~'22

I am

 テレビ画面に夢中になっていた千尋崇彦は,ぎょっと目を剥いた。
 と、いうのも、今晩放送されているそのドラマに出ているのは、彼の秘密の恋人である人気若手俳優の新崎迅人である。
 それに、そのドラマの内容は、いま話題になっている恋愛マンガを原作にした切った惚れたのラブストーリーもの。
 画面一面が薔薇色に染まりそうなくらい、とにかく、男女が絡んで絡んで仕方がない。
「うわ~、ちょっと、これは見るのはやめようかな」
 彼と付き合いだして間もないころだったら平気で見ることのできた光景なのだが、いつの間にやら、新崎という人間が心の奥に澄みついてしまった現在の千尋にとって、新崎の身体が他の女に絡みつくの映像を見ることはかなり苦痛だ。
 リモコンを手に取った千尋であったが、否、と思い至って、それをテーブルの上に戻した。
 違和感がある。
 千尋はじっと移り行く映像の世界を凝視した。
 新崎はその耽美なルックスから、恋愛ものドラマによく出演していた。それでも、今日のような胸騒ぎが起こったことは一度もない。そのくらい新崎迅人は画面の中で、新崎迅人という己自身を捨てて役になっていた。
 行動、些細な仕草、声の出しかた、話し方、息の吐き方、歩き方、表情のひとつひとつまでが、すべて、新崎迅人の肉体から発せられているものとはいえ、それは新崎迅人ではない役柄のものだったのだ。
「そうか……」
 千尋は答えにたどり着いて、小さくため息をついた。
 違和感の正体。それは、今回のドラマの新崎は新崎自身に限りなく近いものであるということ。
 ドラマの撮影で、新崎がカメラの前に立つことはないだろうと思っていた。
 いや、待て。これは素なのか?
 既にエンディングへと突入していたドラマを千尋は録画していた。急いで、はじめから再生し始める。
「うーん……、そうなんだよなぁ、初めのほうは完全にいつもの新崎迅人なんだけど……」
 出だし、冒頭から立ち上がってくる彼の印象は役柄そのもの。新崎迅人はまだ画面の中に浮かび上がってこない。
 しかし、ドラマが進行するにつれ、片思いの葛藤に明け暮れる彼の姿が徐々に新崎迅人その人のように思えてきて――。
「……やめよう」
 時計を見やる。十二時きっかり。
 千尋は、電源をオフにする。しんと静まり返って、真っ暗な画面。そこをじっと見る。
 さっきまで新崎が映っていた、四角形の平面。その向こう側に何があるというのだ。
「ああ、ダメだ。もうぼくはダメ人間になってしまった」
 いいか、これは彼の仕事なのだぞ。とおもいながらも、千尋は大きく背伸びをした。
 自分がしていることがばかばかしくなってしかたがない。
「こんな些細なことが気になるなんて」
 否、些細なことではない。
 新崎迅人の成長スピードはかなり速い。ただ華やかで軽やかだった演技は今や深さを持ち、どんどん周囲を引き込んでいっている。
「ぼく、もし、彼に脚本を書くなら、どんな話ができるんだろう」
 ひとりつぶやく。
 千尋さんに追いつきたいです、と言って、己を追いかけてきた彼。今やその立場は逆転しているのかもしれない。
 けれど、あの演技はなんだ。
 どうしても、新崎迅人本人のように思えて、どうしようもなく、むずがゆくなる。
 千尋は、ぎゅっと強く瞼を閉じた。
 光るものばかりじっと見ていた眼球が、そのとき、きゅううっと広がっていくような感覚に、そうか、自分は疲れているのだということに気が付いて、そっと手足から力を抜いた。





