第一章 始まりの出会い
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*少年達の頼み事
「ほら!また重心がズレてる!背筋を伸ばして!」
「やってるって。こうだろ!」
「そうじゃない、背筋!」
「分かってるって言ってんだろ!」
言い合うような声が、フレンの家の前の通りに響く
剣を取り戻したあの日以来、二人は一日交代で剣の稽古をしていた
とは言っても、誰かに教えて貰えるわけではない為、二人の鍛錬は独学であった
ユーリはまず基礎からやらねばならなく、師はフレンだとも言えたがこの二人の師弟関係は非常に曖昧なものだった
もとより同年代ということもあるうえに、性格が真逆な二人が教え合うなど、喧嘩なしには出来ないわけで
「やめだ、やめ。今日はもうやめだ」
忍耐の切れたユーリが剣を無造作に投げ出す
「ユーリ!君だけの剣じゃないんだから乱暴に扱わないでくれ!」
怒りを隠そうともせずにフレンが怒鳴る
そんなことも気にも止めず、腹の虫がおさまらないユーリはそっぽを向く
が、視界の隅でフレンが剣を拾い上げたのを捉えると、次第にそわそわし始める
「返せ、やっぱやる」
くるっとフレンの方に向き直すと、寄越せとばかりに手を差し出す
「やめるって言ったじゃないか」
「気が変わったんだよ!」
そうしてまた言い合いが始まる
剣は一日交代で使う。その日の内にどちらかがその権利を破棄したらもう片方が使える
そう二人で話し合って決めていた
一度破棄したらまた丸一日我慢しなければいけない
そんな苦い思いをユーリは何度か繰り返していたが、同年代から散々駄目出しを喰らえば怒りでそんな行動をとってしまうじゃないか、と心の中で悪態づいていた
そんな二人を、アリシアはいつも近くの樽の上に座って眺めていた
本当ならば前のように一緒に稽古したいと思っていたが、生憎自前の剣はもうない
かと言ってフレンの使っているものは多少大きすぎる
だからいつも黙って様子を見ているだけであったが、この日は少し違った
ぴょんっと樽の上から降りると、今にも取っ組み合いを始めそうな二人の間に割って入る
実際、ユーリの胸倉を掴みそうだったフレンが、危ないだろ、と声をかけようとする前に、アリシアが不機嫌極まりない顔でフレンを見た
「…兄さん、前から言おうと思ってたけど駄目出ししすぎだよ。ユーリの利き手、兄さんと逆なんだしそんなに怒らないでよ」
むすっと頬を膨らませてフレンを見つめる
普段口出しをしないアリシアにそう言われ、なんと返せばいいかわからず困惑してしまう
「ユーリはユーリでもう少し我慢強くなろうよ。年同じでも、教えて貰っている方なんだから」
くるっと顔をユーリの方に向けて、フレン同様不機嫌そうにユーリを見つめる
まさか自分よりも年下のアリシアに怒られるなどと思っておらず、ユーリもまた困惑してしまう
「…二人ともわかった?」
何も言わない二人の顔を交互に見つめながらアリシアは問いかけた
「「………はい……」」
必死に考えた結果、二人の口から同時に同じ言葉が出る
返事を聞くと、アリシアは満足そうに微笑んで頷く
「ね、兄さん、ちょっとだけ剣貸して?」
つい先程までの不機嫌な声ではなく、いつもの鈴の鳴るような声でアリシアは言った
「えっ?」
フレンは驚いて目を丸くする
駄目?と、金色の髪を揺らしながら、彼女は首を傾げる
少し考え込んだが、アリシアならば大丈夫だろうと判断したのか、少しなら、と言ってフレンは剣を差し出した
すると、嬉しそうに目を細めて剣を受け取った
そして、少し離れた所で素振りを始めた
「おいおい…大丈夫なのかよ?」
不服そうに、それでいて何処か心配そうにユーリがフレンに問いかける
「まぁ一応は。アリシアも僕と一緒に鍛錬していたから」
肩を竦めながらフレンは答えた
正直なところ、フレンも心配なのだ
アリシアが扱うには多少大きすぎる剣……
それに、彼女だってここに来てからというもの鍛錬をしていなかったのだ
怪我でもしてしまったらどうしよう…と、不安が二人の頭の中に過ぎる
そんなことも気にせずに、彼女は自身の父親から教えてもらった動きを思い出しながら剣を振る
しばらくは両手で剣を握っていたが、感覚を取り戻すとフレンと二人で鍛錬していた時と同様、利き手だけで器用に剣を振り始めた
