19年一本勝負さん参加録
約束の証
乾ききった冷たい風が微かな血の臭いを連れてくる。イズルはぶるりと身震いした。
この要塞に配属されて三か月。戦況は悪化の一途をたどっている。
物資の枯渇も、目前だろう。弾薬がなくなれば戦闘はできなくなるし、食糧がなくなれば自分たちの命も尽きてしまう。
撤退命令を待つだけ。
もう何人も殺されて残った顔ぶれが大きな死神を背中に背負って、丸くなっている。
「冷えて来たな」
しゃがみこんで待機しているフェイの肩に布地の薄くなった毛布がふわりと落ちてきた。
「ズシ!」
恰幅のいい、縮れた黒髪の男が長い前髪を手ですくってイズルを見下ろしている。彼のように深く濃い顔立ちの男には短髪の方が似合うな、とふとフェイは思った。
疲れが目元に滲む顔。疲れ切った兵士たちのどんよりとした顔立ちの中でも、ズシの容姿は目立つ。彼自身も疲労をまとっているのだが、何故かまだ死神には魅入られていないような、どことなく周囲と違う雰囲気を醸し出してた。
「お前、良く元気そうにいられるな」
フェイの隣に座りこんだズシは、肩をフェイの肩に摺り寄せてくる。
「そう思うか? こっちは見張りでくたくただ」
乾いた声が耳元をくすぐる。彼の髪が頬をくすぐり、フェイはそこだけ体温が温かくなるような不思議な気持ちになる。血なのか、泥なのか、垢なのか、それともこの男の汗か。独特な匂いに死は感じられない。
「ここはもうだめだな」
ズシがフェイに体を預けてくる。重い、と抗議の声を上げてフェイはズシの身体をただした。
「ケチ。俺が頑張れるのはフェイのおかげなんだぜ。たまには褒美をくれねえとな」
「ぬかせ」
「ぬかしてないって! フェイが俺の唯一の希望! 失ったら死にそうだから、俺のアキレス腱でもある」
「馬鹿言え。今にも俺たち死にそうなんだぞ。それにお前の希望は、それだろ?」
フェイはズシの首元に視線を逸らせた。薄汚れた軍服の中、彼の首に垂れ下がっているネックレスの装飾部分に女の写真を隠していることをフェイは知っていた。
「銃後に貞淑な妻を残している、そうだろ? 彼女の元に帰るのがお前の最大の任務」
そう言いながらも頬を膨らませるフェイを見て、ズシが目を細めた。
「あーっ! お前、本当にそういうとこ! くっそー!」
ズシはフェイの頭に手をやると、強引にくしゃくしゃとかき回し始める。
「わっ、バカ! 何すんだよ!」
フェイの抗議の声と同時に、通信兵が飛び込んできた。
「撤退命令出ました! 今すぐ撤退せよと!」
どよめく兵士たち。信じられないと口をぽかんと開け放心していたものも、喜びで頬を赤く染めるものも。
「帰れるな! ズシ!」
「おい、フェイ。うるうるだな」
「馬鹿言え! お前の方こそ、涙が出ている」
二人して目を合わせ笑うだが。
「敵襲だ!」
爆撃音と共に、それはやってきた。
陥落間近の要塞を落とすために、彼らが待っていたのは夜明けだった。
一気に敵兵が殴りこんできたのだ。
「このままじゃ全滅する! 俺が残ってやつらを引き付ける! その間に全員撤退しろ!」
ズシの声に全員が振り返った。
「馬鹿か、お前は! 死ぬ気かよ!」
「大丈夫だ。あんなの屁でもない。俺の弱点はお前だけだからな」
「馬鹿! はぐらかすなよ! 死ぬ気か!」
それが一番生存率の高い作戦だと部隊長が他に志願者をつのり始める。
「フェイ、お前は撤退だ」
「何故!」
「だから、さっきも言っただろ。お前が俺の希望で……ほら、俺は必ず戻ってくるから」
ズシが首元を緩めると、衣服の中から何かを取り出した。それをそのままフェイの右手に握らせる。
「約束の証だ。早く行け!」
フェイが何も言えずにたじろいだその一瞬、一際大きく爆炎が上がった。
「よし、時間がないぞ! 敵に撤退を疑われぬよう、志願兵たちはそれぞれ二手に分かれて敵と応戦せよ!」
「了解!」
遠ざかっていくズシの背中を追いかけようとして、フェイは立ち止まった。
掌の中の重みが、そうさせたのかもしれない。
――必ず、戻ってこいよ
撤退する兵士たちを鼓舞しながら、フェイはズシに背中を向けた。
第321回 2019.10.06 1h
お題:約束の証/弱点/はぐらかさないで
何が何だか……。
このお題で真っ先に浮かんだのがこういう感じのイメージです、という超絶アバウトな感じでなんというか……。しかもどこかでありそうなよくある謎のお別れ話のノリ……。
とにかく、書くぞ!
