は苦笑しながら、話した。けれど、口をうごかしながら、手もてきぱきと動いている。
「ぼくの担当作家のひとりが、お餅を食べたいといいだしたから――なんだけど」
「へっ!?」
 千尋は、出版社に勤めているサラリーマンである。その仕事はまんが編集者。とある少女まんが雑誌を作る仕事をしているのだ。
「まさか、例のスーパーわがまま先生ですか?」
 新崎はそのうちの一人、雑誌の看板作家でありながら、次々と奇妙な行動をとりだすとんでもない作家の愚痴をよく千尋から聞いていた。
「そう、そうなんだよ……。来週は、月を見たい! って言い出して、原稿そっちのけで、ススキの飾り物を作るために、生石高原にまで勝手に行っちゃったのね」
「へっ!?」
 実は、これから行くロケで、和歌山県に行くことになっている新崎である。地名に対してすぐにピンときた。
 石原高原というのは和歌山県にあるススキの名地である。長峰山脈の一部であり、その山頂からの眺めがよくて、秋になると一面のススキを見るために観光客が多く集まってくる場所だ。
「わ、和歌山ですよね……」
「そうなの……フットワーク軽いっていいことだとは思うのだけど」
「……原稿の締め切り、いつでしたっけ?」「……内緒。本人には、一週間前の日付けを言い渡している」
「わあ」
 どうしても締め切りを伸ばしたい作家と、ちゃんと期日までに仕上げてほしい編集者の間ではこういうやりとりがおこなわれている――というより、本当はそんな作家は編集側だって使いたくない。けれど、斜陽産業である出版業のなかで、人気があり固定ファンも多いまるで天からの賜り物のような作家であるそのひとを手放すわけにはいかず、千尋が面倒を見せられているのだ。
「それで、どうして千尋さんが、お餅を作っているんですか?」
「……泣くよ」
「ええ!?」
「山ほどいっぱいのお餅が準備できたら帰ってくるって言ってるのね」
「……相手は、幼稚園児ですか?」
「三十代の男性です」
「……そう、で、すか……」
「ぼくより年下だけど、見た目はめちゃくちゃ若くて、頭はもっと幼いかなあ。裏知恵使ってくるところは、老練な感じするけど」
「そうですか……。大変すぎて、俺、想像できないです」
「でしょう? 絶対にまんがだけは仕事に選ばないほうがいいよ」
「……はい。でも、どうして、ススキの飾り物なんて……」
「ああ、そろそろお月見シーズンでしょう?」
「え、ああ、はい」
「なんか、その作家さん、また『いいひと』を見つけたみたいで、去年そのひとと月見に行けなかった腹いせで……」
「ああ、確か急遽、表紙のカラーイラストを描く予定の作家が体調不良で……」
「そうそう、かわりにこの作家に描かせたら、あとで、『千尋さんのせいで、俺の青春が崩れた! 原稿なけりゃダーリンと月見行けたのに!』って言われちゃって……」
「ああー……」
 よくもまあ、そんな人間が、仕事をしているなあ、というのが新崎の感想である。
「けど、原稿だけは毎回必ず最高なものを寄こして来るんだ。こればかりは、すごいと思う」
 千尋が目を輝かせて言った。
「そうなんですね」
「だから、ぼくが彼の担当編集であってよかった、ともギリギリ思える」
 新崎は苦笑した。
「それにね。手でぺったんぺったんやるのは大変だって、彼に言い返したら、家に全自動餅つき機があるから、借りていいって言ってくれた。そう、それ。あれは、先生に借りたものなんだ」
 にこにこしながら、千尋が機械の頭を撫でた。
「へ、へえ、よかったですね」
 苦笑いしながら新崎が言う。
「そうなんだよ! 意外と優しいところあるんだよなあ、先生は」
 たぶん、狂っているのは、作家だけではないようだ。懐が広すぎるのか、それともただのドのつく天然なのか、わからないが、そんな千尋が新崎は大好きではある。あるのだが――。
「千尋さん」
「ん? どうしたの、新崎くん」