まるで踊るかのように剣を振る
最初こそヒヤヒヤして見ていた二人だが、次第にそんな不安すら忘れて見入っていた
自分の体の一部のように剣を扱うアリシア…
自分達よりも年下なはずなのに、明らかに使い慣れているその動きに、目が離せずにいた
しばらく利き手で剣を振っていたが、満足したのか剣を振るのをやめ鞘に戻すと、小走りで二人の元に戻った
「ありがとう、兄さん、ユーリ!」
嬉しそうにニコニコと微笑みながら、アリシアは剣をフレンに差し出した
「…あ、あぁ…」
一拍遅れて、フレンは差し出された剣を受け取った
「アリシア…お前、凄いな……あんな風に剣振れるなんてさ」
驚いたように目を見開かせてユーリはアリシアに言う
「んー…そうかな?」
これくらい当然だと言いたげにアリシアは首を傾げる
「すげぇよ…!充分凄いって…!!」
キラキラした目でアリシアを見つめながらユーリは興奮気味に言う
アリシアにとってはこの程度は出来て『当然』なのだが、こうして誰かに褒められるのはやはり嬉しいわけで、少し頬を赤らめて嬉しそうに微笑む
「えへへ、ありがとう!」
嬉しそうに微笑んでいたアリシアだが、すぐにその笑顔が消えて深刻そうな顔をして俯いてしまう
「…………でも、お父様にはまだまだ…………」
ボソリと小さな、僅かにしか聞き取れない声で呟く
「『お父様』…?」
僅かに聞き取れた言葉をユーリが繰り返すと、はっと顔をあげる
「あっ…え、えっと……」
あからさまに何かに動揺した様子でおどおどとし始める
昔の癖でつい『お父様』という単語を使ってしまった
どう乗り切ろうかとアリシアは混乱した頭で必死に考えるが、中々いい言い訳が思いつかない
…すると、見かねたフレンが口を開いた
「…昔、従姉妹おじさんのことをそう呼んでいたから、アリシアもたまに父さんのことを『お父様』って呼んでいたから、癖になってるんだよね」
「あ、あはは……そう…なんだよね」
ニコッと笑ってみせようとするが、どう頑張っても頬がひきつってしまう
上手く笑えていないことなど、アリシアが一番よくわかっていた
…もし、ユーリに自分の正体がバレてしまったら…?
万が一にでもそれはないかもしれない
ここは壁の中とは違う
『皇族』とは無縁の場所だ
だけれども……もしも、自分が本当は『皇族』だと、バレてしまったら…?
考えただけでも冷や汗が出そうになる
ユーリは勘がいい
もし、追求されたら……
「……その従姉妹って、貴族様なのか?」
少し間を置いてユーリが問いかけてくる
「まぁ…正確に言えばちょっと違うけどそんなとこだね」
「ふーん……親戚に貴族様がいるっていうのも、なんか大変そうだな」
ユーリはそれだけ言うと、フレンがいつも樽の上に置いている本の方へと目を向けた
……追求、されなかった……
アリシアはほっと安堵の息をついた
だが、一つだけ気になることがあった
本を挟んで話し合っているユーリとフレンを見ながら、少し首を傾げる
普段なら、こちらの気持ちもお構い無しに追求してくるのに……
好奇心旺盛、それが今のユーリの印象だった
気になることがあれば、どんな些細なことでも聞いてきていた
さっきも、気になることがあった時と同じ顔をしていたのに…いつものように追求してこなかった
それが、彼女には不思議でたまらなかった
まあ追求されたらされたで困ってしまうのだが…
「なぁ、アリシアもこの本、フレンと読んだのか?」
不意にユーリに声をかけられ顔をあげると、じっと見つめてきているのが目に入った
この本、というのはフレンがずっと大事に持っている教本の事だろう
「う、うん!」
少し驚きながらもそう答えるとユーリは、ふーん、とだけ言うとまたその本に目を向けた
余程気になるのだろう
「…これ、読めたらオレもお前らみたいに強くなれっか?」
「そんな都合のいいものじゃない」
少し強い口調でフレンは答える
「ま、そりゃそうか」
あっさり肩を竦めて苦笑いする
ユーリ本人もただ読めただけでどうにかなるとは思っていない
読めただけでどうにかなれば、誰だって簡単に強くなれるだろう
そんなに甘くないことは彼自身が一番よく分かっていた
「なあ、これオレにも読めるようにしてくれよ」
不意にユーリはアリシアとフレンを交互に見つめる
『読めるように』…?