それだけです。もう。本当。
乾ききった冷たい風が微かな血の臭いを連れてくる。イズルはぶるりと身震いした。
この要塞に配属されて三か月。戦況は悪化の一途をたどっている。
物資の枯渇も、目前だろう。弾薬がなくなれば戦闘はできなくなるし、食糧がなくなれば自分たちの命も尽きてしまう。
撤退命令を待つだけ。
もう何人も殺されて残った顔ぶれが大きな死神を背中に背負って、丸くなっている。
「冷えて来たな」
しゃがみこんで待機しているフェイの肩に布地の薄くなった毛布がふわりと落ちてきた。
「ズシ!」
恰幅のいい、縮れた黒髪の男が長い前髪を手ですくってイズルを見下ろしている。彼のように深く濃い顔立ちの男には短髪の方が似合うな、とふとフェイは思った。
疲れが目元に滲む顔。疲れ切った兵士たちのどんよりとした顔立ちの中でも、ズシの容姿は目立つ。彼自身も疲労をまとっているのだが、何故かまだ死神には魅入られていないような、どことなく周囲と違う雰囲気を醸し出してた。
「お前、良く元気そうにいられるな」
フェイの隣に座りこんだズシは、肩をフェイの肩に摺り寄せてくる。
「そう思うか? こっちは見張りでくたくただ」
乾いた声が耳元をくすぐる。彼の髪が頬をくすぐり、フェイはそこだけ体温が温かくなるような不思議な気持ちになる。血なのか、泥なのか、垢なのか、それともこの男の汗か。独特な匂いに死は感じられない。
「ここはもうだめだな」
ズシがフェイに体を預けてくる。重い、と抗議の声を上げてフェイはズシの身体をただした。
「ケチ。俺が頑張れるのはフェイのおかげなんだぜ。たまには褒美をくれねえとな」
「ぬかせ」
「ぬかしてないって! フェイが俺の唯一の希望! 失ったら死にそうだから、俺のアキレス腱でもある」
「馬鹿言え。今にも俺たち死にそうなんだぞ。それにお前の希望は、それだろ?」
フェイはズシの首元に視線を逸らせた。薄汚れた軍服の中、彼の首に垂れ下がっているネックレスの装飾部分に女の写真を隠していることをフェイは知っていた。
「銃後に貞淑な妻を残している、そうだろ? 彼女の元に帰るのがお前の最大の任務」
そう言いながらも頬を膨らませるフェイを見て、ズシが目を細めた。
「あーっ! お前、本当にそういうとこ! くっそー!」
ズシはフェイの頭に手をやると、強引にくしゃくしゃとかき回し始める。
「わっ、バカ! 何すんだよ!」
フェイの抗議の声と同時に、通信兵が飛び込んできた。
「撤退命令出ました! 今すぐ撤退せよと!」
どよめく兵士たち。信じられないと口をぽかんと開け放心していたものも、喜びで頬を赤く染めるものも。
「帰れるな! ズシ!」
「おい、フェイ。うるうるだな」
「馬鹿言え! お前の方こそ、涙が出ている」
二人して目を合わせ笑うだが。
「敵襲だ!」
爆撃音と共に、それはやってきた。
陥落間近の要塞を落とすために、彼らが待っていたのは夜明けだった。
一気に敵兵が殴りこんできたのだ。
「このままじゃ全滅する! 俺が残ってやつらを引き付ける! その間に全員撤退しろ!」
ズシの声に全員が振り返った。
「馬鹿か、お前は! 死ぬ気かよ!」
「大丈夫だ。あんなの屁でもない。俺の弱点はお前だけだからな」
「馬鹿! はぐらかすなよ! 死ぬ気か!」
それが一番生存率の高い作戦だと部隊長が他に志願者をつのり始める。
「フェイ、お前は撤退だ」
「何故!」
「だから、さっきも言っただろ。お前が俺の希望で……ほら、俺は必ず戻ってくるから」
ズシが首元を緩めると、衣服の中から何かを取り出した。それをそのままフェイの右手に握らせる。
「約束の証だ。早く行け!」
フェイが何も言えずにたじろいだその一瞬、一際大きく爆炎が上がった。
「よし、時間がないぞ! 敵に撤退を疑われぬよう、志願兵たちはそれぞれ二手に分かれて敵と応戦せよ!」
「了解!」
遠ざかっていくズシの背中を追いかけようとして、フェイは立ち止まった。
掌の中の重みが、そうさせたのかもしれない。
――必ず、戻ってこいよ
撤退する兵士たちを鼓舞しながら、フェイはズシに背中を向けた。
第321回 2019.10.06 1h
お題:約束の証/弱点/はぐらかさないで
何が何だか……。
このお題で真っ先に浮かんだのがこういう感じのイメージです、という超絶アバウトな感じでなんというか……。しかもどこかでありそうなよくある謎のお別れ話のノリ……。
とにかく、書くぞ!
それだけです。もう。本当。