 餅づくりを、千尋がわざわざする必要はないのではないか、ということばを新崎は飲み込んだ。千尋の笑顔に負けたのだ。軽くめまいがする。
「お月見、しませんか?」
「へ?」
 とにかく、千尋に会うまえから言おうと決めていたことだけを簡潔に伝えることにした。
「ロケから帰ってくるの、ちょうど九月十日なので、中秋の名月に間に合うんです。だから、夜はふたりで、その――」
 簡潔に、の前に、照れてしまって、次の句が出て来ない。千尋が、真っ赤になった新崎に微笑んだ。
「いいよ。もちろん。きみの好きにして」
「え、あ、ええっ!」
「ほら、もう、そんなにぼけぼけしていると駄目でしょ。俳優なんだから! 頑張って行っておいで。ぼくは待ってるから」



 ロケ一日目から災難続きだった。
 新崎迅人は、ひとりごとをいいながら、ホテルの一室を歩きまわっていた。ロケについてきてくれたマネージャーの伊藤を通して、今日の撮影が延期になったことを今朝知ったのだ。原因は雨だ。
 撮影上どうしても雨天のシーンを撮らなくてはならない。けれど、用意されていたスプリンクラーの調子が悪く、急遽、撮影がストップしてしまった。
 地方にまでやってきたうえで、することもなく、新崎はとりあえず、室内を歩きまわることにしたのである。
 そして、その手のひらのなかには、スマートフォン。
 本当は、東京の自宅で待っている千尋に電話したい気分なのだ。しかし、千尋は平日は出版社の仕事があるし、帰ってきてからは、脚本のお仕事がひかえている。新崎がかければ、それが邪魔になってしまうかもしれない。
「新崎さ~ん」
 コンコンと、ノックの音に、新崎は扉の前へと走った。
「ごめんなさい、何かしてましたか?」
「あ、いえ」
 新田まりな。
 現在撮っているドラマで新崎と共演することになった若手俳優である。くりんとした大きな瞳に長い睫毛。きめこまやかな肌に抜群のプロポーション。モデルあがりの彼女は、ただその場に立っているだけで華がある。
「もし、ヒマだったら、直るまで一緒に観光しませんか?」
「えっ、あ、ちょっと……」
 新崎と新田には前科がある。都内のスタジオ内での撮影のとき、昼休憩の間、外出して一緒にランチをとっているところを一般人に気付かれて写真を撮られてしまって、SNSに拡散されてしまったことがあるのだ。
 言いよどむ新崎に、新田は、明るくわらいかける。
「大丈夫ですって! 変装していくので誰だかわかりませんよぉ」
「そ、そうかな?」
「それに、いろいろな経験をしておいたほうが、のちのち絶対役にたちます。演技の幅を広げるためにも、知識吸収、経験大事です!」
「そ、そっか……!」
 新崎はこの手のことばに弱い。
 それは、彼自身が必死で上を目指したいからである。それも、大好きなあの人と並んだときに、遜色しない自分でいたいがためなのだが――。
「ね、行きましょう!」
「そ、それじゃあ……」
 新崎は深くかぶれるキャップと、サングラスにマスクを装着した。
「あはは。すごい、変質者みたい!」
「えっ! そうですか!?」
「これなら誰だかわかりませんね」
「そっか、そうですよね!」
 明るく新崎も笑ったが、この恰好だけは千尋崇彦に見られたくないな、と強く思った。


「ねえ、新崎くん」
「は、はいっ!」
 「和歌山ラーメン」につられてはいった飲食店にて、料理が出来るまでの間、ぼーっとしていた新崎に、新田が話しかけた。
「どうしたの? なんか、こころここにあらずでしょ」
「え、あ、う、うん?」
「何か心配事? わたし、新崎くんには、一度救われているから、わたしじゃ頼りないかもしれないけれど、相談、のるよ?」
「え、いや、そんなことは……!?」
 新崎と新田は、ふたりでランチをしているところを写真に撮られている。そのことがきっかけで、仕事の際にギスギスしていしまい、撮影がストップになりかけたことがあるのだ。ふたりが元にもどれたのは、燃え上がるかと思えた写真の炎が簡単に消えてくれたことと、千尋に慰められて力強くなった新崎の演技が新田の演技を引き出したからなのだが――。