アリシアは心の中でその言葉を繰り返しながら首をかしげる
読みたいのであれば読めばいいのに…
そう思ったが、すぐにその理由は検討がついた
ここ下町に来てから、市民街ではよく見ていたものを見ていない
そのことに気づいてアリシアが口を開く前にフレンが、勝手に読めばいい、と言う
「いや、そういうけどな」
バツが悪そうに後頭部を掻きながら、ユーリは言葉を続けた
「……オレ、字読めねえんだ」
「「あ……」」
アリシアとフレンはそう呟いて顔を見合わせた
字が読めない…
それは、下町では『当たり前』なのだろう
市民街と違って、読み書きを教えてくれるような人もいないだろうし、そもそも字をあつかう機会もないのだろう
二人は改めてここは自分達が今まで暮らしてきていた場所と違うのだと思い知った
「だけど…僕も読み書きなんて教えたことはないよ」
「剣だって教えてくれてるじゃねえか。それと同じだろ」
あっけからんとユーリは言った
そう簡単に言うが、一体どうしたらいいものか……
フレンが唸っていると、アリシアが何か閃いたように呟いた
「……お母さん」
その呟きにフレンも納得したように、あぁ…と声を漏らす
「おふくろさん?」
「うん。あたしも兄さんも、お母さんに少し教えてくれてたから、お母さんなら教えられるかも」
自分の言葉の意味をしっかり確かめるように、ゆっくりとアリシアは頷きながら言った
自分達が頼めば、ノレインはきっと断らないだろう
だが、それと同時に誰かに何かを教えることは、今の彼女の体に負担をかけるんじゃないかという気持ちもアリシアにはあった
「ならそれで一つ頼む」
「わかった。でも今日は無理だ」
ユーリの答えに、フレンが待ったをかける
「お母さん、今あまり体調良くないから…」
首を傾げたユーリに、アリシアが補足するように言葉を付け足す
「あぁ、そうゆうことか…オレは教えて貰えるならいつでもいいぜ」
それじゃあ頼んだ!とだけ言うと、ニコニコと嬉しそうに笑いながらユーリは帰って行った
ユーリを見送ると、フレンは教本を見ながら鍛錬を始めた
アリシアは、フレンの邪魔にならないようにと少し離れた場所からその様子を眺めていた
いつもであれば彼が鍛錬している様子を真剣に見ているのだが、今は決してそんな余裕がなかった
ユーリにはああ言ったものの、果たして母が引き受けてくれるのだろうか…
もしかして自分の勝手な約束のせいで、更に具合が悪くなってしまうのでは?
そんな言葉ばかりが頭をよぎった
結局この日は、夕方になるまでずっとそのことを考えていた
あの約束から二週間ほど経ったある日、ノレインの体調がだいぶ良くなった日の夕飯時のことだ
最初に口を開いたのはフレンだった
ユーリに字の読み書きを教えて欲しい、と唐突に言い出した
そうなった経緯を話している時こそ、ノレインはいい顔をしなかった
だが、フレンが一通り話終えるとその険しい顔が一変し、普段の優しい笑顔が浮かんだ
「そうね…やってみましょうかしら。なんせここに来て初めての二人のお友達からのお願いだものね」
ニッコリと微笑みながらノレインはそう言った
『友達』…確かにユーリとはもうそう言ってもいい関係だ
が、改めて周りから言われてみると、なんだか恥ずかしくなり、フレンは少し頬を赤らめた
対してアリシアは、ノレインが引き受けてくれたことに安堵し、同時に初めて友達という存在が出来たのだと再認識したようで、嬉しそうに微笑んだ
……その次の日、早速フレンとアリシアがユーリに了承がとれたことを伝えると、彼も嬉しそうに飛び跳ねていた
ここでフレンはふと思った
教える、とは言うものの問題はその場所だった
…まさか、家まで来る気なのか?
もしそうだとしたら、自分に剣の権利がある日でも必要以上にユーリに付き合わないといけないのではないか?