「あああー、やっぱ、ああああ!!」
「おい、うるせえっての!!」
 ガシッと、新崎迅人はこの部屋の主、今尾要に蹴とばされる。この狭い空間に男がふたり並んで、今夜配信された新崎出演の恋愛ドラマを眺めていたのだ。
 今尾がひとり暮らしをしているアパートは、狭い。彼は俳優業をしつつ、足りない部分をアルバイトで補う生活をしているためか、ほとんどの時間を部屋の外で過ごしているため、この狭さが気にならないらしい。
 けれど、今日のように来客がいる場合は、やはりその狭さにうっと抑圧されるような心地がする。
「なあ、新崎、なんで俺んとこ来てんだよ」
「ええ? なんとなく」
「お前なぁ。前、言ってた彼女んとこ、行けばいいのに」
「ええ~」
「それとも何か。寝ないのに女のとこ行く気ありませんってか」
 ニヤついた今尾は新崎の反応を見てぎょっとした。
 カッと生娘のように頬を真っ赤にさせている。まさか、この男、こんなに初心な反応を見せるとは思っていなかった。
「うーわ、まじかいな」
 思わず漏らしてしまう。
「べ、別に!! もう、そういう話はやめてくれ!!」
「わー、新崎くん、かーわいー」
「馬鹿にするなって!!」
「へー、ま、ドラマ見てぎゃーぎゃー言われるよりは、ソッチ系の話で真っ赤になってるほうが面白い、面白すぎるからなー」
「ぎゃーぎゃー言ってません」
「言ってた。お前、自分が出てるドラマ見るたびにこうなのか?」
「そんなことない、真面目に分析しているもん」
 してるもん、か。
 成人しただいの男がこの口調である。新崎くん、わかっていないな、と、今尾は喉奥で笑いを嚙みしめた。
「分析って?」
「だから、編集かけたあと、どうなっているか、とか。こういうふうに放送されるのなら、次、現場でどうするか、だとか」
「へー、真面目」
「優等生なんですー」
 と、いうより、生き残るのに必死なのだ。なにせ、人は飽きるのが早い。小さなブームではあるが、人気が出てきたぶん、その喜びより、飽きられてしまうのではないかという心配のほうが新崎にとって大きいのだ。
「じゃあ、なんで今日はそんなに騒いでいたわけ?」
 すっかりエンディングに流れついた画面を見ながら、新崎は答えた。
「だってこれ……」
「え?」
「……馬鹿にしないって誓うか」
 新崎は強く今尾を睨んだ。
「誓う」
 今尾のことばに新崎はうなづいた。
「この回の現場で、俺はあることをしてしまったのだ」
「へえ、どんな?」
「こ、この役がどうしても、昔の俺と似ていたので……その、自分に引き寄せて演じてしまったというか……」
「へえ、で?」
「編集されたら何とかこう、なんか、別のものに生まれ変わっていないかなと思ったんだけど、さすがにこれは……」
「お、もしかして、さっきのヘタレ男って、新崎まんま!?」
「ばっ、言うなよ!!」
 腹を抱えて笑い出す今尾に新崎はむっと腹を立てる。
「うーわ、わー、やっべえ、お前のイメージ今ので崩れたわ」
「わー、もう、いい! 帰る!」
「帰るなって! お前、最高だな」
「笑いながら言うな!」
「じゃあ、どうしたらいい?」
「真面目にお前の演技は最高だなって言われたい、俺は。だから、お前がどうこうするんじゃなくて、俺がどうこうしなくちゃいけないんだ」
 そのどこか外れた返しに、今尾はツボに完全にはまった。
「だから、なんで……あー、もう!」
 今尾の大爆笑の意味が分からない新崎は、自身のうなじをぼりぼりと手でかいた。
「やっぱ帰る!」
「なんだよ、ひとりになるのが、嫌だってんで俺のとこ来たくせに!」
「そーゆー気分だったんだけど!! 今はひとりでじゅーぶんです!!」
「……ガキかよ」
「今尾さん、おじゃましました。今度また舞台で共演できたら、嬉しいです」
「真面目か!」
 そういえば新崎が玄関から入ってきたとき、すっと靴をそろえる姿を今尾は思い出して、再び噴出して笑った。


(了)
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