「そうなの? でも、なんかさみしそうだし」
「俺が!? ですか!?」
「うん」
 うなづいた新田に、タイミングよく料理ができたらしい。
「はいよ。中華そば、おまちどうさま!」
 店員が、テーブルに座っているふたりに、あつあつの器を出した。
「わっ! すごい!」
 ふたりして、感激の声をあげる。
「あつあつだね! いただきます!」
 スープは豚骨醤油。れんげで少しすくって唇へともっていけば、ぎゅうーとおいしさが詰まった液体が口の中を潤していく。
「美味しい!」
「あはは。新崎くん、食いつきいいねえ」
「わー、らーめん、久しぶりだし、さすが和歌山って感じで!」
「わたしも。体形のこととかあるから、あまりらーめん食べない。今日は最高!」
 そうか。新崎はちらりと、新田を見た。あの抜群のプロポーション、人に見られるための「商品」として磨かれた容姿は、彼女の生活のなかの努力が作っているのか。
「すごいなあ」
 新崎は思わずつぶやいた。
「え?」
「いや、新田さん、すごいです」
「それをいうなら、新崎くんだって」
「いや、俺は、食事とかあまり気にしたことがない……ですし。昔、太っていて痩せてやると思ってたときは、必死でしたが」
「太ってたの?」
「はい、デブでした」
「へぇ~」
「だから、太る自信はあります。恰幅のいい役柄を貰えたら、一ヶ月で、太ってみせるっていう自信だけは」
 新田はガッツポーズをとる新崎に笑った。
「でも、今は、食事気にしなくても、太らない生活してるんでしょ」
「――というか、その」
 千尋の家に通うようになって、気が付いたら、食事はほとんど千尋に任せっぱなしになっていたのだ。
「その、えっと、その……」
 しどろもどろになる新崎に、新田がずばり言った。
「彼女?」
「えっ!? えっ!?」
「あ、図星? わー、そうなんだー、へえー」
「ちちちちちち違いますよ!!」
 千尋さんは男性で――と言いそうになった、己の口を慌てて新崎は押さえつけた。
「わー、ほら、その反応、絶対、そうなんですよね!? わっかりやすーい!」
「違いますって~! ただ世界で一番かわいいひとが、ご飯を作ってくれてるだけです」
「ほら! その世界一かわいいひとが彼女なんじゃない!?」
「ううっ!」
 彼女では、決して、ないのだが。
 もしふたりの関係がばれて、傷を受けるのは、両方――。新崎の場合は、もしかしたら仕事に影響を受けるかもしれない。新崎は自身の容姿がいいことからアイドル俳優的な立ち位置にいるからだ。しかし、それ以上に、千尋へと及ぶ影響のほうが怖い。彼が傷つくことのほうが怖い。
「本当は堂々としていたいんですが、新田さん」
「ん? 認める気になった?」
「堂々と、自分がこの人のそういう相手なんだって言って、胸張っていきていきたいんです、俺。だけど、今はその時じゃない」
「うん――、そうだね」
「悔しいけれど、誰から何を言われようと俺は俺のままでずっとそのひとのことが好きなんだと思います。でも、それだけじゃ、甘い。それだけじゃ足りないから。俺が好きなひとと堂々と好きだっていうのを周囲にいるひとも、俺のファンで俺の活動を応援してくれているひとも、みんなが納得して、おめでとうって言ってくれるようにならないと――だから」
「新崎くん、まじめだ」
「茶化さないでください」
「真剣なんだ」
「はい」
「いい子だね」
「……なんなんですか、それ」
「ふふ、じゃあ、いまのは秘密なんだね」
「ええ、まあ、はい。新田さんの胸のなかにしばらくの間、隠しておいてください。いずれ時が来ます。俺がその時を用意します。そしたら、存分にぶっちゃけてもらっても構いません」
「結婚する気まんまんじゃん」
「はい!」
 新崎が、応えたところで、店内に黄色い声が上がった。
「きゃああ、嘘!? それじゃ、あの、『青空リバイバル』の!?」
 ん――「青空リバイバル」?