そんなことが頭をよぎる
ユーリは剣の権利がない日でも、フレンの元にひょこっと顔を出すと、彼が練習していた技について根掘り葉掘り聞こうとしてくる
それがフレンの悩みの種の一つだった
もちろんユーリは邪魔をしているつもりもないし、悪気があってしている事でもない
フレンもそのことは理解している
が、わかっていても集中して鍛錬が出来ないことには苛立ってしまう
かと言って、今更この話をなしになど出来るわけもないのだが…
一人悩んでいるフレンを他所に、アリシアは自分の事のように嬉しそうに笑いながらユーリと話していた
確かにユーリは剣の権利がない日でもよく顔を出しに来ていたが、聞きたいことが聞ければすぐに帰って行ってしまって、アリシアと話す機会はあまりなかった
フレンやノレインから、一人で出歩くのはまだ駄目だと言われているため、勝手に広場に行くことも出来ないうえに、フレンと広場に顔を出した時に限ってユーリが居ないことが多かった
そのためアリシアとユーリが言葉を交わす機会は殆どなかった
それ故に、ユーリにほぼ毎日会えることがアリシアには嬉しかった
何故そんな気持ちになるのかと彼女は思ったが、大方初めての『友達』という存在だからこうも嬉しいんだろう、と解釈していた
本当にそれだけだろうか…と思うところもあったが、もやもやとしたその感情の答えなど到底理解出来なかった
暫く楽しそうに二人は話していたが、やがて時間がやってきて少々名残惜しそうにしながらも三人は家に帰って行った
家についてからアリシアとフレンが夕食の準備を手伝っている時のことだった
コンコンッ、とドアをノックする音が不意に聞こえた
ノレインがその音にドアを開けると、そこにはハンクスとジリが立っていた
そして、ハンクスは開口一番に「皆に読み書きを教えて欲しい」と、頭を下げた
これにはノレインも驚いた
話を聞くと、ユーリが帰ってきてからというもの、ずっと嬉しそうにしていたらしく、不自然に思ったジリが問い詰めて聞き出したらしい
「もちろん、これはちゃんとした授業だからね。授業費はしっかりと払わさせてもらうよ」
「どうじゃ?頼めないだろうか」
縋るような目でノレインを見つめながら、ハンクスとジリは言う
それもそうだろう
下町の人々は当然ながら字の読み書きが出来ない者が多い
そのため、働ける場所があまりにも少ないのだ
かと言って、今まで読み書きを教えてくれるような『先生』と呼べる人が下町にいたわけでもない
だからこそ頼みたいのだろう
「…少しだけ考えさせて下さい」
少し間を置いてからノレインはそう答えた
突然のことですぐに答えを出せないのも無理はない
ハンクスとジリはわかった、とだけ言うと帰って行った
アリシアとフレンの元に戻ると、ノレインは大きく息を吐いた
「母さん?何かあったの?」
大きなため息をついたノレインに心配そうにフレンが声をかける
「…いいえ、ハンクスさんにも『教師をしてくれないか』って頼まれただけよ」
ニコッと微笑みながらノレインは答える
それを聞いたフレンは、まさかユーリが言いふらしたのでは?と、考えたが、彼の性格上周りに言いふらすなどということはしないだろう
だが、少なくとも彼が言わない限りそんな話にはならないはずなのだが…
「お母さん、みんなの先生やるの?」
首を傾げながらアリシアはノレインに問う
少し嬉しそうに目を輝かせて彼女は母親を見つめる
「…そうね、いつまでも皆さんと距離を置いていても仕方がないし、やってみようかしら」
にっこりと笑顔を浮かべてノレインは答える
「本当っ?!!」
花が咲いたような笑顔を浮かべて、アリシアは嬉しそうにノレインの周りをくるくると回る
「母さん…大丈夫なの?」
嬉しそうにしているアリシアとは対称的にフレンは複雑そうな表情でノレインを見る
母がまた沢山の人と関わることはいいことだとはフレンも思っている
が、最近の彼女の体調を考えると、どうしても不安で仕方がなかったのだ
「大丈夫よ、体調が良くてお天気のいい日だけしか開かないわ」
ニコッとフレンに笑いかけながらノレインは言った
どこか嬉しそうな彼女笑顔に、フレンは何も言えなくなってしまった
何故なら、ノレインがこれ程までに嬉しそうにしているのを、ここに来てからまだ見たことがなかったからだ
「ねぇねぇ、お母さん!私も行ってもいいかな?」
人一倍嬉しそうにはしゃいでいたアリシアが、ノレインの傍に寄って問いかける
彼女には授業など受ける必要がない程読み書きは出来る
もっと言ってしまえば市民街や貴族街に住んでいる子供たちよりもその知識は豊富だろう
が、それでも行きたいと言うのは、ノレインが外に一人で出ていくのが彼女なりに心配だからなんであろう
