~'22

delete=number

 玄関を開けるなり、ポケットからスマホを取り出すと電源を入れる。
 覗き込んだ画面は真っ白。
 それを確認すると千尋は壁に体重を預けながら、ため息をついた。
 これで良かったんだ。
 そう思う。
 元々、あいつ――新崎とは住む世界が違った。
 だから、仕方がない。
 今日、千尋は新崎の番号を消した。
 彼がいる目の前で消して見せた。
 そして、こう断言した。「きみとはもう終わりだ。これからはただの友人に戻ろう。もしくは赤の他人に」と。
 これで、関係を終わらせる。
 そのための小さな演出。わざとらしかったかもしれないが、太く繋がってしまったものを断絶させるにはこれくらいわざとらしくなければならない、そう思った。
 新崎は若手の舞台俳優で、劇団の中でもファンの多い二枚目。
 比べて千尋は普段は会社勤めのサラリーマン。友人である劇団の演出家に誘われて、劇団のために脚本をかきあげだした。
 新崎と知り合ったのは、その脚本のせいだ。
「先生、『議会討論戦記』、面白かったです」
 出来上がったばかりの脚本のたたき台を友人に見せるために劇団を訪れた。その時、千尋を見つけた新崎が話しかけてきたのだ。
「あ、それ、新しい脚本ですか?」
 新崎が指さしたのは、千尋が抱えていた紙の束。
「ううん、これはまだ叩き台」
「わー、また新しい話、書き下ろしてくれるんですね!」
 嬉しそうに笑う新崎に、千尋は意外さを感じた。
 新崎というと、クールなイメージ。彼を出演させると決まった演目を書く際には、宿命を背負ったような登場人物を新崎に当てたくて、ついつい冷徹だが芯は熱い人物を書いてしまう。
 それを見事に演じ切るのだから、新崎は逸材だ。
 だが、実際に、演技抜きの素面の新崎に対面したことは数少ない。そのせいか、新崎本来のふんわりとした子犬のような柔らかい雰囲気が、なんだか妙だった。
 それから、どうやってこのような関係に転んだのか。
 よく覚えていないが、役者としての花道を歩き出した彼との交際もそろそろ、潮時の香りがしてきた。
 回想に想いを馳せていた千尋はふと顔をあげた。
 玄関の扉を勢いよく叩く音がして、振り返った。
「先生!! ちょっと開けてください!!」
 新崎の声だ。千尋は軽くパニックになりながらも、そっと玄関の鍵を解除した。確認のために小さくドアを開ける。わずかな隙間の向こうには確かに整った顔つきの男が一人。
「わっ」
 確認のために開けた隙間に新崎が手を突っ込んできた。そのまま強引に開かされて嫌がおうでも対面せざるを得ない。
「こういう時のためにドアチェーンがあるんですよ」
 心配だと眉をひそめながら、新崎が言う。
「きみ、どうして」
「どうしてって、あんな一方的な別れ方されてもこっちは困ります」
「だ、だって」
「俺がしつこいのは演技だけじゃなくて、あんた関係でもそうなの、知ってるでしょ」
 返す言葉に詰まる。
 物語を考えている時は、すらすらと登場人物の台詞が浮かぶのに、どうしてこういう時にだけ――。
「番号消したって無駄です。電話出来ないなら、直接来ますから」
「で、でも」
 新崎はこの春、テレビドラマへの出演依頼があった。
 彼は役者の花道を登ろうとしている。
 そんな彼の未来を自分が、何者でもない自分が、握りつぶしてしまうような真似だけは出来ない。
 関係がばれれば、どのような影響が出るのか分からないというのに。
「あきらめませんからね」
 それでも、真摯に千尋を見つめてくる強い眼光だけは消えそうになかった。

(了)

----
✿お題は#創作BL版ワンライ・ワンドロさまより「消去」をお借りしました。2020.04.26
1/16ページ
スキ