 どこかで聞いたことのある単語だ。新崎はその由来を必死に探し当てようとしたが、それより先に、新田が目を光らせた。
「えっ、松葉ゆうじゃん!」
 松葉ゆう。
 はっとなって、新崎は声がした方向を向いた。
「すごい、あたし、ファンなんです!」
 店で働いている若い女の子が、ふたりの観光客に詰め寄っていた。
「松葉――って、あ、ああああ! 千尋さーん!!!!」
 新崎は、思わず叫んだ。
 そこにいたのは、まぎれもない、千尋が働いている少女まんが雑誌の看板作家であり、彼の書いた作品は出版不況だという時代にもかかわらず売れに売れ、アニメ化、舞台化、ドラマ化、CD化のメディアミックスもばんばんされ、揚げ句の果てに、その奇天烈で強引で残念な性格でさえ、編集部が甘やかし、担当である千尋が、餅をたくさんこしらえなくてはならなくなった原因の張本人であった。
 いきなり、立ち上がった濃いサングラスに深くかぶったキャップのいかにも不審者然とした男性客に、店内は、しんと静まりかえる。
「あの、すみません、ちょっといいですか?」
 新崎は、それでも必死になって、女の子に詰め寄られていた男ふたり組に近寄った。
「誰?」
 一緒にいた背の高い若い男の影にかくれるように、お餅を所望の作家は、半歩後ろにさがった。
 白い肌に大きな黒目がちな瞳。細身の体形。千尋は三十代と言っていた。本当にこの可憐な美少年が、彼の担当作家なのだろうか。
「ま、松葉先生、ですか?」
 おそるおそる尋ねてみる。
「もしかして、F社のひと?」
「い、いえ、俺はF社勤務の千尋崇彦の知り合いです」
「げっ」
 すると、一気に作家の顔つきが変わる。
「今、千尋さんは、お餅をたくさん生産している最中なんです。このままだと、連載がストップして、先生の開けた穴を埋めるために代原を探すためにまた千尋さんが徹夜して、兼業している脚本業もどんどん遅れてしまう! なので、すみません、先生! 東京へ帰って! まんがを! 書いてくれませんか!!」

 そばにいた、長身の男が、作家の頭をこづいた。
「いてっ。なにするんですか、門倉さんっ」
「ほら、お前の仕事のせいで、今日も誰かが困っているじゃないか。俺も、お前のくそすぎる性格のせいで、なぜか和歌山まで連れてこられて困っている」
「それは、門倉さんがお疲れでしたので、一緒に温泉どうですかって聞いたら……!」
「そして、俺は、お前に寝顔の写真を撮られた」
「ああ~! よかったですねえ。たっぷり湯舟につかれる幸せ! 次回作のイメージもりもり沸いてきたなあ」
「話を逸らすな」
「タイタニックごっこもしましたもんね」
「火上げ岩な。っていうか、おい、ほら、お前の知り合い、困ってるぞ」
「知り合いじゃないです。初見さんです」
「あ――」
 そりゃそうだ。
 いくら千尋と自分が仲がよいからといって、千尋の担当作家にこんなぶしつけなことをしたのはいけなかった。新崎のほうが作家を知っていても、作家は新崎をしらない。
「って、え、ちょっと待って!」
 じっと新崎を見つめた作家が、急に騒ぎ出した。
「ねえ、その似合わないサングラス、とってくれません? そう、それ」
 新崎はいわれたままに瞳を出した。
「わ、わ、わ、わ! ええっ!?」
 先に驚いたのは、作家のほうではなく、彼に詰め寄っていた女性店員だった。
「やば、かっこよ……っていうかもしかして……」
 まずい。
 新崎はとっさに叫んだ。
「それはひと違いです!」
「新崎迅人さんですよね!」
 しかしタイミングがずれた。
「他人の空似というものです! 俺は通りすがりの観光客ですから!」
「え、ま、まって、じゃあ、あのお連れさんって……」
 まずいまずい。
 店員の目が、新田へと向かった。
「や、やっぱり!?」
 途端にキラキラと彼女の瞳が輝き出す。
「新田まりなさん! ええ~てことは、あの出回ってた写真って……! わ~! 大丈夫! あたし、誰にもいいませんから!! ね、とうちゃん!」
 奥で麺をきっていた中年の店員に彼女は叫んだ。
「え、ちょっと、これって……どういう展開なの?」
 新田が、唖然としながら、阿鼻叫喚な現場を眺めていた。


 人気まんが家・松葉ゆうの直筆色紙と売り出し中の若手俳優・新崎迅人のサイン入り色紙をゲットした飲食店の娘がおおはしゃぎしているお店を後にしながら、新崎、新田、作家の松葉、その連れの門倉は、事態を把握して、どんよりと肩を落としていた。
 新崎が、彼らに、自分がF社編集者である千尋と近い関係で、千尋が松葉の言うとおりに餅を量産している旨を伝えたのだ。