「えぇ、もちろんいいわよ」
ノレインが彼女の頭を優しく撫でると嬉しそうに目を細める
「やったー!ねぇ、兄さん!兄さんも一緒に行くよね??!」
ニコニコと笑顔を浮かべながら、アリシアはフレンに問いかける
「え?……あー……うん…そう、だね。一緒に行くよ」
バツが悪そうに小声でボソリとフレンはそう呟いた
別に行きたいというわけではないが、自分の頼み事のせいでこうなったことに、フレンは少しばかりとも母親に対して罪悪感を感じていることは事実だ
その自分が、一人家に残って剣の鍛錬をすることも忍びないと感じた彼は、行くことを選択した
そんなフレンの気持ちなど知らないアリシアは、ただただ嬉しそうにまたはしゃぎだした
そんなアリシアを、フレンはただ苦笑いしながら見つめていたのだった
「ほら!また重心がズレてる!背筋を伸ばして!」
「やってるって。こうだろ!」
「そうじゃない、背筋!」
「分かってるって言ってんだろ!」
言い合うような声が、フレンの家の前の通りに響く
剣を取り戻したあの日以来、二人は一日交代で剣の稽古をしていた
とは言っても、誰かに教えて貰えるわけではない為、二人の鍛錬は独学であった
ユーリはまず基礎からやらねばならなく、師はフレンだとも言えたがこの二人の師弟関係は非常に曖昧なものだった
もとより同年代ということもあるうえに、性格が真逆な二人が教え合うなど、喧嘩なしには出来ないわけで
「やめだ、やめ。今日はもうやめだ」
忍耐の切れたユーリが剣を無造作に投げ出す
「ユーリ!君だけの剣じゃないんだから乱暴に扱わないでくれ!」
怒りを隠そうともせずにフレンが怒鳴る
そんなことも気にも止めず、腹の虫がおさまらないユーリはそっぽを向く
が、視界の隅でフレンが剣を拾い上げたのを捉えると、次第にそわそわし始める
「返せ、やっぱやる」
くるっとフレンの方に向き直すと、寄越せとばかりに手を差し出す
「やめるって言ったじゃないか」
「気が変わったんだよ!」
そうしてまた言い合いが始まる
剣は一日交代で使う。その日の内にどちらかがその権利を破棄したらもう片方が使える
そう二人で話し合って決めていた
一度破棄したらまた丸一日我慢しなければいけない
そんな苦い思いをユーリは何度か繰り返していたが、同年代から散々駄目出しを喰らえば怒りでそんな行動をとってしまうじゃないか、と心の中で悪態づいていた
そんな二人を、アリシアはいつも近くの樽の上に座って眺めていた
本当ならば前のように一緒に稽古したいと思っていたが、生憎自前の剣はもうない
かと言ってフレンの使っているものは多少大きすぎる
だからいつも黙って様子を見ているだけであったが、この日は少し違った
ぴょんっと樽の上から降りると、今にも取っ組み合いを始めそうな二人の間に割って入る
実際、ユーリの胸倉を掴みそうだったフレンが、危ないだろ、と声をかけようとする前に、アリシアが不機嫌極まりない顔でフレンを見た
「…兄さん、前から言おうと思ってたけど駄目出ししすぎだよ。ユーリの利き手、兄さんと逆なんだしそんなに怒らないでよ」
むすっと頬を膨らませてフレンを見つめる
普段口出しをしないアリシアにそう言われ、なんと返せばいいかわからず困惑してしまう
「ユーリはユーリでもう少し我慢強くなろうよ。年同じでも、教えて貰っている方なんだから」
くるっと顔をユーリの方に向けて、フレン同様不機嫌そうにユーリを見つめる
まさか自分よりも年下のアリシアに怒られるなどと思っておらず、ユーリもまた困惑してしまう
「…二人ともわかった?」
何も言わない二人の顔を交互に見つめながらアリシアは問いかけた
「「………はい……」」
必死に考えた結果、二人の口から同時に同じ言葉が出る
返事を聞くと、アリシアは満足そうに微笑んで頷く
「ね、兄さん、ちょっとだけ剣貸して?」
つい先程までの不機嫌な声ではなく、いつもの鈴の鳴るような声でアリシアは言った
「えっ?」
フレンは驚いて目を丸くする
駄目?と、金色の髪を揺らしながら、彼女は首を傾げる
少し考え込んだが、アリシアならば大丈夫だろうと判断したのか、少しなら、と言ってフレンは剣を差し出した
すると、嬉しそうに目を細めて剣を受け取った
そして、少し離れた所で素振りを始めた
「おいおい…大丈夫なのかよ?」
不服そうに、それでいて何処か心配そうにユーリがフレンに問いかける
「まぁ一応は。アリシアも僕と一緒に鍛錬していたから」
肩を竦めながらフレンは答えた
正直なところ、フレンも心配なのだ
アリシアが扱うには多少大きすぎる剣……
それに、彼女だってここに来てからというもの鍛錬をしていなかったのだ
怪我でもしてしまったらどうしよう…と、不安が二人の頭の中に過ぎる
そんなことも気にせずに、彼女は自身の父親から教えてもらった動きを思い出しながら剣を振る
しばらくは両手で剣を握っていたが、感覚を取り戻すとフレンと二人で鍛錬していた時と同様、利き手だけで器用に剣を振り始めた
まるで踊るかのように剣を振る
最初こそヒヤヒヤして見ていた二人だが、次第にそんな不安すら忘れて見入っていた
自分の体の一部のように剣を扱うアリシア…
自分達よりも年下なはずなのに、明らかに使い慣れているその動きに、目が離せずにいた
しばらく利き手で剣を振っていたが、満足したのか剣を振るのをやめ鞘に戻すと、小走りで二人の元に戻った
「ありがとう、兄さん、ユーリ!」
嬉しそうにニコニコと微笑みながら、アリシアは剣をフレンに差し出した
「…あ、あぁ…」
一拍遅れて、フレンは差し出された剣を受け取った
「アリシア…お前、凄いな……あんな風に剣振れるなんてさ」
驚いたように目を見開かせてユーリはアリシアに言う
「んー…そうかな?」
これくらい当然だと言いたげにアリシアは首を傾げる
「すげぇよ…!充分凄いって…!!」
キラキラした目でアリシアを見つめながらユーリは興奮気味に言う
アリシアにとってはこの程度は出来て『当然』なのだが、こうして誰かに褒められるのはやはり嬉しいわけで、少し頬を赤らめて嬉しそうに微笑む
「えへへ、ありがとう!」
嬉しそうに微笑んでいたアリシアだが、すぐにその笑顔が消えて深刻そうな顔をして俯いてしまう
「…………でも、お父様にはまだまだ…………」
ボソリと小さな、僅かにしか聞き取れない声で呟く
「『お父様』…?」
僅かに聞き取れた言葉をユーリが繰り返すと、はっと顔をあげる
「あっ…え、えっと……」
あからさまに何かに動揺した様子でおどおどとし始める
昔の癖でつい『お父様』という単語を使ってしまった
どう乗り切ろうかとアリシアは混乱した頭で必死に考えるが、中々いい言い訳が思いつかない
…すると、見かねたフレンが口を開いた
「…昔、従姉妹おじさんのことをそう呼んでいたから、アリシアもたまに父さんのことを『お父様』って呼んでいたから、癖になってるんだよね」
「あ、あはは……そう…なんだよね」
ニコッと笑ってみせようとするが、どう頑張っても頬がひきつってしまう
上手く笑えていないことなど、アリシアが一番よくわかっていた
…もし、ユーリに自分の正体がバレてしまったら…?
万が一にでもそれはないかもしれない
ここは壁の中とは違う
『皇族』とは無縁の場所だ
だけれども……もしも、自分が本当は『皇族』だと、バレてしまったら…?
考えただけでも冷や汗が出そうになる
ユーリは勘がいい
もし、追求されたら……
「……その従姉妹って、貴族様なのか?」
少し間を置いてユーリが問いかけてくる
「まぁ…正確に言えばちょっと違うけどそんなとこだね」
「ふーん……親戚に貴族様がいるっていうのも、なんか大変そうだな」
ユーリはそれだけ言うと、フレンがいつも樽の上に置いている本の方へと目を向けた
……追求、されなかった……
アリシアはほっと安堵の息をついた
だが、一つだけ気になることがあった
本を挟んで話し合っているユーリとフレンを見ながら、少し首を傾げる
普段なら、こちらの気持ちもお構い無しに追求してくるのに……
好奇心旺盛、それが今のユーリの印象だった
気になることがあれば、どんな些細なことでも聞いてきていた
さっきも、気になることがあった時と同じ顔をしていたのに…いつものように追求してこなかった
それが、彼女には不思議でたまらなかった
まあ追求されたらされたで困ってしまうのだが…
「なぁ、アリシアもこの本、フレンと読んだのか?」
不意にユーリに声をかけられ顔をあげると、じっと見つめてきているのが目に入った
この本、というのはフレンがずっと大事に持っている教本の事だろう
「う、うん!」
少し驚きながらもそう答えるとユーリは、ふーん、とだけ言うとまたその本に目を向けた
余程気になるのだろう
「…これ、読めたらオレもお前らみたいに強くなれっか?」
「そんな都合のいいものじゃない」
少し強い口調でフレンは答える
「ま、そりゃそうか」
あっさり肩を竦めて苦笑いする
ユーリ本人もただ読めただけでどうにかなるとは思っていない
読めただけでどうにかなれば、誰だって簡単に強くなれるだろう
そんなに甘くないことは彼自身が一番よく分かっていた
「なあ、これオレにも読めるようにしてくれよ」
不意にユーリはアリシアとフレンを交互に見つめる
『読めるように』…?