「すみません、こいつ、あとでちゃんと叱っておきます」
「えっ、なんで門倉さんが誤るんですか?」
「本当ならお前が謝るべきことだ」
「うげー。ちょ、ちょっと、千尋さんには痛い目合わせてもいいかなーって思ったんだよ! 原稿はちゃんとやってる!」
 千尋に痛い目? 新崎は思わず彼を睨みつけてしまったが、作家はまったくもって気が付かない。
「やってる? 食事中に、ネームノート開いて、その絵を店員に見られて、喜んでサイン色紙拵えてるだけじゃないか?」
「やってるのぉ!!」
 松葉が男に抱き着きながら叫んだ。道の往来、真昼間から、だいのおとなふたりが乳繰り合っている。
「うわ、離れろ!」
 必死で門倉は松葉を引きはがそうと格闘しながら、新崎に頭を下げた。
「本当にすみませんでした」
「あ、いえ」
「すぐに、東京に帰って、原稿ができるまで、こいつを缶詰にします」
「ああ、はい、ありがとうございます……!」
「だから、やってる! 帰んなくてもダイジョブ!」
「嘘つけ、担当編集、困らせておいていいことはない! 帰るぞ!」
「やーん、門倉さん、やだぁぁあああ。まだ、一緒に一生デートしてたいぃぃぃいいい!」
「きもい! しゃべるな!!」
 ぺこりと深々と頭をさげると、新崎と新田に別れを告げて、泣きじゃくる三十代男性は連れに引きずられるようにして、去って行った。
「アレは、一体なんだったのでしょうね」
 新田が、頭をおさえながら新崎に尋ねてきた。
「あ、す、すみません! 俺、つい……、新田さんを巻き込んでしまって!」
「世の中、変なひともいるもんだね」
「はい……。演技の参考になりそうです」
「なるのか、あれは……」
「充分、ですね」
 門倉という男は、あんな男と一緒にいてよく平気でいられるものだ。松葉といたのは一瞬だったが、新崎はどっぷりと疲れてしまった。
「これから、どうします?」
「えー、わたし、疲れた」
「俺もです」
「あ、ちょっと待って」
 新崎のスマホが鳴った。
「はい、新崎。直りましたか、スプリンクラー」
 相手はマネージャーの伊藤だった。
「新崎くん、いま新田さんと一緒?」
「へ? あ、はい」
「今、SNSで新崎くんの名前、検索してたら新着にとんでもない写真、あがってるんだけど」
「へ? なんで俺のこと、検索してるんですか?」
「マーケティング! つーか、世間にどううちの新崎が受け入れられているか、気になるじゃない! っていうか、それより、スマホ見ててよね」
「あ、はい」
 伊東が、その問題となる画面を送ってよこした。
「あ!」
 新崎が新田を手招きした。
 新田が新崎のスマホを覗き込んで口をあんぐりとあける。
「これって……」
「ええ、さっきのお店の子だね……」
 また、やってしまった。
 ふたりがさも、そういう仲であるかのように、書かれた文面に、彼らは肩を落とす。
 二度あることは三度あるということだろうか。
「大丈夫。拡散さえしなければ」
「でも、松葉ゆうのせいで爆発的に広がりそうですが……」
「ああ……そうだった、今回はわたしたちだけじゃなかった」
 投稿された画像には、新崎たちだけではなく、人気まんが家の書いた直筆サインが写されていた。


 お叱りを激しく受けながら、ストップしていた撮影は、スプリンクラーの修理が完了して再開されることになった。
 ――が、トラブル続きのせいもあってか、撮影は難航し、新崎が東京へ帰ってこられたのは、中秋の名月を過ぎて、九月十三日、午後十時になっていた。
 遅くなる連絡は千尋におくっていたから、彼もちゃんと承知だ。
 ようやく千尋に会うことが出来るのだというわりに新崎の足取りは重かった。
――「ほら、もう、そんなにぼけぼけしていると駄目でしょ。俳優なんだから! 頑張って行っておいで。ぼくは待ってるから」
 ロケに出発する前にかけてもらった千尋のことばが頭のなかをぐわんぐわんと暴れている。
 大幅な遅れ。
 主な原因は機材のせいなのだが、それ以外にも、ある。
 自分の軽はずみな行動の始末を、新崎はうまくつけられなかった。結局、SNSにあげられた写真と新田との恋人疑惑をにおわす記事についても、事務所が対応してくれた。いまその記事は、ファンが俳優にサインをもらって嬉しいという内容になっている。
 こんな状態で、千尋には会えない。
 自分が立派になって彼と共に並び立てるような存在になるんじゃなかったのか? このままじゃただの甘ちゃんで終わってしまう。
 溜息をついても、どうにもならない。すべては自分の行動が招いたことだ。