アリシアは心の中でその言葉を繰り返しながら首をかしげる
読みたいのであれば読めばいいのに…
そう思ったが、すぐにその理由は検討がついた
ここ下町に来てから、市民街ではよく見ていたものを見ていない
そのことに気づいてアリシアが口を開く前にフレンが、勝手に読めばいい、と言う
「いや、そういうけどな」
バツが悪そうに後頭部を掻きながら、ユーリは言葉を続けた
「……オレ、字読めねえんだ」
「「あ……」」
アリシアとフレンはそう呟いて顔を見合わせた
字が読めない…
それは、下町では『当たり前』なのだろう
市民街と違って、読み書きを教えてくれるような人もいないだろうし、そもそも字をあつかう機会もないのだろう
二人は改めてここは自分達が今まで暮らしてきていた場所と違うのだと思い知った
「だけど…僕も読み書きなんて教えたことはないよ」
「剣だって教えてくれてるじゃねえか。それと同じだろ」
あっけからんとユーリは言った
そう簡単に言うが、一体どうしたらいいものか……
フレンが唸っていると、アリシアが何か閃いたように呟いた
「……お母さん」
その呟きにフレンも納得したように、あぁ…と声を漏らす
「おふくろさん?」
「うん。あたしも兄さんも、お母さんに少し教えてくれてたから、お母さんなら教えられるかも」
自分の言葉の意味をしっかり確かめるように、ゆっくりとアリシアは頷きながら言った
自分達が頼めば、ノレインはきっと断らないだろう
だが、それと同時に誰かに何かを教えることは、今の彼女の体に負担をかけるんじゃないかという気持ちもアリシアにはあった
「ならそれで一つ頼む」
「わかった。でも今日は無理だ」
ユーリの答えに、フレンが待ったをかける
「お母さん、今あまり体調良くないから…」
首を傾げたユーリに、アリシアが補足するように言葉を付け足す
「あぁ、そうゆうことか…オレは教えて貰えるならいつでもいいぜ」
それじゃあ頼んだ!とだけ言うと、ニコニコと嬉しそうに笑いながらユーリは帰って行った
ユーリを見送ると、フレンは教本を見ながら鍛錬を始めた
アリシアは、フレンの邪魔にならないようにと少し離れた場所からその様子を眺めていた
いつもであれば彼が鍛錬している様子を真剣に見ているのだが、今は決してそんな余裕がなかった
ユーリにはああ言ったものの、果たして母が引き受けてくれるのだろうか…
もしかして自分の勝手な約束のせいで、更に具合が悪くなってしまうのでは?
そんな言葉ばかりが頭をよぎった
結局この日は、夕方になるまでずっとそのことを考えていた
あの約束から二週間ほど経ったある日、ノレインの体調がだいぶ良くなった日の夕飯時のことだ
最初に口を開いたのはフレンだった
ユーリに字の読み書きを教えて欲しい、と唐突に言い出した
そうなった経緯を話している時こそ、ノレインはいい顔をしなかった
だが、フレンが一通り話終えるとその険しい顔が一変し、普段の優しい笑顔が浮かんだ
「そうね…やってみましょうかしら。なんせここに来て初めての二人のお友達からのお願いだものね」
ニッコリと微笑みながらノレインはそう言った
『友達』…確かにユーリとはもうそう言ってもいい関係だ
が、改めて周りから言われてみると、なんだか恥ずかしくなり、フレンは少し頬を赤らめた
対してアリシアは、ノレインが引き受けてくれたことに安堵し、同時に初めて友達という存在が出来たのだと再認識したようで、嬉しそうに微笑んだ
……その次の日、早速フレンとアリシアがユーリに了承がとれたことを伝えると、彼も嬉しそうに飛び跳ねていた
ここでフレンはふと思った
教える、とは言うものの問題はその場所だった
…まさか、家まで来る気なのか?
もしそうだとしたら、自分に剣の権利がある日でも必要以上にユーリに付き合わないといけないのではないか?
そんなことが頭をよぎる
ユーリは剣の権利がない日でも、フレンの元にひょこっと顔を出すと、彼が練習していた技について根掘り葉掘り聞こうとしてくる
それがフレンの悩みの種の一つだった
もちろんユーリは邪魔をしているつもりもないし、悪気があってしている事でもない
フレンもそのことは理解している
が、わかっていても集中して鍛錬が出来ないことには苛立ってしまう
かと言って、今更この話をなしになど出来るわけもないのだが…
一人悩んでいるフレンを他所に、アリシアは自分の事のように嬉しそうに笑いながらユーリと話していた
確かにユーリは剣の権利がない日でもよく顔を出しに来ていたが、聞きたいことが聞ければすぐに帰って行ってしまって、アリシアと話す機会はあまりなかった
フレンやノレインから、一人で出歩くのはまだ駄目だと言われているため、勝手に広場に行くことも出来ないうえに、フレンと広場に顔を出した時に限ってユーリが居ないことが多かった
そのためアリシアとユーリが言葉を交わす機会は殆どなかった
それ故に、ユーリにほぼ毎日会えることがアリシアには嬉しかった
何故そんな気持ちになるのかと彼女は思ったが、大方初めての『友達』という存在だからこうも嬉しいんだろう、と解釈していた
本当にそれだけだろうか…と思うところもあったが、もやもやとしたその感情の答えなど到底理解出来なかった
暫く楽しそうに二人は話していたが、やがて時間がやってきて少々名残惜しそうにしながらも三人は家に帰って行った
家についてからアリシアとフレンが夕食の準備を手伝っている時のことだった
コンコンッ、とドアをノックする音が不意に聞こえた
ノレインがその音にドアを開けると、そこにはハンクスとジリが立っていた
そして、ハンクスは開口一番に「皆に読み書きを教えて欲しい」と、頭を下げた
これにはノレインも驚いた
話を聞くと、ユーリが帰ってきてからというもの、ずっと嬉しそうにしていたらしく、不自然に思ったジリが問い詰めて聞き出したらしい
「もちろん、これはちゃんとした授業だからね。授業費はしっかりと払わさせてもらうよ」
「どうじゃ?頼めないだろうか」
縋るような目でノレインを見つめながら、ハンクスとジリは言う
それもそうだろう
下町の人々は当然ながら字の読み書きが出来ない者が多い
そのため、働ける場所があまりにも少ないのだ
かと言って、今まで読み書きを教えてくれるような『先生』と呼べる人が下町にいたわけでもない
だからこそ頼みたいのだろう
「…少しだけ考えさせて下さい」
少し間を置いてからノレインはそう答えた
突然のことですぐに答えを出せないのも無理はない
ハンクスとジリはわかった、とだけ言うと帰って行った
アリシアとフレンの元に戻ると、ノレインは大きく息を吐いた
「母さん?何かあったの?」
大きなため息をついたノレインに心配そうにフレンが声をかける
「…いいえ、ハンクスさんにも『教師をしてくれないか』って頼まれただけよ」
ニコッと微笑みながらノレインは答える
それを聞いたフレンは、まさかユーリが言いふらしたのでは?と、考えたが、彼の性格上周りに言いふらすなどということはしないだろう
だが、少なくとも彼が言わない限りそんな話にはならないはずなのだが…
「お母さん、みんなの先生やるの?」
首を傾げながらアリシアはノレインに問う
少し嬉しそうに目を輝かせて彼女は母親を見つめる
「…そうね、いつまでも皆さんと距離を置いていても仕方がないし、やってみようかしら」
にっこりと笑顔を浮かべてノレインは答える
「本当っ?!!」
花が咲いたような笑顔を浮かべて、アリシアは嬉しそうにノレインの周りをくるくると回る
「母さん…大丈夫なの?」
嬉しそうにしているアリシアとは対称的にフレンは複雑そうな表情でノレインを見る
母がまた沢山の人と関わることはいいことだとはフレンも思っている
が、最近の彼女の体調を考えると、どうしても不安で仕方がなかったのだ
「大丈夫よ、体調が良くてお天気のいい日だけしか開かないわ」
ニコッとフレンに笑いかけながらノレインは言った
どこか嬉しそうな彼女笑顔に、フレンは何も言えなくなってしまった
何故なら、ノレインがこれ程までに嬉しそうにしているのを、ここに来てからまだ見たことがなかったからだ
「ねぇねぇ、お母さん!私も行ってもいいかな?」
人一倍嬉しそうにはしゃいでいたアリシアが、ノレインの傍に寄って問いかける
彼女には授業など受ける必要がない程読み書きは出来る
もっと言ってしまえば市民街や貴族街に住んでいる子供たちよりもその知識は豊富だろう
が、それでも行きたいと言うのは、ノレインが外に一人で出ていくのが彼女なりに心配だからなんであろう
「えぇ、もちろんいいわよ」
ノレインが彼女の頭を優しく撫でると嬉しそうに目を細める
「やったー!ねぇ、兄さん!兄さんも一緒に行くよね??!」
ニコニコと笑顔を浮かべながら、アリシアはフレンに問いかける
「え?……あー……うん…そう、だね。一緒に行くよ」
バツが悪そうに小声でボソリとフレンはそう呟いた
別に行きたいというわけではないが、自分の頼み事のせいでこうなったことに、フレンは少しばかりとも母親に対して罪悪感を感じていることは事実だ
その自分が、一人家に残って剣の鍛錬をすることも忍びないと感じた彼は、行くことを選択した
そんなフレンの気持ちなど知らないアリシアは、ただただ嬉しそうにまたはしゃぎだした
そんなアリシアを、フレンはただ苦笑いしながら見つめていたのだった