 重たい身体を引きずって、新崎は千尋のマンションにたどり着いた。そのまま、ドアの鍵穴にキーを差し入れようとしたとき。
「新崎くん!」
 勝手に内側からドアが開いて、そこに千尋が立っていた。
「おかえり!」
 声をかけられて、改めて、自分はこのひとに会いたくてしかたがなかったのだということを実感した。頭じゃなくて、胸がぎゅっとしめつけられた。
「わ! ど、どうしたの!?」
 いきなり抱き着いてきた新崎に千尋が動揺する。
「ごめんなさい、俺、ほんと」
「うーん、いいけど。玄関、開けっ放しだと恥ずかしいから、しめるね」
 ぎゅっと抱き着いた千尋の身体は、男性であるがゆえにか細いわけではないのだが、どこか小さく細く感じた。
「お餅、どうなりました?」
「ああ、あれ……? 先生が機械ごと、取りに来ました。よくよく考えたら、『月見には団子じゃんか、なんでお餅だ』って言いながら」
「……そうですか」
 その光景がありありと浮かんでしまうのは、ロケ先でその作家本人に会っているからなのかもしれない。
「あ、すみません、俺、手も洗わずに」
「うん、いいよ。どうせ、ぼく、お風呂まだだから、これから入るし」
 新崎はあわてて千尋から離れると、手を洗いに洗面台へと走った。
「まじめだなあ」
「へ? 何かいいましたか?」
「いいえ? 何でも。ご飯、出来てます」
「わっ! 嬉しいです! 俺も! そのお土産あります!」
「それは、嬉しいです」
 にこやかに千尋が言う。
「でも一番嬉しいお土産は、きみかな? ……なんつって」
「わ……」
「ほら、早くしなよ。って、大丈夫? 石鹸なくなってた?」
 洗面台を前に立ち尽くす新崎である。
「新崎くん?」
 そばに寄ってみて、千尋は、新崎の顔がわかりやすいくらい真っ赤になっているのに気が付いた。
「お、俺、しぬかも……」
 ようやく新崎が動き出した。ちゃんと手をタオルで拭いてから千尋に抱き着いて来る。
「へ!? いやいやいや、どうしたの!?」
「帰ってこれてよかった!」
「うん、そうだね、大変だった?」
「大変だった! 一番、大変なの、千尋さんに会えないこと!!」
「いや、それは……」
「俺、くっそぽんこつだったんだって、気が付いた! 演技さえよければなんとかなるってずっと思ってたけど、違う!」
「新崎くん……?」
「それだけじゃだめだ! この業界でうまく歩いていくには、実力だけじゃだめなんだ!」
「……そうだね」
「すごい演技をして、みんなの心に残ればそれでいいと思ってた。でも、役者って芸能人なんだ。有名人なんだ。その自覚が俺、なくて……今更って感じだけど」
 千尋が、ぎゅっと新崎を抱きしめかえした。
「千尋さん、ごめん! 俺、本当、ごめんなさい!」
 あわてて新崎が千尋から離れようとする。
「いいから、いいから」
「でもっ」
「いいじゃん、ね? いいんだよ。きみはきみだ。帰ってきてくれて嬉しいよ」
「……千尋さん」
 新崎が落ち着いたところで、千尋は、そっと彼をテーブルにいざなった。酢豚と味噌汁。千尋の手料理だった。
「お腹空いてない?」
「ぺこぺこです」
「この時間じゃ夜食になっちゃうね」
「……でも、いいです。きっと、俺、太れないので」
「太りやすいかもって気にしてるのに?」
「あ、ばれてました?」
「だから、それなりにカロリーとか栄養とか考えてご飯つくってたんだけど」
「……っ!」
 そうか。そうだったのか。
 すとんと何かが胸のなかに落ちてきて、新崎は、泣きたいような気分になった。
「ぼくは好きだよ。誰かに作る料理も、誰かを思って食事をするのも」
「俺もです……」
「って、何、泣きそうなの?!」
「食べ終わったら、お月見しませんか? 時期ずれちゃったけど」
「もう満月じゃないからね。きっと少しずつかけているだろうね」
「はい、ごめんなさい」
「だから、おもしろいんだろうな」
 千尋がにやっと笑った。
「え?」
「ただ丸いだけの月じゃつまらない。今日は特別な日だね。さ、悪い子はお夜食でもつまもうか」
 もう一度、新崎は千尋に抱きつくことになった。


(了)


先日のワンライにワン「ライ」で参加しなかったので、「満月」と「十五夜」をテーマに書いちゃったって感じのものです。去年、かなりテンションそのままに門松コンビのお月見を書いていたのでその続編っていう感じで、かなり松宮が悪さをしています。こいつぅ。
にしても、起承転結に話がまとまらないんですよぉ。やまなしおちなしいみなしを地でいくスタイル。
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